第二百三十六話 ドミトール
「まだ着かないのぉ?」
ヨハン達が帝都を出て五日が経とうとしていた。
目指す先はメイデント領の主要都市ドミトール。ここまでの行程は順調に進んでおり、現在はカサンド帝国北方にあるメイデント領に入っている。
本日中にはメイデント領の主要都市であるドミトールに着こうとしていた。
ヨハンたちの前方を歩くのはガチャガチャと金属音、鎧の音を鳴らしている帝国兵団の兵士が三百名程。それに加えて、身辺の警護をするのに数名の上級冒険者を雇っているらしいというのはアッシュやアリエルから聞いている話。
ここまでその冒険者との顔合わせすら出来ていない。
それというのも、ヨハン達はアッシュ達と合わせて末端の警護を務めている。
二列になって一直線の隊列を組んでいる列の中央には皇子であるルーシュ・エルネライの馬車。
ヨハン達は数十人の兵士達と合わせて最後方を歩いていた。
「お兄ちゃん、寒いよぉ……」
メイデント領に入ってからというもの、日中はまだしも日が暮れ始めるとその寒暖差がとにかく激しい。
「そうだね。なんだか冷えて来たよね。はいじゃあこれ」
今日中には着くとはいえ、陽が傾き始めているのでポッとニーナの前に火の玉を浮かべると、ニーナは笑顔で両手をかざす。
「さっすがお兄ちゃん!」
「まぁ僕も魔法の練習になるからね」
「いやいや、お兄ちゃんには今さらこんな程度じゃ練習にならないんじゃないの?」
「そんなことないよ。日常的にこういったことをしておくことが鍛錬なんだから」
今行っているのは小さな火の玉を中空に浮かび上がらせている程度。
実際、魔法の覚えたてならまだしも、今ならこの程度を歩きながら維持することなど問題なく行えた。
「えー? だってそんな程度じゃ練習にもならないよ」
それをニーナも同じようにして出来るということも知っている。
「なら自分で出せば?」
「あぁー!うそうそっ!うそだってば!」
シュンっと消え去った火の玉を必死に掴み取ろうとニーナは手を伸ばした。
「だーめ」
「いやだぁ!めんどくさいのぉ!」
「わがままいわないの」
「むぅー。ケチー。わかったよ。自分でするよ」
ごねてもヨハンが応じてくれないのを見たニーナは諦めてボッと火の玉を浮かび上がらせる。
「はあー。あったかあったか」
ポカポカと火の玉に温められてニーナは満足そうにしていた。
「はぁ。ほんと仲良いわねあなたたち」
「カレンさん」
ヨハンとニーナ、二人の様子を見てカレンは溜め息を吐いている。
普段の道中は第三皇子ルーシュ・エルネライと同じ馬車に乗っているのだが、全体の視察だといってヨハンたちと同じようにして最後方を歩いていた。
「でもケチだよお兄ちゃん」
「そんなことないでしょ。あなたが彼を困らせてることが大半じゃない」
ここに至るまでの道中で、何度もこうしたやりとりを見ている。
「ねぇ?」
「そうですね。確かに困るといえば困りますね」
「えー!?ひっどーい!」
「うそうそ。冗談だよ」
「もうっ!」
微妙に不貞腐れているニーナと隣で笑っているヨハンをカレンはジーっと眺めていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもないわ」
その視線に気づいたので疑問に思いながら声をかけたのだが、顔を背けられる。
『羨ましいのよねぇ』
「(な、なにがよ!?)」
カレンの頭の中に響くのは、契約精霊であるセレティアナの声。
『そんなのお兄さんと別行動になったことに決まってるじゃない。せっかく久しぶりに会えたのに、またしばらく会えなくなったものね』
「(そ、そんなことないわよ!)」
『またまたぁ。ボクにはカレンのことがちゃんとわかってるのだからね』
セレティアナはカレンの心情、ラウルのいないことで寂しさを抱えていることを差している。
「(くっ!忌々しい子ね!いいからあなたは引っ込んでなさい!)」
『はいはい。じゃあいつでも呼んでいいからね。ボクはそのためにいるのだから』
「(……わかってるわよ)」
そうしてふと前を見た。
目の前をいくつもの小さな白い結晶がひらひらと地面に落ち始める。
「ふぅ。寒いと思ったら、雪が降り始めたわね」
手の平にその小さな白い結晶の一つ、雪を受け取り、周囲を見渡すようにして見た。
「あっ、見えて来たわよ!」
伸ばした指先の奥、暗くなってきた中にぼんやりと明かりが見える。
「へぇ」
「うわぁ。きれーい」
少し歩いた先、眼下に広がる大きな街並み。
今居る場所、小さな丘の上から見下ろすその景色は、仄かに雪がチラつく中に見える中にいくつもの明かりに照らされた大きな街だった。
「あそこがドミトールよ」
カレンがその街を指差す。
「あの?」
「なに?」
「どうしてドミトールという名前なんですか? ドミトールって前の王国の名前ですよね?」
「ああ。そのこと?」
カサンド帝国の領地になる前は旧ドミトール王国の領地。
そのドミトールの名を街の名前にしていることに疑問が生じる。
