第百七十六話 不穏な噂
カルの町を出た後、帝国への進路は西に向かって順調に進んでいる。
『ほぅ。やはりニーナは魔眼を持っていたのか』
『やはりって?』
『ん? あぁ……いや、そういうこともあるなという程度だ』
宿を出る時、魔力を見通せるニーナの魔眼のことをラウルに話した時の反応が妙に気になったのだが、自分にはわからない何かがあるのだという程度に考えた。
『魔眼って、ほとんどが生まれつきなんですよね?』
『大体はそうだな。ただ極稀に何かしらの影響を受けて魔眼を得る場合もあることはある』
そもそも魔眼などというものは先天性のものが大半。後天的には死の淵に瀕することや魔素に充てられたりなどの特殊な事情があれば得ることがあるのだとかなんとか。
ニーナの魔眼は対象の魔力の大きさや色がぼんやりと視えるというものらしいのだが、実際のところはニーナ自身にしかわからない。
他の魔眼には幻惑を魅せたり、特定の魔眼持ち同士で念話みたいなことができる者もいるのだと。
授業でも習ったその内容を思い出しながら馬車は進んでいく。
そうした中、途中で野営や街の宿を取りながらもう既に国境付近に来ていた。
「それにしても何も起きないなぁ」
「何も起きないに越したことないじゃない」
ニーナが何を期待しているのか、苦笑いしながら答える。
確かに代わり映えの無い景色、外を眺めることに飽きてしまうのはわからないでもないが、のんびりとした旅を過ごすのも悪くなかった。
「っていうか、僕には色々起きてるけどね」
とはいっても何も起きていないわけではない。
「あのさ、いい加減僕のベッドに潜り込むのやめてもらってもいい?」
「えー?だってお兄ちゃんの布団温かいんだもん」
悪気なくニカっとはにかむニーナを見て呆れてしまう。
最初は驚き困惑してしまったのだが、日が進むごとに慣れてしまうのは、宿を取る度に朝を迎えるといつの間にか隣にはニーナの寝姿。
『ちょ、ちょっとニーナ!?なにしてるの!?』
思わず飛び起きてしまった。
確認しても確実にヨハンは自分の布団にいる。ニーナの方から入ってきていた。
『うぅん? ぉはよぅ……おにいちゃん……――』
『いや……おはようじゃなくて…………』
目元を擦りながら身体を起こすニーナ。
衣服の乱れがあり、どこに視線を向ければいいのかわからなくなる。
『ふわぁ。よく寝た』
『……それは良かったね』
そのあとで聞いた話なのだが、寮でも同じように同室者のベッドによく潜り込んでいたらしいので、ただの癖なのだと理解した。
さすがに野営の時まで近くに寄って来るということはないのだが、宿を取って部屋が一緒になる度にこの状態。
「で、聞いてる?」
「そんなことより、みんな今頃何してるのかなぁ?」
「そんなことって……」
ニーナは遠くを、見えるはずのない山脈の向こう側にあるシグラム王国の方角を眺める。
「気になるならやっぱり残ってた方が良かったんじゃない?」
「ううん。そんなことないよ。ただこう何もないと暇だなぁって」
外に伸ばした足をゆらゆらとさせ空を流れる雲を見つめた。
「ねぇラウルのおっちゃん」
「ん?」
「まだ着かないの?」
「そうだな。この辺りの景色の様子だと……――」
ラウルは周囲にある山に視線を向ける。
「もうすぐ帝国領に入るぐらいだな」
「帝国に入ったあとはどうするんですか?」
「特に変わらないさ。そのまま真っ直ぐ帝都を目指すだけだな」
「じゃあどっちにしろ暇じゃん」
ニーナは大きな溜息を吐いた。
ラウルの説明によると、この先には国境に当たる関所があるらしい。
関所を越えるとカサンド帝国に入国することになる。入国手続きはギルドカードで出来るらしいので冒険者や商人は比較的楽に行えるとのこと。
現在カサンド帝国は比較的裕福な国なのだが、数十年前までの戦時中には北の方の関所へ難民が入って来ることがあったとか。
今はその北の国、戦争を仕掛けられていた国に勝利して帝国領として統治されている。
そうした話をしながらそのまま街道を走って行くと、徐々に周囲に同じような馬車が複数見られ始めた。
目の前には大きな関所が見えてくる。
「結構人が多いんですね」
「ああ。ここは国境付近だし、商人や冒険者の出入りが多いからな」
着いた街は関所街ドレイドという街。
