第百三十二話 過去の研究
不意に仕掛けられたカニエスとの魔法勝負をエレナの指示の結果もあり圧勝していたのだが、元々ヨハンが王宮を訪れていた理由は資料室にある。
それはシトラスが過去にどのような研究を行っていたのかということを調べる為。
エレナに案内されるまま資料室を訪れ――――。
「古い文献とかは誰も触ってないから結構埃をかぶってるね」
「ええ。ここへは立ち入る人も少ないですしね」
資料室は王宮の部屋の中でもそれなりに広く、多くの本棚が設置されて年代別に分けられており、いくらか薄暗かった。
そんな資料室には、現代に近い物は比較的整理はされていたのだが、数十年から数百年ほどのものになると手を付けている様子が見られなく、雑多に置かれているものもあり十分に埃をかぶっている。
過去を振り返り調べものをする者など歴史学者程度に限られていた。
「シトラス……シトラス…………確かこの辺り、二百年程前だったかと――――」
エレナが本棚に指を添えて背表紙を見ながら探していくのだが、今探している辺りは埃が他の本棚に比べて少ない。
埃が少ない理由は、半年以上前にエレナが一度この辺りに一通り目を通していたから。
「――っと、ありましたわ」
エレナが本棚から引っ張り出した一冊の本。青い装丁の本をそのままヨハンに手渡す。
その本の背表紙には『シグラム王国 魔法研究所記録書』と記載されており、著者は当時の所長であった。その中にシトラスが行っていた研究の記録が残されている。
「それで? ヨハンさんはこれから何を知りたいのですか? わたくしが見た限りでは目立ったところは見られませんでしたが?」
そのシトラスが行っていた研究内容は魔法理論に関してがほとんどだった。魔力量と各属性の関係性及び闇魔法と光魔法の将来性と可能性について、が主な内容。
現代では学校の授業で習う程に常識的な内容であり、シトラスの考案した内容、魔力操作理論も授業内容に含まれていることからしても相当に優秀な人物だったのだろうということはそこから見て取れる。
「うん、何って言われても今はわからないけど、何かシトラスの目的を知るためのヒントになればって」
ヨハンは近くにある長椅子に腰掛け机に本を広げ、エレナもその横に本を覗き込むようにして座った。
そのままパラパラとページを捲りながら記録書に目を通していく。
「あれ?」
「どうかしましたか?」
そこでふと気になる内容が目に留まった。いや、むしろ内容がないと言っていい。
「うん。あのさエレナ、これって?」
エレナに見えるように本の内容を見てもらう。
「えっ? ああ、この件でしたら……少々お待ちくださいませ」
エレナは本の内容をチラリと見てヨハンの疑問を理解するなりどこか別の場所、本棚の奥に歩いて行った。
エレナに見せた内容、それはそれまでのシトラスの研究内容とは一線を画した研究。
人体実験についての内容なのだが、その詳細の一切が記載されていない。一言だけ『シトラスは晩年人体実験に手を出してしまう』とだけ書かれていた。
「お待たせしました」
少ししてから戻って来たエレナが持っていたのは黒い装丁の本。
「部外秘ですので内密にしていてくださいませ」
その黒い装丁の本は資料室の中でも特に厳重に管理されているもの。犯罪者に関する事項が記載されていたものだった。
「シトラスが行った人体実験に関してですが、こちらですわね」
エレナがパラパラと本を捲り、該当するページをヨハンに見せる。
そこにはかつてシトラスが行っていた人体実験の内容が事細かに記載されていた。
シトラスは魔法研究と称して若い魔導士を自分の研究所に呼び、若者の魔法が暴走したと報告してその若い魔導士を死亡扱いにしている。
だが実際には死亡していたわけではなく、地下の実験場に連れられ魔力回路を視る為に肉体を切り裂かれていたというのだった。他にも幼い孤児を攫って来ては同様の行為を行っていたのだと。
それが発覚した事件、それはある時、貴族の子女が行方不明になることがあった。シトラスの行為が露見することになるのは、貴族の子女に持たせておいた特注の装飾品が研究所に落ちていたことで事態が発覚する。結果、直後に当時の国王により処刑にされていたとのこと。
「碌でもない人物だったようですわね」
「…………」
確かにこのシトラスが行っていた行為はとても許せるものではない。
「どうかしましたか?」
ヨハンが考えに耽る様子をエレナが不思議そうにその顔を覗き込む。
「いや、うん……あのね、まず疑問が二つ」
何か疑問にあることがあるのかとエレナは首を傾げた。
「一つはこのシトラスが、僕たちが襲われたシトラスと同一人物なら魔族ということになるよね?」
「ええ、その通りですわね」
「魔族がどうして王国の研究機関にいたのかな、って」
「確かにそれは不思議ですわね」
エレナもヨハンの疑問に同意を示す。
「それともう一つ、この年号、建国801年の出来事みたいだけど、人体実験が行われていたのは実際には死刑にされる直近の二年ぐらいなんだよね。さっきの資料と合わせると十年近い空白の期間があるんだよ」
