第 三百一 話 逆転詰問
「にいさ――兄様!」
カレンが大きな声を張り上げ、ゆっくりとカレンとドグラスの間に向かって歩いて来るラウル。
カサンド帝国、辺境の地であるメイデント領。旧ドミトール王国。その地に現在帝位継承権第三位のルーシュ・エルネライと第一位であるラウル・エルネライも姿を見せた。継承権を持たないがカレン・エルネライ皇女もこの場にいるなど、普通では考えられない事態。
突然ラウルが姿を見せたことに周囲は動揺を隠せない。ジェイドとバルトラも同様に驚いているのだが、シンとローズだけはニヤッと笑い合った。
ドグラスも同じようにして口元を緩めていたのだが、周囲の視線はラウルに集中してしまっていたので誰もドグラスの笑みには気付かない。
「これはこれはラウル様。まさかラウル様までこんな辺境まで足を運ばれているとは、一体どういうおつもりなのでしょうか?」
すぐに笑みを消したドグラスはチラリとルーシュを見るだけに留め、この場が自身の状況に好転すると見込み口を開く。
「いやなに。今回の一件。俺としても見過ごせなかったのでな」
「その発言から見るに、ラウル様自らが独自に調査に来られた。そういうことでよろしいのですかな?」
未知の魔道具の調査。ルーシュとカレンが何をしているのかなどということをラウルが知らない筈がない。自由人であるラウルが勝手に来たのだという問い。
「まぁそうだな。少々気になることがあったからな」
「ほぅ。気になることですか」
ドグラスはニタっと笑みを浮かべた。
「それほどまでに妹君が大事ですかな?」
その言葉を聞いたルーシュは途端に表情を硬くさせる。
「そうだな。カレンは俺にとっては大事な妹だ。こんなところで無駄な血は流させない」
敬愛する兄から堂々と宣言することをカレンは妙に恥ずかしく思うのだが、どこかこれまでとはまた別の感情、メイデント領に来る前とは違った感情に襲われた。無意識にヨハンを視界に捉える。
「ふむ。なるほど」
「それはもちろんルーシュにしても同じだ」
ルーシュを見るラウルなのだが、目を合わせるルーシュの瞳には困惑の色が宿っている。
「しかし、アイゼン様は違うようですが?」
帝都の城内でのアイゼンの態度。カレンにきつく当たり、ルーシュに対しても素っ気ない態度を見せていた。誰もが目にしているその態度の理由は、ルーシュの評判が日に日に高まっていくことが気に食わないのだろうともっぱらの噂。
「その辺りは俺にはよくわからないからな」
「フラフラとしているから城内の騒動に気付くことが出来ないのですよ。だからカレン様がルーシュ様を毒殺しようと計画したのでは?」
「だからわたしはそんなことしてないわよっ!」
キッときつくドグラスを睨むカレン。ルーシュはカレンの目を見ようとはしない。
「まぁカレン。お前も聞いていてくれ」
「……兄様」
どうして兄がこれほどまでに余裕を持っていられるのか不思議でならない。どこで何をしてきたのか。カレンが知る限りではサリーの農園、その茶葉の販売の交渉を行っているはずなのに。厳密にはロブレンを代表とした隠れ蓑にして何かを調べるとは言っていたのだが。
「それに関してレグルス。一つ聞きたいことがある」
不意にラウルから声を掛けられたレグルスは目を丸くする。
「は、はい! お久しぶりですラウル様っ! 以前二度ほどお会いしたことを覚えていらっしゃいますか?」
「ああ覚えている」
ホッと小さく息を漏らすレグルス。
「俺が調べた限りでは、毒を盛ったのはカレンではなくレグルス侯爵。お前だということなのだがな」
「えっ? あっ、いや……」
レグルスは困惑しながらドグラスの顔を見るのだが、ドグラスは小さく頷いた。その意図を正確に汲む。
「……そ、そんなことはありません! どうして私がその様な事を。それに、私の息子の食事にも毒が入っておったのですぞ!?」
「お前達旧ドミトール王国の人間は王国の再建を望んでいるのだろ?」
「何故それを!?」
突然現れたラウルがどこまでの情報を持っているのかドグラスも測りかねた。
「ならば話は簡単さ」
薄く口角を上げるラウルは全てを見透かすようにレグルスとドグラスを見る。
「普通に考えればドミトール王国の独立をたかが五十年程度の経過で帝国が認めるわけがない。それはそうだろう。あれだけ侵攻して来た国を、マーガス帝がようやく平定したこの地を再び戦火に見舞わせるようなことをするはずがないからな」