シグラム王国との国境に当たる関所なのだが、その管轄はカサンド帝国が行っているのだという。
「ではちょっと待っていてください」
関所に着くと、ロブレンが入国手続きと荷の確認をしに行った。
ヨハン達がいる場所からは見上げる程の、まるで城壁かと思えるような建物しか見えないのだが、関所を潜るとそこには大きな繁華街が広がっている。
そこかしこで屋台が客引きをする中、立ち止まる者や通り過ぎる馬車に装備に身を固めた冒険者達が立ち話をしている姿などが見られ、大いに賑わっていた。
その中をロブレンが引く馬車はゆっくりと進んでいく。
「戦争だとか言ってましたけど、今は平和なんですね」
「まぁ以前は小さな国がいくつもあったしな」
「そういや平和っていやぁ、さっき関所で妙な話を耳にしたんすよ」
荷台を覗き込みながらロブレンが声を掛けて来た。
「妙な話?」
「はい。どうも帝国のあちこちで村が壊滅しているらしいって。それで気を付けるように言われたんすよねぇ。まぁ別に小さな村には用事がないので立ち寄ることはないんですけどね」
「村が壊滅?」
ロブレンの話によると、関所の役人達に忠告された内容。
情報収集も兼ねて詳しく尋ねたところ、帝国内であちこちに点在している村、村民が数十人規模の小さな村々が丸ごと焼け落ちているとの話。確認できているだけでもその数がもう十前後にも上るのだという。
最初は火事でも起きたのかと思われたのだが、それはすぐに覆された。
火事の割には生存者が誰一人といないことと、焼け落ちているのが家屋と周囲のいくらかの木々のみ。それだけの火災が起きたのならもっと延焼していてもおかしくない。
「それはつまり、野盗か魔物が出ているんですか?」
普通に考えれば、可能性があるのはこの辺り。
「その可能性はどちらも否定できないらしいっすね」
いくらか荒らされた形跡があるらしいのだが、そもそも小さな村。蓄えなど微々たるもの。
しかし、野盗にしては徹底的なまでに壊滅させられていることがどうにも疑問を払拭できないのだと。
「……そうか。わかった。すまんが止めてくれないか」
「えっ? はい」
ラウルの言葉を受けてロブレンが馬車を停めると、ラウルは地面に下りた。
「ラウルさん?」
「いや、今の話が気になるから領主のところに行って情報を集めてくる」
「わかりました」
ラウルの言葉に軽く返答をする。
そうしてすぐにラウルは人混みの中に姿を消していった。
「やっぱりラウルさんも気になるんだね」
「だねぇ。そりゃ自分の国にそんな原因不明の災害が起きてたら気にするよねぇ」
「ってことは旦那は帝国の生まれなんですね。で、旦那はどこにいったんですかい?今領主のところって聞こえた気がするんですけど」
「だから領主のところなんじゃないんですか?」
ヨハンの言葉を受けてロブレンはきょとんとする。
「いやいや、いくらA級冒険者とはいえ領主に簡単に会えるわけないじゃないですか」
「でもラウルのおっちゃん継承権を持ってるよ?」
「継承権って、どっかの貴族の方なんですかい?そりゃあ貴族の三男以降で実力者は冒険者になることもあるみたいですけどねぇ。でも、それでもいきなり訪問して領主になんて会えないでしょ」
笑いながらロブレンが答えるのでヨハンとニーナは顔を見合わせた。
「いや、貴族じゃなくて皇族みたいだよ?」
「……へ?」
ニーナの言葉を受けたロブレンは再びきょとんとする。
「ぷッ……わはははははははは――――」
直後、盛大に吹き出した。
「どうして笑うのさ!」
「ぷくくっ。すまんすまん。いやいや、だってお嬢ちゃん。冗談にも程があるだろ。っと、おっとすまない。あまりにもぶっとんだ話に思わず口調が戻ってしまいました」
ラウルが帝位継承権を持っている話しは別に隠している話ではない。広がり過ぎるとめんどくさくなるだけなので敢えて言わないだけ。
「ほんとなんですけどね」
「坊ちゃんまでそんなこと言うんですかい?あんまり大人をからかうもんじゃないっすよ。大体、そんな凄い人が自分なんかの馬車を護衛するわけないじゃないですか。それも冒険者だなんて」
ロブレンの言っていることもわかる。
しかし、旅を共にするのだから驚かないように予め伝えているはずなのだが、ロブレンには一向に信じてもらえない。
「まぁ、別にいっか」




