第 二百八話 潜在能力
「凄いじゃないか!」
「ちょっと。まだ離れててくれませんか?」
笑顔でニーナに話し掛けるアッシュをニーナは迷惑そうに、あからさまに嫌な顔をする。
「俺に出来ることはないか?さすがに任せきりにはできない」
「ありますよ」
「なんだい?」
「は・な・れ・て・て・く・だ・さ・いぃっ!」
大きな声でアッシュに声を掛けた。
途端にアッシュは呆ける。
「……何も、ないかい?」
「だから離れてくれることが一番だって!」
どうにも理解してもらえない。
彼我の実力差など、見てすぐにわかるほどなのに。
「くっ!」
「っと」
長話をさせてもらえるほどオーガにも余裕はなく、ニーナとアッシュが話している隙を狙って一直線に飛び込んで来た。
横に飛び退くアッシュに対して、ニーナは再びオーガの懐に飛び込む。
「筋肉を締めて出血を抑えたのね。さすが」
オーガの腹部の傷、流血は既に止まっていた。
「うーん、同じ手は喰らってくれなさそうだしなぁ」
となると決定機に欠ける。
拳を避けるニーナとそのオーガの背を見ながら、アッシュは一人歯噛みしていた。
ニーナ一人で戦わせている状況に情けなさが込み上げてくる。
「お、俺だって!」
勇気を振り絞り、剣の柄に手を掛けた。
「うおおおっ!」
「えっ?」
視界の端にアッシュの姿が目に入る。
「ちょ、ちょっと!」
アッシュはオーガの背後から剣を抜き放って斬りかかっていた。
「――は?」
だが、力一杯振り下ろしたその剣は、オーガの背にぶつけると同時にパキンと音を立てて真っ二つに折れる。
「まさか、剣が折れるだなんて……」
思わず両の手の平を見ては呆気に取られた。
「あぶないっ!」
「えっ!?」
振り向きざま、オーガは背後に拳を振り回すと、鈍い音がその場に響く。
「あぐっ」
「に、ニーナっ!」
ゴロゴロと地面を転がるニーナとアッシュ。
アッシュは起き上がりざまニーナを腕の中に抱きかかえた。
「ぐっ……」
「どうしてかばった!?」
「だ、だって、アッシュさんが倒れたら、お、お兄ちゃんが、責任感じちゃう、から……」
「だからって、ニーナが倒れたらヨハンくんはもっと悲しむだろう!?」
「だ、だいじょう、ぶ。あた、しは、つよいし、まだ、たたかえる…………」
ぐぐっとゆっくり身体を起こしながら持っている剣を地面に刺し、杖代わりに支えにする。
「むちゃだ!」
「だ、だーいじょうぶだって。言ってるでしょ、あたしは強いから」
しっかりとオーガを見据えた。
「そんなこと言って!フラフラじゃないか!」
「だねぇ。さすがに今のは効いたよ」
骨の何本か持って行かれたのは感覚的にわかる。
先程の瞬間、アッシュをかばうために無防備な状態でオーガの裏拳を身体の側面に直撃していた。
「グゥウウウ……――」
オーガはその二人の、否、ニーナただ一人の様子を観察する様にして見る。
◇ ◆ ◇
「(くそっ。まだモーズさんは回復しきらないのか)」
予断を許さなかったモーズは徐々に復調の兆しを見せ始めていた。
「あいつら……いよいよヤバいのじゃないの?」
焦りを抱くヨハンと同様に、ロロも不安気にアッシュ達を見ている。
「まだ、まだ大丈夫です」
「本当かい?」
「はい」
と口にはしたものの、実際的にはそう思えない。
祈る様に、今はニーナを信じるしかなかった。
今ここで最善の策は誰も死なさないこと。手応えとしてはもうあと数十秒もあればモーズの容体は安定する見込みがある。
「もうちょっとだけ粘ってくれ」
満身創痍のニーナを視界に捉えて、いつでも戦線に加われるように考えを張り巡らせていた。
◇ ◆ ◇
「アッシュさん?」
「な、なんだい? 俺になにか出来る事があれば遠慮なく言ってくれ」
「ええ。ここで遠慮なんてしませんよ。だからお願いですから離れていてください。今はアイツあたしたちの様子を見定めているから襲い掛かってこないですけど、逃げ腰の背中を見せたら間違いなく飛び掛かられますよ」
「で、でも、きみもそんな状態で何ができるって言うんだい?」
怒りが込み上げてイライラが募る。
いい加減にして欲しかった。
「おねがいですから言うことを聞いてくださいッ!」
「――ッ!」
ニーナの背中から発せられる怒声を聞いたアッシュは一歩後退りする。
「あたしは大丈夫ですよ。こんなことじゃ死にませんから」
「ほ、ほんとうだね?」
「モチロンですよ」
肩越しに振り返り、アッシュに向かって軽く微笑んで見せた。
その笑顔を見たアッシュは僅かに安堵するのと同時に、オーガを視界に捉えたまま背中を見せない様にゆっくりと一歩ずつ後ろに下がっていく。
「やーっと言うこと聞いてくれたぁ」
アッシュの足音がある程度遠ざかるのを耳で確認したニーナは小さく息を吐いた。
「さーて、実際どうしたものかなぁ。お兄ちゃんはまだこれそうにないみたいだし…………」
オーガの奥に見えるヨハンの姿を見て、未だに動く様子を見せないことから判断する。
