第百五十三話 決着
ラウルはヨハン一人で巨大飛竜に対して向かわせたのは決してこの場で天弦硬を完成させろという意図を込めていたわけではなかった。これまでのヨハンの力でも倒せたという判断。
しかし、ヨハンからすれば自身の力が通用しなくなった現状、それを成し遂げることがこの場を打開することだと理解する。
そして実際にそれを成し遂げた。
「ったく、俺がアトムに教えてもらった時はもう少し時間が掛かったけどな」
呆れるように小さく呟くラウル。
結果的にラウルの誤算とヨハン自身の勘違いがまだ未熟であれど、天弦硬と呼んで差し支えない程度に使用できるほどまで引き上げる。
「グギャアアア……――」
目の前で目まぐるしく動き回る小さな身体をワイバーンは捉えきれない。
それどころか頑強な身体にいくつも切り傷を付けられていき、呻き声を上げていた。
ボロボロの穴あきだらけの翼に、本来ならば切り傷など付けられようもないほどの頑強な鱗が傷だらけ。
最初に見せた脅威もどこにいったのか、それがもう見る影もないほど。
「ガ……ガァッ……――」
今にもこと切れそうな深い息を吐いているワイバーン。
「なぁ。あいつ、本当に勝っちまうのか?」
「……すご……い」
魅入る様にヨハンの戦いの最後を見届けようとする学生達。
いつの間にかその周囲には避難誘導に加わろうと姿を見せた兵士たちに加え、野次馬に来ていた王都の住人たちもいた。
「これで、終わりだっ!」
そうした中、トドメを差すためにヨハンは軽く跳躍して闘気を腕先に練り上げる。
短い時間ながらも天賦の才で天弦硬を使用する感覚を得た。まだ十分ではないにせよ、この一撃で頭部に剣を突き刺せば倒せるはず。
「ガアァァァァァッ!」
「えっ?」
次の瞬間、ブンッと身体を包み込む光を放つのは飛竜の方。
最後の抵抗、竜種としてせめてもの意地。目の前の小さな存在を道連れにしようと最期の魔力を練り上げた。
「――ッ! しまった!」
この気配はダメだ。少なくとも防ぎきれない気配を出している。
しかもヨハンの背後には王都がある。大勢の人がそこにいる。
「マズいッ!」
一瞬の油断が命取りに直結する。
「――くっ!」
その様子を見ていたラウルが剣の柄を握り駆け出し声を上げるのだが、それより早く動いていたのはエレナ。
「はああああッ!」
持っていた薙刀を目一杯飛竜の顔面に目掛けて投擲した。
ギュンッともの凄い勢いで風切り音を上げる薙刀は飛竜目掛けて真っ直ぐに飛び、ドスンとワイバーンの目に深々と刺さるのだが、同時にゴトンと音を立てて地面に落ちるのはワイバーンの首。
直後、ヨハンが地面に着地すると同時に膝を着いた。
「今の……エレナ?」
地面に落ちたワイバーンの目に刺さっている見覚えのある薙刀を見て振り返りエレナを見た。
「凄いなエレナは。僕よりも早く天弦硬を使えてたんだ」
薙刀は仄かに青い光を放っている。その光りに見覚えがあった。
それは以前朦朧とする意識の中で見た、サイクロプスとの戦いの時にエレナが見せていた闘気が武器へ伝わっていった光りに他ならない。
今もあの時もエレナは意図して使えたわけではないのだが、ヨハンにもエレナにもそれはわからない。
「そっか、どうやら僕はみんなに心配をかけていたみたいだね」
途切れ途切れの息を切らせ、心配そうにしていたエレナと目が合うと同時に身体中から力が抜ける。
エレナだけでなく、そこには口をあんぐり開けているレインや駆け出そうとしていたモニカも見えた。
「結局僕一人ではまだ満足に戦えなかったな」
小さく息を吐いて落ちた飛竜の首の横、そのまま地面にゴロンと仰向けになった。
「なるほど、これが天弦硬の反動か……。ははっ。ダメだ、全く動けないや」
全身に猛烈な痛みを得る。
初めて闘気を全開にして戦ったビーストタイガーの時とは比較にならない疲労感に襲われた。
同時に今の状況を思い返す。
エレナはワイバーンが最期のあがきをみせたので必死に薙刀を投げた。ヨハンはヨハンで決死の状況を打開するために天弦硬の使用、より威力と速度の底上げをするために無意識と意識的の狭間でその比率を上げた。
