第7章 (1)未来の記憶
美しい桜の子孫樹が空間を彩る天◯の丘公園(下◯市内)で、映画「狐の嫁入り」の撮影をしている結子と撮影クルーたち。
結子の役は美貌と博識から鳥羽上皇に寵愛され、皇后にまで成り上がった玉藻前(皇后美福門院・藤原得子)の姿をした日本三大妖怪の九尾狐である。
九尾狐は宮中で権力をコントロールして国を支配しようとするのだが、陰陽師に正体を見抜かれたために宮中を脱走することになる物語。
「其方らに、私の本当の姿を見せてやろう」
朧月の下に儚くて優しい影を作っている淡墨桜を背に、煌びやかな衣装を身に纏った皇后に扮する主人公が正体を露わにするシーンを演じている結子。
百花繚乱の桜並木の中で最も輝いている結子の美髪を宙に舞う髪飾りのような桜の花弁が優しく撫でる。
「カット!」
幻想的な空間に甲高い監督の声が響き渡る。
静まり返っていたスタッフたちが一斉に動き出す中、監督から素晴らしい演技だと褒められた結子は照れながら感謝の意を伝えて会釈した。
次のシーンの準備に取り掛かるスタッフたちが慌ただしく動き回っている撮影の合間、事務所のマネージャーである小杉が結子に語りかけていた。
この映画での結子の役柄は妖怪である九尾狐であるが故に小杉は結子が役のイメージを掴み難いのではないかと当初は心配していた。
ところが結子の演技が想像以上に素晴らしいので驚きと嬉しさを隠せない様子である。
小杉がそう思うのも無理はない。何故なら一般の人であれば妖怪なんか見たこともない訳で、九尾狐と言ってもいったいどんな姿なのか、どのような声をしているのか想像するしかないのである。
それは監督をはじめ撮影スタッフ全員に言えることで、その場の全員が架空の妖姫をイメージしながら撮影に臨んでいるのである。たったひとりを除いて・・・
「九尾狐って、どんな姿なんだろうね? 本当にいたらどうする? 恐ろしいよね・・・」
小杉からの問いに答えようと結子が空間に意識を広げながら九尾狐を感じた瞬間、華美な着物を纏いながら肩を震わせ涙している美女の後ろ姿が脳裏に飛び込んで来た。
未来の記憶・・・空間に点在する現在あるものからの情報だけでなく、過去や未来の情報を感じ、それらを全身で受け取る結子の繊細な感覚は清らかさが齎す恩恵であり、人という生命体が人体の機能をバランスよく最大限に有効活用した時に起こり得る現象なのである。
つまるところ、清らかであればある程より空間を正確に認識することができるようになり、自分以外の全てのものに対して悪影響を及ぼすことや、劣化させることのない状態に近づくことを意味する。
結子の其れは、自分の感情から何かを願い心の中で思い描く想像や根拠のない妄想とは違う。
また現実にはあり得そうもないことを心に思い描く空想や幻影を追いかけるような幻想とも明らかに違い、自らが生み出しているものとは異なる情報を空間から得ているのである。
咲き誇る桜の花吹雪を背に、又しても自分に見える光景に驚きながらも全身で受け取る情報を冷静に精査する結子であった。
翌日の昼間
足◯の街を眼下に眺めることができる朋友の自宅である神社。週末でも休みの無い朝日家は、いつものように宮司の高彦が拝殿内で祝詞を奏上しており、社務所では夏子が御札や御守りを授与していた。
「夏子さん、朋友はおるか?」
朋友を探している頼光は、夏子から朋友は晩ご飯の買出しに行っていると聞かされてもまだ落ち着かない様子である。
朋友を探している訳を夏子から聞き返された頼光は何でもないと理由を明示することは避け、ひとりソワソワしていた。
そうこうしているうちに、買出しを終えた朋友が勢いよく帰って来た。夏子に声をかけてから買ってきたものと釣り銭を台所のテーブルに置きに行こうとする朋友へ頼光が声をかけた。