だからこそこの街にドミトールの名を与え、旧ドミトール王国時代の有力貴族でもあったレグルス家を帝国でも貴族として召し抱えて侯爵の地位まで与えた。この地を落ち着かせるために統治させたのだから。
「もしそんなドミトールを許すのだとすれば、相当な理由が必要になる」
「うっ、それは…………」
責めるようなラウルの視線にレグルスは言葉を紡げない。ドグラスは現在置かれている状況を見定めるように聞いていた。
「そのために用意されたのがルーシュ暗殺計画。いや、正確には暗殺未遂計画だな」
ラウルが言い直したこと。訂正したことにその場にいるほとんどが疑問符を浮かべるのだが、レグルスとドグラスだけはそのような反応の一切を見せない。レグルスは僅かに地面に視線を向ける。
「暗殺未遂、ですか? 兄様」
その場の誰もが抱いた疑問に対してカレンは口を開いた。
「ああ。その通りだ。少し思慮深く考えればわかる。そもそも、アイゼンと対立させるためにルーシュが必要なのに、ここでルーシュに死なれては担ぎ上げる神輿がなくなってしまうと計画が元も子もない。破綻する。つまり、こいつらは毒を盛られたという事実だけが欲しい」
ラウルが言葉を続ける間。レグルスはわなわなと肩を震わせ、ドグラスは奥歯を強く噛み締める。
「ねぇお兄ちゃん。おっちゃんなに言ってるの?」
「ちょっと待ってね。結構複雑な話みたい」
話の内容を全く理解しないニーナの横でヨハンも思考を巡らせた。
「(カレンさんがそんなことするはずないっていうのは僕も断言できる)」
確かにラウルの言う通りであればルーシュに死なれては困る。
「あっ!」
「だから予めルーシュの毒の量が少なかったのだ」
ヨハンが声を漏らすのと同時に口を開いたラウルのその見解。
確信を持って告げられる言葉のその意味。仮にそのつもりであったのならルーシュの毒物の量が最初から少なかったことにも納得ができる。対立しているアイゼンを匂わせるように仕向けられないこともない。
「そうなのですか?」
「ああ」
「ですが兄様。ルーシュは相当に悩んで決断しました。もしルーシュが断ればどうするつもりだったのでしょうか?」
カレンの問いにレグルスは顔を歪めるだけで返答をしない。カレンも自身の誤解を解きたいので変に口出ししない方がいいのではとも思うのだが、それでも疑問がある以上それらを全て払拭しておかなければ後に禍根を残しかねない。
「だからこいつらはそのために予備を用意していた。二重、いや三重の策だ」
ドグラスはキッと鋭い眼差しを持ってラウルを見る。
「(予備ってなんのことだろう?)」
ヨハンもラウルの言葉を聞いていて当時の出来事を思い返した。
「(あの時って確か……――)」
ニーナが気付かなければカレン達が最初に毒を口にしてしまう事態。それをニーナが未然に防いだ。次にすぐさまルーシュに駆け付けたことで事なきを得ていた。
「一つ目はルーシュが慕うカレンが毒を口にする可能性」
指を一本立てるラウル。
「もう一つは……」
そのまま指をもう一本立てようとする中、ヨハンもそれに気付く。
「(――……あれ?)」
一連のやりとりを間近で見ていたからこその疑問。ドグラスやレグルスが後ろで糸を引いていたのだとすれば明らかにおかしなやりとりがあった。
毒物混入事件の後、背後にいる人物を問い質そうと集まっていた中、何故かルーシュの毒物の量とレグルス侯爵の子息、アダム・レグルスの毒物の量が入れ替わっていたという報告。
当初はルーシュに致死量入っており、レグルスの子息であるアダムの方が量は少なかったという話になってしまったのか。ニーナの鼻が嗅ぎ分けたことで発覚した報告とは異なる事実がすぐさま逆転していた。シンもその場でいくらか疑ったのだがその際ははぐらかされてしまっている。
「(もしかして)」
ラウルの言葉をそのまま受け取るとある仮説が浮かんできた。
「……ラウルさん」
ようやく理解するその事実。隣に立つニーナは腕組みをして、うーんと頭を捻りながら小さく唸っている。
「その予備って、アダムさんの食事に毒が入っていたことですか?」
「気付いたかヨハン」
「はい。あの場の矛盾の理解がようやくできました」
「どういうことヨハン?」
カレンも未だにラウルの言葉の意味が理解できない。
「カレンさん。これはあくまでも僕の推測でしかありませんけど。今回の件、目的はルーシュ様がアイゼン様というそのお兄さんと対立する構図を作りたいんですよね?」
「ええ」
「それをメイデント領がルーシュ様の後ろ盾になるように」
「その通りね」
