第三十二話 閑話 モニカの幼少期
「冒険者学校に入ってもうこんなに経ったのね。お父さんもお母さんも元気にしているかな?今度の休暇にでも一度帰るつもりだったけど、どうしてかエルフの里に行くことになってしまっちゃったしなぁ…………。まぁその次の長期休暇には帰れたらいいか」
モニカは学生寮の自室のベッドに横になりながら故郷のことを思い出していた。
――――王都から遥か遠くの街で私は育った。
初めて実戦的な戦闘を目にしたのは8歳の頃、母と仕事で街の居酒屋に行った時のこと。
「――お母さん、今日はどこに行くの?」
「あぁ、モニカ。うーん、そうねぇ、今日はレイモンドさんのところに商品を卸した後、その次にペドロさんのお店に卸しに行くぐらいかな?それがどうかしたの?」
幼い頃の私は毎日母の仕事に付いて回っていた。
私は母のことが大好きでたまらなかった。優しくて可愛くてどこか芯が強くて男の人にも言い負けない気の強さも尊敬していた。
母の髪の色は黒いのに私は金だったことにちょっとだけがっかりもした。でもそれを言うとお父さんが泣いたことがあったのであれ以来口に出来なかった。
そんな母の予定を毎朝確認していた。母の手が空く時間を知りたかった。
「モニカ?女に秘密は付きものよ」
母の口癖。
笑顔でそう話す母は神秘的な何かを感じさせた。
詳しい年齢を教えてくれなかったけど、私の年齢を考えてもかなり若く見えた。最近では並んで歩いているとパッと見は姉妹にさえ見られることもあった。
私が育った家は、父が商品の買い付けを行い、母が街のお店に卸しにいっていた。
街の輸入品のほとんどを担っていたのでそれなりに裕福な家庭だったのだと思う。レインの家も商家らしいけど、レインの王都で商人をしているレインに比べたらきっと大したことはないんだろうけど。
「……でも、あれがなかったらきっと私はここにいなかったんだろうなぁ」
そうして王都に来るきっかけになった出来事を思い出す。
「――そっか、じゃあ夕方には一緒に買物にいけるね!今日の晩ご飯は私が作りたい!」
「もう、モニカったらぁ。この間もそんなこといいながら結局お母さんが作ったじゃない?」
「だってぇ、料理って難しいんだもん」
「それじゃあいいお嫁さんになれないわよ?」
「うぅっ。で、でも大丈夫!今日はきっと大丈夫だから!」
不貞腐れながらも幼いモニカは母に決意表明をする。
「もうこの子ったら。いいわ、いっぱい失敗しなさい」
母がくすりと笑った。
お昼を過ぎた頃、レイモンド邸に商品を卸したあとにペドロの居酒屋に向かった。
「……ねぇ、お母さん?」
「なぁに?」
「……ペドロさんのお店って大人の人がお酒を飲みにいくところよね?」
「そうよ?それがどうかした?」
「ううん、時々怖い人達がいるからあんまり行きたくないなぁって」
「あぁ、あの人達のことね。あの人達は冒険者よ。あの人達がいるから私たちは安心して生活ができるのよ。それに、お父さんの仕入れも冒険者の護衛がなかったら安全にできないのよ」
「そうなんだぁ。じゃあ良い人達なんだね!」
母の話を聞いて、心配はいらないのだとモニカの表情がパッと明るくなる。
「いや、まぁ中にはちょっと問題のある人もいることにはいるのだけれどね…………」
少し俯きながら母が呟いた。
「えっ?なに?」
「ううん、なんでもないわ。さ、早くしないと料理をする時間がなくなるわよ」
「うん!」
街には小さな冒険者ギルドがあり、荷物の搬送には護衛を依頼することもあるのだが、父の仕事には専属の冒険者が荷物の護衛を行っていたので大きな問題は起きなかった。
街に出入りする冒険者も小さな街だ。それほど傍若無人な冒険者もいない。基本的には街の人と良好な関係も保てていた。幼いモニカには母の話のほとんどがちんぷんかんぷんだったのだが、母が安心するように声を掛けてくれたので不安は払拭される。
「こんにちはー、ペドロさん今日の商品持ってきたわよ」
いつも通りに店の中に入ろうとしたところでガチャンと金属音が鳴った。
「なんっじゃ、このくそまずい飯に酒は!?どうなってやがんだこの街は!」
突然の怒鳴り声にモニカがびくっと体を震わせる。
「すすすすいません、お客様!」
