第百五十一話 一人だけの戦い(後編)
ラウルは両腕を組んで落ち着いた様子を見せてその場に立っている。堂々とした佇まいからは威厳すら感じさせた。
だが、内心では一種の焦りが生じている。
「(おかしいぞあの飛竜。今ので両断できないのか?)」
ヨハンが首を落とす判断をしなかったことを訝し気に見ていた。
「マズいな……」
ラウルの目算ではどういう方法を用いたとしても、飛竜を地上に引き摺り下ろすことに成功すればあとはヨハンの闘気の練度であるならば両断することは容易いと見込んでいた。もっと簡単な戦いだと。
それが思っていた以上の硬度を誇っている。
最初はヨハンにその発想がないのだと思ったのだがすぐに考えを改めた。両断しなかったのではなくできないのだと。
「ただの飛竜にあれだけの強度があるか? いや、ないな。となるとやはりあれはただの飛竜ではないということだな。あの大きさにしてもそうだが、一体どういうことだ? あれではまるでコルセイオス山に棲息しているヤツのようではないか」
組んでいた腕の手をそのまま顎に送った。
思案気にかつて訪れたことのある竜峰コルセイオス山を思い出す。
「なら倒すためにヨハンはアレを出すしかないな。確かにアレの使い方は教えたが、戦いの中でできるかどうかはまた別の話だからな」
そのままラウルも覚悟を決め、剣の柄に手を添えた。
いつでも加勢に入れるように決断する。
◇ ◆ ◇ ◆
「グラァァァァァ」
「ぐぅっ、やっぱり硬い」
何度となく迫り来る飛竜の首を躱しながら体皮を斬りつけるのだが、薄皮を斬る程度。
そうして僅かに息を切らすのは、決して劣勢になっているわけではないが決定打に欠けていることから。
「飛竜でこれだと、上はもっと硬いんだろうな」
そう考えるのは竜種全般について。
竜の鱗は素材として貴重なのは言うまでもない。理由は単純、その硬度と強度が圧倒的であり、個体数が少ないのもあるがなにより討伐難易度が尋常ではない程に高い。
他にも食料としてもその肉は蕩けるように柔らかく、格別の高級品であるというのもあり、およそ平民では一生に一度も食べられない程であったが、あくまでもそれは付加価値。
「こうやって戦ってみると僕もまだまだだなって実感するな」
それでも飛竜は竜種の中でも下位に属していた。
そうなると竜種の最強である漆黒竜と停戦協定にこぎつけたと云われる、伝説に謳われている両親の実力が遥か遠くに感じる。
現状まるで届かない。
「あの父さんがこれよりももっと強い竜を倒したっていうの?」
一体どうやって、と疑問に思いながらもそんなことは今関係ない。
「僕には僕ができる戦い方をするだけ」
父からは剣技を、母からは魔法を幼い頃から教わって来た。
確かにそれが基礎となっているが、それだけではない。もっと多くの経験を積んでいる。つい今しがた知った事実だが、剣聖ラウルにも師事を受けた。
「あの竜の首を落とすには、要はあいつを上回る攻撃力を生めばいいってことだ」
既に闘気と併用した魔法剣は使用してみていた。魔法剣としての効果は多少あったが、闘気と併用すれば魔力の消耗が激しい。長期戦を見越すならなるべく使いたくはない。
つまり、これまでの戦い方のままならばこの巨大飛竜にはとても勝てたものではないと判断する。
「さすがラウルさん。ここまで見越して僕一人で倒してこいって言ったんだろうな」
ここから先の戦い方をどうすればいいのかということは知っている。
それは戦いの強度を上げること。それが目指す道、頂きである最強に繋がっていた。
ヒリつく感覚が背筋を寒くさせる。失敗すれば命はない。
一方的な形勢というものばかりでは戦局を読み取る力は身に付かない。それは怠慢で傲慢。
目の前のワイバーン自体がその良い証拠。ワイバーンからは困惑が窺えた。
