第10章(1)慟哭
高等学校・正門前
狐の嫁入りが合図と謂わんばかりに大狐の子分たちは我先にと校内へ次々と侵入する。そして、校内を徘徊する狐の子分たちは部活をしている生徒たちへ無差別に憑依してゆく。
穢れた妖気を放つ狐たちを感じることも出来ない生徒たちは、拒絶するどころか、逃げ惑うことも逃げる算段を用意することすらも出来ないまま操り人形と化してゆく。
鈍い人体であるが故に穢れを受け入れてしまい、過去の先人たちと同じ過ちを繰り返すのである。
そんな子供たちに大罪は無い。咎があるとすれば、清らかさと汚れの違いを繊細に感じることの出来ない鈍化を肉体に許して来た者たち。地球を自らの手で汚してゆく変化を「成長」だという誤った論理で誤摩化し、そのことを是として来た大人たちだ。
そんな形質を遺伝的に受け継いで来た子供たちも何らかの汚れた因子を持っており、逃げ場の無い絶望感の漂う穢れの多い世界であればあるほど清らかになることが難しくなるために問題を解決する術は遠退いてゆく。
現代人は年を重ねるごとに更に穢れ、心身は狂い、脆弱化して誤った判断をしてしまう・・・
人体を操ると同時に妖気を消す狐の子分たちは、肉体を手に入れたことにより物理的にも更に広範囲にわたって穢れたものを押し広める術を獲得するのである。
校内は狐たちが跳梁跋扈する過酷で屈辱的な場所へと変貌していた。そして、増殖した禍々しいもの・・・狐たちに憑依された生徒たちの双眸が赤く光る。
部活終わりの帰宅時間も相俟って、憑依された生徒たちが校外へ出てゆくことに何ら違和感を持つものはいない。
そして、狐たちが憑依するのは何も生徒たちだけではない。運悪く近くに居合わせたトラックの運転手に憑依した大狐の子分。双眸が赤く光り、口を大きく左右に裂いた運転手は、トラックの鍵に手をかけてエンジンをオフからオンへと回転させる。
狐の嫁入りが起こった撮影場所で結子はひとり空間の異変を感じていた。空を見上げて気配を消している大狐に意識を集中しながら追尾している。
しかしながら、結子は同時に学校周辺の異変も察知しており、生徒たちの身を案じて撮影終了後に学校へ駆け付ける。結子は学校に近づくに連れて朋友が同じタイミングで近づいて来ることを感じていた。
学校の異変を体感した朋友は、逸る気持ちを抑えながら素早い足取りで街中を駆け抜けて学校へ向かう。息を弾ませる朋友は正門近くに差し掛かったところで結子を発見した。
その時・・・
大狐の子分に憑依されたドライバーの運転するトラックが猛スピードで結子に迫る。それを見つけた朋友は、結子の名を叫びながら手を伸ばして結子の下へ駆け寄ってゆく。
勢いを増すトラックのエンジン音と結子の名を叫ぶ朋友の声が空間に響き渡る。
目前に迫るトラックに打つかりそうな結子とトラックの間に割って入る朋友・・・
その瞬間、朋友は自室で携帯電話から聞こえて来た結子の言葉を想い出した。
「朋友は、怪我してるでしょ、大丈夫だから・・・それから、トラックには注意してよ!」
時が止まったかのような一瞬の間をおいて、朋友は勢いよくトラックに撥ね飛ばされる。朋友の体は宙を舞い、天と地が真っ逆様になるような状態で反転し、道路に叩き付けられた朋友は、その場に倒れ込んだ。
「朋友・・・しっかりして、朋友! 朋友!」
路上に倒れた朋友は目を閉じたまま動かない。朋友を抱き支える結子は目に涙を浮かべながら救急隊の到着を待った。
救急車のサイレンが街中に鳴り響く。
朋友と結子を乗せた救急車内では救急隊員が救命処置を行っていた。意識が朦朧としていた朋友は、夢を見ているような鮮明な映像を自分じゃない第三者の立場から見ている。それは雨音と会話している自分の姿だった・・・
「ところで、今、話してた子って、朋友君の好きな子でしょ!」
「えっ!」
「わかりやすい子ね!」
「ち、違いますよ! 違うって!」
「朋友君は、好きな子のためなら、黙ってその子にサヨナラすることができる人?」
「サヨナラって・・・何ですか、急に?」
「だから、もしもの話よ! 朋友君が好きな人と一緒に居たら、その子か自分が死ぬことになる場合、それをわかっていても、その子が一緒に居たいって言えば、一緒にいることができる?」
「どうかなぁ・・・」
「自分の命を投げ打ってでも、その子の命を守ることができる?」
「う〜ん、そうなってみないと何とも・・・って言うか、先生は何で俺にそんなこと聞くんですか? 雨音先生はそんな経験されたんですか?」
