第百八十六話 待ち人来たりて
長い廊下。
周囲に庭園がある帝国城内のその渡り廊下を、カサンド帝国の紋章が入った兵士が慌てて走っている。
「アイゼン様!」
廊下の中頃、兵士は前を歩く二人の男、金色で髪の長い男の方に声を掛けた。
「どうした。そんなに慌てて」
声に反応して振り返ると、兵士の慌てた様子に疑問符を浮かべる。
兵士は片膝を着いてアイゼンの顔を見た。
「それが、ラウル様が帝都にお戻りになられました!」
「兄上が?」
「はい。街の入り口にて姿を見かけたと報告が」
僅かに唇の端を歪め、小さく息を吐く。
「へぇ。それで今はどこにいる?」
「どうやら孤児を連れて孤児院に行っている様子で、直に城の方に戻られるかと」
「そうか。わかった。報告ありがとう」
「ハッ!では失礼します」
兵士は立ち上がり、来た道を戻っていった。
「如何なさいますか? アイゼン様」
アイゼンの後ろに立っていた赤と白の混じった毛色をした背の低い年老いた男が口を開く。
「如何も何も、いつも通りだよベニオス」
「ではすぐに会議の準備を進めさせていただきます」
「ああ」
アイゼンが立ち止まる中、ベニオスが廊下の奥に歩いて行った。
「まったく」
アイゼンは渡り廊下から庭の方に身体を向け、太陽を見上げて目を細めながら再び息を吐く。
「普段帰って来ないくせに、どうしてこういつもいつもいらぬ時に帰って来るのやら」
目線を太陽から下ろした。
そうして反対側。聳え立つ帝国城の頂上付近をチラリと見る。
「父上のあの容体からしてそう長くない。だから帰ってきたのだろうか……。それとも……――」
カツカツと音を鳴らして廊下の中を歩き始めた。
アイゼンが建物内に姿を消した後、庭園の茂みがガサガサと揺れる。
「ねぇティア。今の聞いた?」
茂みの中からひょっこりと銀髪の女性が顔を出してアイゼンが姿を消した通路の方を見た。
「ええカレン。お兄さんが帰って来るみたいね」
隣にいる小さな存在。
背に羽のある青い髪で人の形を成した何かがカレンの肩に乗る。
「兄さんが帰って来る…………」
頬を伝う長い銀髪を右手でこねながら笑顔で反対側の手、左手をグッと握り力を込めた。
「そういえばティアは兄さんに会ったことないわよね?」
「うん。カレンがボクを安定して呼び出せるようになってからはカレンから話に聞くだけよ」
「……どうしよう」
カレンは髪をこねていた指をそのまま唇に持っていき、思案する。
「ならいっそ先に会いに行くとかは?」
「えっ?」
「どうせどうやってボクを紹介しようか悩んでいるのよね。ボクにはカレンのことはわかるから」
「ええ。その通りよ」
「だったらこっそり会いに行って驚かせてみたら?」
「…………なるほど」
一瞬呆けた様な反応を示したのだが、すぐさま笑みを浮かべたカレンは立ち上がった。
「ナイス提案よティア!そうよ!面白いわねそれ!」
「でしょ?」
カレンの肩から羽を動かしカレンの顔の前に浮くティア。
「急に姿を見せてびっくりさせて、それからあなた、ティアを紹介させて二度びっくりさせてみせるわ」
「ウフフ」
二人で笑みを浮かべる。
「でも、本当に好きなのね。そのお兄さんのこと。ボクにはそういう感情あんまりよくわからないからねぇ」
笑みを浮かべながら呆れるような声をティアが発した。
「ええ。でもティアも知っているでしょ?」
「まぁね」
目の前を浮くティアの容姿に視線を向ける。
「精霊に性別なんてないものね。こうして見ると、可愛い女の子にしか見えないもの」
「見た目で判断されることはあるみたいだけど、そもそも見える人がそんなに多くないっていうね」
「あっ、もし兄さんに見えなかったらどうしよう?」
「それは大丈夫よ。カレンのお兄さんでしょ?血縁者には魔力の有無に限らず見えるから」
「そっか。それもそうね。それにしても、ほんと兄さんは滅多に帰って来ないのだから困ったものね。私が小さい頃はあれだけ帝都にいたのに」
「カレンももういい大人なのに兄離れしないのね」
ティアは白の衣装を身に纏ったカレンの起伏のある身体つきに目を向けた。
「アイゼン兄さんとはちゃんと公私を使い分けているでしょ」
「使い分けているというか、使い分けられているというか」
「そこはいいの。それにラウル兄さんとはたまにしか会えないのだし」
カレンは微妙に頬を膨らませてティアから顔を背ける。
「そういうものなの?」
「そういうものよ」
「ボクにはそういうこともよくわからないからさ」
ティアは首を傾げた。
「それはそうと思っておいて」
「わかったよ」
「それより、確か……孤児院って言っていたわね」
「うん」
「じゃあティア。また後で呼ぶから」
ティアに向かって手を差し出し、その手にティアがそっと乗る。
「うん。ボクもカレンのお兄さんに会えるの楽しみに待ってるね」
カレンの前のティアはポムっと小さく音を立てて姿を消した。
「兄さん、どんな風にして驚くかな」
口角を上げた意地の悪い笑みを浮かべたあと、目尻を下げた満面の笑みに変える。
そのまま眼下に広がる街中に向かって走り出した。