先程の資料、魔法理論の研究をしていたのは建国790年頃。
仮に魔族だと仮定して、人体実験に手を出す前、それ以前はどうして道徳に反した行為に及ばなかったのか疑問が浮かぶ。
「単に気まぐれかもしれませんわよ? それに、もしかしたら表沙汰になっていないだけで他にも何かしていたかもしれませんし」
「うん、それはそうなんだけど…………」
エレナの言うことにもヨハンは理解出来た。
そこで一度ここで得られた情報を整理してみることにする。
恐らくだが、二度遭遇したシトラスのあの口振り、研究と度々口にすることからしても同一人物だということで考えても問題はないだろうということ。
それに魔法と魔物、魔力と魔素。対象は違えど似たような研究内容なのもそれを裏付けるとまではいかなくとも同一人物だと結論付けるにはそれなりに納得できる。
「あとはどうして人体実験に手を出したのか……」
魔族だということを差し置いたとして、それまでの記録書の内容からしても特に目立つところはなかった。むしろ好印象を抱く魔法理論に関するその研究。
「何かシトラスの人格を変える出来事が起きたのかな?」
「でしたら王国の歴史書を探して来ますわね。当時のことを調べれば何かわかるかもしれませんし」
「あっ、ごめん。エレナばっかり」
「いえいえ、お互いの役割分担ですわ。その代わり何かヒントを見つけてくださいませ」
「うーん、あんまり期待されても困るけどね」
「ふふっ」
ヨハンの言葉を聞いたエレナが小さく笑いながらその時代の出来事を記した記録書を探しに行く。
「人体実験が今のシトラスに繋がる何かがあるとしたら?」
独り言のように呟くその言葉。
魔物の召喚や魔物を造るということ。魔王の復活のその先にシトラスの目的があるということが一体どういうことなのか。
「魔王の復活によってシトラスは何かを得られるのかな?」
しかし、考えても答えが全く出てこない。
魔物は人間に害を成す存在。一部対話のできる魔物がいるとしても共存などとてもできない。そして恐らくこの当時のシトラスが魔王の存在を認識していなかったのはシトラスが『かつて』と口にしていたことから推測できる。
「こちらですわね」
次にエレナが持って来たのは茶色の装丁の本。王国の歴史が記された本である。
「えっと……この時期は特に国が乱れていたようですわね」
記されていた内容は近隣諸国とのいざこざが絶えなかったということ。
それに伴い、軍事的なことが多く記されている。
エレナと共にその内容に目を通していった。
「ちょっと待ってエレナ!」
「えっ?」
ふと視界に飛び込んで来た文字に思わず目を疑う。
ページを捲ろうとしていたエレナの腕を掴んで本に顔を近付けたのだが、突然のヨハンの行動にエレナがどぎまぎとしていた。
「ど、どうかしましたか?」
「ほら、ここ!」
そんなエレナの様子に一切気付くことなくヨハンは本の一文を指差す。
そこには『他国の間者により魔法研究所、シトラス氏の娘サリナス嬢死去』と記されていた。
「……これは…………間違いなくこのシトラスですわね」
「うん」
エレナが視線を向けたのは机の上に置かれた黒い装丁の本。
年号的にも丁度符合する。
「だとしたら、もしかしたらだけど、このことがシトラスを変えたのかもしれないね」
「ええ」
娘の死がきっかけで人体実験に手を出すようになった。
それ以上の記述がないのでそれによって得られる成果が何なのかはわからないが、この推論に間違いがないというのはヨハンもエレナも同様の見解を抱いている。
「あれ? そういえば、娘って……魔族にも子どもができるの?」
そうなると別の疑問が浮かんだ。
「さぁ? どうなのでしょう? 魔族に関する記述はほとんどありませんので生態の方はよくわかっていませんわ。養子かもしれませんし」
ガルドフやシェバンニでさえ詳細を知らない種族である魔族。
わかっているのは、魔族は特異能力をそれぞれ有しているだろうということ。
「…………そっか、じゃあここまでだね」
もうこれ以上は考えても答えが出る気がしない。
また気になることがあればエレナにお願いして調べに来させてもらうことにした。
「あの? ヨハンさん?」
「なに?」
「ヨハンさんは、その……ドキドキしたりしませんか?」
「うーん、別にシトラスが何を考えているのかわからないし、確かに次に襲われた時には負けないようにはしようとは思ってるけど、どきどきはしないかな?」
一つの長椅子に隣り合って座っているエレナとヨハン。
その肩が触れ合っている。
「……いえ、別に何でもありませんわ」
「どうしたのエレナ?」
微妙に不貞腐れるエレナの表情に覚えがないヨハンは小首を傾げて疑問符を浮かべるしかなかった。
「(……ふぅ。わたくしだけこんな思いするのって不公平だと思いますわ)」
目の前のこのキョトンとした態度を見ればエレナはすぐに理解している。
この環境に特別な感情を抱いてはいないのだということを。




