第7章 (2)巨大な鬼
白い靄が樹木の間を這っている鈴◯峠。古社の脇に大磐のある神社境内に浮かび上がる巨大な鬼のシルエット。その周囲を美女の姿をした無数の霊たちが色っぽい仕草をして取り囲んでいる。
「次は貴方の番よ」
「貴方、狙われているわ!」
「どうするの? 黙っていちゃ分からないでしょ! 何にもせずに殺られちゃうの?」
「自分から殺しに行けば? 貴方、強いんでしょ?」
妖艶な気を放ちながら美辞麗句を弄し、大鬼に語りかける無数の艶かしい声・・・
甘言によって突き動かされ、その巨体を揺すりながら立ち上がる巨大な鬼。
無数の子分を従えた大鬼は鈴◯峠のある西日本から東へ向け移動した。
数日後・・・
結子の自宅リビングにあるテレビ画面は「大雨特別警報、死者、負傷者、搬送者 急増」のテロップで埋め尽くされていた。
大雪だった冬が過ぎ、暖かい春になったかと思えば今度は大雨である。
次から次へと迫って来る異常気象現象に嫌気をさしている鏡子の居るリビングに結子が自室から姿を見せた時、結子の体が自身の意思とは関係なく清らかな気に反応したかと思うと女神の声が聴こえて来た。
「巨大な鬼が近づいて来ます!」
「鬼?」
「はい、大鬼です」
結子は双眸を閉じて近づいて来る大鬼の気を全身で感じると閉じた双眸を静かに開いて自室に戻った。
テーブルの上に置いてある携帯電話に手を伸ばしてコールするものの相手が不通なため、結子はバックを片手に急いで外出した。
雨上がりの午後
「痛てぇ〜!」
朱塗りの神社境内に谺する朋友の声。
朋友の足元に蠢く一匹の巨大な百足。
百足に噛まれた朋友の傍らで朋友の大声にかき消された携帯電話のバイブレーションが静かに音を立てている中、朋友の大声を聞いた夏子と高彦が朋友の下へと駆け寄って来た。
朋友が百足に噛まれたことを夏子に伝えると、高彦が毒を抜き取る吸引器を持って来るように夏子に伝え、百足に噛まれた傷口を見せるように朋友に指示した。
夏子は素早い手つきで救急箱から吸引器を出して健彦に手渡し、ふたりが応急処置を施そうとしていると、そこへ何事かと頼光も近づいて来た。
健彦は朋友が百足に噛まれたことを頼光に伝え吸引器を朋友の傷口に当てながら、お湯を湧かすように夏子へ指示をした。
夏子がキッチンへ向かいお湯を湧かしていると近くにあったトングを手に取った頼光。
「儂の孫に噛みつきよるとは魔物よりもタチの悪い節足動物じゃわい」
そう言いながら頼光は狙いを定め、床で蠢動する巨大な百足をトングでつまみ出す。
その様子を横目で見た朋友は、傷口の痛みよりもムカデの形状に戦き寒気がした。
吸引器で百足に噛まれた傷口から毒を抜き出した高彦は、後は熱い湯で患部を温めてから薬を塗って様子をみること、それでも酷くなりそうだったら病院に行くことを朋友に伝えた。
突然のハプニングにも関わらず、落ち着いてテキパキと指示をして適切な治療をしてくれた高彦のことを朋友は頼もしく想いながら、それと同時に少し申し訳ない気持ちがした。
照れくさそうに感謝の意を高彦と夏子に伝える朋友の気持ちを理解している高彦は何も言わずに笑みを浮かべ、百足をつまんで出て行った頼光の後を追い屋外へ向かった。
高彦が屋外へ行ったかと思うと、今度は玄関のチャイム音が鳴るので夏子が軽快な足取りで表に行くと・・・
「こんにちは、鬼塚京一と申します、朋友くんはおられますか?」
鬼塚京一の隣には角田剛毅の姿もあり、朋友の友達が尋ねて来たと笑顔になる夏子は玄関からふたりを屋内へ通してお茶でも入れてやろうとキッチンへ向かった。
「あっ! お前ら!」
