第二百二十七話 閑話 マリンの疑問①
ヨハンがメイデント領を目指し始めたその頃、シグラム王国中央区マックス・スカーレット公爵邸ではマリン・スカーレット公爵令嬢が私室のベッドにうつ伏せになっていた。
「くううっ! どうしても気になるわ!」
マリンは翌日公爵令嬢としての用事があるので普段生活を送っている学生寮ではなく実家の邸宅に戻って来ている。
「どうしてわたくしがこんな気持ちにさせられなければいけないのよ!」
明らかな不快感を露わにして枕に顔をうずめた。
「くっ!」
直後、両腕を伸ばしてバッと勢いよく顔を上げる。
「あのレインとかいう子、覚えておきなさいよ!」
その目に一際強い決意を抱いた。
◇ ◆ ◇
――時は遡ること四時間前。
「エレナ達、最近何をしているのかしら?」
学校が終わるなりすぐさま姿を消すエレナ達。
「今日こそ突き止めてやるわ!」
その動向が気になって仕方なかった。
これまでエレナに対して一学年時は不干渉に、と固く言いつけられていたこともあるのでエレナがどういう学生生活を送っていようが気にしないよう、学内では極力視界に入れないようにしていた。
しかし、それが逆転したのが巨大飛竜の一件。あれ以来エレナのことが気になって仕方ない。
それ以前も気になることがあるにはあったのだが、これまでのような比ではない。その方向性も違う。
「(あの子がいなくなったというのに普段と変わらないなんて……)」
どうにも不思議でならない。
ヨハンとエレナの関係性、それが最初に抱いていたような見解、主従の関係ではなかったことは理解した。
もしかしたら主従の関係が少しはあるのかもしれないのだが、今の見解としてはまた違う。
「それにしてもまさかあれだけ強くなってるなんてね」
同時に思い返すのはあの時、飛竜が最期に仕掛けようとした魔力の膨張を見せた時、エレナは愛剣である薙刀を躊躇なく投擲した。確かに危機的な状況であったのだからその行動にも頷ける。
「悔しいけど、力の差は認めなければいけないわね」
薙刀を飛竜に向かって投擲したエレナの力強い背中を、不覚にも思わず魅入ってしまった。
その悔しさが忘れられない。王家の血筋を、その責任感をエレナはしっかりと背負っているのだとまざまざと見せつけられた。
自分自身に戦う力がそれほど備わっていないのはもうわかっている。それでもある程度は身に付けるつもりもあるのは王家の慣わし。王家である以上、戦場に立つ力を身に付けなければいけない。
だが、自分の器を量り間違える程自惚れてもいない。幼い頃から張り合おうとしていたエレナの方がその力が遥かに抜きんでているということはとうの昔に知っていた。
その点に関してはもうある程度見切りはつけている。
先陣を切って戦うなどということは自分には向いていない。父の様な内政支援や後方支援でも出来ることはある。そのために人を視る力を養っていかなければならない。
「あんな顔をエレナがするなんて」
しかしそのエレナが、最前線で戦う力を持ち合わせているエレナがあの時見せた焦燥感。それがただ王国を護るためだけに見せていたとは到底思えなかった。
「どう見ても特別な感情を持ってるのよねぇアレ」
思い返すそれ。
それがどういう感情なのかははっきりしないのだが、幼い頃から見て来たマリンはソレがいつものエレナと違うことを知っている。
妙に気になるのはあの時見せたエレナの笑顔。
薙刀が飛竜の眼に刺さったと同時に、ヨハンが頸を斬り落としたとわかった時に見せたエレナのあの微笑み。
王国を護れた安堵なのかと瞬間的に思ったのだが、その後に微笑んだ表情は今まで見たことのない表情。どうにも言葉では説明できない、慈しむような慈愛に満ちたその表情を。
「まさかエレナ、あの子のことが好きなのかしら?」
その可能性が脳裏を過るのだが、すぐに頭を振る。
「確かにあの瞬間はカッコ良かったけど、平民だしね。それに、しばらく会えないのにいつもと変わらない感じだし……――」
会えない寂しさ、もしそれがあるのなら多少落ち込むなりこちらに八つ当たりするなり何かしらの変化が見られたはず。
