第二百七十 話 記憶の奔流
「なん、て濃い瘴気なのっ」
魔法障壁に守られているはずなのに目も開けていられないような場所。
まるで先程までの綺麗な、真っ白な空間が嘘のようなその黒さ。ほんの少ししか入り込んでいないのに周囲はもう何も見えない。元々上も下もない空間なのだが、それ以上に前後左右がわからなくなる。
「そのまま真っ直ぐ。今のカレンちゃんなら感じられるはずだよ」
「ええ」
それでもはっきりとわかった。
龍脈の力との共鳴。サリー自身に龍脈の力が用いられているからこそそれがしっかりと感じられる。
「もう、すぐっ!」
前方に手を伸ばし、しっかりとその肩を掴む。
そこにはモヤモヤとした黒い瘴気を発している根源、その中心部である場所には一糸まとわぬ姿のサリーが膝を抱えて蹲っていた。
「サリー……さんっ!」
「…………」
両肩を掴んで揺するのだが無言。目は開いているにも関わらず反応がまるで見られない。
「――――ッ!?」
直後、流れ込んで来る激流。感情の渦。
「これ……は……――!?」
それが誰の記憶なのか、説明されずとも理解する。
「サリーさんと、サリナスさんの記憶っ!?」
元の人格のサリナス・ブルネイ。それを素に造られた後のサリー。
時代を超えた二人の記憶の奔流。それがまるでカレンを丸ごと呑み込もうとした。
「っつうッ!」
『お母さんの分も私がお父さんをしっかり見ておかないとね』
母の墓標を前に決意を宿すサリナス。
『ここ、は?』
『おはよう』
『おは……よう』
農園の中にある大きな建物。
その一室で目を覚まし、目の前にいるシトラスを目にして微笑むサリー。
『お母さんのような料理できたかな?』
スプーンで味見をするサリナス。
『どうして私こんな料理が作れるのだろう? まぁお父さんが美味しいって言えばそれでいっか』
料理をしながら首を傾げるサリー。
「二人とも、楽しそう」
そんな感想をカレンは抱く。
時代が違うサリナスとサリー。その二人の父への関わり方もまた違ったのだが、そのどちらとも父への愛が見られた。
「でも、どうやら二人以外の記憶もあるわね」
『お父さんの絵を描いてみたの』
その中に混じるサリナスでもサリーでもない記憶。それがサリナスとサリーの間に生まれた個体なのだと何故だかすぐに理解できた。
『上手く描けているね』
『飾っておいてね!』
『……もちろんだよ』
シトラスが椅子に乗って本棚の上に飾るのを嬉しそうに下から見ている姿。それは書斎で目にしたシトラスの、サリナスの父の肖像画。
その時にシトラスから女性に向けられる眼差し、微笑みと共に向けられたその眼に対して嬉しくなるのと同時にどこか寂しさも覚える。
『お母さん大変だっただろうなぁ。あの研究バカが相手だと』
『お父さん、自分の絵を飾っているのね。それも書斎にだなんて』
『お父さん、オリジってどうやって育てるの?』
『ねぇお父さん。あの書斎の絵、誰が描いたの?』
『この音、良い音だね』
『お父さん、私ハーブを育ててみたいの』
『どこに行ったのお父さん?』
『早く戦争なんて終わればいいのにね』
『お父さんが遺したのだから、ここは私がしっかりとしないとね』
『やめてっ!』
『ニーナちゃんかぁ。可愛かったなぁ。あんなに嬉しそうに食べてくれると作り甲斐があるわね』
数多く流れ込んでくる記憶。その中にはサリーの、カレン自身も隣にいる最近の記憶もあった。
「…………っ!」
記憶の渦の激しさによって片目を瞑るカレン。
「この中のどこかに彼女が拒否反応を示した原因があるはずだよ」
サリナスと以降の複製体の記憶の数々。セレティアナが声を掛ける。
「どこ、どこなのっ!?」
胸の中、感情をかき回される苦しさがあった。同調してしまっていることにより、内側から抉られるような苦痛。
「早く見つけないと、このままだとカレンちゃんが心を壊されるよ」
「わ、わかってるわよ!」
これだけ起伏の激しい感情。喜怒哀楽。耐えられるのにも限界があった。
グッとサリーの肩を掴む手、指に力を込める。
『ふぅ。今日も帰って来ない気ねあの人。どれだけ研究が好きなのよ』
『お父さん、どんな人だったのだろう? これだけ大きな土地なのだからそれなりに有名だったのかな?』
『お父さんがコレ作ったの?』
『あー……あー……』
『もうやめてッ!』
『えっと、侯爵様? はぁ……。 ええどうぞ』
その中で不意に見えたのは、レグルス侯爵と共にドグラスの姿があった。
「ドグラス……やっぱりアイツが……――」
明らかに今回の一件に関与しているのは間違いない。
「――……でも今はッ!」
その問題は捨て置く。確かにルーシュのことも気掛かりではあるのだが、今は何よりニーナのことが最優先。
「早くっ、早くッ!」
焦りと苛立ち、逸る気持ちに襲われると冷静でいられなくなった。
「落ち――い――くだ――い」
「えっ!?」
不意に脳裏に響くその声。聞き取りにくかったのだが、確かに誰かの声が響いてくる。
「ティア、今何か言った?」
「ううん。ボクじゃないよ」
「……なら」
この場に於いて、他の声が聞こえてくるのだとすれば一人しかいない。
「ごめ――なさいカレ――さ――」
「やっぱりサリーさんっ!」
聞き間違いでもなんでもない。
声を掛けられるのは目の前のサリー。全て聞き取れたわけではないのだが、確かに今カレンと。カレンのことを知っているのはサリーしかいない。
しかし、サリー自身はその表情に変化が見られない。
「お願いっ、サリーさん!」
「わ――し――つみ――お――うさ――の――せい――をお――い――す」
聞き取れないような声なのだが、サリーの言いたいことは伝わって来る。
「……わかったわ。サリーさん。あなたの真実。いいえ、シトラスが抱えている闇。最後まで見せてもらうわ」
謝罪の念の中に入り混じるサリーの恐怖。それまでサリナスやその複製体の記憶が混濁していたなかでのはっきりとした意思。決意を宿した意志。
【私の罪とお父さんの罪の清算をお願いします】
それが感じられた瞬間、それまでの感情の渦が急に一本の太い縄の様にギュッと凝縮していった。
「――……これがサリーさんの、いいえ。サリナスさん自身が抱えているシトラスの罪」
その記憶を目にしたカレンは思わずポタっと大粒の涙を落とす。




