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第二百六十五話 獅子=

 

「それとも、また逃げるのか?」


 剣をシトラスに向けたまま問い掛ける。


「いーえいえ。こーこがバレてしまっては、私はもう逃げるわけにはいーきませんよ」


 それは予想通りの返答。

 以前対峙した際のシトラスは二度とも想定外の事態になると姿を消していた。

 だが恐らくシトラスの全てがあるこの場所。


「ならもう諦めて大人しくニーナを返すんだな!」


 ここで逃げられることはないのだというのはわかっている。


「ふっ、フフフ。フハハハハハッ!」

「何がおかしい?」


 不意に笑われたことで首を傾げた。


「いえいえ。油断はいけませんよ、油断は」

「えっ?」


 シトラスが二本の指をクイッと上に向けると、カレンの真下にズズッと影が浮かび上がる。


「きゃっ!」


 直後、影に足を取られたカレンは引きずり込まれるようにその身体を沈めた。


「しまっ――」


 対象がカレンなのだと知るや否や、ヨハンは振り返りカレンに向かって慌てて走る。


「――だから、舐めないでって言ったでしょ?」

「えっ?」

「ティア!」


 冷たく言い放たれる凛としたその声は直前の反応と違い至って冷静そのもの。

 声と同時に、カレンが居た場所はピカッと一際大きな光を放った。


「なッ!?」


 突然光を放ったカレンと、次に目にした光景にシトラスは驚きに目を見開く。


「急に足下が沈んだから驚いたけど、残念だったわね」


 カレンに駆け寄ったヨハンの目の前、視界を覆い尽くす程の白と赤を織り交ぜた体毛をした獣の体躯。


「えっと…………」


 思わず見上げてしまう程のその大きな。そこには巨大な獅子が姿を見せていた。その背にカレンが堂々とした様子で乗っている。


「……もしかして、これってティア?」


 一瞬何か他の生き物を召喚したのかと思い問い掛けたのだが、この獅子がティアなのだということに確信を持っていた。しかしまるで違うその風貌。


「そうだよ。いやぁ、急にカレンちゃんが魔力を流すからびっくりしたよ」

「だって今のは仕方ないじゃない。それにいつでもいけるように準備しといてねって言っておいたわよ?」

「そうだけどさ、このすがたってカワイクないのよねぇ。なるべくなら可愛いボクのままでいたかったよ」

「何言ってるのよまったく」


 軽快に会話を交わすカレンとセレティアナ。


「ははは……」


 獅子がその体躯に似つかわしくない声を出す。紛れもなくセレティアナの声。思わずヨハンは呆気に取られる。


「な、なーんですかソレは!?」


 驚愕するシトラス。


「何言っているのよ。あなたさっき言っていたじゃない。ティアはわたしの契約精霊よ」

「変貌する精霊なーど、聞いたことありませーん」

「それはあなたの常識でしょ?」

「…………」


 シトラスを見下ろしながら、どうだと言わんばかりに声を放つカレン。


「さーて。早めに決着付けないとこっちもしんどくなるのよヨハン」

「そうなんですか?」

「当り前じゃない。これだけのことしてるのよ」

「なるほど」


 これだけのこと。

 召喚した精霊に魔力を流し込みその姿を劇的に変えた。そうなると当然カレン自身の魔力をただ使用するだけでなく、その状態の維持にも相当量の魔力が必要とされるというのは当然。


「なら……」

「そこは任せなさい。いくわよ! ティア!」

「りょーうかい!」


 セレティアナはカレンを背に乗せたまま軽く跳躍する。


「ヨハンはティアの動きに合わせて! さっきの感じで良いから!」

「わかりました!」


 上空から声を掛けられ、チラリと前に顔を振るカレンのその意図を受けてシトラスに向けて走った。


「ぐっ!」


 シトラスは正面のヨハンと上空のカレンとセレティアナ、そのどちらの対処を優先しようかと僅かに怯むのだが、すぐさま直線的ですぐにでも到達される距離にあるヨハンを標的にする。