それが結果的にワイバーンの頸を落とすことに成功しているのだが、咄嗟の判断だったので後のことを考える余裕などない。
「ダメだな、まだまだ全然足りないや」
加勢をしたエレナを責める気はない。
それが今の自分の実力なのだから。むしろ仲間を心配させることになったことを反省しなければいけない。
「課題は山積み、か」
これからもやるべきことが多くある。
「ごめんねエレナ。それにレインとモニカも……――」
慌てて駆け寄って来るエレナ達を視界に捉え、聞こえていない謝罪を口にすると同時にあまりの痛みに堪えきれなかったのでそこで意識を手放した。
直後、ヨハンが意識を失くした途端に湧き起こったのは割れんばかりの大歓声。喝采が巻き起こる。
それはその場に居合わせたほとんどの者の声。
ヨハンの戦いを見届けた学生達と騎士達に加え、事態を聞いて応援に駆け付けた兵士や野次馬の住人達。
「まさか……本当に単独で撃破するとはな」
最後のエレナの助太刀などアマルガスからすれば到底助太刀にはならない。
人間において天災に分類されるその竜に対して単独撃破、討伐したその出来事はアマルガスを中心とした騎士達を呆然とさせ、一部始終をただただ眺めるしかできなくさせた。
「あいつすげぇっ!」
学生達もまるで夢でも見ているかのようなその状況に魅入る。つい一時間まえには予見もできなかった。
他の学生達は興味本位面白半分で騎士にボコボコにされる姿を見る筈だったのだが、ただ騎士に勝っただけではなく、突然現れた巨大飛竜に向かって走り出した。どういうつもりなのかもわからないまま意味も分からず戦い始め、思考が追い付かない程の手際で巨大飛竜の首を斬り落としたのだから。
「はぁ。あなたはここまで見越していたのですか?」
「いや、まさかそんなはずないだろう」
隣に立つラウルに話し掛けるシェバンニ。
その表情からは困惑と呆れが窺えた。
「では詳しい話はまた後で。学生達を収める為に今から私は少し忙しくなるのでゆっくりと話す時間がありません」
「ああ」
そうしてシェバンニは学生達の方に向かって歩いて行くのだが、数歩歩いたところで立ち止まる。
「逃げないでくださいよ?」
後ろ姿のまま肩越しにラウルを睨みつけた。
「ハハハッ、逃げるわけないだろう」
シェバンニは再び学生達の下に向かって歩いて行く。
軽く返事をしたものの、実際は逃げようかとも考えていたラウル。それは先程ラウルに向けられたシェバンニの目、そこには明らかに怒りが含まれた目であった。
そうして湧き起こる歓声がしばらく続く。
その歓声は剣聖ラウルが姿を現した時の比ではなかった。剣聖ラウル以外にこの場で竜を単独撃破できる存在をこの目に出来たことへの感動から来るもの。
そこかしこで多くの声が沸き起こる中、笑顔で涙を流している少女が一人。
「(きゃー、ヨハン君カッコいい!めちゃくちゃカッコいいよぉー!)」
と、サナは一人その場で口に両手を当て、何度も飛び跳ね一人違う意味で興奮していたのであった。
少しの時間が経ち、騎士や学生達が落ち着いた頃、騎士と学生達は首を斬り落とされた飛竜に近付く。
あまりにも大きなその体躯に若干の恐れを抱き、同時にそれを成し遂げたヨハンに凄みを覚えた。
「さて、せっかくです。竜種の素材回収の仕方も覚えておきましょう」
普段と変わらない様子を見せながら学生達に指示を出しているシェバンニはそのまま素材収集の処理を行っている。いつも通り振る舞うのも、教え子であるヨハンがどうこうでいちいち動揺や困惑をしていては学生達に影響を及ぼす。普段以上に平静さを保っていた。
それに、例え飛竜だとしても、竜の死骸を処理してその素材を剥ぎ取るなどの貴重な経験は上級の冒険者でもない限り中々できない。
その貴重な経験を今は騎士と学生が共同で作業を行っていた。
「チッ、くそ。どうして俺があの野郎の後始末なんかしなけりゃなんねぇんだ」
「仕方ありませんよゴンザさん。あいつがあんなに強いだなんて思ってなかったっす。それにこのあと竜の肉を食べさせてもらえるんですからお得ですよ!」
「くそがっ!」
ゴンザもヤン達と共にしぶしぶ素材回収作業を行っている。
