第二百五十二話 疑問
「状況を考えればわかる」
静まり返ったその場で、ラウルはしっかりと口にする。
「皇帝が病に臥した今、跡目争いが起きるかもしれないという可能性は十分にあるからな。それはカレンもわかっていただろう?」
「……はい」
既に幾つもの歴史が証明しているその争い。時にはそれが功を奏して国を立て直すこともあるのはあるのだが、そのほとんどは血で血を洗うような出来事。穏便に終わるわけがない。
「で、ですが、兄様は本当に継承権を放棄されるのでしょうか?」
カレンからすれば、継承位そのままにラウルが帝位を継承して皇帝に即位すれば全て丸く収まるはずだと。いくらか反対する声はあるだろうがそれが一番順当であるし慣例にも即している。
「それはまだわからない」
だがその返事は曖昧だった。
「それはどういう……」
「すまんな。カレンにも教えられん」
「な、ならば! に、兄様……兄様からも言って頂けるのですよね?」
「何を、だ?」
ジッと真っ直ぐに見つめられるその視線に居た堪れなくなるのだが、それでも意を決する。
「兄様が仲を取り持ってくだされば、きっと落ち着きを取り戻せるはずです!」
仮にアイゼンとルーシュの間に確執があったとしても、ラウルであればなんとかできるはずだと。
「いや。それはない」
「そんな……――」
カレンは望みを託せるはずだったラウルに絶望を突き付けられた。
「あのー?」
そこでヨハンがそっと手を上げた。
「ん?」
「いえ。そもそもなんですが、その話、僕たち、聞いていても良かったんですか?」
なんとなくだが昨晩カレンが浮かべる儚さの理由を理解する。
今後の騒動に向けて話し合わなければならないのを。
しかし、余りにも重大なその話を隣にいるからというだけで聞いてもいいものなのか。
「ああ。大丈夫だ。問題ない。ロブレンにも既に話してある」
「そうそう。旦那の言うことにはびっくりしたけど、これは俺からしてもすっげぇチャンスだからな。にしても本当に旦那の言う通りになってるんすね」
カップに口をつけながら感心するロブレン。
「ロブレンさんのチャンスってどういうことですか?」
「いやなに、情けねぇ話だけどよ、俺が抱えた借金は今回旦那の言う通りに上手く事が運べばチャラにしてくれるんだと。となればこんなおいしい話やらない手はねぇ。渡りに船だぜ」
そっとカップを机に置くロブレンは大きく息を吐き、真剣さを見せた。
「ごめんなさいヨハン」
カレンが申し訳なさげに口を開く。
「はい?」
「別に隠していたわけじゃないの。ただ、身内のこんなみっともない話、言いにくかったのよ」
「大丈夫ですよ」
権力闘争ともなると信頼出来る者にしか話せないのもわからないでもない。別にカレンの判断は非難されるようなものではない。
「ただ……――」
ヨハンはそこでラウルを見た。
「――……詳しいことはわからないですけど、ラウルさんが手を貸せない理由がなんとなくわかりました」
「ほう。言ってみろ」
見定めるようにしてラウルはヨハンを見る。
「はい。僕が思うに、今の話からすればそのアイゼンという人が暗殺を試みたのだとしたら、ラウルさんが手を出すのって下手をすれば後手に回るかもしれませんよね?」
「……どうしてそう思う?」
「まぁ、実際はどうなのか知らないですけど、要はそのアイゼンさんとルーシュさんのお母さんが違うから溝があるんですよね? ならラウルさんがここで手を貸せばアイゼンさんの味方をしたと思われるのでは?」
ラウルとアイゼンは母を同じとしているのだから、中立性が保てない。
「ルーシュは兄様を慕っているからそんなことないわよ!」
ダンッと机を叩くカレン。
「いや、ヨハンの言う通りだ。確かにルーシュ自身はそうかもしれないが、周りがどうなのかが大事だな。特に今のルーシュには――」
「あっ……――」
そこでカレンは口元を押さえる。ラウルが言わんとしていることをすぐに理解した。
「――……ドグラス」
失念していたつもりはなかったのだが、ルーシュに一番近い人物がそれをどう捉えるのか、カレンは理解する。
手練手管でルーシュを翻弄するだろうと。ドグラスのあの様子からすれば、ラウルがアイゼンの味方をすれば間違いなくその血を理由にしてルーシュを煽り、敵対するように仕向けるはず。
「そんな……ならどうすれば」
「そこに関してはこっちで調べよう」
ニヤリと笑みを浮かべるラウル。
「兄様が……ですか?」
「実際にその目で現状を確認したのだろう?」
ここにいる人物達を、どうにも何かを企んでいるような様子を見せるその気配。しかし断定できるだけの証拠も掴めない。
「……はい」
