第三十一話 閑話 エレナの幼少期
王家の姫として生まれた。
この国では王族としての生まれであってもその教育や教養といった点は他の家庭とは大きくは変わらない。
違うことといえば、立場は違う。裕福であること。父には家臣がいること。いくらか厚遇されることもある。
衣食住に困ることはない。だが、だからといって不満がないわけではない。その分求められることも多くある。
代々王家の人間は例外なく強さが求められる。
幼い頃から日々の鍛錬に加え、他の人以上に一般教養を覚えさせられる。そして姫としての礼節を重んじた振る舞い。
そんな暮らしに嫌気が刺すのにそんなに時間はかからなかった。
ある日、いつものように王宮内の鍛錬場で親衛隊との模擬戦を行ったあとのことだった。
ふと街の方を見ると賑やかな気配が広がっている。
思わず気になった。
「そういえば中央区の外ってどうなっているのでしょう?」
これまで王宮内で育ったエレナはそんな興味を持ち、こっそり街に出てしまう。
好奇心そのままに行動に移して、衛兵達の監視の目を盗むとこっそり街に出た。
そこでエレナは一際感嘆の声をあげる。
「ふわぁぁぁ、すっごぉぉい!」
その日は街で祭りが催されていたのであった。賑やかな気配の正体。
このシグラム王都では定期的に祭りが開かれており、エレナが興味を持った日がちょうどその日だった。
街は賑やかで活気に溢れていた。教育で街の基本的な情報を知ってはいたのだが、想像以上の街の様子に呆気に取られてしまう。
「王宮の中はこんなに賑やかじゃなくて静かだったなぁ」
ぽつりと呟いた感想は、普段エレナが目にしている宮内は物静かで厳かな空間に包まれているため。
「嬢ちゃんどうした?迷子か?」
突然背後から話し掛けられた。
びっくりして振り返ると、そこには見たことのない男の人が立っていて疑問符を浮かべていた。
どう答えたらいいのかわからないのだが、慌てて首を左右に何度も振って応対する。
「そうか?ならいいが、今日はいつも以上に人が多いから迷子になるなよ?」
「――はい」
そう言うと男の人は人混みの中に消えていった。
それからも、何度も同じように子どもの一人歩きを心配した人たちがエレナに声をかける。
そのどれもがエレナの素性を知らないので恐れ多いといったことは一切なく親身に話し掛けられた。
「…………なんだか宮内の人達と違うわね」
何度も話し掛けられたことでいくらか対応には慣れてくる。
そうなるとある程度観察する余裕も出来た。
これまでエレナの対応をする人たちは立場上少しばかりの距離を取っており、よそよそしさを感じさせた。
しかし、街で話し掛けられる人達からは親身なってくれているのはわかる。
慣れない人の温かさを感じ取ったエレナは「帰りたくないな」と呟くが、いつまでもここに居てはいけないことは誰よりもエレナ自身がはっきりと自覚していた。
そのため、帰路に着こうとしたところ、その瞬間――――。
――――ガバッっと一気に視界が暗くなる。同時に意識が遠のき始めた。
途端に体を持ち上げられる感覚になる。
担がれていたのであった。
人攫い。
人攫いはエレナが一人で歩いているところを見ていたのだが、いつまでも知り合いの大人は現れなかった。
エレナのその身なりから間違いなく裕福な家庭だろうということは連想できる。人攫いに目を付けられるのも当然。
人攫いはこういった祭りの際に人混みに紛れ混んで犯行に及ぶことがある。
対象を見つけると数人で目立たないように周囲を取り囲み、麻袋に入れられる。麻袋には暴れないように意識を奪う特殊な細工が施されていた。
意識が遠くなっていくのを感じるのだが自分が置かれている状況が理解出来ない。
本来、王宮内で日常的に鍛錬を行っているエレナは、普通の大人であるならばまともに対峙すればまず負ける事はない。
しかし、相手が荒事を生業とする人攫いな上に意識まで奪われつつある。
しまった、と思っても既に遅い。
人気のない路地に連れていかれ、その後はアジトなり棲家なりで身元の確認を行われ何らかの要求が付きつけられる。
人攫いはエレナをよくて貴族のお嬢ちゃんだと思っていたところに、まさかの王家の直系の姫だ。その見返りは普通の比ではない。
上手くいけば、の話である。
「おい、このお嬢ちゃんどれくらい稼げるかな?」
「まぁ身代金を出せなけりゃ売りさばきゃいいだけだ。世の中にゃ物好きもいるこったし」
