第二百五十四話 ルーシュの決断
「(今の……どういうつもりなんだろう?)」
ヨハンには移り変わるレグルスの表情の機微が妙に気になった。
「(さっきの感じだと、この人はサリーさんの農園を知っている感じがしたよね?)」
先程までの言葉のやり取り、その中には茶葉に関する質問を返していなかったことを疑問に思う。
それはつまり、メイデント領に流通しているその良質な茶葉を認識しているということ。領主官邸まで献上されているというのだから産地を知っていてもおかしくはないのだが、だとしても具体的な質問の一切がなく断っていた。
「それは何か理由でも?」
「いえ、そんなたいそうな理由ではありませんよ。ただ単純にそれだけ人気になってしまうと帝都に全部もっていかれてしまうのではないかと懸念致しましてね。そうなるとせっかくの紅茶が飲めなるかもしれないと思うともったいなくてもったいなくて」
「(本当にそれだけなのかな?)」
どうにもその表情には僅かだが険しさが見られる。
「さすがにそんな心配はいらないわよ。調整できる範囲でかまわないから。それに、もしそうなったとしても茶畑の規模を大きくすればいいだけでしょ?」
「まぁ……確かにそうではありますが……」
どうにもレグルスの言葉は歯切れが悪い。
「あなたにもわかるでしょう? もしそれができればルーシュの帝都における立場に一役買えるというのが。だとすれば恩を売ることも出来るのよ?」
予定通りルーシュの手柄になるのだということをさりげなく強調する。
「……それはそうですが、やはり難しいのですよ」
僅かに悩む様子を見せたのだが、レグルスは左右に首を振った。
「わかったわ。別にいますぐ答えを聞きたいわけじゃないので考えておいて」
「むぅ……。わかりました」
「じゃあそれでいいですよね、ロブレンさん」
「んあ? あっ、ああそりゃもちろん!」
これ以上食い下がっても仕方ないと判断したカレンは、これまで蚊帳の外だったロブレンは不意に話しかけるのだが、ロブレンは突然声を掛けられたことで困惑する。
「すいません。一つだけいいですか?」
「……なにかね?」
それまで黙って見ていたヨハンが口を開いたことでレグルスは訝し気にヨハンを見た。
「その農園を管理しているサリーさんのお父さんが関係していたりしているんですか?」
「……どうしてそのようなことを?」
レグルスはその視線を一層に鋭くさせる。
「ああいえ、サリーさんはお父さんのことを詳しく知らなかったようですので、もしかしたら許可をもらえないのはそこに関係しているのかなって」
農園の土地の元の持ち主であるサリーの父親が土地に関して何かしらの契約が交わされている可能性を考えた。
「そうか。いや、そのようなことはない」
「そうですか」
となると他の可能性に思い当たることは何もない。
「もういいでしょ。ヨハン。いくわよ」
「えっ? あっ、はい」
そのままカレンさんに促されるままレグルスの執務室を出ることになる。
◇ ◆ ◇
「むぅ。まさか農園のことを嗅ぎつけたわけではないだろうな……」
執務室に残るレグルスが独り言をこぼした。
「どーうしました。そんな顔をしまして」
窓際に置かれた棚の影からギロリと二つの目が覗き込む。
「……シトラスか。ここには顔を出すなと言っているだろう」
「いーえいえ。少し折り入って頼みたいことがあーりましたので」
「頼みたいことだと?」
「えーえ。実はですね……――」
シトラスの話を聞いているレグルスは目を見開き、次の瞬間にはゆっくりと顎を擦った。
「――……ほぅ。まぁそれぐらいなら構わない。計画ももう最終段階に入るからな」
「でーは。よろしくおねがーいしまーす」
「待て。一つ確認しておきたい。あの魔道具はもう十分なのだな?」
「えーえ。以前の分を改良しまして、それはもーう素晴らしい仕上がりになっておりまーすよ。後はそちらでご自由にお使いくーださい」
「そうか。わかった」
レグルスは手元の引き出しに目線を送る。
「でーは。私はこれで」
「ああ」
影から見える目はそこで消えていった。
「……ヤツがどういうつもりなのか知らんが、時間稼ぎには丁度良いか」
カタッと音を鳴らして立ち上がる。
「あいつらがそれに気付いたとしても、私との繋がりには気付きようがないだろう。どうせ魔族などもう用済みだからな」
薄く口角を上げ、いやらしい笑みを浮かべてレグルスは執務室を出ていった。
◇ ◆ ◇
「どうしますか?」
「…………」
領主官邸を出た後はラウルの待つ宿に向かい歩きながらカレンに茶葉の輸送の件をどうするのか尋ねるのだが返事はなく、何かを考え込んでいる。
「カレンさん?」
「えっ? なにかしら?」
「いえ、これからどうするのかと思って」
隣には商談が破談になったことであからさまにがっかりして肩を落としているロブレン。
「そうね。まずは兄様に報告に行かないとね」
尚も考え込むカレン。
「申し訳ありませんカレン様!」
不意に背後から声が聞こえ、振り返るとレグルスの私設兵が慌てて走って来ていた。
「どうかしたの?」
「いえ、レグルス様がお探しでしたので。良かったです、まだここにおられて」
「レグルスが?」
「はい。急ぎとのことでしたので」
先程話を終えたばかりなのに、どうして探されているのか疑問を抱く。
「すぐに呼んで参りますのでここでお待ちください」
ヨハン達は互いに顔を見合わせながら兵が来た道を戻っていく姿を見届けた。