鬼塚と角田の突然の来訪に吃驚した朋友の表情を見つめながら角田が声をかけた。
「元気か?」
「元気そうじゃないことは、見りゃわかるだろ・・・」
そう答えた朋友は、何とも言いようの無い複雑な想いでいた。
昨秋、鬼門の神社で壮絶な戦いを繰り広げた相手というか、その相手が憑依していたふたりの男が目の前にいる。
穢れた鬼たちに操られていたとは言え、結子を傷つけ、然も其の癖、卑怯にも結子の父親にまで魔の手を伸ばしたものが家に上がり自分に話しかけている。
しかしながら、朋友には鬼塚と角田に対しての怒りや憎しみの感情は湧いて来ない。寧ろ、親近感を抱き、昵懇の仲であるかのような想いすらする。
朋友は酒呑童子や茨木童子、多数の鬼たちを体感出来たことにより蔓延る悪に立ち向かい激闘を制することが出来た。
当時もそうであったように、此の瞬間も視覚からの偏狭な情報のみに翻弄されていないのである。
鬼塚と角田の背後には酒呑童子や茨木童子は存在しておらず、人体からは穢れた気が放出されていない。
朋友はそれらを研ぎすまされた全身の感覚で捉え膨大な量の情報を正確に処理することにより諸悪の根源を理解しているからこそ、平然とした態度で鬼塚と角田を受け入れることができるのだ。
また、朋友は鬼塚と角田のふたりが肉眼では見えない存在を捉えることができる人物であることも同時に理解していた。
鬼塚が真剣な表情で口を開く。関西にやばい奴がいたのだが、其奴がこっちに向かっているらしいと・・・
真剣な表情をする鬼塚を余所目に玄関のチャイム音が鳴るのでそちらに意識を向ける朋友を凝視する角田は、手土産の情報を無駄にするなという親切心と鬼胎を抱くが故に、朋友に対して叱咤するのだった。
「聞いてるよ、それで?」
言葉の奥にある角田の優しさを感じている朋友は、鬼塚に真剣な眼差しを向けながら角田にそう答えた。
ふたりの気持ちを察している鬼塚は、昔の俺と同じ臭いがする奴だから気をつけろと冷静に朋友へアドバイスするのであった。
礼を言う朋友の耳に聞き慣れた透き通った声が聞こえて来た。そう、結子である。
「お邪魔します」
結子が屋内に入っても廊下を歩く足音だけが微かに響くだけで気配はしない。何故なら穢れた気を体から発しないために空間を汚さないからである。
そうは言っても玄関口から廊下を歩く結子は朋友のいる部屋に近づいて来ることは確かな訳で、朋友は結子が我が家に来た驚きよりも何とも言い難い嬉しさと緊張感が同時に全身を駆け巡り、鼓動の高鳴りを感じていた。
「朋友、何で電話に・・・あっ!」
朋友の足の怪我、鬼塚と角田の存在に驚いた結子をストップモーションのように静止して凝視する3人の若者たち・・・
その静寂を破って、結子に対してばつが悪そうに挨拶する鬼塚と深々と頭を下げる角田は詫びの言葉を並べながら拙く挨拶した。
そんなふたりを尻目に立て込んでいたから電話に出ることができなかったことを結子に伝えた朋友は、自分を案じてくれる仲間たちの優しさに触れた嬉しさを抑えながら、口では次から次へと来訪者が押し寄せる騒がしい日だと言い放った。
そんな朋友の気持ちはすべてお見通しの結子である。一呼吸おいて真剣な表情をした結子は迫り来る恐ろしい妖気について語った。
「ああ! 悪臭を伴う強烈な妖気だなぁ・・・」
そう真剣な眼差しで答える朋友の側で、自分の服の臭いを嗅いだ角田は鬼塚の表情を見て直ぐに我に返ると申し訳なさそうに結子に視線を戻した。
「そう、巨大な鬼よ、こっちに向かっている」
結子の言葉の余韻が漂い、静寂と緊張が空間を支配した・・・




