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第百三十八話 遠くから

 

 そうして塔を降りると外はもう薄暗くなっており、街灯が点いている。

 賑やかな様相を王都は醸し出していた。


「おいッ!」


 物見塔を出た途端、突然声を掛けられたので声の方を見ると黒髪の少年が一人立っている。


「えっと、誰?」

「あら? あなたは……」


 ヨハンは黒髪の少年に全く見覚えがないのに対してエレナは見知った様子を示した。


「き、きさま! 一体どれほど待たせやがるんだッ!」


 少年はどう見ても憤慨している様子を見せ、すぐに視線がヨハンとエレナの手に向けられる。

 その手は物見塔の屋上からここまで繋がれたままだった。


「そっ、そのっ! その汚い手をエレナ様から離しやがれーッ!!」

「「あっ」」


 少年の指摘を受けてヨハンが慌てて手を離す。

 そこでヨハンはずっと手を繋いでいた事を自覚した。


 しかしエレナは違う。

 エレナはヨハンと離した手の平を僅かに眺めると、名残惜しさを残したその手の平、握るような仕草で小さく指を折った。

 繋がっていた手の温もりとその感触の残痕を思い出しながら少年を軽く睨みつける。


「うっ…………」


 理由はわからないまでも、自然と手を繋いでいること、これだけで十分だったのだ。


「(せっかくヨハンさんと手を繋いでいましたのに、クルドのせいで……)」


 エレナのきつい眼差しを受けてクルドはたじろぐ。


「(僕はどうしてあんなことをしてしまったんだろう?)」


 と、物見塔を降りる間、ヨハンはエレナを抱きしめたこと、そればかり考えていたので手を繋いでいる事に気付かなかったのだ。


「それで? クルドはわたくしに何か用ですの?」


 睨みつけたまま、腕を組み不満を露わにするエレナ。


「い、いえ、そういうわけではないのですが……」


 クルドは困惑する。

 決して用があってここにいるわけではない。ただヨハンとエレナが出掛ける姿を見かけたので気になって後を付けてきただけ。


「エレナ? 彼は?」


 なんとなく学校内で見たことがある気がしなくもない。


「彼は、クルドは幼い頃からわたくしを知る人ですわ」

「ふぅん、じゃあ幼馴染ってこと?」

「いいえ。そんなものではありませんわ。勝手にわたくしの後を付いて来ているだけですの」


 呆れながらクルドのことを話すエレナ。


 クルド・ルシエールは侯爵家の次男。

 地位の高い立場であるのだが、学校内でエレナに声を掛けることを家から禁止されている。理由は単純。エレナに嫌われているからだった。


 幼い頃から王宮内では余りにも執拗に声を掛け、好意を向け続けたために嫌悪感を抱かれるといった始末。

 エレナの後を追うようにして入学をしているのだが、エレナの申し出がありクルドの父、ルシエール侯爵へローファス王を通じて先程の通達が成されていた。


「……はぁ。クルド?」

「はい!」

「わたくしに近付かないでって言っていますわよね?」

「でもここは学校じゃないです!」


 クルドはエレナの目を真っ直ぐに見る。今ここに於いては自分の方に正当性があるのだと主張する。

 そうしてエレナの顔をジッと見たことでクルドは気付いた。


「あ……あれ? エレナ様? その目元は?」


 涙を流したことで少し充血したその目と目尻の渇き。


「あー。これは先程の涙のせいですわね」


 軽く目元を擦るような仕草をするエレナ。クルドのその言葉を聞いた途端に血管が浮き上がった。額にビキビキと青筋を立てる。


「き、きさまぁあああああぁぁぁぁ!! 泣かしやがったのかぁああ!? エレナ様を泣かしやがったなぁあぁぁぁあああああぁぁ!!」


 クルドは今にもヨハンに襲い掛かろうとするほどの勢いで怒り狂う。


「えっと……」


 確かに泣かしたことには変わりはない。多少の負い目もあるのは抱きしめたこと。

 しかし、その話は終わったつもりではある。


 困惑しながらエレナの顔を見ると、エレナは小さく首を振った。


「こうなった時のクルドは人の話を聞きませんの」


 クルドがエレナのことで怒り狂った時はいつもこう。

 自我を抑えきれずに理性を失う。だからクルドとは距離を取りたくて仕方なかった。