それが何も起こらない。
「――……だとしたらどうとも思っていない?」
しかしそうなるとあの表情の説明ができない。
「っていうかむしろちょっと喜んでいるように見えるのよね……。いえ、むしろ疲れている? となるとやっぱりアッチが大変なのかしら?」
あれだけ頼りになる仲間がいなくなったというのに裏での活動を継続しているのは父からこっそりと聞いていた。
『しかしマリン』
『はい』
『エレナ様を追いかけ回すのも程々にね』
『ええ。でも、わたくしとエレナの差がどこでこれだけついたのか知りたかったのです』
マリンの懇願によってマックス公爵は兄であるローファス王の許可を得てマリンに話していた。
ヨハン達と共に行って来ていた裏稼業の概要を。
『まぁ前に比べてマリンも自分を見つめ返すことができたから兄にお願いしてこうして教えてあげたけど、今はそれ以上はやめておいた方が良いと思うよ』
『今は?』
『あっ、いや、なんでもない』
「お父様、あれ以上は教えてくれなかったけど、何かひっかかるのよねぇ……――」
そうしたことを考えながら教室の後ろからエレナの後ろ姿を眺めている。
「――……お父様、何か隠してるのかしら?」
「マリン様?」
「なによ?」
隣に座っていたカニエスが不思議そうに、考え事をしているマリンの横顔を見ていた。
「いえ、どうかされましたか?」
「カニエスは知らないわよね?」
「何を、でしょうか?」
疑問符を浮かべるカニエスの顔を見ていると溜め息しか出てこない。
「はぁ。なんでもないわ」
どう見ても何かを知っているようには見えない。
「どうかされましたか?」
「なんでもないわ」
「そうですか。それよりマリン様はご存知でしたか?」
「なによ?」
今はカニエスから得られる情報など些末なもの。
どうせどうでもいい情報しか寄越さないと考える。
「いえ、最近エレナ様達キズナが極秘裏になにやら動きを見せているということですよ」
「はあっ!?」
ガタンと立ち上がり、目を見開いてカニエスを見た。
「どうしてあなたがそんなことを知ってるのよ!」
「い、いえ、クルド様からこの間教えて頂いたのですよ」
勢いよく立ち上がったことで周囲の視線を一身に浴びていたのだが、全く意に介さない。
「あのバカがどうしてそんなことを知ってるのよ!」
「そ、そこまでは存じませんが、まず間違いないかと」
「どうしてよ!」
余りのマリンの剣幕にカニエスはたじろぐ。
「い、いえエレナ様達とガルドフ校長に加えてシルビア様が一緒になってどこかに行っていたのをクルド様が見ておられました」
「シルビア様? 確か以前父に紹介された時に大魔導士だと……――」
マリンの生誕祭にて、父であるマックス・スカーレットが顔を引き攣らせて紹介してくれたことを思い出した。
「――……王宮の客人としてしばらく滞在するという話でしたわね」
「え、えぇそうです。ま、マリン様、く、苦しいです!」
いつの間にかマリンはカニエスの胸倉を思いっきり掴んでいる。
「あらごめんなさい」
マリンはパッとカニエスを離すとカニエスはドッと落ちるようにして座った。
「それでそれがどうしたのよ」
「あのですね……――」
カニエスの話を聞いたマリンは徐々に眉を寄せていく。
「――……大魔導士シルビア様とエレナ達が一緒にあそこへ?」
呆けた様子で小さく呟いていた。
◇ ◆ ◇
「なんか後ろが騒がしいな」
教室の後ろのざわつきを感じたレインが振り返って見た。
「なぁアレって確かエレナの従姉妹だったよな?」
「あっ、ほんとだ。確かマリンだっけ?」
モニカも騒ぎの中心にいる人物が誰なのかを特定する。
「放っておきますわよ。関わっても碌なことにはなりませんもの」
エレナは声だけでそれが誰なのかを理解して、振り向くことなく教科書をトントンと整理して鞄に片付けていた。
「さて、今日が終われば明日は本番ですわ」
ニコリとレインとモニカに向かって立ち上がりながら微笑む。
「ああ」
「そうね」
そうしてレインとモニカもガタッと立ち上がり、すぐさま教室を出て行った。