「何だよ?」
「いいから、黙ってついて来い!」
朋友に対して着いて来るように言い放ち居間に向かう頼光。仕方なしに後ろを着いて行く朋友は、頼光の真意を知らぬまま指示に従い居間へ入る。
その頃・・・
晴れ渡る空の下、結子は下◯市役所前の広場にいた。栃◯県下◯市の一日観光大使に任命された結子は、観光協会が主催するイベントに出演していた。
地元のテレビ局でも放送されているご当地アニメのキャラクター衣装に身を包み、結子は観光大使の襷をかけている。
そんな結子の目前には結子を一目見ようと雲霞の如く押し寄せた大勢の人たちが結子と握手するために列を成していた。
握手をしながらひとりひとりに笑顔で優しく答える結子。若い男子だけではなく、親子連れや女子たちからも歓喜の声が上がる中、結子の全身が一瞬にして硬結すると同時に結子は強烈な妖気を感じた。
激しい眩暈が起こったかのように左右へ蹌踉めきそうになる体を倒れないように必死に踏み堪え、穢れを受けないために浅くなる呼吸を冷静に整える結子の表情は真剣味を増した。
「何か、来る!」
空間に意識を広げる結子は、この土地に迫って来る危機を華奢な体で受け止め、体感からの情報により察したのだった。
朋友を居間に呼びつけた頼光は、息子の高彦から朋友が魔物や妖怪について語っていたことを聞かされたと朋友に伝えたうえで、その真意を尋ねた。
正直なところ朋友は煩わしく想った。何故なら、肉眼では見えない存在のことを体感に乏しい人物に対して正確に伝えることが困難であることを十分に理解していたからである。
だからと言って祖父である頼光に嘘を付くことも心が許さず、板挟みに合いながらも頼光からの質問に素直に向き合う朋友。
真剣な表情をしている頼光から魔物や妖怪と家宝の御剣とは何か関係があるのかと尋ねられた朋友は、ご先祖様からの御剣で魔物を退治することができることをストレートに伝えると、間髪容れずに頼光から鋭い質問が浴びせられる。
「お前はその魔物や妖怪が見えるのか?」
正直に答えてしまう朋友は、頼光には到底理解されないだろうと想う気持ちと、上手く説明することができない自分に対しての苛立ちが募る。
「頭がおかしくなったのかって言いたいんだろ?」
更に真剣味を増す頼光から魔物や妖怪の姿が見えるのかと問い詰められる朋友。
「おう、見えてるよ、それが悪いか!」
頼光からの問いに対して思わず勢い任せにそう言い返してしまい、朋友の心に後悔の念が過った瞬間・・・
「流石は儂の孫じゃ!」
目尻を下げて大喜びする頼光・・・朋友はそんな頼光の表情を見て、想像していた反応とは違い案外まともなので拍子抜けした。
頼光によると頼光の祖父、つまりは朋友の高祖父である経基が魔物や妖怪を見えていたそうで、家宝の御剣を大事にしていたことを頼光は幼い頃に父親から聞かされていたとのことだった。
「爺ちゃんの祖父ちゃんって、経基って言うのか・・・」
「そうじゃ、その経基祖父さん以来じゃ、朝日家で魑魅魍魎が見えるもんが生まれたのは!朋友、でかしたぞ、これは一大事じゃ!ハッハッハッハッ」
喜びのあまり高笑いしながら居間を出て行く頼光。経基と御剣の経緯を知った朋友は頼光を通じて高祖父からの想いを託かった気がした。
頼光と高祖父の話をしながら過去からの情報を感じていた朋友が空間に意識を広げた途端、永きにわたってこの世界に逗留している異様な妖気を体感した。
「何だ、これ? 何の気だ!」
遠くを見据えるような眼差しで空間に意識を向ける朋友は、禍々しい妖気が迫ってくることを結子と同じように感じたのであった・・・




