第二百八十九話 探り合い
「――はぁ、はぁ……ふぅ。カレンさん。こっちに来るけど、お兄ちゃんほんとにカレンさんが逃げると思ってたの?」
自分達の下へ向かって歩いて来るカレンの姿を見てニーナは疑問符を浮かべる。
「思ってないよ」
「じゃあなんでさ?」
どうしてカレンにそんな声を掛けたのかニーナは疑問でならない。
「できればそうして欲しかったってだけだから」
カレンの性格上ここで退かないのはわかっていた。それでも可能であるならば退いて欲しかった。
隣にいるニーナはもう満身創痍。ジェイドもニーナとの戦いで明らかにダメージを蓄積させ、それでも立ち上がったその表情はまだ互いに戦意を失っていない。
「なら三人で戦った方が可能性あるかもね」
「カレンさんには正直戦って欲しくなかったんだけどなぁ」
「もうそんな余裕ないよ」
「……そうだね」
カレンには戦わずここを切り抜けルーシュに対面してもらうという目的があったのだが、退避もしない状況であってはもう手段は一つしか残されていない。
「仕方ないね」
小さく溜め息を吐き、まず何よりも目の前の脅威を取り除くことからしなければならない。
「ニーナ」
「なに?」
「さっき言った通り、ニーナはローズさんを、カレンさんと二人で抑えておいて。その間に僕が……――」
チラッと見るジェイドとバルトラ。ここを切り抜ける為により可能性が高いのは、自分一人だけであの二人を倒すしかない。
「確かにそれしかもう可能性はないかもね」
ヨハンはゆっくりと自分達の方に向かって歩いて来るジェイドとバルトラの二人を見ながら大きく息を吸い込む。ピタッと息を止めて吸い込んだ以上の息を吐き出した。
「じゃあそっちは頼むね」
「うん!」
「よしッ!」
覚悟と決心を抱きながら大きく跳躍する。それと同時にニーナは後方、カレンの方に向けて走り出していた。
「まず狙うのは……――」
高く跳躍した上空からジェイドとバルトラの二人を見下ろし、可能な限りの選択肢を広げる。腕先に向けて目一杯の魔力を練り上げた。
自分一人で実力者であるS級の二人を相手にするためには先ず確認しなければならないことがある。
「――……はあっ!」
腕を伸ばして眼下に放たれるのは大量の氷の塊。岩に見紛う程のその大きさ。
ヨハンの跳躍を見上げるジェイドとバルトラの下へ降り注いだ。
「むっ!?」
「あの小僧、あれだけの魔法を扱えるのか」
降り注ぐ氷の雨を見上げるバルトラとジェイド。
絶対にヨハンが確認しなければいけないことは大きく分けて三つ。
一つ目に、今のジェイドがどれぐらい動けるのか。
ニーナとの戦いで消耗した中、どれだけの余力を残しているのか。先程の戦いで持ち得る力のある程度は見せているはず。あそこから劇的な力の底上げは考え難い。
二つ目に、未知数のバルトラの戦闘スタイル。
見た目通り巨漢の力を前面に出した戦闘を主にするのか、それ以外に何か特殊な力を持ち合わせているのかを見極めなければいけない。特級の戦力だからこそのS級。何もないはずがない。
三つ目に、その二人がどういう連携を取るのだろうかということ。
単独での戦闘と複数での戦闘では戦い方が大きく異なる。拙い連携もあれば巧みな連携もある。それ次第で戦局の傾き具合は雲泥の差。ランクがS級である以上、拙い連携などということには当然期待できないどころか想定を遥かに上回ることも視野に入れておかなければならない。
「これである程度見極められればいいけど」
そのため、二人まとめてその動きをある程度見極める為に広範囲攻撃である魔法を繰り出した。
簡単な相手ではないことは最初からわかっている。完勝などする必要はない。すぐに切れるような細い糸を切らずに手繰り寄せられる程の小さな勝ち筋を見つければそれでいい。
「どう対応するんだ?」
ヨハンは眼下に降り注ぐ氷の雨を見下ろしながらジェイドとバルトラの動きを観察する。
「……むんっ!」
バルトラは巨大な斧を横に一閃した。まるで重量感を感じさせない程に軽々と振るう。
「すごっ。でもさすがにこれだけじゃそうだよね」
