第 三百八 話 叙勲式
カサンド帝国、帝都にある城。
石造りの巨大な建造物。切り立った崖を背負ったその城の中。
眼下の帝都を一望できる大きな屋外バルコニー。数十人がその場にいたとしてもまだまだ余裕がある程に広い。そのバルコニーのドアから赤絨毯が一直線に敷かれている。絨毯のその先には荘厳な椅子が置かれており、叙勲式はその場で執り行われることになっていた。
「外でするんですか?」
「ああ」
初めて訪れる帝国城の中。ラウルに案内されるままその扉の前に立っている。
途中、何度も臣下や兵士、メイド達からの視線を浴びることになっていたのは噂に聞く帝国の危機を未然に防いだ冒険者を一目見ようとしてのこと。
チラと横目に見るラウルの服装は皇族としての礼服に身を包んでおり、いつも以上に公人然として凛々しさを見せていた。
「こういうのって中でするんじゃ?」
「いや。ここでは帝都を見渡しながら、自分達がこれから何を背負うのかをその目に焼き付けるためにここでやることになっている」
「僕は別に背負うつもりはないんですけど。それにこんな服、恥ずかしいですよ」
叙勲式の為に拵えられていた服。ラウル程ではないにしても、ヨハンも同じようにした礼服。貴族服に身を包んでいる。
「馬子にも衣装だな」
「聞いてますか?」
「そんなに深く考えるな。皇帝のことは前に話しただろ?」
「……はい」
そう言われると何も言い返せない。現皇帝、マーガス・エルネライ帝の命がそう長くないのだから。そのため、次期皇帝を近々発表するというのは帝都中でもう噂の的。継承権の通りにラウルが引き継ぐのが妥当なのだが、どうにもそうならないかもしれないと。噂の通りラウルが継承権を放棄するのか。それが最初の焦点。
次にラウルが放棄した場合。その場合は継承権第二位の次兄アイゼンがそのまま引き継ぐのか、それとも継承権第三位のルーシュが争うのかということ。つい最近まではルーシュを推す声も聞こえていたのだが、今回のメイデント領での一件でそれは大きく見解が変わっていた。
ルーシュだけの責任ではないのだが、魔族を側近に置いていたこと、兄アイゼンを誘導されるまま疑い、あまつさえ実の姉のカレンさえも疑ってしまっている。想像以上の失態を犯したことから、ルーシュはもう跡目争いから脱落しただろうと、まだ年端も行かないルーシュには務まらないだろうと囁かれていた。
「でもそれって僕には直接関係ないじゃないですか」
継承権と叙勲式の関係性が理解できない。
「それがあるんだよな。いや、実際にはそれに付属する話といった程度だがな」
「どういうことですか?」
「まぁ行けばわかる。返事は任せるがたぶん断れないだろう。というよりも俺からしても断られると困る」
ラウルが何を言っているのか全く理解できない。ただその口振り、明らかに嫌な予感しかしないのだけはわかる。
「そんなことより、誓言は問題ないな?」
「はい。何度も練習しましたからそれは大丈夫です」
「ならいい」
微妙に緊張したせいで眠りも浅くなり、朝も妙に目が冴えてしまっていた。
「お待たせしました。それではお入りください」
前に立つ兵士がグッとドアを押し開く。陽の光が照らして思わず目を眩ませた。
少しの時間を置いて目が慣れてきたころ、一直線に伸びた絨毯の先の椅子には年老いた人物が座っている。その奥に見えるのは帝都の街並みと地平線が続く平野。眼下に一望できる景観。
(あれが皇帝。ラウルさん達のお父さんか)
射抜くような視線でヨハンを見ている姿にはとても死期が近いとは思えない。歴戦の戦士を想起させるような双眸。
「いくぞ」
「はい」
ラウルと共に歩く赤絨毯を挟むように左右に立ち並ぶ臣下、ノーマン内政官やトリスタン将軍などがいる中、来賓にはニーナとミモザに冒険者ギルド長のアリエルや商業ギルド長のロレンテの姿もあった。総じて女性はドレス、男性は礼服に身を包んでいた。
「ではヨハン殿。少々お待ちください」
兵士に声を掛けられて立ち止まる中、ラウルは足を止めずに真っ直ぐに歩いて行く。そのまま階段を数段上がると皇帝の横側、斜め後ろに立った。
(さすがだなラウルさん)
皇子としての佇まい。醸し出す雰囲気は流石の一言。それ以上の言葉が見当たらない。
(カレンさん)
そのまま隣に目を送るのはドレス姿のカレンがいる。皇帝を挟んだ反対側にはルーシュともう一人金色の長髪の人物もいるのだが、目を惹くのはカレンのその立ち姿。堂々とした振る舞いに感心せずにはいられなかった。
