第百四十二話 王立騎士団(後編)
「(これならアイツに一泡吹かせるどころか痛い目に遭わせることができる!)」
アマルガスの視線の先、手を挙げていた学生の一人はそう考えていた。
「そこのきみ。何か言いたいことがあるのかい?」
「はいッ!」
内心では嬉々とした笑みを浮かべながらはっきりとした声で返事をする。
「あれ?あの人って……」
「どうした?知ってるやつか?」
「うん、前にちょっと」
手を挙げていたのはカニエス。
エレナの従姉妹であるマリン・スカーレットの従者である男。
普段絡みのないレインはカニエスのことを知らない。
そうしてカニエスがどうするのか学生達の視線が集まった。
カニエスが手を挙げたことで驚く学生がいる中、ニヤリと笑っているカニエスを見てアマルガスが疑問符を浮かべる。
「えっ?カニエスがやるの?」
「そんなバカな。魔法戦ならまだしもアイツには無理だろ」
魔法の授業ではいつも自信満々に周囲に魔法を見せびらかしていた。
「でもあいつ手を挙げたぞ?」
ひそひそと話す学生達が一際驚くのはカニエスという学生は騎士や剣士とはかけ離れた、どう見ても魔道士タイプの学生であるということ。
実際カニエスは魔導士で、騎士との剣技の差、その実力差は圧倒的で歴然な差がある。
「そこのきみ? きみがやるのかい?」
「いえいえ、とんでもありません」
手を振り否定するカニエスの表情は愛想良く笑っているが、内心では底意地の悪さがあった。
「ではどうしたのだい?」
アマルガスが疑問に思い問い掛けるのだが、疑問に思っているのはアマルガスや学生達だけではない。
「(どういうつもりなのよカニエスは……)」
隣にいたマリンもそうであり、先日ヨハンとエレナの後を追っていたクルド・ルシエールもまた同様である。
「(なんだカニエスのやつ、どうするつもりなんだ?)」
カニエスはクルドと旧知の仲であった。
公爵令嬢であるマリンに付き従っていたことで侯爵子息であるクルドとは以前から顔馴染みになっている。
しかし学内ではお互いあまり干渉し合わない程度の間柄で特に仲が良いわけでもない。
それでも最近久しぶりに会話をすることがあったのは、先日倒れていたクルドを偶然通りがかったカニエスが見付けて介抱してもらっていたことから。
「(ったく、アイツは相変わらずよくわからん奴だな)」
クルドにはそのカニエスがこの状況で何を考えているのか全く理解できない。
むしろ小馬鹿にするように疑問符を浮かべながらカニエスを見る。
「それは推薦でもよろしいのでしょうか?」
推薦。
つまり、騎士との模擬戦をするのが他者による指名であっても良いのかどうか。
周囲の学生達は一体誰を推薦するつもりなのかとカニエスの言葉に耳を傾ける。
「もちろん構わないが、誰を推薦するのだい?」
「それはもちろん……――」
そこでカニエスが周囲に顔を向けたところで少し離れたところにいたクルドと目が合った。直後、僅かに意図的な目線を向けて口を開く。
「ねぇ、クルドさ……くん?」
「は?」
思わず『様』と言い掛けたのをすぐさま訂正して、クルドに声を掛けた。
クルドは思わず自分の名前を口にされ、驚きに目を丸くさせる。
「(お、おいおい、まさかッ!? ったくあのバカは一体何を考えてやがるんだッ! 無理に決まってるだろッ!)」
クルドが慌てて立ち上がる。
すぐさまカニエスが続ける言葉を否定しなければならない。
カニエスがクルドを見た意図。そのクルドの解釈はこうなっていた。
それは先日介抱してもらった際に物見塔の下で倒れていた事の成り行きをカニエスに話して聞かせている。
カニエスはクルドと既知の仲であるので、クルドがエレナの事を好きだということはとっくに知っていた。カニエスとしては脈がないのは見てすぐにわかっていて、扱いに困るので敢えて触れることのないようにしていた話題。
『いったいどうすればエレナ様の気を引けるだろうか……』
『(……んなもん一生無理だっつーの)』
悲壮感漂う問い掛けをされた。
『カニエスはどう思う?』
