第百九十一話 閑話 再会
「父上、身体の調子はいかがでしょうか?」
カサンド帝国城、頂上にある一際広い部屋は豪華な寝所。
中央には大きなベッドが置かれ、そこにはカサンド帝国現皇帝であるマーガス・エルネライ帝が床に臥せていた。
「おおラウル。戻っておったのか」
皇帝マーガスは部屋に入って来たラウルの姿を確認するなりゆっくりと身体を起こす。
「(……かなりやつれたな)」
ラウルから見る皇帝のその見た目、記憶の中の皇帝の姿よりも遥かに痩せ細っていた。
幼い頃に何度も木剣を打ち込まれたその筋骨隆々としたその身体は見る影もなく、もう老体と言って差し支えない程度の見た目をしている。
「すいません。中々帰れなくて」
「いや、構わん。お前にしかできないこともあるのだからな」
「そうは言っても……」
苦笑いが出た。
仮にも帝位継承権第一位であることは今も尚変わらない。
「あの約束のことなら気に病むな。無論見届けてから逝くよな」
「…………」
返す言葉が見つからない。
まだ約束を果たせてはいない。
「そもそも約束を果たすのはお前ではなくアイゼンではないか」
「それはそうですが……」
弟である帝位継承権第二位のアイゼンはラウルとマーガスとの約束を知らない。
「それよりもすまんな。せっかく戻ったというのに儂が倒れてしまって。最近どうにも身体の調子が良くなくてな」
「そんなに良くないのですか?」
「ああ。どうやらそう長くないようだ」
皇帝は笑顔で答えているのだが、事前報告にあった通りの病状を見せている。
自分自身である程度の余命を予言するように、確信的に答えた。
「…………」
同時に、無理に笑顔を作っているのが余計に痛々しく見える。
「とは言っても今すぐにというわけでもないがな」
「……そうですか。自分にできることで何かありましたらいつでもお申し付けください」
そのために戻って来ているのだから。
「よいよい。お前には心苦しい思いをさせてしまっておる。剣聖という立場にありながらも帝位継承権筆頭者としての重荷を背負わせてしまっておるからな」
病に蝕まれた状態であっても、その眼差しの奥にはカサンド帝国の皇帝としてではなく、息子に対する気遣いが見られる。
「……父上」
僅かに口を開くことに躊躇した。
「どうした。難しい顔をしているようだが」
「いえ」
これだけやつれてしまった皇帝に更なる心労を負わせることになるのかと思案して目線を地面に落とす。
「(いや……やはり皇帝は皇帝、か)」
すぐさま落とした目線を皇帝に向けると、マーガス皇帝と目が合った。
そこには先程までの弱りきった父の姿ではなく、マーガス・エルネライ皇帝としての力強さを見せている。
外見上は老人然としていることに変わりはないのだが、その目に宿す力強さは頼りにする分には十分。
「遠慮などするな。申せ」
どこか芯のある太い言葉を向けられるとラウルは片膝を着いた。
「はっ。お疲れのところ申し訳ありません皇帝。皇帝にどうしてもお聞きしたいことがございます」
「お前がそれほどまでに深刻な顔付きをするとは。よほどのことだと推察する」
「あくまでも仮説にしか過ぎませんが」
「申してみろ」
それまで見せていた親子の間柄とは一変して、主従としての言葉がやりとりされる。
「はっ。皇帝は現在帝国のあちこちで起きている、小さな村の壊滅をご存知でしょうか?」
「ああ。それなら既に聞き及んでおる。だが帝国兵団に調査をしてもらっておるが、その原因は未だに掴めておらぬな」
それがどうかしたのかと言わんばかりにラウルの顔を見るマーガス皇帝。
「やはりそうですか」
「やはり、とは?」
ラウルの言葉に違和を感じたマーガスは僅かに眉を寄せた。
「もしかしたらですが、その原因になり得る可能性となる情報を得ました」
「ほぅ。帝都どころか帝国を離れていることの多いお前がすぐにそれに辿り着けるとは到底思えないがな」
「偶然得られた情報です」
ラウルの脳裏を過るのはアイシャを助けた村の出来事と、それによってヨハンからもたらされた話。
まだ断定はできないのだが、魔族の関与と尋常ならざるその魔道具の存在を疑っている。
「話してみろ」
「はい。実は帝都に戻る前に、偶然壊滅した直後の村に駆け付けることがありまして――――」
真っ直ぐにマーガス皇帝の顔を見て話し始めた。
そうして帰還する前にその目で見た出来事とヨハンから聞いた魔物を召喚することのできる笛の存在を話して聞かせることになる。
「――…………うぬぅ」
ラウルから話を聞いたマーガスは悩む様子を見せていた。
「その話、まことか?」
「確たる証拠はありませんが、そのヨハンという子どもはアトムの息子です」
「あの無茶苦茶しよる小僧か。確かに嘘がつけない小僧だったな」
過去、ラウルに紹介された時のことを思い出す。
「だがしかしいくらアイツの子と言えど、所詮子どもの言っておることだろう?」
果たしてその話を鵜呑みにしてもいいものかどうか。
「はい。そこに関しては現在証明することはできませんが、自分がシグラムでローファス王や周辺の者と話して得た印象としては、ヨハンはシグラムで相当な信頼を得ていると判断出来ます」
「それ程か?」
「はい」
「なるほど。お前がそれだけ断言するのだから信じる価値はあるか…………」
ラウルの迷いのない返答を受けたマーガス皇帝はそれまでの疑心を一度胸の中にしまう。
「……フム。わかった」
目の前の息子がそのような嘘を吐く理由も見当たらない。
「それで、その笛は魔素を溜め込むのだったな?」
「はい。人の死が多く生まれる場所には自然と魔素が満ちることになりますので」
「なるほどな。状況から考えてみてもその可能性は大いにあるか」
マーガス皇帝は顎に手を送り、再び思案した。
「だが、それで問題になるのは……そのシトラスという魔族か。魔族とはまた珍しい者が出たものよな」
「どうにも神出鬼没のその魔族です。シグラムを国家転覆に貶めようとしたことからしてももしかすれば……――」
「同じように帝国内部に謀反者がおるやもしれない可能性があるということだな?」
「はい」
ヨハンからその情報を得ていなければその可能性に気付くのが遅れていたかもしれない。
いや、そもそも考えすらしなかったかもしれない。
「わかった。水面下で信用出来る者にそういった方向からの調査もさせよう。戻ってそうそうに貴重な情報をすまんな」
「いえ、本当に偶然知り得た情報でございますので」
「そうか」
片膝を着いたまま小さく顎だけを下げる。
「それで、もうあの子らには会ったかの?」
一通り話し終えた後、マーガスの声の調子がいつもの柔らかな口調に戻り、ラウルもスッと立ち上がった。
「真っ直ぐにこちらに赴きましたのでまだ会っていません」
小さく笑みを浮かべて返す。
「そうか。儂のことなどあとで良いのに」
「そんなわけにはいきませんよ」
「律儀なやつだな。それにアイゼンはともかくとして、カレンとルーシュはお前に会いたがると思うぞ」
「このあと顔を見に行きますよ」
「お兄様!」
そこでドンっと音が響き、寝室のドアが勢いよく開かれた。
「こんなところにいましたか!」
「カレン?」
銀髪を揺らしながら白のローブ姿の女性がずかずかと歩いて来てはそのままラウルに顔を近付ける。
ドアから入って来たのはラウルの妹であるカレン・エルネライ。
「帰って来ていらしたのにどうしてわたしに会いにきてくださらないのですか!?」
その目尻には微かに涙が滲んでいた。