店内をそうっと覗きこむと椅子に踏ん反り返って顔を赤らげた大柄の男が店の男の胸ぐらを掴んでいた。
「あぁあぁせっかく長旅の疲れを取ろうとこの街に来たのにろくな飯がでねぇ。酒もまずい。こんなんじゃあ疲れなんて全く取れねぇなぁ。おい、もちろんただになんだろな?」
「そんな、お客様。それはちょっと――――」
「んだっ!?文句あんのか!?おめぇ誰のおかげで毎日平和に暮らせていると思ってんだ!?なぁおい?」
大柄の男は周囲を見渡す。
周囲に座っている一部の男たちがゲラゲラ笑っていた。他の何人かはただただ静かにテーブルを見ている。
「そ、それは、お客様達冒険者の皆様が日々体を張って仕事をして頂いて――――」
「そうだろう!?その通りだ!それをてめぇはこんな不味い飯で金を取ろうとすんのか!?」
店の男に畳みかけるように言葉を掛けた。
「で、ですが料理の味はそれほど…………」
「うるせぇ!ぶっとばすぞ」
「ひぃ!」
「――やめなさいっ!」
大柄の男が拳を振り上げた瞬間、店の入り口で固まっていたモニカの目の前で母は大声で制止をする。
モニカは再度体をびくっとさせた。母の怒鳴り声など初めて聞いたのだから。
「んだ?」
「ヘ、ヘレンさん!?」
「いい加減にしなさい!あなた達冒険者が日々危険を冒して仕事をしてくれるおかげで私たちが安心して暮らせるって言いたいのはわかったわ。けど、今あなたが行っている行為はただ力で言い聞かせようとしているだけで、私たちの生活を脅かす行為にしかならないわ!」
語気を強めて母ヘレンが大柄の男に訴える。
「それに、普通にしていればこちらも精一杯のおもてなしをして労います。その方が気持ち良くお酒を飲めるのではありませんか?」
少し口調を和らげたヘレンは言葉を続ける。
それまで黙っていた周りの一般客も「そうだそうだ!」とヘレンに合わせて声をあげた。
「……うぐぐっ」
至極真っ当な意見をぶつけられ大柄の男が反論出来ずにいる。
「そうですか。では労っていただくとしましょうか。ふむ、そっちのお嬢さんは妹さんですかね?」
大柄の男が反論できずにいると近くにいた細身の男が話し掛けてきた。
「この子は私の娘よ」
「ふむ、娘さんとな?とても子どものいる人にはみえないですねぇ。まぁいいでしょう。ではお約束通り労っていただきましょうかね」
「ええ、労いますわ。よければ今から厨房を借りて私の自慢の料理を作りましょうか?」
「いえいえ、そういうのはいいのです。そういうことではなくてですねぇ…………いや、とても良いお身体をしていますので、この後私たちをお楽しみさせていただければそれで十分です」
下卑た表情をしながら男が舐めまわす様にヘレンの身体を凝視する。
「……それは私を辱めるということですか」
「いえ、精一杯のおもてなしと伺ったものですのでね」
「お断わりします!」
「そうですか。では、そちらのお嬢さんに代わって頂いて――――」
男の手がモニカに対して伸びてくる。
スパンッと鋭い風切り音が響いたかと思えば男はドサッとその場に横倒れになった。
「モニカに手を出すのは絶対に許さないわ!」
ヘレンが男の側頭部に蹴りを入れていたのである。蹴られた男は一瞬で泡を吹いて意識を失っていた。
「てめぇ、なにしやがんだ!?――うげっ」
大柄の男は一瞬呆気に取られたのだが、すぐに拳を振り上げ、ヘレンに殴りかかろうとする。
ヘレンは素早く身を屈め、拳を躱すと同時に足払いをした。
大柄の男が前のめりに倒れる。
「ふんっ、私はまだしもモニカに手をだそうとするからこうなるのよ」
腕を組んで大柄の男を見下ろした。
見たことのない強さで相対する母の様子をぼーっと見ていると、母の後ろで剣を抜いた持った男が母に向かって走る。
「――お母さん危ないっ!」
慌てて咄嗟に近くのテーブルにあったフォークを手に持ち投げつける。
無我夢中だったのだが、フォークは剣を持って走った男の手に当った。
「ぐぎゃぁぁぁぁ!いてぇいてぇ!いてぇよぉ!――ぐふぅ!」
フォークが手の甲に刺さり剣をポロっと床に落とす。フォークは刺さったままで手から血が滴り落ちていた。
ヘレンはモニカの声に反応し、すぐさま後ろを振り向き回し蹴りをする態勢に入って男を蹴り飛ばした。