「エレナ様! そんなやつと一緒にいるよりも、ボクと……僕とッ! 僕と一緒に居てください!」

「お断りしますわ」

「なッ!?」


 間髪入れずに即答する。選択肢は一択。


「だ、だったら……」


 俯き加減から顔を上げたクルドはヨハンに対して力強く指差した。


「俺と勝負しろッ!」

「えっ?」


 突然の申し込みに困惑する。


「俺が勝てばせめて貴様はエレナ様から手を引けッ!」

「手を引くって……。もう手は離してるけど?」


 繋がれた手は既に離した。


「そういう意味じゃないだろうッ! キサマはバカなのか!?」

「いや、だって……」


 クルドは半狂乱しながら言葉をぶつけるのだが、そこでプチンとしたのはエレナの方。


「クルド?」

「へ?」

「あなた程度が今ヨハンさんをバカ呼ばわりしましたか?」

「で、ですがそいつが――」

「お黙りなさい。あなたの方がよっぽどバカですわ」


 どこか底冷えするようなエレナのその声。

 冷たい空気が蔓延する。


「ヨハンさん?」

「な、なに?」

「彼の勝負、受けてくださいませ」

「いいの?」

「ええ。完膚なきまでにボコボコにしてくださいませ」


 向けられる笑顔は物見塔の屋上で向けられていた笑顔から遥かにかけ離れていた。


「二度とわたくしに近寄りたくないと思わせる程にお願いしますわよ?」


 綺麗なその顔でその言葉を吐くエレナが怖くて仕方ない。


「……善処するよ」


「よーし!覚悟しろよ!!」


 幸い、向こうが本気で来る気だということが助かる。こちらから危害を加えるわけではない。


 クルドからすれば勢い余ってのこととはいえ、日頃から遠目に見るだけのエレナのその隣にいるヨハンに対して鬱憤を晴らせるのだから。

 あわよくばこれを機にエレナの隣に居座ってやろうという魂胆を抱いていた。


 その目に希望の光を灯す。

 そうして向かい合う二人。


「ハッ!いつでも掛かってきな!」

「じゃあ……遠慮なくいくよ」


「では始めっ!」


 エレナが開始の合図を発すると同時に勝負は決着していたようなもの。


 ヨハンは左右のサイドステップから跳躍をする。

 クルドは左右の動きで顔を振り、ヨハンの動きをクルドは目で追うことができていない。跳躍したことで突然ヨハンがいなくなったことに目を丸くさせる。


「は?」


 次の瞬間にはヨハンがタンっと軽やかに目の前に下りて来た。


「う、うわわわわ」


 まるで瞬間移動でもしたかのように突然目の前に姿を現したことに驚きバランスを崩すのだが、ヨハンは加えてクルドに対して足払いを掛ける。


「ハァッ!」


 クルンとクルドの身体を宙に浮かせ、その胴体目掛けて正拳突きを放った。


「ぐえっ!」


 ヨハンの突きを受けたクルドはドスンと地面に倒れ、あとはそのままゴロゴロと転がっていく。

 結果、一撃で終わった。クルドは目を回し、その場に倒れた。


「エレナ?」


 このあとどうするつもりなのかエレナに振り向く。


「さ、終わりましたわね。帰りますわよ」

「えっ?ほっておいていいの?」

「かまいませんわ。かまえばかまった分だけつけ上がりますもの。それよりも、もっとボコボコにしても良かったですのに」

「……あはは」


 苦笑いすることしかできない。

 クルドを放置していても本当にいいのだろうかと疑問に思いながらそのまま物見塔を後にする。


 そうして学生寮に戻るのだが、帰り道では取り留めもない話、もうすぐ騎士団の授業があるなどということに終始していた。


 なんとなく思い返すのは屋上での出来事。思い出すと気恥ずかしさが生じてきてエレナの顔を直視できない。


 しかし、重症なのはエレナの方。

 その日はベッドに入り、布団に潜ると何度も思い出す。布団の温もりをヨハンに抱きしめられた温もりと重ねてしまう。

 何度も何度も何度もヨハンに抱きしめられた瞬間を思い出し、その度ににやけて薄ら笑いを浮かべてしまっていた。


「ウ、ウフフ」

「な、何よさっきから笑って、気持ち悪いわよエレナ」


 少し声にでるのを、同室のモニカは気味悪がるのだがエレナには聞こえていない。


「一体何があったっていうのよ」



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