第二百七十七話 反旗
「カレンさん、下がって!」
声を掛けながらニーナと二人、カレンの前に出た。
すぐさま抜剣して、ピシュピシュと降り注ぐ矢を切り払い、周囲の地面にはサクサクと矢が突き刺さっている。
「どういうこと? なんであたし達が攻撃されてるの?」
この程度の弓をやり過ごすことはなんともないのだがニーナの疑問も当然。
まるで侵略者が来たかのようなその行為を受ける覚えなど全くない。
「カレンさん?」
「……わからないわ」
振り返りカレンに問い掛けるのだが、カレンにも当然覚えはない。
農園に向かう前と後で著しく変わっているこの状況。一体どういうことなのか。
「……むぅ。さすが噂に聞いていただけはあるな。やはりあの程度では射られぬか」
馬に跨る帝国兵の隊長。他の兵よりも少しだけ頑強な鎧を身に付ける男がヨハンとニーナの動きを見て頭を悩ませていた。実力を確認する意味を込めて射られた弓。
「隊長。如何致しますか?」
隣に立つ歩兵が問い掛ける。
「うーむ。あの容姿に騙されていたが、まさかそんなことを企んでいようとは」
「しかし本当なのでしょうか。カレン様が反旗を翻したなどと。私にはとてもそうは思えませんが……」
「俺に聞くな。俺達は命令に従うだけだ。判断は上がする」
「……はっ」
遠くで帝国兵が話していた。
「――……って言ってるけど?」
耳に手を当てるニーナはその会話を盗み聞く。
「あなた、アレが聞こえるの?」
「まぁさすがにこれだけ距離があると集中して聴いてやっとだけどなんとか」
「それでも大したものよ」
魔力と組み合わせてできる遠聞き。魔眼とは別に魔力操作を用いることでできるその特技。雑音が少ない程に聞き分け易い。
「そんなことより、反旗って、反乱のことだよね?」
「……ええ」
「誰が?」
「そんなのわたしに決まっているでしょう」
一体どういうことなのか、まるで理解できなかった。反乱どころか未だにカレンには攻撃を加えられることに覚えがない。ヨハンから見るカレンにも反乱の意思は一切ない。
「他に何か言ってない?」
「えっと、ちょっと待ってね」
再度問い掛けられたニーナは再び耳に手を当てる。
「――……なになに? ルーシュ様に毒を盛ったのがカレンさん? カレンはラウルに身を委ねている。だってさ」
「なっ!?」
聞こえてくる会話の内容をそのまま口にしながらニーナはカレンを見た。
「そうなの?」
「当たり前でしょ!」
とんでもない話だった。一体どこでどうなってそんな話になってしまっているのか。
「ち、違うからねヨハンっ!」
「わかっていますよそれぐらい」
ヨハンの返答を受けてカレンはホッと安堵の息を漏らす。
「そ、そうよね、わたしが兄さんと関係があるだなんて――」
「――カレンさんがルーシュ様に毒を盛るはずないですもんね」
すれ違うその言葉を聞いてカレンは理解した。ヨハンと自身の言葉の掛け違いを。
「「えっ?」」
目が合ったその瞬間の一瞬の沈黙。
「そ、そんなの当然じゃない!」
「はぁ」
慌ててヨハンの言っている方に軌道修正する。
「じーーっ…………」
「なによニーナ?」
探るような、目を細めたニーナに見られていた。
「カレンさんお兄ちゃんのこと……――」
「…………え?」
「――……本当にす――もがっ!」
急いでニーナの口を塞ぐ。それ以上口にさせるわけにはいかなかった。
「どうしたんですか?」
「い、いいからいいからッ! ほら、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」
前方、カレンは誤魔化すようにしてドミトール側を指差す。
「うおおおおッ!」
「カレン様以外は殺しても構わないッ!」
レグルスの私設兵が剣や槍を持って突進して来ていた。
「あー。どうしますか?」
「……そうね」
それまでのおどけた様子の一切を消したカレンはキッと鋭い目つきで突進してくる兵たちのその奥を見据える。
そこにはカサンド帝国の紋章が入った旗が掲げられていた。
「ヨハン。ニーナ」
「はい」
「なに?」
カレンは旗が掲げられている場所を指差す。
「兵を殺さず、倒しながらあそこまで道を切り開いていくことはできるかしら?」
カレンの見解。
突然の反乱者に仕立てられた上に襲撃を受けるこれらの出来事は、恐らくドグラスかレグルスの策謀によるものだと。むしろそれ以外の説明がつかない。
「(兄さんは……)」
一瞬ラウルがどうしているのだろうかと考え、このまま一度後方に引いて立て直しても、と思ったのだがルーシュの状態が気掛かり。
これだけのことをするからにはドグラスは確実にルーシュへ伺いを立てた上で仕掛けて来ている。ドグラス一人の独断などでできるものではない。
そうなるとルーシュの認識では間違いなく姉であるカレンが反乱を起こした、つまり敵に回ってしまっているということに他ならなかった。
「なるべく早くしないといけないの」
このままだと時間が過ぎる程に状況は悪化する気がする。後ろめたさなど何もない。ルーシュの味方をいつもしていた。
カレンのその様子を見てヨハンとニーナは顔を見合わせて頷く。
「わかりました」
「殺さない程度に倒したらいいんだよね?」
そのままゆっくりとカレンを追い越すように歩いた。
「ええ。二人とも疲れているのにごめんなさい」
シトラスの一件。疲労の蓄積。
「大丈夫ですよ」
「あとは任せてちょうだい」
カレンの言葉を受けて立ち止まるヨハンとニーナは半身だけ振り返り、笑顔をカレンに向ける。
「ありがとう。二人とも」
その笑顔を見ていると抱く言葉では言い表せない不思議な安心感。
二人の実力を知っているとはいえ、夕陽を浴びる二人のその姿の頼もしさは、これから自身の願いを叶えてくれるのだと十分な信頼ができた。




