第二百三十四話 閑話 マリンの疑問⑧
「(えっ? えっ? ちょっと待って? どういうこと? つまり、この人の奥さんがエリザさんということは……――)」
一気に訪れた処理しきれない量の情報。
それでもなんとか必死に思考を巡らせる。
「(――……となると、エリザさんはスフィンクスのメンバーで、この人と結婚するために家を出た?)」
楽しそうに眼下で繰り広げ始められた戦いを眺めているアトム。
エリザが周囲に浮かび上がらせているいくつもの水流の渦。そこから弾けるように飛び出すいくつもの水撃がエレナ達に襲い掛かっていた。
「ぐっ、こんにゃろ!」
「レイン! こんなの正面からまともに相手してはだめよ!」
「ええ! 隙を作って踏み込めば身体能力ではこちらが勝りますわ!」
「言ってくれるわねぇ。確かにシルビアさんみたいな近接戦は苦手よ?」
小首を傾げるエリザなのだが直後に笑みを浮かべる。
「でーも、ほんとにそれができれば、の話だけどね」
それはエリザによる途轍もない魔法戦。
エリザを取り囲む水流、それによる水撃によってレイン達は全く近付けずにいた。
「ほんとやらしい戦い方するよなエリザ」
「ワシの弟子だからの」
「ですよねぇ。まぁでも俺達の様な特化型の戦力を突破できれば十分だもんな」
「うむ」
軽快に交わされる横での会話。予想の通りそのエリザがスフィンクスのメンバー。
つまり、それだけの実力者。だが、そんな事実知りもしない。
「(お父様は知っていたのよね?)」
それでも思い返すのは、父のあの素振りからしても、恐らく父ほどの立場の人間であればそれは知っていたのだということは理解する。
「もしかして極秘事項?」
小さく呟いた言葉。
そうなれば父が言い淀んだことにも、カトレア侯爵の娘のその後をあまりはっきりと知らない理由にも納得ができた。
同時に気付いたのはその齟齬。
貴族間での情報に偽りがあるのは、カトレア侯爵の娘が遠く他国に嫁いだと言われているのは事実ではないのだと。
「(な、なら、ヨハンがこの人たちの息子ということになるわね……――)」
いくらかの疑問が繋がり始める。そうなると平民どころの騒ぎではない。
つまりそれは、伝説の冒険者パーティーを両親に持つ特別な子。それどころか国内有数の権力者、実質的に貴族の最上位に位置する四大侯爵家の一つ、カトレア家の血筋も有しているのだということ。
「(――……はぁ)」
納得した。カニエス程度で勝てなくて当然だと。
巨大飛竜の討伐を成し遂げたことにも一定の納得ができる。
しかし、いくら両親が凄くとも彼自身に素質、それに値する力がないとそれは成立しない。
「(剣聖に目を掛けてもらえるのも納得ね)」
それだけの素質を有しているのだと、ここまでの疑問のほとんどが一度に払拭された。
だがまだ疑問の全てが解消されたわけではない。
「あ、あの……?」
「なんだ? 今いいところなんだっての」
「あっ、いえ、申し訳ありません」
眼下の戦いを真剣な眼差しで見ているアトムは振り向くことなく返事をする。
「最後に一つだけ教えて頂けませんか?」
「んだ?」
「エレナは、このことをご存知なんでしょうか?」
「このことって?」
「その……アトムさんたちがスフィンクスだということを、です」
「あん? んなもんもちろん知ってるさ。それがどうした?」
「……そうですか。ありがとうございます」
ここは想定していた返答。
しかし、知っているかどうかで推測が大きく変わるのでどうしても確認せずにはいられなかった。
「(わかったわ。だからエレナは……――)」
ようやくエレナがヨハンと共にいる理由を理解する。
これだけの要素を持つ人物であるのなら理解できた。むしろ、知っていれば自分でも確実にそうしている。
「(――……彼を囲い込みたかったのね)」