それに関してはもう疑いようのない事実。ドグラスも認めていた。
「じゃあカレンさんも言っていたように、いくら持ち掛けようともルーシュ様がそれを断ったら間違いなく困りますよね」
そこまではカレンも理解している。
「ここまで大きな事件を引き起こそうとしているんです。帝国は下手をすれば戦争になりかねません。ドミトール王国を再建するためにはここまで計画する以上失敗はできない。そうなると可能な限りその確率を引き上げたいのが当然」
「そうだな」
ラウルがそこまで口にするヨハンの言葉を一言で肯定した。その推論に間違いはないのだと。
「……だったら、レグルス侯爵は、アダムさんに死んで欲しかったのですか?」
「えっ!?」
カレンが驚く中、ヨハンの言葉を聞いたレグルスは脂汗を流し始める。その横でドグラスは小さく舌打ちした。
「ヨハン、それって……」
「信じられない話ですけど、レグルス侯爵はルーシュ様がアイゼン様と対立することをもし断ったとしても、カレンさんに毒物が混入されていたことやアダムさんが死んだことを仇討ちの建前にしてルーシュ様を焚きつけようとしていたんです」
憎悪。カレンが死ねばルーシュは間違いなく悲しむ。途方もない絶望に襲われる。自身に毒を盛られただけでなく実の姉を亡くすこと。それだけで終わらないのは、仮にカレンの毒殺が失敗したとしても結果的に次にアダムが死ぬことになる。そうなるとレグルスが息子を殺されたことを引き合いに出してルーシュに敵討ちを懇願する手はず。
「その通りだヨハン。それについて言いたいことはあるかレグルス侯爵」
「ば、バカなッ!? どうしてそこまで言い切れる!?」
核心を突かれたからこその反応。レグルスは言い訳すら口にすることができない。
「ど、ドグラス?」
突然の公開告発。まるで正反対の内容を聞かされたルーシュが困惑する中、声を掛けるドグラスはルーシュを見ようともしない。
「……どうやらここまでか」
「ドグラス?」
縋るような視線をルーシュに向けられるドグラスは尚もルーシュを見ない。視線の先はラウル達。
「反論は何もなし、か。もう認めたようなものだな」
小さく溜め息を吐くラウルはチラリとペガサスの面々を見る。ラウルから見られた意図を理解したペガサスたちはゆっくりと歩を進めた。レグルスを捕らえるために。
「くっ! もう少しだというところで!」
「息子の命を差し出してまでドミトールを取り戻したかったのか?」
「当り前だッ! ドミトールの再建は私の悲願ッ! そのためにはアダムの命の一つや二つ、いや、領民の命などいくつでもくれてやろうではないかッ!」
声を大きくさせてラウルのその言葉の全てを認めるレグルス。
「そうか。あまりそのようなことは軽々しく口にするものではないぞ。どこで誰が聞いているかわからないからな」
「なにがですかな?」
ふぅと息を吐きながら口にするラウルの言葉の意味をレグルスは理解できない。
「――……父上。今の話、本当なのでしょうか?」
不意にその場にいないはずの声が聞こえる。ペガサスもピタと足を止めた。
「最後に本音が聞けて助かったよ。約束だったからな」
背後の天幕から姿を見せたのはアダム・レグルス。その後ろから隠れるようにしてロブレンがコソコソと付いて来ている。
「あ、アダム……。どうしてここに? それに貴様はどこぞの商人?」
「ラウル様が私に聞かせたいことがあるというのでここまで来ました」
その顔には悲壮感が漂っていた。突然聞かされたいくつもの真実をアダムは信じられない。
「もしや、お前が!?」
「ああ。これまでの状況については全てアダムから聞いた。不明な部分は俺の勘だがな」
明らかに事情を知り過ぎているラウル。ヨハンとニーナ、カレンから得た情報はあったのだが、更にアダムからももたらされている。それはロブレンが一緒にいることからもその証明であり、茶葉を帝都に流通させる詳細をレグルスはアダムに任せていた。
「ラウル様の言った通りなのですね」
「貴様はどこまで役立たずなのだッ! どこまでも私の足を引っ張りおってからに!」
「それが父上の本音。残念です」
涙を堪えるアダムなのだが、息子が姿を見せたことなどもうどうでも良い様子でレグルスはグイっと懐に腕を入れ、すぐさま取り出したのは筒状の魔道具。
「ここまで発覚した以上、ここにいる全員生きて帰すわけにはいかない。いっそ殺してやろう!」
ニヤリと笑みを浮かべ、レグルスはその筒状の魔道具。シトラスの笛に大きく息を吹き込んだ。