 そのままヨハン目掛けて手をかざすと黒弾を連続で放った。


「ふっ! はっ!」


 しかし蜿蜒(えんえん)たる動きを見せるヨハンはその左右の動きで綺麗にそれを躱す。


「はあッ!」


 間合いを十分に詰めた後、シトラスに向かって横薙ぎに剣を一閃した。


「ぐぅっ!」

「今よ、ティア!」


 後方に飛び退くシトラス目掛けて、獅子のセレティアナが大きな口をガパッと開ける。

 そのままセレティアナの口からは猛々しい炎が轟音を伴って吐き出された。


「チッ!」


 着地と同時に勢いよく迫る炎を寸でのところで横に回避するシトラスはそのままドンっと壁を背にする。


「面倒な」

「あっ!」


 声を上げるカレン。

 シトラスはそのまま壁の影の中へ溶け込むように入ろうとした。


「逃がさないっ!」


 ヨハンはシトラスに向けて手をかざし、即座に魔力を練り上げる。


氷結壁(アイスガード)


 シトラスが入り込もうとした壁全体に向けて魔法を放つと、壁一帯はパキパキと音を立てて覆い尽くすようにして凍り始めた。


「なッ!?」


 本来、防御壁として使用される氷の魔法。それを今ここでは壁に溶け込むシトラスを逃がさないために使用する。一瞬の判断。


「へぇ、こんなに機転も利くのね。凄いじゃない。それに魔法も中々、いえかなりのものね」

「カレンさんっ!」

「わかってるわよ!」


 呼吸を合わせるように声を発するヨハンに対して、カレンはヨハンの行動の意図を察していた。既に準備は整っている。


「ティア!」


 セレティアナが再びシトラスに向かって口を開け、即座にシトラスに向けてゴアッと炎を吐き出した。


「がああああああ――――」


 熱気が部屋中を充満させ、業火を全身に浴びて呻き声を上げるシトラス。

 凍った壁や床、その一帯を一瞬で溶かすほどの威力を伴っているセレティアナの炎は正に灼熱。


「どう?」


 土の床や壁も赤色を灯して僅かにとろみを帯びている。


「……ぐ、ぐぅっ」


 だが全身を焦がしながらもシトラスはそこに立っていた。


「しぶといわね」

「でも相当なダメージを与えました」

「そうね。諦めてニーナを返しなさい。でないと……」


 ヨハンの横に着地するセレティアナが再びガパッと口を開ける。


「……もはやここまでか」


 小さく呟くシトラスは近くの部屋の入り口、多数のサリナスの複製体が入った部屋の方角を見た。


「あともう少しというところで、このような者に邪魔をされようとは」


 見込みではサリナスが生き返るまであと僅か。

 竜人族であるニーナの魔力、その稀有な魔力があればサリナスを生き返らせることが叶ったかもしれない。


「あ、あの――」


 唐突にカツっと音が鳴る。

 ゆっくりと恐る恐る、音を立てて部屋の中を覗き込む一人の女性の姿。


「ど、どうしたのヨハンくんにカレンさん? な、なんだか物凄い音がしたけど…………。そ、それに、あの私にそっくりなアレのことだけど……――」


 なんとか現状を目にしたことから身体を起こしたサリーがヨハンとカレンを探して部屋の中を覗き込んでいた。


「――……あっ」

「来たらダメだサリーさん!」

「えっ!?」


 急いで声を掛けたのだが、シトラスの動きの方が早い。入り口近くのサリーへ素早く到達する。


「動くな」


 そのままサリーの後方に回り込んだシトラスはそのままサリーの首筋にピトッと黒く光る刃を押し当てた。


「えっ!?」


 突然の出来事、サリーは全く理解出来ていない。


「くっ!」

「どうするヨハン?」


 ポンっとセレティアナが姿を戻しながら地面に着地するカレンはヨハンの耳元で小さく問いかける。


「たぶん、今はまだシトラスもサリーさんに危害は加えにくいと思います」


 事実を知らないサリーに現状をどう伝えるのかなどといった問題はあるのだが、シトラス自身がここでサリーを人質に取ることのその意味。この場をやり過ごす為に取った人質を殺しては意味がない。


「それには同意するわ。でも……」

「……切羽詰まればどうなるかわかりません」

「そうね」


 先程目にした日記の中には見た目はサリナスであっても記憶がない複製体は処分してしまっている。その手に持つ凶刃を最終的にどうするのか、判断がつかない。


「なにっ!? 一体なんなのよっ!?」


 次から次に起こる出来事。わけもわからない事態に陥っていることに動揺を隠せないサリーは困惑した。


「残念でーしたねぇ」

「えっ?」


 耳元で聞こえる声に対してサリーは瞬間的に真顔になる。


「こーれで形勢は逆転しーましたよ」

「うそ……。もしかして……その、声…………お、とうさん?」


 口調は違えども、妙に聞き覚えのある懐かしい声がサリーの耳を通っていった。



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