第百三十六話 物見塔
「くっそー、あいつぜってぇ許さねぇぞ」
不穏な声を発する者がいた。
声の主は少年。前方にはヨハンとエレナが二人で王都の東地区、商業区を歩いている姿がある。
――数日前。
『ヨハンさん?』
学生寮内を歩いていたところで不意に声を掛けられ、振り返るとエレナが小走りで駆け寄って来た。
『どうしたのエレナ?』
『前に二人で出掛けましょうと言ったこと、覚えていてくださいますか?』
『もちろんだよ』
『では次の休日、ご案内したいところがございますのでお時間を頂いてもよろしいですか?』
『それはいいけど、案内したいところって?』
疑問符を浮かべながら問い掛けたのだが、エレナは柔らかな笑みを浮かべる。
『うふふっ。それは当日のお楽しみ、ということで』
どこに連れていかれるのだろうという疑問を抱きながら休日である今日、二人で出掛けていた。
「そういえば今までこうしてエレナと二人で王都を回ることってなかったよね?」
「ええ。休日は王宮に戻って色々としなければいけないこともありますので、時間のやりくりに多少苦慮しますの」
「やっぱり王女となると大変そうだね」
詳細はわからなくとも、エレナが忙しくしているというのが多少はわかる。
いくらか聞いているだけでも、エレナは王女として内政に関する勉強や貴族が主催する舞踏会への出席や利権に関すること。それに加えて冒険者学校としての授業もあった。そうしたエレナの知識の豊富さのおかげで助かったことは一度や二度ではない。
「まぁ確かに大変ですがもう慣れていますわ」
「そう?」
笑顔でそう話すエレナだが、その横顔を見て考えるのはその表情がどこか寂しそうに見えなくもなかった。
「心配してくださいますの?」
「もちろんだよ。エレナが倒れたら大変だもん」
「その時は看病してくださいますよね?」
「いやぁ、それはさすがにモニカにしてもらってよ」
笑いながら返す横でエレナは軽く頬を膨らませて小さく息を吐く。
「そうですわね。モニカに移して二人で看病してもらいますわ」
「あははっ。その時は仕方ないね」
他愛のない会話のつもりなのだが、エレナは違った。
二人で出掛ける意味、男女のお出掛けのつもりなのだが、この様子を見る限りはいつも通りのヨハンであるのだと。呆れるのと同時に、ヨハンが学校に入学する前に寄って来た貴族の子息に比べると全く違う印象を受けるのは今に始まったわけではない。
出会った頃からヨハンはこうだった。
王女だと明かした時、それはもう当然の如く驚かれたのだが、驚かす立場の筈がいつも驚かせられるのは王女である自分の方。
最初は興味本位で観察していただけなのだが、戦闘技能や魔法技能にしても英才教育を受けていた自分以上のものを見せる。最強と謳われる両親の素性を考えれば当然かと思ったものなのだが、同時に父である国王と親友だということにも驚かされた。
かと思えばその辺にいる少年と変わらない純朴さを見せる。
強さや出自を笠に着て踏ん反り返ってもおかしくはないのだが、ヨハンにはそんな素振りの一切が見られない。
今まで見て来た同年代の子達とはかけ離れた感性を持っている。今のやり取りにしてもそう。エレナが王女だと知ればこれまでは大抵はへりくだり、対等な立場を築くなどといった関係性は中々に難しかった。
冒険者学校の特性があるとはいえ、興味が好意に変わるのにはそれほど時間が掛からなかった。
好意に気付かれないことにもどかしさを感じながらも、気付かれないことに安堵をしてしまう矛盾も内心に抱える。
しかしそれでも、エレナもこの機会をみすみす逃すはずがない。
観察する様にして周囲を見るヨハンに一歩寄り添った。
「ねぇ、あれを見てください」
「ん?」
寄り添ったところで斜め上を指差す。
「どれ?」
「あれですわ、あれ」
ぴったりと二の腕をくっつけるのだが、ヨハンに目立った反応は見られない。
「(ほんと、こういうところですわね)」
内心で溜め息を吐きながらも仕方ないかと捉え、指差した先は一際高く立っている塔。
「あの塔のこと、ご存知ですか?」
「あぁ、あれ? あー、そういえば知らないなぁ。当然のように立っていたから気にしてなかったよ」
だだっ広い王都の中、歩き回るだけで一日ではとても足りない。まだまだ知らない場所など多くある。
「(おい! 近付き過ぎだぞ! エレナ様にくっつくなよ!)」
隠れてヨハンとエレナを遠くから見ている少年はその様子を見て歯ぎしりをして苛立っていた。
「あの塔はなんのためにあるかご存知ですか?」
「うーん。知らないけど、いや……そうだなぁ」
塔の立っている位置は今歩いている東地区のほぼ中心部。塔は東西南北にそれぞれ四つある。
「あの位置から推測すると、遠くを見渡せるように作られているから王都に進行する魔物や敵国に対して、かな?」
相当な高さのその塔からして他の理由が思いつかない。
「さすがヨハンさん。そうですわね。それもまた理由の一つではありますが、王都を見渡せる。そこに意味もあります。登られたことは?」
ヨハンが予想通りの答えを言ったことで満足そうな笑みを浮かべるエレナ。
「いや、ないよ。あれって登っていいの?」
「ええ。誰でも登っていいのですわ。良かったら登られますか?」
「うん、登ってみたい!」
そうして塔を目指して歩きながらエレナに塔の説明を聞く。
その塔は物見塔であり、他の建造物より一際高く作られた理由はヨハンの回答通りである。塔自体は誰でも登ることができるのだが、王都の住民はわざわざそこに登ってまで何かしたいことがあるわけではない。子どもの遊び場所になっている程度。
しかし、何よりも敬遠されるのが登るのを躊躇する程に見上げるような高さで造られていた。
塔の下まで着くと、首の角度が直角になるほど真上を見上げなければその頂上が見えない。
「近くまで来ると本当に高いね!」
「ええ。ですので、かなり登らなければいけませんが」
「大丈夫。これぐらいなんともないよ」
そうして二人で物見塔の中に入って行く。
「(中に入っちまった…………追いかければエレナ様にバレてしまう。待つしかない……)」
少年はヨハンとエレナが物見塔に入っていく後ろ姿を見送り、歯噛みしながら塔内に入りたいのを我慢して出て来るのを待つことにしていた。
物見塔の中は薄暗い。
窓の数も少なく、蝋燭を灯す燭台が設けられているだけで蝋燭はない。魔灯石と呼ばれる自発的に発光する魔石も今では普通に使われているのだが、物見塔が建てられたのはかなり古く、その頃には魔灯石は希少鉱石であった。
そのため塔内を照らすのは、ガラスの無い窓から差し込む僅かばかりの光のみである。壁沿いに沿った石造りの螺旋階段が設けられていた。
しばらくは螺旋状に作られたその階段を登る。数十分を掛けて何百何千とあった数多くの階段を登り切り、最上部に到達した。