無視しようとしていたのだが、聞かれた以上何かしら答えなければならない。
その際、悩むクルドに対してカニエスはこう言葉を掛けていた。
『クルド様、いつかエレナ様もクルド様の良い所に気付いて下さいますよ』
『そ、そうか? ならオレの良い所をみせないといけないな!今回は不覚を取ったが本当は強いのだっていうことをなッ!』
『その意気ですクルド様。その時が来れば私もクルド様をサポート致しますので。 しかし――』
言葉を続けようとしたのだがクルドはグッと拳を握る。
『そうだな!その時はよろしく頼む』
つまり、今ここがクルドの力の見せ所だと、騎士との模擬戦で良い所をエレナに見せるのだと、カニエスはそう主張したかったのだとクルドは解釈した。
「す、すいません! ぼ、僕は辞退します! お、お腹が痛くて……そ、その、今日は少し体調が悪くて……」
慌てて立ち上がったクルドは早口で言葉を放つ。
さっきの模擬戦を見る限りとても太刀打ちできるものではなかった。
「そ、そうか。確かに少し顔色が悪いな。うん、ゆっくりと休んでいるといい」
アマルガスとしてもこの状況は想定外。
侯爵家の息子であるクルドの事はアマルガスも見聞きする程度には知っている。ここでクルドが積極的になってしまえばどうしたものかと一瞬考えたのだが、辞退したことに安堵する。内心ではかなり肝を冷やしていた。
「(おいおい、あのクルドは何をトチ狂ってやがるのだ? 全然見当違いじゃないか。 ハァ。まったく、これだからバカは扱いづらい……)」
困惑するクルドに視線が集まるのだが、大きく溜め息を吐きながらカニエスは立ち上がる。
「あのバカを使ってどうするつもりなのよカニエス?」
「ご安心ください。彼にはちょっと手伝ってもらうだけですよ」
マリンに小さく声を掛けられ、カニエスも小さく返した。
「クルドくん、違いますよ。私はクルドくんを推薦したわけではなくてですね……クルドくんなら他に誰か推薦できるのではと思ったわけでして――」
こうクルドに提案するのもカニエスには思惑がある。
それはクルドを介抱していた時の続きの話。
『――しかし、その――』
カニエスはクルドに聞きたいことがあったのだが、クルドは聞く耳を持たない。
『クソッ!あのヨハンとかいう野郎!いつか痛い目に遭わせてやらないと気が済まない!』
と思いきやクルドの口からカニエスが聞きたかったヨハンの名前が飛び出した。
『……そのヨハンという学生、のことですね?』
『ああ! いっつもいっつもエレナ様と一緒にいやがって羨ま――憎たらしい奴だ!』
『(どちらに言い換えたとしても本音が漏れ出てますよこのバカは。気付いていないのでしょうね。バカだから……)』
クルドの発言の馬鹿さ加減に呆れながらも侯爵の子息であるクルドをカニエスは立場上持ち上げなければならない。
『何かアイツを痛い目に遭わせる方法はないだろうか?』
『……そうですね。現状機会を待つとしか…………』
そんな方法があれば是非とも便乗したいと思うのはカニエスも同じ心境。
わざわざクルドに話すことは無いのだが、カニエスもヨハンに魔法勝負を挑んで完敗していた。
『(あいつがどんな不正をしたのか未だにわからず仕舞いだが、あれだけの魔法を普通の学生が使えるはずがない……)』
そう考えていたカニエスは例え魔法関連でなくともいいので、なんとかヨハンが痛い目に遭うのをその目で見たい。
そしておあつらえの状況が今目の前にある。
カニエス自身がヨハンを直接推薦しても良かったのだが、いらぬ不興を買いかねない。おまけにここでクルドに恩を売っておく事も悪くないとカニエスは考えた。どうせなら一石二鳥を狙おうと。
「……お前は何を言ってるのだ?」
首を傾げるクルドに向かって必死に目配せをするのだが、クルドはカニエスの意図に全く気付かない。
「(あー、ったくほんとバカだなこいつは)」
もっとわかり易く伝えないと理解できない事に若干の腹立たしさを覚える。
「ほら、クルドくん。クルドくんに勝てる人なら騎士にも勝てるのではないかと私は思いまして」