◇ ◆ ◇
「こんなところにいましたか」
少し待っていると私設兵を伴ったレグルスが笑みを浮かべて歩いて来る。
「どうかしたの?」
「いえなに。先程の話ですよ。先程は突然の提案でしたのでああ言いましたが、改めて考えると悪くない話かもと思いましたのでもう一度考えてみようかと」
レグルスのその言葉を聞いてロブレンはパッと表情を明るくさせた。
「マジっすか!?」
「ええ。ですが、その前に一つ頼みたいことがあるのですよ」
指を一本立てるレグルス。何を頼まれるのかとロブレンはゴクッと息を呑む。
「その農園の茶葉を一通り手配してきてくれませんか。実物を見て再度検討しないことにはなんとも言えませんので」
「なぁんだ。そんなことっすか。そんなのお安い御用っすよ」
「まぁそれぐらいなら」
「それと、カレン様はルーシュ様がお呼びでしたな」
「ルーシュが?」
チラリと領主官邸を見上げ、ルーシュが借りている客室の窓を見ればそこにはルーシュが立っており、こちら側を見下ろしていた。
「……わかったわ」
今ここでルーシュに呼ばれるとなると、用件は一つしか思いつかない。
「では茶葉の方はそちらの護衛の方にでも取りに行ってもらいますかな?」
「……そうね」
チラッとカレンはヨハンとニーナを見る。
「あっ、念のためにそちらのキミはカレン様の護衛に付いて行きたまえ」
レグルスはヨハンを指差し、カレンに同行する様に指示を出した。
「えっ? はい。わかりました」
突然の指名に小さく返事をする。
「ならニーナはロブレンさんと一緒にサリーさんのところに行ってもらってもいいかしら?」
「りょーかい」
「よろしくね」
「んじゃ嬢ちゃんいくぜっ!」
破談したはずの商談が再浮上してきたことを喜んだロブレンは意気揚々とニーナを連れて街の方に向かって行った。
「カレン様。ではよろしくお願いいたします」
「……ええ」
そのままカレンは建物を見上げると、そこにはもうルーシュの姿はない。
◇ ◆ ◇
「僕も入っていいんですか?」
「まぁ本当ならダメだけど、もう別に良いわ」
客室の前で問い掛けられたのだが、ヨハンには色々と知られてしまっているのでもう今更気にしたところで仕方ない。
カレンはグッと真剣な表情に変えて、そのままルーシュがいる客室のドアを押し開く。
「ルーシュ。わざわざ呼び出したということは決めたのよね?」
ドアを開けて一歩踏み込むと、そこにはルーシュだけでなくドグラスの姿もあった。
「姉さま? ぼく、呼び出してなんかいませんけど?」
「えっ? でも……」
小首を傾げるルーシュなのだが、すぐにその表情を真剣な顔つきに変える。
「いえ、丁度良かったです。たった今決心したところなので」
「…………」
ルーシュのその表情を見ているだけで、何を決心したのかということなどは問い掛ける必要などない。
「あっ、申し訳ありません。そちらの……――」
ルーシュの視線は隣に立つヨハンに向けられていた。
「構わないわ。彼はわたしの専属護衛になったのだから、今後も一緒に動くもの。知っておいてもらった方が助かるのよ」
「ですが……」
「ルーシュ」
「……わかりました。姉さまがそう言われるのなら」
眼差し鋭くルーシュは再びカレンを見る。
「聞いてください姉さま。ぼくは……ぼくは…………アイゼン兄様と、戦います!」
はっきりと、力強く断言した。
「……ルーシュ」
「実際色々と迷ったのですが、やはりこのままではいけないと思うのです。父様が床に臥して以降、帝国内には不穏な動きが見られ続けています。自分で言うのも変ですが、城内の落ち着きも取り戻さなければいけません。そのために、これを平定するためにドグラスを始めメイデント領の人達や僕を慕う者はその力を惜しみなく貸してくれるということを、ドグラスは言ってくれました。正直僕一人だけでは頼りない部分もあるかもしれませんけど、今までと同じように周りの人たちの力を借りてこれからもやっていきたいのです」
笑みを浮かべるルーシュ。
「よくぞご決断なされましたルーシュ様」
満面の笑みで手を叩くドグラス。
「……本当にいいのね?」
ドグラスの態度に若干の不快感を得ながらも問い掛ける。
「はい。もう決めましたから」
「なら、これからどうするつもり?」
具体的な作戦がなければそれは成立しない。徒労に終わってしまっては意味がない。それどころか下手をすれば命すら危うくなる。
「そうですね。まずは会議を以て決めることになりますが、こちらの動きを気取られるわけにはいきません。でもすぐに動き出せるように水面下で色々と用意しておかなければなりません。それに、暗殺の失敗も当然伝わっているでしょうから帰城が遅れると怪しまれる恐れもあります。ですので遅くとも五日以内にはその姉さまが提案してくださった茶葉の件を取りまとめ、地盤を強化していきたいと思います」
「……そう。わかったわ」
「ありがとうございます姉さま。ぼくの味方をしてくださって」
「あ、当り前じゃない」
ほんの僅かに不安気な表情を見せるルーシュにカレンは近付き、抱きしめた。
「なんていったって、わたしがルーシュの一番の味方なのだからね」
「姉さま」
カレンとルーシュは二人共にしてポツリと涙を落とす。
「(やっぱり何か企んでいるのかな?)」
そこでヨハンは不意にドグラスと目が合ったのだが、ニヤリと不気味な笑みを向けられた。




