第 三百十 話 婚約の条件
突然の婚約者宣言。
カレンとは誰なのか、そんなこと聞かなくともわかる。目の前にいるカレン・エルネライだということに間違いはない。しかし、一体何が起きているのか、どういうことなのかと思考を巡らせるのだが、全く以てまとまらない。頭の中ではひどく混乱をきたしてしまっている。
「驚いているようだな」
「…………え?」
ラウルの問いに数瞬の間をおいて返事にならない返事を返すことになった。
「正直俺としてはそんな顔をするお前が面白いからもうしばらく見ていたいのだが、状況がそうはさせてくれないのでな」
皇帝の私室での会談。病に侵された皇帝はただでさえ叙勲式で無理をしている。その時ほど無理する必要がないとはいえ、長時間滞在することなどできないということは誰の目に見ても明らか。
「今回、ヨハンに栄誉騎士爵を授与することを決めたのは皇帝だ。概要は知っているな?」
「……はい」
さっき聞いたばかりの話なのだが、後に貴族になれる権利を有するのだと。使うつもりもない権利ではあるのだが。
「実はな。カレンは通常なら他の貴族に嫁がないといけない。ただ、皇帝がそれを反対していたのだ」
「えっと、それって」
「簡単な話だ。カレンを他の貴族の地位向上に利用されたくない」
つまり、皇族の血を引くカレンが他の貴族に嫁ぐことで権力バランスが大きく崩れるのを防ぎたいのだと。しかし、それは表向きの理由であってもう一つの理由をラウルは語らない。マーガス帝の親心を。語ってしまうと話がより拗れてしまう。
「ただでさえ俺が帝位を放棄してアイゼンが次期皇帝に就く中、今回のルーシュの一件で色々とごたごたしているのに年ごろのカレンが貴族に嫁ぐとなるとまたよからぬ争いを生みかねない。当然皇族の血をその家に取り入れることになるのだからな」
「もしかして、それで栄誉騎士爵に?」
帝国民ではないヨハンだからこそ余計な争いが生まれないと考えられるのだと。後に貴族爵位を賜れることが確定しているのだから婚約が成立する。通常ではあり得ない身分差を埋められる。そう考えるとヨハンの勲功にも納得がいく分もある。
「でも、そんなことすれば他の貴族が黙っていないんじゃ?」
「確かにそれはあるだろうな。不平不満を漏らす者は確実にいる。だが、今回の一件で反乱分子のいくらかは鎮圧できたからな」
ドグラスやレグルスから得られたその繋がり。帝都内部の内通者も捕縛されていた。
「それに、当面は国外に出るのだから内部で問題視されるものでもない。それとも帝国に住む気があるのか?」
「いや、それはないですけど」
冒険者の婚約者として連れ出せば当面の問題は解消されるのだと断言するラウル。
「なら問題ないな。別に帝都に住んでも俺も皇帝も気にはしないが」
「いやぁ、それはさすがに気にして欲しいですけど」
「死期が近い儂の最後の願いじゃ。カレンをよろしく頼む」
哀しみのような、憂いを帯びたような顔を皇帝から向けられると返す言葉に詰まる。
「……わかりました。でも僕はまだしも、カレンさんさえ良ければ、ですが」
チラと見るカレン。もし嫌々であるのであれば後に婚約破棄すれば問題はないのではないかとも考えた。
「わたしは、その……別に…………お父様の意向に従います。このまま帝都にいてもヨハンの婚約者になるのもそう変わりませんので」
どちらにせよ貴族と婚約するということ。内情は別にして、その事実は変わらない。
「確かに帝都に居続ければ有力貴族からのやっかみもあるでしょうけど、ヨハンは冒険者。その分を差し引きすると、要はお兄様と同じような自由の身を得られたと思えば……わたしとしては、助かります」
僅かに言葉を詰まらせたカレンは困惑の色を宿した瞳でチラとアイゼンを見る。
「ですが、その、アイゼン兄様はよろしいのですか?」
「……私は皇帝の意のままに。しかし、父上亡き後、皇帝を継ぐ私としましてはかようなことで余計な妬みや嫉みがないよう、他の貴族を抑える為に彼へ示しを要求します」
言葉では賛成の意を示しているのだが、アイゼンの表情はそうは言っていない。ラウルもマーガス帝もそれを感じ取り、互いに目を見合わせる。
「そうか。ならアイゼンはどうすればヨハンを認める?」
問いただすようなラウルの視線にアイゼンは小さく息を吐いた。
「十日後に開かれる武闘大会で優勝することができれば婚約を認めましょう。それができれば彼の実力を懐疑的に見ている今日の目も簡単に晴らせることができますし、私としても英雄に妹を嫁がせたのだと話をまとめやすいです。それにしっかりとした、帝国を出た後、旅先で危険な目に遭わないという保証もそこで示して頂かなければ説得力に欠けます。聞く通りの実力があるのならそれぐらい簡単でしょう? もしないようであるならば、カレンには他の貴族と婚約を結んでもらいます」
そのまま蔑むような視線をヨハンに向ける。
「アイゼン」
「はい」
「言いたいことがあるのなら正直に話しなさい」
「よろしいので?」
「ここが最後だ」
アイゼンとマーガス帝。ジッと見る二人の間に不穏な空気が流れた。ルーシュは思わずビクッと身を固くさせる。
「……わかりました。本音を言うと私も他の貴族同様この見ず知らずの子に爵位を与えるのは正直どうかと思っておりました。しかし、皇帝がお決めになったことです。そこに関しては致し方ありません。異論も挟むつもりもありませんでした」