「もし問題が片付かずに父上が息を引き取ればこれから帝国は混沌とする時代に突入しかねない。だからこそそうならないようにここからの動きが重要になる」
「…………」
「それと仮にだが、暗殺の手引きをした者がここにいるようならばどこかで尻尾を出す。それを打ち倒すのをカレンとヨハンとニーナ、お前たちに預ける。そのためにヨハンとニーナには護衛に付いてもらったからな」
油断を誘う為とは聞いていたのだが、それだけ信頼されて護衛に就けられていたのだとそこで初めて知る。
「もし敵が姿を見せなければその時はどうするのですか?」
「その時はその時だ。だが現状動きを見せた。だからとりあえずお前たちはこれまでと変わらず動いておいてくれたらいい」
もしかすれば今後も似たような動きが見られるかもしれない、と。
「はい」
「わかりました」
そこまで話したところでカランと音が鳴り店の扉が開いた。
「あら? そこにいるのって……?」
店に入って来た女性がヨハン達の姿を確認すると手を振りながら近付いて来る。
「あっ、サリーさんだ!」
店内に入って来たのは果樹園を営むサリー。
「こんにちは」
「こんにちは」
「どうも」
ヨハンとカレンを見て軽く頭を下げるので同じようにして頭を下げた。
「ここにはよく来るの?」
「いえ、今日が初めてです」
「そっか。ねぇ、どう? ここのお茶は?」
笑顔で問いかけるサリー。
「すっごい良い匂いがするしおいしいよ!」
「確かに。お店の大きさにしては思ったより良い茶葉を使っているわね」
カレンも紅茶を口に運び、すっと一口飲むとカップを見つめながら感想を述べる。
「良かった」
二人の感想を聞いたサリーは笑みを浮かべる。
「サリーさんもお茶ですか?」
「ああ、いえ違うのよ。私ここに品を卸しているのよ」
ヨハンの問いかけを否定して、サリーはチラリと店内にある瓶詰の茶葉を飾っている棚を見回した。
「そんなことまでしていたんですね」
「っていっても余った土地でしているだけよ?」
あれだけの広大な土地を維持管理しているだけでなく、まだ茶畑まであるらしい。
「ねぇ坊ちゃん。良かったら彼女を紹介してくださいよ」
不意に声を掛けてくるのはラウル。
「ラ、ラウ――」
突然調子を変えたラウルの態度に仰天して返事をしようとしたところ眼光鋭く睨みつけられた。そのまますぐに笑顔を向けられる。
「ら、ラミールさん? どうかしましたか?」
思わずラウルの名前を口に仕掛けたことで苦笑いしながら返事を返した。
「いえいえ、ここに茶葉を卸している方でしたら、是非お近づきになりたいなと思った次第ですので。よろしければご紹介いただければ、と。ねぇロブレン親分」
「んあ?」
不意に投げかけられるロブレンはキョトンとする。
「ど、どういうことだ?」
「なに言ってんすか親分。これだけ上質な茶葉、帝都にもほとんど出回ってやせんよ。これを帝都に持ち帰ればきっと良い商売になりやすって!」
「あ、ああっ!」
ロブレンはそこで理解するとポンっと手を叩いた。
「なるほど、それは良い提案だ! ナイスラミール!」
グッと親指を上げるラウルとそれに遅れて同意を示すロブレンなのだが、横でニーナはラウルの豹変ぶりに寒気を覚えてブルルと身震いさせている。
「ああ。もしかしてそちらの方たちは商人の方で、なにかの商談中だった?」
「ええ。まぁそんな感じです」
「どうも、しがない商人ですが、よければ以後お見知りおきを」
ぺこりと頭を下げるラウルならぬラミールとロブレン。
「でもごめんなさいね。ありがたいお話みたいだけど、これは私の一存では決められないのよ。ほらっ、領内の物の持ち出しにはギルドや領主の許可が必要になるでしょ? ギルドには話は通し易いでしょうけど、領主様となると……」
「でしたらその話は後日ってことで、一応どんな場所なのか一目見に行かせていただいてもよろしいですか?」
ラミールの問い。
「え? ええ。それはもちろん構いませんけど? でしたら後でご案内させて頂きますね」
「ありがとうございやす」
「じゃあちょっと待っててくださいね。先に品を卸さないといけないので」
ぺこりと頭を下げて店の奥に姿を消していくサリー。
「突然どうしたんですかラウルさん?」
「今のがその魔石の見つかった土地の女主人なんだろ?」
「はい」
「丁度良いところに来たから俺も見に行こうと思ってな」
「それって――」
「――確かにお前の言う通り、ここにそれだけ肥沃な土地などあったかどうかちょっと覚えてないのでな」
「……そうなんですね」
そうなるとあの農園はどういう土地なのだろうかと疑問が残る。
しばらく待っていると、卸しを終えたサリーが戻ってきて、そのままサリーが営む果樹園へと向かった。