蹂躙する対象である人間からの抵抗。それもたった一人だけによる抵抗を受けている。たったそれだけのことだけなのだが、戸惑わずにはいられなかった。
『これは使いどころに気を付けるんだな』
『はい』
「諸刃の剣、か。 いつの間にか僕も現状に随分と甘えてしまっていたようだね」
使わなくとも倒せるかもしれないと、安全圏に身を置いていた。甘い考えに首を振る。
脳裏を過る言葉を考えるのだが向上心を損なったつもりはない。
「――……あっ!」
目の前に影が覆い被さる。
飛竜の尾がヨハンを押し潰すように振り下ろされていた。
「くっ、間に合わない!」
ドンッと重量感のある音を響かせ、同時に尾が叩いた地面が広範囲に円形状に砕かれヨハンはワイバーンの尾に押し潰される形となる。
◇ ◆ ◇ ◆
「ヨハンッ!? お、おいっ!早く助けにいかねぇと!」
「いえっ!」
飛竜の尾に押しつぶされたヨハンを見たレインが慌てて駆け出そうとするのをエレナが腕を水平に伸ばして制止した。
「だ、大丈夫ですわ。まだ……まだ大丈夫ですわ」
薙刀を握る手にグッと力が入るエレナ。
「けどよぉ!」
「ええ。今のは間違いなく躱せなかった……直撃したわね」
モニカも焦りを覚えているのだが、本当ならエレナの気持ちもレインとモニカと同じ。今すぐにでも駆け付けたい。
だが、横目に見るラウルとシェバンニが未だに動く気配を見せない。つまりそれが指し示すことはまだ慌てるような事態ではないということ。
「(……恐らく、そのはずですわ)」
とエレナは見ているものの、シェバンニは内心先程の攻撃を受けたヨハンを見て判断を誤ったかと自問していた。
「(今のは……いくらなんでもかなりのダメージを負っているはずです。それなのにラウルはまだ動かないつもりですか?)」
それはエレナ同様、シェバンニも同じ。ラウルが動こうとする気配を見せないことから援護するかどうかの判断をしかねていた。
ただし唯一エレナ達と違うこととは、ヨハンがあの一撃程度では死なないという見解を抱いているということ。しかし一体ラウルがどういうつもりなのか全く理解出来ないでいる。
「(そもそも、これほどの飛竜がいきなり王都近郊に姿を見せるなどとは。何らかの異変が起きているのでしょうか?)」
どちらにせよ、次にヨハンが深刻な攻撃を受けるようなら迷うことなく加勢に加わることを決断していた。
困惑するその場、その判断の中心にいるラウルなのだが、その思惑とのズレが生じている。
「(マズいな。あの飛竜、どうやらキレたか。怒りの感情がそのまま速さと威力の底上げに直結してやがるな)」
先程ヨハンに振り下ろされた飛竜の尾。
それはヨハンだけに限らずラウルの予測をも遥かに上回る速さと威力を出していた。
竜に限った話ではないが、怒りの感情を高めると息吹の威力を上げたり、物理攻撃の速さや強さを劇的に向上させる魔物がいる。攻撃面に限らず、耐久の面でも魔法耐性、物理耐性ともに向上させるのであった。
「(だがあいつがソレを出来るとなると、いよいよ……やはり停戦協定が破られたのか?)」
そう考えるといくらか合点がいく。
通常の飛竜はそんなこと、攻撃力と防御力の底上げなどをできはしない。だから飛竜は竜種でも下位に属されていた。
それだというのにソレをした。疑問を払拭できる答えを一つ持ち合わせているのだが、にわかには信じられない。その理由が、目の前の巨大飛竜がコルセイオス山の飛竜だとすれば疑問を払拭できる。それならば十分理解できた。他に思いつく理由としては突然変異ぐらい。
「しまったな。ああ言ってしまった以上加勢しにくいな」
あれだけカッコつけてヨハン一人で行かせた。実際ヨハン一人だけで余裕とまではいかなくともある程度で片付けられると判断していた。
「仕方ないか」
外聞を気にすることなく、万が一には加勢も持さない覚悟をして苦笑いしながらヨハンの戦いを見届ける。