「おぉおぉ、こんないたいけな子どもを可愛がる趣味のあるやつなんて碌な大人じゃねぇな」
「俺達も、だけどな!」
「違いねぇ!」
人気のない路地に入るなり下卑た話を始め、高笑いを上げる人攫い達。
「――――なぁなぁ、ここってどうやって行けばいいんだ?」
唐突に声が聞こえた。
進んでいる先、向かう方向に人が立っている。
少し汚れたマントを羽織っており、フードを目深に被っているので顔もよく見えない。声からして男だろうと判断できる。
「うるせぇ!そんなもん自分で探しな!俺たちゃ今忙しいんだ!」
人攫い達は知らない男をすれ違いざまに押しのけて先に進もうとした。
「ふーん、そっか。忙しいのか。今日みたいな祭りの日に麻袋を担いで人気のない路地を通って急いでるってんだ。あのさ、ちょっと中身見せてもらっていい?」
「な、なんだてめぇ!こりゃあ祭りの為の商品じゃねえかよ!ってかそもそもてめぇには関係ねぇよ」
人攫い達は取り繕った言い訳を放ってマントの男の横を通り、さらに先に進もうとする。
「そっかそっか、祭りの為の商品ね。そらぁお前たちにとってはそうなるかな?」
薄汚れたマントを羽織った男はそう言うと瞬時に跳び、人攫い達の前に再度立ち塞がる。
「で、それを俺が見過ごすわけはねぇわけで――」
「もういい、こいつ殺っちまおうぜ!」
「ああ!」
目の前に再度立ち塞がった男に対して人攫い達はすぐさまナイフを抜いて襲い掛かろうとしたのだが――――。
その瞬間にバタバタバタとその場に倒れていく。
「へっ?」
麻袋を担いでいた人攫いが一人だけ立ったまま周囲を見渡し呆気に取られた顔で立っていた。
「お、おい!お前達どうした!?そ、それにあの男はどこに?」
「――じゃあ中身見せてもらうぞ」
後ろから声がする。
ついさっきまで前に立ち塞がっていたはずの男が仲間に殺られるところを見るはずだった。
しかし、その男の姿はなく、仲間達はその場に倒れ、後ろにその男が立っている。
さらに、いつの間にか担いでいた麻袋を奪われてしまっていた。
「あちゃあ、やっぱりか」
男が麻袋を広げ袋の口から覗き見えるのは、意識が朦朧とした少女が顔だった。
「さて、証拠がここにあるわけだ。どうするよ?」
「わかった、その子は返すよ」
一人残った人攫いは観念した様子で答える。
「そっか、素直で助かるよ。おい、大丈夫か?」
ぺちぺちと少女の顔を叩いて意識の確認を行うのだが、残った人攫いの男はナイフを抜きマントの男に対して投げつけた。
――――マントの男の眼前、目の前でナイフが止まっている。
男は指で挟んで止めていた。
ナイフは指の間から落ちて地面に着くと、金属音を上げながら同時に呻き声が聞こえる。
「――ぐぇっ!」
「まぁお前らは当然そうするわな。いっつもワンパターン過ぎるんだよ」
マントの男は瞬時に残った一人の男の懐に踏み込み、意識を刈り取った。
人攫いの男は無様に地面に倒れ込む。
「さて、と。あとのことは衛兵達に任せるとするか。この子、俺のガキと同じくらいの歳かな?」
エレナは朦朧とした意識、辛うじて保つ意識の中、人攫いから助けてくれた薄汚れたマントの男の顔を見ようとするがはっきりとは見えない。
見えたのは端正な顔立ちの少し歳がいった男の人で、マントの隙間から少しの茶色い髪の毛が見えただけだった。
「――――あ…………な……たは?」
「俺か?俺はしがない冒険者だよ。あぁ元……でもないか、まぁ今はただの狩人だな」
マントの男から報告を受けた衛兵達によって人攫い達は捕まった。
助けられたエレナはマントの男を探そうとしたのだが、記憶が混濁してしまっている。何の情報も得られないまま数年が経つことになった。
そうして冒険者学校入学の日を迎えるのである。
エレナはこの一件で当然ローファス王や近衛隊長のジャンから叱責を受ける事となったのだが、同時に力不足も痛感することとなり一層の精進に励むのであった。
「――――あの方はどんな顔をしているのでしょうか…………」
そんな入学式の時にヨハンを目にしたエレナは、その後に知ることとなるヨハンの強さと同時にどこかその顔と髪の色に見覚えがあるかと思ってしまうのだが、ヨハンであるはずがない。
まだ小さかった上に意識も朦朧としており記憶も曖昧であるため答えがでないままであった。
「いつか会うことができたら良いですわね」