「私ね、その人と一緒に居たら、何方かが死ぬことになるのに、それをわかっていたのに、その人と一緒に居ようとしたの・・・死ぬかも知れないのに側に居ようとね・・・」
「どうしてですか?」
「その人のことが好きだったからよ・・・抱き合って、キスをして、彼を信じて喜びを分かち合う。それがたとえ短い時間でも、ほんの一瞬でも・・・彼のことが本当に好きだったから・・・」
「そうなんだ・・・」
次の瞬間、場所が変わって病院のロビーに立っている朋友は、ロビーから去ってゆく自分の後ろ姿を見ていた。
「朋友! 何処行くの! 朋友!」
町井の側にいる結子が自分の背中を目で追いながら、呼び止めている。
「朋友ったら・・・」
溜め息をつく結子を見ている朋友は、結子の名を呼ぼうとするのだが声が出ない。それどころか、結子に近づいても気づいて貰えない。
「結子・・・結子!」
心の中で結子の名を呼び続ける朋友・・・
病院へ搬送されている救急車内で両目を瞑り動かない朋友を見つめながら朋友の手を握り締めている結子は、血で染まった掌から清らかな気を朋友に送り続けている。
一分一秒でも早く病院に到着して欲しい。逸り焦る気持ちを乗せた救急車が漸く病院の入口に到着するとストレッチャーの上で横たわっている朋友は病院内へ救急搬送された。
集中治療室に入った朋友を医師たちが治療する。集中治療室前の廊下で朋友の血が付いた服を着ている結子は、深い悲しみにも増して胸に穴があいたような喪失感と罪悪感に苛まれていた。
なぜ止められなかったのか、わかっていたのに・・・未来の記憶でこうなることを知っていたのに、それを回避することが出来なかったからである。
もっと何か他に方法は無かったのか、もしかすると私は大変な誤謬を犯しているかも知れない。何が間違いだったのか・・・自分の不甲斐無さがしきりに悔やまれた。
そして、溢れそうになる涙を必死に堪え、ひとり朋友の回復を願いながら手術が無事に終わるのを待っていた。
暫くすると、寂寞たる院内の通路に高彦と夏子の足音が聞こえて来た。結子を見つけた夏子と健彦は、結子の名を呼び近づいて来た。
そして、結子の表情を見た健彦が「朋友のこと、ありがとう」と感謝の気持ちを込めて結子に優しく声を掛ける。
「いいえ、朋友が私を助けてくれたんです。私を庇って、それで・・・」
肉眼では見ることの出来ないものを感じ、それらを見えるばかりか、未来の記憶の断片を垣間見ることが出来る希有な存在の結子であるが故に強められた自責の苦しみがある。そんな結子の心情を受け止めてやるかのように夏子は結子の手を取った。
「あなたの所為じゃないわ。だから、自分を責めないで」
「私がしっかりしていれば、こんな事にならなかったのに・・・朋友が・・・朋友が・・・」
強靭な精神力を持ち備えている結子とは言え、生身の人間であることには変わりない。況してや、結子は高校生の少女である。
その小さな体で悉く難題を背負い込み、命をかけて強大な魔獣たちと苛烈な戦いを日夜繰り広げる重責は計り知れない。
そんな重荷を捨てたり、放置したり、誰かに押し付けたりする無責任な選択肢を持ち合わせていない結子には安息の時間すらない。
結子にも限界はあり、誰かに支えて貰わなければ潰れそうになる、そんな時もある。
「何も言わなくていいわよ。朋友は、あなたのこと大好きなんだから・・・」
夏子に優しく抱きしめられた結子は、自らを制することが出来なくなって夏子の胸の中で激しく慟哭した。
泣き崩れる結子をしっかりと抱き支えている夏子の視界に入っている集中治療室の扉が静かに開く。
医師たちに付き添われ現れる朋友の姿を見た夏子と高彦は朋友の名を呼ぶ・・・振り返った結子は、涙で翳む朋友の姿を見ながら、声にならない声で朋友の名を呼んだ。
病室に移動した朋友は、両目を瞑り酸素マスクを付けてベッドに横たわっている。
「結子ちゃん、先生と話をして来るから、朋友のことお願いね」
夏子はそう言うと高彦と一緒に部屋を出た。朋友が横たわるベッド脇の椅子に腰をかけた結子は昏睡状態の朋友の手をそっと握り締める。
「朋友、ごめんね、私の為に・・・私の所為で傷ついて・・・ごめん、本当にごめんね・・・」
命の危険を顧みず、身を呈して自分の命を守ってくれた朋友に対して謝罪の心と感謝の気持ちを胸に、唇を震わせながら流涕する結子を見守っていた夜空の月が叢雲に覆われた・・・