「オレに勝てる奴……? あーッ!」
そこまで言ってクルドはようやく理解した。
「そうだッ!あいつだ!ヨハンだッ!」
「(ようやくですか)」
大声でヨハンの名前を叫んだかと思えばすぐさまヨハンを指差す。
カニエスはやっと意図が伝わった事に安堵するのだが、思いの外疲れた事に辟易していた。
「えっ!? 僕?」
「(はぁ。突然クルドに声を掛けたから二人で何をするのかと思いましたが、そういうことでしたか……)」
突然の名前を挙げられヨハンが驚き困惑する中、エレナがその意図をすぐさま理解する。
「(まぁ、先日の腹いせにヨハンさんを皆の前で辱める、といったところですわね。浅はかな。ですが、ヨハンさんはその程度では嫌がらせにもなりませんわよ?)」
エレナが意図を読み取り理解はしたのだが、ここで不必要な介入はしない。
今から行われるのは騎士との模擬戦。ヨハンが負けるなどとは微塵も思っていない。
「ん?誰だあいつ? なんでヨハンが指名されたんだ?」
「さぁ?」
エレナが小さく溜め息を吐く中、モニカとレインはカニエスとクルドの二人とヨハンとの因縁を知らないのでお互い顔を見合わせている。
「おい、ヨハンって確か――」
「ああ。アイツだ」
クルドの指差しと他の学生達の何人かがヨハンに視線を向けるために、アマルガスもヨハンがどの学生なのかをそこで特定し、ヨハンを見ながら口を開く。
「そうか。なるほど。どうやらきみが推薦されたみたいだけど、さてどうするかね?」
自信がないのならやめてもいいという態度で問い掛けられた。
「あー、どうしようかなぁ」
遠くで苦笑いしているスフィアと、微妙に笑いが漏れ出てしまっているシェバンニを視界に捉えながら悩む。
「(やめといた方がいんじゃね?)」
とレインは考えているものの、実情はヨハンの心配ではなく騎士の身の安全と尊厳を考えていた。
「いいじゃない、せっかくだからやってきたら? どうして推薦されたのか知らないけど、推薦なら問題ないじゃない」
「そう?」
何も考えていない笑顔のモニカにパンパンと背中を叩かれながら前に押し出される。
「わかったよ。じゃあせっかく声を掛けてもらったし」
ヨハンは周囲の視線を感じ、照れから頭を掻いて前に出た。
周囲からは奇異と好奇の中に若干の憎悪を織り交ぜた感情が送られる。
「誰アイツ?」
「知らないわ」
「ほらいつもあの可愛い子達と一緒にいるやつだよ!」
「あっ! アイツかっ! はん、ぼこぼこにされろよ!」
などといった声が小さく飛び交った。
知らない子は知らないのだが、一部ではある意味有名なヨハン。
一学年は大体が身近な知り合いや知り合ったばかりの仲でパーティーを固めることが多い。
そしてその中で、見た目美少女のモニカとエレナと入学してすぐにパーティーを組んだことで付け入る隙を与えなかったことが一部から不興を買っていた。
更にそれだけでなく、他パーティーのサナがヨハンに事あるごとにくっつくことを目撃することに加え、めちゃくちゃ強いと噂になっている新入生であるニーナもヨハンにくっつきに行く。
レインも条件面では似たようなものに思われるところなのだが、レインの場合はヨハンのソレを間近で見せられている分、同情の声の方が多かった。
そうしたこともあり、騎士に向かってゆっくりと歩いて行くヨハンの後ろ姿を見送る学生は期待感に胸を膨らませているのはカニエスと同じ気持ち。
ボコボコにされて欲しい。
しかし、その場には既にヨハンの内情を知っているユーリやサナ達もいるわけであって、ヨハンが指名されたことで声には出さないが、内心で考えている結果はカニエスたちとは真逆の結果。
「(ヨハンを相手にさせて大丈夫か?)」
「(うーん、ヨハンくんならあの人たちぐらいすぐに倒しちゃうんじゃないかな?)」
と苦笑してしまっていた。
そして同時にスフィアも考える。
「(……私関係ないからね。一度は止めたわよ。知ーらないっと)」
これから起きる結果に対して見て見ぬふりをすることに決めていた。