巨大飛竜の死骸から離れたところにはラウルとアマルガスがいて、他にはヨハン達キズナの他にサナとユーリ、加えてスフィアといったキズナのことを知っている者たちが集められていた。
治癒魔法を施してもらい身体を起こしたヨハンにラウルが身内は誰なのか尋ねたのでこのメンバーが呼ばれている。
ユーリとサナの仲間であるアキとケントはヨハン達の事情にそれほど詳しくなく、又、二人して飛竜の処理に参加したかったのでこの場にはいなかった。
そこでラウルが口を開く。
「アマルガスよ」
「はい」
「とりあえずこの件、報告書を上げるよな?」
「もちろんです。例え私が上げなくとも、これだけの人数が目撃しているのですから何も隠す事はできませんよ」
「……だよなぁ」
アマルガスは今なお信じられないといった表情でヨハンを見ていた。
飛竜を単独撃破できる人間など世界中見渡しても多くない。救われたのは連れて来た騎士が模擬戦で惨敗したことなどもうどうでもよくなる程の出来事が起きていること。
「では私はこれで失礼します。後のことはスフィアから詳しく聞きますので」
アマルガスがチラリと視線をスフィアに向けると、スフィアは小さく首肯するのだが内心穏やかではない。
「(どうして私が……)」
これだけの事態の報告書を上げなくてはならないのか頭が痛くなった。
「それで、ヨハンどうして剣聖ラウルと知り合いなのよ」
不意にモニカが質問をする。
「えっ!? いやいや、僕もこの人が剣聖だっていうことを今日知ったところだよ?」
剣聖だということは全くもって知らなかった。
毎朝鍛錬に付き合ってもらっており、その実力が桁違いに凄いのは知っていた。
あれだけの実力者なので、改めて剣聖だと言われて考えてみてもなんら不思議ではない。
「(この人が剣聖かぁ)」
ヨハンからすれば、その実力者が結果的に剣聖であっただけのこと。
むしろ最強の一人に数えられる人物、その強さ、最強の一角に触れられたことを素直に嬉しいとさえ思っていた。
「そうなんか? てっきり俺はまた、お前の必殺びっくり箱が発動したのかと思ってたよ」
レインが驚かなかったのはヨハンに関連することに対して耐性がついていたから。もう何度となく驚かされ続けた。
「とりあえずどこかで落ち着いて話の整理をしなければいけないみたいですわね」
「あんた、確かエレナ王女だったか?」
「はい。ご無沙汰しておりますラウル様」
貴族としての一礼をしてラウルに美しい笑みを向ける。
◇ ◆ ◇
その日、ヨハンの噂は学内に止まらず王都中に広まった。
スフィアの報告書を待つことなくその噂、目にした者達から騎士団内部でも広まるのだが、直接目にしていないものからすれば簡単に信じられるはずがなく一笑に付されることもある。
だが、一部ではそれを疑うことなく信じる者もいた。
「へぇ。前のサイクロプスの件といい、早くも頭角を現して来たみたいだね」
「まだ彼らは学生です」
「実力のある者に年齢など関係ないというのは私もキミも知っているだろう?」
「……はい」
信に足る部下であるスフィアの報告書を受け、目を通す騎士団第一中隊長アーサー・ランスレイ。
「これだけの逸材だ。いつか顔を見られる日が来ると嬉しいな」
小さく笑みをこぼしていた。
◇ ◆ ◇
「どうだ、ミライ。儂の見る目に間違いはなかっただろ?」
「よく言うよお師様。一度は見限ろうとしていたのに」
「ハッハッハ」
鍛冶師ドルドとその弟子である見習い鍛冶師ミライは噂が巡って来たところで、サイクロプスに続いて巨大飛竜の討伐とかどんだけ、と笑いながら話していた。
「彼等なら近い将来本当に物凄い素材を持って来るのではないか?」
「かもしれないですねぇ」
と期待に胸を膨らませるが不安も残る。
「(儂、忘れられてないよな?)」
と少しの不安も含めながら。
◇ ◆ ◇
そして当然ローファス王とジェニファー王妃の耳にも入る。
ローファス王は報告を聞くなり引き笑いをするほどに爆笑していた。
「ヒィ、ヒィ。さすがアイツの子だ。やらかしおるッ! 早く俺のところへ直接報告しに来させろ!」
「まったくあなたは。もう少し国王らしくしてください」
と、近衛隊長ジャンに何度も催促していたのをジェニファー王妃に宥められることになる。