そうしてようやく胸の内に抱えていた疑問を全て取り除けたと小さく息を吐いて、眼下で繰り広げている戦いをすっきりとした眼差しで見下ろした。
そこではエリザが楽しそうに水撃を何度も何度も繰り出し、エレナが先頭に立って障壁を展開して防いでいる。そのままレインとモニカに指示をだしていた。
「…………えっ?」
疑問は全て払拭されたはず。
そのはずなのに、眼下の戦いを見ている内に胸の中の疑問が全て晴れていないことに気付いた。
「そういえば、どうしてエレナはあれだけ必死なの?」
エレナのその表情。今見せるエレナの表情にはどう見ても必死さが窺える。
ただヨハンを囲いたいだけであるのならばエレナ自身があれだけ必死に戦う必要などない。
確かに王家の務めとして強さを身に付けることはよっぽど特別な事情、生まれつき病弱などでもない限りそれはほぼ必須事項。
負けず嫌いなエレナの一面があったとしても、しかし、いくらなんでもスフィンクスのメンバーと張り合えるぐらいの強さまではさすがにどこからも求められてはいない。
「必死ねぇ。まぁ必死にもなるわな。でないと、俺らの息子にゃ並べないだろうからな」
「えっ?」
思わず疑問を声に出していた事に気付かなかった。
アトムが呆れながらマリンの疑問に答える。
「まぁそうじゃろうな。こうして見ておると、エレナはあの頃のエリザにそっくりじゃの」
「……あの頃のエリザって? エリザさんの昔の話でしょうか?」
「無論じゃ。今下で戦っておるエリザ、あやつも元々素質はあったが、当時はこれほど魔法に長けておらんかった。どうしてもとせがむからワシが手ほどきを加えてやったが、ここまでになるとはの。愛の成せる業じゃのアトムよ?」
「おいおい、俺に言わねぇでくれよ姐さん」
アトムは恥ずかし気にポリポリと頭を掻く。
「それを言うなら、姐さんだって当時は今のエリザみたいに嬉しそうに相手してたじゃねぇかよ。そのかわりエリザはボッコボコにされてたけどな」
直後、ケラケラと笑った。
「なんじゃ? それは挑発しておるのかの? あやつらとやる前にワシとやるのか? ふむ。これは久々じゃのぉ」
「やらねぇよ! どうしてそうなるんだよ」
「いやなに、あやつらにこれほど高揚させられるとは思わなんだからの」
「その捌け口にどうして俺を選ぶんすか!」
杖をパリッと鳴らしているシルビアと苦笑いしているアトムの横でマリンは考える。
「(あの子、ヨハンに並びたいだけでこれだけ頑張れるっていうの?)」
マリンの記憶の中のエレナでは到底想像もできない。
当時のエレナは確かに向上心が人一倍で、それに見合うだけの才能もあった。
しかし、ここまでボロボロになってまで戦うエレナの姿は想像もできない。模擬戦でこれほどまで真剣に戦うことなどない。
「(愛があればそれが可能なの?)」
先程のエリザの話に照らし合わせれば、エレナの行動原理がそこにあることになる。
シルビアの話の内容から推測するに、いつの頃かわからないが昔のエリザとアトムの戦力差は大きく開きがあり、アトムの方がより高みにいたのだと。そのアトムに追い付くために自分を高め、シルビアに師事を受けた。その根源にあるのがその感情なのだということに。
「(愛……愛かぁ…………)」
知識的にはそれを有している。
どういった感情なのかは抱いたことがないので正確に把握できはしないが、怒りや悲しみなど多くの感情が人の行動の可否、それを左右させることがあるのは理解していた。
「(ほんと、いっつも先をいかれるわねエレナには)」
未だにこれまでエレナによって受けた幼い頃の屈辱。腹立たしさを覚えるそれに納得はいかないことがまだまだ残ってはいるのだが、それでもエレナのことをいくらか理解した気分、僅かに留飲の下がる思いになる。
「あら? そうなるとあの二人は……?」
エレナの横に立ち並ぶモニカとレインに視線を向けた。