降りしきる氷は衝撃波を伴ったその一撃により一瞬でパラパラと音を立ててその場に粉々となって砕け散った。それはヨハンも当然の如く想定内。
「ならこれでどうだ」
跳躍が頂点に達して落下が始まると同時にもう一度魔力を練り上げて氷の塊を何度となく放つ。立て続けの魔法に対してどう対応するのか。
「……むぅ。これだけの魔法を連続で放てるのか」
「やるぞバルトラ」
「おぅ」
ジェイドとバルトラからすれば想定外の魔法を連続で放たれている。だが問題のない程度であり、お互いに初手は探り合い。
そして、相対する相手が例え子どもだろうとも侮ることなどない。既に強者と認めていた。
殺れる時があるなら確実に殺る。一瞬の油断も隙も見逃さない。
「えっ?」
放ち続ける氷の塊の一つがヨハンの視界の中で明らかに不可思議にパキンと二つに割れるのが見えた。その距離は互いの中間地点。
数多の氷の塊のその奥にはバルトラが迫り来る氷に対して斧を振るって粉々に砕いているのは変わらないのだが、ジェイドは何もないところで真っ直ぐに槍を突き出している。
「ッ!」
その突き出された槍の直線上に割れた氷の礫があり、その向こう側にはヨハンの顔。
「ぐっ!」
刹那の判断。すぐさまジェイドの行動の意図を理解して顔を横に逸らす。
頬をスパッと切り裂き、トロっと滴が垂れた。そっと頬に指を送り滴、指先に着いた血を確認する。
「……あれは…………剣閃。それも、かなりの鋭さ」
背筋を寒くさせるのは、氷が割れるのが見えていなかったら間違いなく顔面に直撃していた。闘気に守られた頬を易々と切り裂いたことからしてもその凝縮度は相当なもの。それをこれだけの距離を通している。驚異的なまでの射程と威力に加えて、的確に顔面を捉えた精度。
ジェイドが剣閃を扱えることに何も不思議はない。だがニーナとの戦いで使わなかったソレをここで真っ先に使って来た理由を考える。
「奇襲か、それとも……――」
スタンと地面に着地をすると同時に横に大きく駆け出した。動き回らないと的を絞らせてしまう。
先程の攻防の中でわかったのはバルトラの動きは現状それほど機敏でないのだが、腕力は常識外れ。見た目重量感たっぷりの巨大な斧をまるでナイフかの様に軽々と振るっているのだから。
「――……ジェイドさんの方の剣閃は、たぶん溜を多く必要とする」
現状の中で可能性の模索。楽観視はしないのだが、過剰な分析もしない。相手を過剰に評価してしまった結果委縮してしまうと普段通りの力を発揮できなくなる。
その上で即座に思考を巡らせ、考えられる理由は二つ。ニーナとの戦いでは必要なかったのか、それとも使えなかったのか。
それをおそらくという程度に後者だと思えるのは、醸し出す二人の気配。圧倒的なまでの威圧感が二人の本気さを窺わせているのだと仮定する。
「これだけの威力」
槍としての武器の特徴。そして刺すような鋭い攻撃。剣のような斬撃でも、先程のニーナのような拳の風圧、衝撃波に乗せるのでもない。細い先端に闘気を凝縮させて突き出しながら放たれるそれは高度な技術だけではなく、それなりの時間とかなりの集中力を要するのは剣閃を扱うヨハン自身にもその難しさを十分に理解できた。
「だったら……――」
まだ手の内が全て見えたわけではないのだが、戦いようはある。
◇ ◆ ◇
ヨハンの行動を見定めるようにシンは見ていた。
「あのやろう。どんな戦闘勘してやがるんだ?」
一対複数、もっと言えばより多くの相手、多数を相手にするにおいて広範囲魔法を扱えるのなら使用するのは当然わかる。だがそれをジェイドとバルトラの行動、その見極めだけに用いたことに感嘆の息を漏らした。
魔法の威力も以前より大きく向上させているだけに留まらず、年齢的には経験は多くはないはず。まだ一合目だが手の内を知る仲間の二人を相手にしても怖気づくことなく堂々と渡り合っている。
「やっぱあいつを死なせるのは勿体ないよなぁ。なんとかなんねぇか……って、バルトラがああなっちまった以上無理か」
諦めて頭を掻きながらそのまま反対側、ローズと対峙しているニーナとカレンの二人に視線を向けた。