アイゼンはそのまま背後のルリアーナに視線だけ送った。
「それだけか?」
「いえ。まだあります。本音を言えとのことですので、敢えて言わせて頂きます。私としましては、今回の騒動のようにカレンやルーシュのような不穏分子が帝国にいることによっていつ内乱が起きるとも限りません。水面下で燻っているよりはいっそ出て行ってもらった方が安心するというものです。所詮は母違いの子ですから」
「あ、兄上ッ! いくらなんでもそれは言い過ぎです!」
「お前は黙っていろルーシュ!」
あまりにもひどい物言いに我慢できなくなったルーシュが勇気を振り絞って口を開いたのだが、すぐさま黙ってしまった。そのまま鋭い眼差しでヨハンを射貫く様に見るアイゼン。どこか叙勲式の時のマーガス帝や剣聖ラウルに通ずる凄みを感じさせる。聞いている評判とはとても同じには思えない。
「わかった。それがお前の本音なのだな?」
「はい。その通りでございます」
アイゼンと目を合わせるラウルは小さく息を吐いた。罵倒されたにも関わらず表情を変えずに気丈に振舞っているカレン。しかし、重ね合わせて握る手に僅かに力がこもる。
「ならお前の言う通り、ヨハンが武闘会で優勝してその実力を示してもらうことにする。それでいいな?」
「はい。それさえして頂ければあとのことはどうとでも処理しておきましょう」
ヨハンの意思、その一切を尋ねることなくラウルは言葉を返した。
「…………」
口を挟む余地のないやりとり。その場の空気が明らかに悪くなる。
無言でそのやりとりを見届けることになってしまったのだが、そこでマーガス帝と目が合った。
「さて。身内の見苦しいところをこうして見せたわけだが、お主はカレンを婚約者にもらうことに不満はあるのか? 器量はかなりのものだと親なりに自負しているのだが」
「えっ?」
マーガス帝の問いを受け、カレンを見る。叙勲式でも抱いていたのだが、こうして改めて見てもカレンの美しさは明らかに際立っていた。
「……不満があるというわけではないのですが、その、正直話が急すぎて頭が追い付かないというわけでして。あの……カレンさんは確かに凄く綺麗な人だし、それに優しい人ですし……――」
外見で判断しているわけではない。一緒に行動したからこそ、共に戦ったからこそカレンの人柄の良さは十分に知っているつもりではある。
「――……アイゼン様は先程ああいう風に言いましたけど、お言葉ですがカレンさんは兵の方達から人気がありました。それは僕も見聞きしています。それだけカレンさんの人柄は良いんだと。正直城内のことは僕にはわかりませんけど、思うんです。カレンさんは凄く魅力的なんだと。まだ付き合いとしては短いかもしれませんが命を預け合った仲だからこそ断言できます。僕自身が感じた正直な気持ちです」
「…………」
俯き加減に語るヨハン。その場の誰もがヨハンの言葉に耳を傾けていた。
「それにカレンさんは面白い人だなって。個人的なことになりますが、普段のカレンさんは笑顔で本当に楽しそうにしていて。こういったらなんですけど、僕はそのカレンさんの笑顔が好きなんです。だから不満は、ありません。何も。いえ、むしろカレンさんからしたら僕なんかでと思う部分もありますが、どう言ったらいいのか…………」
独り言のようにカレンの魅力を言葉に変えて口にしているのだが、カレンが耳を塞ぎたく成る程に顔を真っ赤にして必死に我慢していることに気付いていない。思わず逃げ出したくなる程のその言葉攻めを受けるのだが、それでも恥ずかしさを堪えて真っ直ぐにヨハンの顔だけを見て、しっかりと一言一句聞き逃さないようにしている。
しかしヨハンとカレン以外は皆その反応に気付いていた。
後ろで聞いていたアリエルはプククと微かに声を漏らしているのに対してミモザは手で顔を仰ぎ、ニーナに至っては頬をぷくーっと膨らませている。マーガス帝も満足そうに笑みを浮かべてラウルと頷き合い、ルーシュは姉の信じられない一面を見てジッとその顔を見上げルリアーナ妃は優しい笑みを向けていた。
ただ一人、不満そうに二人を見ているのはアイゼンだけ。
「よしわかった」
「え?」
あと何を言葉にしようか、カレンの魅力をどう表現したらいいのかと考えていたところでマーガス帝が言葉を差し込む。
「ならば問題はない。これにてこの話は終わりじゃ。良いなアイゼン」
「はっ」
「儂も死にゆく前にお主の戦うところを見たかったので武闘会で見れるのなら丁度良い。手を抜くことはないよな?」
スッとヨハンの目の奥、真意を見定めるようにした視線を向けられた。
「はい。それはもちろん」
元々武闘会には出たかったし、今回の遠征で自分の力不足も痛感した。過大評価されている気がしなくもないし、英雄視される程何かを成し遂げたつもりもない。手を抜くことなどありえない。
「ふむ。ならば良い。儂もそろそろ疲れてのぉ」
「あっ。申し訳ありません」
スッと目を閉じようとするマーガス帝を見て慌てて周囲を見る。
「長時間の滞在、失礼しました。では我々はこれにて」
「ああ。すまないアリエルとミモザも付き合わせてしまって」
「いえ。問題ありません」
アリエルが代表して頭を下げると一同も同じようにして頭を下げ、そうしてそのまま皇帝の部屋を出ていった。