「凄い綺麗だ」
思わず声に漏れだすほどのカレンの美しさ。最近では見慣れてしまったこともあったのだが、改めてこうして見ると感嘆の息を漏らす。
例えどれだけドレスが高価で綺麗で華やかであろうと、装飾品が輝いていようとも、所詮カレンの美しさを引き立てる道具でしかないのだとまざまざと感じさせられた。群を抜いた容姿。
スッと目が合うカレンにニコリと小さく微笑まれると、羞恥、恥ずかしさや照れが唐突に訪れて思わず目を逸らしてしまう。
「えー。ではこれより、冒険者ヨハンの騎士爵叙勲式を執り行う」
赤絨毯の側に立つ男、オリヴァス・ランドルーヤ。アイゼンの側付きも務める内政官が大きく声を発した。
「ヨハン。前へ」
「はい」
オリヴァスの言葉に応じて一歩ずつ絨毯の上を歩く。
周囲から好奇の視線、ニコニコしているニーナはまだしもミモザとアリエルはどこかニヤニヤと楽しそうに見ていた。だが臣下達は明らかに怪訝そうにヨハンの様子を窺い、何やら隣に立つ者と小さく話し合っている。
「――あれが」
「――本当に子どもではないか」
なんとなく漏れ聞こえる言葉でどういう話をしているのか推測できるのだが、そんなことを気にしている余裕が今はない。一歩一歩と進んでいくことで受勲が近付いて来ているのだから。
改めて歩きながら「どうして」と疑問が浮かぶのだが、もうこの場に足を踏み入れたことで今更引き下がること、逃げようなどない。元々回避する道などなかったのだが。
ピタと立ち止まり、その場で片膝を着いて頭を下げる。ここまでは予定通り動けていた。
「では皇帝」
「うむ」
ゆっくりと立ち上がるマーガス帝の眼光。探る様な目でヨハンを見ている。
「此度の帝国内における危機、それに対しての尽力、貴公の行いを高く評価する。よってこの決定を下した」
しっかりと芯の通った声。思わず身を固くさせてしまった。そこで皇帝、マーガス帝はラウルに付き添われながら階段を一段ずつ、ゆっくりと降りてくる。
目の前に来るとラウルは片膝を着いてその場にじっとしており、マーガス帝は腰に差していた剣をスッと抜くと、ヨハンの肩に剣の腹をピタッと乗せた。
「我が名はマーガス・エルネライ。カサンド帝国の皇帝である。我の名において、貴公、冒険者ヨハンへ栄誉騎士爵の称号を授与する」
「はい」
通常の騎士爵の前頭に【栄誉】と付いていたのが一瞬気になったのだが、予定通り一言だけ大きく返事をする。
「お、おい!」
「今なんて言った?」
同時に背後から誰とも知れない声、微妙にざわつく声が聞こえてきた。
「…………えっ?」
小さく声を漏らしたのだが、もうこの場で気にしても仕方ない。周囲の声を気にしていると気が散って誓言を間違えてしまいかねなかったのでとにかく今は誓言を口にすることを優先する。
「ありがたく拝命します。我が剣は、今後、帝国の如何なる危機、未曽有の事態に瀕した際にもこの身命を賭して帝国の繁栄の為に振るうことをここに誓い奉る」
無事間違えることなく、途中で詰まることもなく言えたことにホッと安堵の息を漏らした。
「よろしく頼む」
肩から重さ、剣が離れていくのを感じ取ったあと顔を上げる。マーガス帝は柔らかな笑みをヨハンに向けていた。そのまま皇帝はスッと衣擦れの音と共に振り返り、再びラウルに付き添われながら階段を一歩ずつ上がっていく。
「これにて叙勲式を終える。栄誉騎士ヨハン殿は列の中へ」
オリヴァスの言に従うままに立ち上がるのだが、目が合うカレンはポッと頬を赤くさせていた。
どうしたのかと思いながらミモザ達のところに向かうのだが、周囲の人達、特に帝国の貴族からの視線が突き刺さって来る。
「あれが栄誉貴族?」
「ふざけるなよ」
ん?と疑問に思うのは、確かに爵位は授かったのだが、所詮騎士爵。貴族などと言われる覚えはない。
「静粛に! これは帝国の決定である。異論は認めない」
壇上から大きな声が響き渡った。声の主は皇帝の後ろに立ち並ぶ中でヨハンが唯一知らない人物。
(あの人が第二皇子アイゼン様か)
長い金髪を背まで伸ばした美男子の姿を視界に捉え、改めて見る顔立ちはラウルに似ているのだが、ラウルよりは理知的に見える。
「ではこれより、私から帝位継承について諸君らに伝えることとする」
アイゼンの声を聞いた途端、先程までのざわつきがまるで無音だったかと感じさせるほどの声がそこかしこで聞こえ始めた。