「まぁわたしも五十年近く前の話で当時のことを知らないし、学んだだけよ。実際色々あったみたいだけど、そうすることが一番良いのではないかという話になったみたいね」
「どういうことですか?」
「簡単な話よ……――」
そうして聞いた話によると、帝国としてもドミトール王国を領地にしたことは元々本位ではなかった。度々侵攻を受けるのでやむなしと判断してのこと。
帝国の領地になったことに不満を抱えた旧ドミトール王国民の反乱を抑える為にどうしようかと一計を案じることになる。武力制圧による鎮圧を行っても良かったのだが、ドミトール王国としての名残を残している方がより効果的に反乱を抑えられるのではないかといった経緯があった。
「……――なるほど。そういうこともあるんですね」
結果、カサンド帝国の領土となった統治当初はいくらかの反乱はあれども近年は比較的落ち着いている。
「(そんな場所でシトラスは何をしようとしているんだろう?)」
このドミトールには確実にシトラスに関係する何かがあるというのはラウルから事前に伝えられていた。
『暗部が調べた結果、シトラスという名前がそこで聞かれたそうだ』
『やっぱりシトラスが……』
『すまんな。俺が動くよりお前たちが動く方が怪しまれずに済む』
『わかりました。僕もあんなことをするのは許せないので可能な限りは調べさせてもらいます』
『ああ。頼んだ』
ラウルからはメイデント領に着けば独自に調査を開始しても良いと言われている。
アイシャの村だけに限らず、村々を壊滅させるなんていうことが起きるのは見過ごせない。
「(それに……――)」
チラリと横にいるカレンに視線を送った。
「(――……カレンさんが僕たちと一緒に行動することになるなんてね)」
皇女であるカレンはメイデント領内において、ルーシュの補佐をしつつ色々と視察に赴かなければならないことが多くあるのだと。そのための私設護衛という依頼を口実にヨハン達があてがわれており、ある程度自由に動き回る権限を与えられていた。
◇ ◆ ◇
そうして一行は程なくしてドミトールに到着する。
ドミトールは帝都よりも更に石造りの建物が多く、その理由も年のいくらかが雪に埋もれてしまうために頑丈な作りを必要とし、又、暖を取るために隙間を少なくしなければいけないのだと。
「じゃあわたしは少しルーシュのところに顔を出してくるわね。ここで待っていて」
「わかりました」
街の入り口で一行は動きを止めて、カレンは前の方に小走りになって姿を消していった。
「ヨハン。調子の方はどうだ?」
「アッシュさん」
カレンと入れ替わるようにして姿を見せるのはアッシュ達。
「あの気の強いお姫様の相手をするとなると気疲れすんじゃねぇの?」
カレンが姿を消していった方角を見てモーズが溜め息を吐く。
「そんなことないですよ。カレンさん、別に普通の人ですよ?」
「まったく。きみ達の度胸がたまに羨ましくなるよ」
アッシュも小さく首を振った。
「そうですか?」
「ああ。俺達はいくら護衛とはいえ所詮末端だ。それを皇女の身辺護衛だなんて大役、よっぽど腕に自信がなければ務まらないさ」
「だな。それにニーナの嬢ちゃんに対してはまだしも、兵士達がお前を睨んでたの気付かないわけじゃないだろ?」
「……まぁ」
ここに来るまで何度か兵士達から冷たい視線を浴びている。
殺気や害意というような視線ではないのだが、明確な敵意は感じていた。
「でも、どうしてあんな目で見られるのか僕にはわからないんですが?」
その視線を浴びる時に共通しているのはどれもカレンが近くに居る時。
「まぁわからないならいいさ」
「どういうことですか?」
「その方が幸せというだけさ。たぶん直接手は出してこないと思うけど、とにかく程々にね」
「……はぁ」
アッシュの言葉の意味がわからず疑問符を浮かべる中、アッシュたちは背を向ける。
「じゃあ俺たちは行くから頑張ってね」
「あっ。アッシュさん達はどこに泊まるのか決まってるのですか?」
「ああ。俺達は街の宿さ。あいつらは詰所に泊まるらしいが、きみ達は領主のところなのだろう?」
「まぁ……はい」
カレンの私設護衛を務めるということもあり、ドミトールでは領主官邸そう手配されていた。アッシュたちは滞在中用事があれば呼び出されるという段取りになっている。
「あたいらのことは気にしなくてもいいさね。兵士達と仲良くやってるさ」
「それはおめぇだけだろ」
「おろ? そうかい?」
「こんな感じだから気にしなくてもいいよ。とはいえ、何かあったらこっちも頼むね」
「わかりました」
手を振り街の宿の方に向かってアッシュ達は歩いて行った。
「お待たせ。じゃあ行きましょうか」
そこにカレンが戻って来る。
「ごめんなさい。まずは領主のところに顔合わせに行くことになったわ。あなた達も付いて来て」
「わかりました。僕たちはカレンさんの言うとおりにしていればいいんですよね?」
「ええそうね。余計なことはしなくていいからこっちに任せておいて」
背を向けるカレン。
そのままメイデント領の領主官邸を目指して歩いていった。