そして驚愕する。自分の蹴りよりも早くモニカのフォークが投げられ、それどころか見事なまでに当てていたことに驚いた。
それも寸分違わず剣を持った手に当てていたのだから。
しかし、咄嗟のこととはいえ、自身の手で初めて人に危害を加えた恐怖でモニカはすぐに恐怖にぶるぶると震えだす。
「はい、まだ続けるようなら本気でボコボコにします。あらっ?それが元々のお望みだったのよね?違ったっけ?」
途端に店内から笑い声が起こった。
その様子を見た母は手をパンパンと叩く。
「わかった!わかったから勘弁してくれ!飯代も払う!こ、これでいいか!?」
大柄の男が慌てて硬貨を取り出し、チャリンと机の上に投げ乗せた。
男達の他の仲間達は、意識のない男を担ぎ出すと逃げるように居酒屋を後にする。
母はその後を追った。
「あっ、言い忘れてたけど、あなた達!報復なんて考えないことね!先に忠告しとくわよ!」
母が大きく手を振りながら男たちに注意を促す。
返事はないのだが、あの様子だと大丈夫だと確信が持てた。
店内に戻ったヘレンは無言で震えていたモニカを抱きしめる。
「……ごめんね、怖い思いさせてしまって」
母に抱きしめられたモニカは次第に震えが止まり、冷静になる。
「ち、違うの、怖かったのはあの人たちじゃないの…………」
ヘレンは驚き目を丸くさせモニカを見る。
「――あっ、ごめんなさい、お母さん――――」
「お母さんが怪我をするかもしれないって思ったら怖くなったの…………」
お母さんが怖かったよね、と問おうとしたところ、予想もしていない返事が返って来た。
「モニカは優しいね」
「ううん、あの人に怪我をさせちゃった……」
「モニカは何も悪くないわ。悪いのはあの人たちとお母さんよ?」
「ううん、お母さんは全然悪くない!お母さんすっごい強かった!」
ヘレンは再び驚く。
「ふ、ふふっ、そうね、お母さん強いのよ?あんな人達には負けないんだから。知らなかった?」
目尻に涙を浮かべながらヘレンは笑った。
「ねぇお母さん、私も強くなりたい!もっとみんなを守れるぐらいに!」
「そうねぇ、モニカは強くなれると思うわ。なんたってお母さんの子なのだから。でも、これだけは覚えておいて」
ヘレンはモニカの顔をしっかりと見る。
数秒、ジッと目が合い、母の顔を逸らすことなく見つめた。母の真剣な眼差しを逸らすことなどできない。
「あのね、強さは力で相手を屈服させるものじゃないのよ?」
「……うん」
「だけどね、時にはそれが必要になることもあるの。状況を見て力を使う場面を選ばないといけませんよ?」
「うん!」
「あとね…………」
少しばかりの逡巡が窺える。
「な、なに?」
「料理みたいに途中で投げ出したらダメよ!?」
「もう!お母さんったら!」
「「ふふっ」」
二人で見つめ合って笑った。
後で聞いた話しなのだが、母は街のああいう手合いに対して何度かこういうことがあっていつも最終的には打ちのめしていたらしい。
なるべくなら争い事がなく話し合いで穏便に済まそうとはするのだが、冒険者の中には勘違いして力でなんでも思い通りにいかそうとする人もいるらしい。
そのため、止むに止まれずそういった者には母がその場を収めていたのだと。
本当は冒険者学校には入らず、母に習っているだけでも良かったのだった。
だが、母より「モニカ?世の中は広いわ。私だけでは教えられることにも限界があるのよ。それに、広い世界を知る事でこれからモニカの選択肢が一杯広がる方がお母さん嬉しいわ」
と。
そんなことを言われてしまっては仕方ない。我儘を言って残りたかった気持ちはあるのだが、我慢して冒険者学校へ行くことにした。
そうしてモニカの入学が決まったのだった。
少しだけ気になることといえば、母の強さの根源が何かまでは教えてもらえなかったこと。
しかし、幼いモニカにとっては些末なこと。母が憧れの象徴には変わらない。特に疑問に思うことはなかった。
こうして冒険者学校へ入学するために王都へ向かった馬車が途中で立ち寄った村でヨハンと出会うことになる。
ちなみに、父は特に強くはないとことは母から聞かせられていたのであった。




