第二百九十五話 包み込む感情
◇ ◆ ◇
「……ローズ。どういうつもりだ?」
「今言った通りよ?」
「お主は何を言っておるのかわかっておるのか?」
「もちろん」
シンが遅れてその場に合流すると、ヨハンは意識を失ったままカレンによって抱きかかえられ、拙いながらも治癒魔法を施されていた。
「なんだ? なんか揉めてるのか?」
どうにもその場に流れている不穏な空気。笑顔のローズに対してそれを睨みつけるジェイドとバルトラ。
「シン。貴様の自由さにもほとほと呆れてしまうな」
「いやいや。こんな子ども相手に俺達が全員でいくなんてありえないだろ」
「…………」
少しばかりの自尊心。それがあるからこそシンが参戦しなくて済んだ理由。
いくら任務に忠実なジェイドとどんな相手だろうとも手を抜くことを許さないバルトラであってもヨハンとカレンとニーナの三人が相手。ペガサスの方が四人と人数が上回っているだけでなく、ランクや経験の方も遥かに大きく上回っている。そんな自分達がどれだけ強者であろうとも子どもを相手に全力を尽くすということが何を示すのか。
「それだけの強者だこの小僧は」
「それは俺が前に言ったことだっつの」
聞く耳もたなかったのはどこの誰なのかと呆れてしまう。
「それに、周りを見てみろよ」
溜め息を吐きながらシンは周囲を見回した。
周囲の帝国兵は明らかな恐れを抱きながらその場を見ている。決着が付いたはずなのに未だにひりつくその空気を遠くから取り囲むように見ていた。
「お前等がそれだけボロボロにされたんだ。コイツは想像以上。ってか異常な強さだってことぐらいアイツらも認めるだろ。ま、素直に認めるかどうかは知らんけどな。でもな、仮の話だが、俺も入ってバルトラみたいに全力を尽くせば確かにもっと余裕を持ってコイツを倒せた。それは間違いないだろう。だがそれで俺達の評判はどうなる? 子ども相手に俺達が総掛かりで倒したってなればまぁそれなりに落ちると思うぜ? それでも良かったのか?」
「……む、むぅ」
結果論でしかない。ヨハンがこれだけ善戦できたからこそシンの言葉に説得力が生まれている。
「…………」
ギロリとシンを睨みつけるバルトラも返す言葉がない。互いにチラと目を合わせるのみ。
「まぁんなことはいいわ。お前らが勝ったんだしな。で、何を揉めてたんだ?」
「私が降りるっていったのよ」
間髪入れずに言葉を差し込むローズ。
「は?」
思わず間の抜けた声を発すシン。
「何言ってんだローズ?」
「だから。私はカレン様をルーシュ様に会わせる。って言っているのよ」
「……あっ、そぅ…………」
そのやりとりをカレンは地面に座り、ヨハンを抱きかかえて治療しながら見上げていた。
「ねぇカレンさん。どういうことなの?」
「わたしにもわからないわ」
そっと耳打ちしてくるニーナに向かって小さく返す。
「――……ぅぅっ!」
「あっ、お兄ちゃん起きた?」
ゆっくりと目を開けるヨハン。
肩の傷はほとんど塞がっており、身体中に感じる痛みが全てというわけではないのだが、それでも随分と和らいでいた。それどころかカレンに抱きかかえられるその感覚がどこか心地良ささえ生んでいる。
「僕……生きてる?」
「ええそうよ。わたし治癒魔法は得意じゃないから少し時間がかかるからごめんね」
「いえ、そんなことないです。凄い気持ち良いですよ」
「そ、そう? なら良かったわ」
「そっか。僕、負けちゃったんですね」
最後に受けた一撃の後の記憶が全くない。結果を見れば敗北したのだということぐらいは理解できていた。
「それはもういいわ」
「でも……カレンさん……――」
そうなるとこれからどうなってしまうのか、冷静になりつつある思考を巡らせ、そこでふと現在の状況を見回した途端に思わず困惑した。
「――……あ、あれ?」
意識を取り戻した直後には気付かなかったカレンとニーナのボロボロさ。ローブに穴を開け、カレンの美しい白い柔肌が見えている。どうしてそんなことになっているのかという状況の理解が追い付かないのだが、その綺麗な肌にいくつもの擦り傷や火傷を負っていた。それはニーナもそう変わらない。
「ごめん、僕!――っ!」
「ダメよッ!」
それだけの負傷をしているカレンに自身の治癒を任せてしまったことに慌ててバッと身体を起こそうとしたのだがギュッとカレンに抱き留められる。柔らかな感触が全身を包み込む。
「まだ、まだ動かないで。いいから」
「……え?」
「わたし達のことは後でいいわ。怪我も見た目より大したことないもの。ヨハンの方が大変だったのよ?」
顔を赤らめながらどこかぶっきらぼうに答えられた。
その目の前にセレティアナがふよふよと飛んでくる。
「そうそう。今はカレンちゃんの身体の柔らかさをしっかりと堪能していなさい。この子、着痩せするタイプで意外と胸もあるんだからね」
「なっ!?」
即座に顔を紅潮させるカレンなのだが、意識しないように努めていたヨハンもそうなると意識せざるを得なかった。
「か、カレンさん、僕――」
もう大丈夫とばかりに身体を起こそうとしたのだが、再びグッと抱き留められる。
「きょ、今日だけ特別なんだからねっ! だから今は大人しくじっとしていなさい」
と言われるものの、本当にそれでいいのだろうかと困惑してしまい、そうなると目のやり場にも困ってしまった。しかし抱きしめられるその力。決して振りほどけないわけではない程度の力の込め具合なのだが、それが自身に対しての思いやり、カレンなりの優しさなのだと解釈してフッと身体の力を抜く。
「は、はい。じゃあお言葉に甘えて……ありがとうございます」
「ヨハン。そのお礼は何に対してなのかな?」
「て、ティア! あなたはもう黙っていなさいッ!」
「はいはいー」
スーッと上空に向かってすいすいと飛んでいくセレティアナに変わってニーナがしゃがみ込んでカレンに顔を近付けた。じーっとカレンの顔を見る。
「何よニーナ?」
「カレンさん。やっぱりお兄ちゃ――もがっ!」
ニーナが何を言おうとしたのか察したカレンは慌てて片手をニーナの口に持っていき塞いだ。
「ぷはっ! 何するのさっ!」
「あなたがバカなこと言おうとしていたからでしょ!」
「バカって何よバカって!」
「ちょ、ちょっと二人とも……」
目の前で詰り合う二人を見てヨハンは困惑する。どうしたらいいのかわからず苦笑いをすることしか出来なかった。
「おいおい。何を楽しそうに遊んでんだお前らは」
頭を掻きながら呆れ混じりにシンが来る。スッとヨハンの前に屈んだ。
「よう。元気か? 歩けそうか?」
「はい。おかげさまで」
「そっか。ならそろそろ行くか」
「え?」
グッとヨハンの腕を掴んでシンは立ち上がらせ、「あっ」とカレンが声を漏らす。
「行くってどこに?」
「んなもん、もちろんルーシュ様のところに決まってるだろ?」
ニカっとシンが笑うことの意味がヨハンには全く理解できなかった。




