第3章 (3)過去 〜酒呑童子〜
倉庫前でひとり仁王立ちしている鬼塚京一・・・
鬼塚に重なるようにして憑依している巨大な酒呑童子は、空間に人々の強欲が満ち溢れている東京という場所で力を増幅させていた。その場所は過去のどんな時代よりも穢れが集積している場所である。そんな好条件の地で誰にも気づかれず、邪魔をされることもなく縦横無尽に動き回ることができる現代社会。
そんな場所で人の欲という餌を得続けた鬼たちは嗜虐心が激しさを増し、狡猾な手段も習熟してゆく。
禍々しい妖気を放ちながら赤く光る鬼塚の双眸・・・その奥底には時を超えた記憶が刻まれているのである・・・
時は遡り、古の時代。
須佐ノ男命という神との戦いに破れた巨大な大蛇が落ち延びた山麓。その集落に住んでいた妖艶な娘を見つけた大蛇は、その娘を利用するために容姿端麗な男に成り済ました。そして、娘が父親に連れられて来た桜花を愛でる席で舞を披露することにより娘の懐に入り込み、心を鷲掴みした。
美男子の姿をした大蛇に目を釘付けにされた娘は大蛇の餌食となり、男に恋慕の情を抱くようになる。
悩殺された娘は暫くしてから男との間に子を身籠った。
「懐妊でございます」
心を寄せる男との子を身籠った娘は、燃え上がるような熱い想いを胸にしながら懐妊の知らせに愉悦する。
しかしながら、時の経過と共に娘は腹の子にすべての生気を奪われ、男子を出産すると同時に死亡した。
男は大蛇へと姿を変え、更なる地を求めて暗躍する。
その後、その集落では大災が続き、死者が続出することから娘の生んだ子は鬼の子であり災いの元凶だと罵られる。そして、男子は近くの寺に稚児として出され人々からの怨念を一身に受けるのである。
大蛇の意志を受け継いだ子は、寺においても煩悩を拭い去ることのできない僧侶たちの心と体を利用した。僧侶たちに穢れた気を法力だと思い込ませ、人の手で仏像から仏様を追い出し、穢れた魔獣を仏像に憑依させた。
当然の事ながら寺では災いが絶えず、弄ばれた僧侶たちは至るところで凄惨な事件を起こす。寺僧たちは大勢の人々の死を目の前にしても事の因果関係もわからず、その後は互いに歪み罵り合い、挙げ句の果てには自身が謀殺されたことも知らぬままに朽果ててゆく。
時を経て、若者となった大蛇の子・・・父親に似た美貌の持ち主は、出逢う女性すべての心を奪い弄び、恋心を巧みに操りながら強欲と嫉妬心を搔き立てる。巧言令色を弄し、人を陥れ破滅に追いやる術を学び、娘たちから生み出された怨念を更に一身に受け止め、自らの妖気を強大なものにしていった。
禍々しい妖気を増幅させた大蛇の子は、更なる力を得られる場所を求めて欲に満ちた人たちが集まる京の都近くの山に潜み、峠にある塚を根城にして暮らすようになる。
人の欲と言えば酒場・・・夜ごとに遊女を侍らせ酒色に酖溺する美男子の姿は、何時しか「酒呑童子」と呼ばれるようになる。
人々の欲が鎮まらない限り衰えを知らない酒呑童子は、強欲を喰らい仲間の鬼を増やしながら京の都で長い月日を過ごした。
時が経ち・・・南北朝時代に幽霊や妖怪を感じることができる人物が現れ、都を頻繁に襲う大災や奇怪な事件の原因が近くに住む鬼の仕業であることを突き止める。
幾人かの究竟な男たちが鬼退治をするために招集され、隠れた闇を白日の下に晒すために立ち上がる。彼らは鬼たちの計略を上回る謀を考え戦いを繰り広げたのである。そして、山に潜伏したものたちの首を刎ね、成敗した・・・
その出来事を後世に伝えようと書に記すことにより、それらの出来事は伝説となり、更に時を経て諸説が唱えられるようになるのである。
しかしながら、実のところ・・・
当時、苛烈な戦いの末に成敗されたのは取り憑かれ利用されていた人の肉体であり、肉眼で見る事のできない本物の酒呑童子や子分の茨木童子たちを退治することはできていなかったのである。
その事実は現代社会の荒廃ぶりを理解できるものからすれば疑いの余地はない。肉眼では見えない世界で暗躍するものたちを野放しにしているからこそ、怒濤の勢いで世は乱れ、人もまた穢れ鈍化し、脆弱化する・・・
積年の恨みや憎しみ、歴史の過ちを理解したうえで、それらを正しく受け止め姦邪を芟除し、歴史の裏で暗躍する穢れし存在たちと対峙すること・・・
それは汚穢に塗れた世界であっても清らかな心と体を維持しながら繊細に空間の善し悪しを体感することができる強者のことである。