「となると、やっぱりもう少し時間を稼がないといけないみたいだね」
明らかに不利に転じたこの状況。
アッシュには強がってみせたものの、脚に力が入らない。膝が微妙に笑うのを必死に堪える。腹部には猛烈な痛みを覚えていた。
「まったく。よくよく考えればあたしがコイツを独りで倒せれば何も問題なかったんだよねぇ」
今更考えても仕方がないことを考えてしまう。
「ハハッ」
思わず笑みが漏れ出た。
「懐かしいな、この感覚。いつ以来だろう?」
これだけの危機に覚えがないわけではない。
幼い頃、誰にも頼ることなく生きていた頃、危機に瀕することは一度や二度では済まなかった。
「そういえば、あの時ってどうしてたっけ?」
記憶の中に断片的に残っている当時の出来事。
思い出そうとするのだが、なにぶん幼過ぎる出来事のために全く記憶から掘り起こせない。
加えて、痛みから考えがほとんどまとまらない。
「あの時って誰にも負ける気がしなかったんだよねぇ……」
いつからそう思うようになったのか、いつの間にかそう思っていた。
「学校に入った時もおんなじだったけど」
流れで行き着いた冒険者学校。
突然戦うように言われた入学式では、勢いで全員倒してしまう。
「あー、でもお兄ちゃんはもちろん、お姉ちゃんもエレナさんも強かったなぁ。レインさんはもうちょっと頑張らないとダメだけど」
思い返す事ができるまだ記憶に新しい出来事。思わず笑みがこぼれる。
自分より強いと認める事ができたのは父以来。
『ニーナより強いヤツなどいくらでもいるからな』
ふと父の言葉が静かに甦って来た。
『うそだぁ』
『俺より強いヤツもいるぐらいだからな』
『え? お父さんより強い人もいるの? どんな人?』
『ああ…………いや、まぁそんなに多くはないがな。その辺の話はまた今度聞かせてやろう』
『ふぅん』
話半分で聞いていた当時のやりとり。
「お父さんの言ってたこと、ほんとだったしね」
しかし、それでもそのあとに聞いたアトム達の逸話、加えてヨハンを一目見た時に得た感覚がそれを事実なのだと、魔眼を通して何故か理解した。
「ま、どうでもいいかそんなこと」
深い息を吐いて今考えることでもないと判断する。
思考を放棄するのは、もう目の前にオーガが迫って来ていた。
「ガアッ!」
ニーナの動き出し、その様子を見ていたのだが、全く動く気配を見せなかったことからオーガの方から攻勢に転じていた。
「ニーナッ!」
思わずアッシュが大きく声を掛ける。
アッシュから見えるニーナはオーガの方を一切見ずに俯いていたので攻撃を見ていないように見えた。
「……えっ?」
だが、それから起きる出来事を、アッシュはただ見ているしかできなくなる。
声を発することすらない。一切介入できる余地はなかった。
「お姉ちゃんはもっと綺麗に避けてたなぁ」
振り切られる拳に対して柳の如くしなやかな身体の動きを以って躱す。
それは必要最小限の動き。
「グゥウウウウッ!」
立て続けに何度も拳を繰り出した。
だが、つかみどころのない、まるで木の葉を撃っているかのように拳圧を通して横に逃れられる。
「ゥガアッ!」
これまでとどこか雰囲気の変わったニーナ。
数撃の拳をいとも簡単に躱されたことで、オーガは次に水平に蹴りを繰り出した。
「…………」
ぼやける思考の中、チラリと視界の端に蹴りが飛んでくるのが見える。
「…………」
跳躍をしなければ躱すことができないので、ニーナは軽く跳躍した。
「ガアッ!」
オーガにとって絶好機が訪れる。
空中に身体を浮かしたことで身動きが取れなくなったところ、真っ直ぐに突き出された拳がゴアッと勢いよくニーナの頭部に向かって伸びた。
「…………」
そこへニーナは両の手の平を額に持って来て、オーガの拳を手の平で受け止める。
拳の勢いを利用して、そのままオーガの腕の上を手の平を軸にして前転した。
「ふぅ」
伸びきった腕の上に足を乗せ、オーガの片目に向かって軽く剣を一刺しする。
「ギャッ!」
ザクッと小さな音を立てるとニーナは突き刺した剣をグリッと捻じった。
「ふふふっ」
薄い笑みを浮かべて。
「ガアアアアアアッ!」
思わず片膝を着いたオーガは反対側の拳をニーナに振り上げる。
タンっと軽やかな跳躍をして、後方に宙返りをして躱した。
「グ……グゥウウウ…………」
オーガは膝を地面に着いたまま、片手の平を失った目に当てる。
地面に下りたニーナの剣先にはオーガの片目がえぐり取られていた。
「…………」
剣先に残ったオーガの目を見下しながら、同時にピシュッと地面に向かって剣を振るう。
「うふふ」
オーガの目を地面に落とした瞬間にグチッと音を立てるのはニーナが踏み潰しているから。
「グオオオオッ!」
それを残った片目で目にしたオーガは獰猛な咆哮、雄叫びを上げる。
「アレは……本当にニーナなのか?」
思わず目を疑うようなその光景。
いつもおちゃらけているニーナにしてはひどく残酷な行いに思えた。




