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wink killer  作者: 優月 朔風
第8章 少女と「少女」
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第91話 唯一の償い

 「な……何言ってんだよ……未玖?」


 突拍子もない彼女の発言に、思わず口から乾いた笑い声がこぼれ出す。

 彼女が何を言っているのか、理解できなかった。


 《私のことを、転送して欲しいの》


 だってそれは、あまりに唐突で――


 「冗談だろ……?」

 「冗談なんかじゃないよ」

 「ならどうして……!」


 俺は声を震わせながら、拳を強く握りしめた。

 彼女の表情は真剣そのもので、とても冗談で言っているようには見えなかった。


 「…………」


 その涙で潤んだ瞳が、震える唇が、悲哀に満ちているように見えて、

 彼女がどうしてこんなことを言っているのか――俺には理解できなかった。


 「言っただろ、俺達は繰り返しているんだって」

 「…………」

 「俺も、君と同じだったんだ! 俺も生前、君と同じように死神の力を手に入れた!」


 俺は早口でまくし立てていく。


 「俺も、君と同じように苦しんだ。そして、大切な人を守るためにこの力を使おうと思った」

 「でも、それは叶わなかった」

 「俺は殺してしまった。大切に思っていた人を殺してしまったんだ……この手で」

 「でも君は間に合った……殺さずに済んだじゃないか!」

 「どうして……そんなこと言うんだよ……」


 焦る俺の言葉を、彼女は静かに聞いていた。

 そして、彼女はうつむいてから、ボソリと小さな声で呟いた。


 「もう遅いよ、ミタ」


 うつむく彼女の瞳から、透明な雫がこぼれ落ちた。


 「……私はもう、大切な人を失ってしまった」


 悲哀に満ちた彼女のその言葉に、俺は――何も言うことができなかった。

 光を失った薄暗い部屋の中で、俺は彼女に返す言葉もないまま、呆然と彼女のことを見つめていた。


 「私は弟を失った。そして……私は自分の手で、大切な友人を一人殺してしまった」

 「な…………」

 「大切な人を殺してしまう運命にあるというなら、私はこの先、きっと……」


 彼女はうつむいていた顔を上げ、真っ直ぐに俺を見た。

 その瞳は涙に濡れ、恐怖に怯えていた。


 「きっといつか、あの二人も殺してしまう……この手で……」

 「…………!」


 その手はひどく震えていた。

 冷たい空気が、二人を包み込んでいく。


 《私達は皆、大切な者を失う連鎖に巻き込まれている》

 《おそらく私達は、それに抗えないようにできているんだ。だから、お前のせいじゃない》


 「未玖……」


 間に合ったのだと思っていた。

 俺は――俺達はようやく連鎖を止めることができたのだと、思っていた。


 《私は自分の手で、大切な友人を一人殺してしまった》


 でも、現実は違ったのかもしれない。

 俺は――俺達は、既に手遅れだったのだ。


 「そうなる前に、どうか……私に罪を与えた、その手で……――」


 彼女の声は震え、最後の方は掠れてほとんど聞き取れなかった。

 それでも、俺を見る目だけは真っ直ぐだった。


 彼女の瞳に宿っていたのは、揺るがない決意だった。


 「ミタならできるんでしょ……ねぇ、死神」

 「それは…………」


 《俺のことを、殺してくれ。俺に罪を与えた、お前の力で……》

 《お前ならできるんだろ。……なぁ、死神?》


 自分を殺すように願う未玖の姿が、かつての自分に重なって見えた気がして、

 俺は彼女に何と言っていいか分からなかった。


 死神が生きている人間の魂を転送することは、死神にとって大罪にあたる。

 だから、そんなことはできないと――


 (言えるわけ……ないだろ……)


 そんなこと、君に言ったところでどうしようもないじゃないか。


 だって、君をここまで追い詰めたのは、

 心の優しい君に十字架を背負わせたのは――俺なのに。


 俺があのとき君に死神の力を与えなければ、君がこんなことを願うこともなかった。

 君をここまで苦しめたのは、他でもない俺だというのに――。


 「……分かった」


 光の差し込まない薄暗い闇の中で、冷えきった空気が肌に触れる。

 俺は静かに呼吸しながら、過去の自分達のことを顧みた。


 奪ってしまった他人の人生の重みに耐えかねず、殺してくれと頼んだ、かつての自分のことを。

 告げるべき言葉を迷い、その表情を苦悶に歪ませていた――かつての死神のことを。


 あのとき、チサが何故俺に本当のことを言わなかったのか、今の俺なら分かる気がした。

 きっと彼女も、俺と同じように苦しんで――。


 「良かった……これで私は、これ以上大切な人を傷つけずに済むんだね」


 未玖は震える手を抑えながら、何度も「良かった」と呟いていた。

 俺はうつむいたまま、歯を喰いしばっていた。


 《なあ、お前。何で……あんなこと、したんだ》

 《さあな……憎かったんじゃないか。殺したってことは》


 まだ俺が天界にいた頃、大罪人の様子を報告するよう「あの人」に頼まれていた俺が、獄中のチサに言われた台詞。

 記憶を失った彼女は、窪んだ眼の中に哀しみを浮かべ、どこか遠くを見つめていた。


 今なら分かる。

 お前がどうして大罪を犯したのか。


 「俺達はきっと……また、繰り返す」


 お前も、俺と同じように……ずっと苦しんでいたんだよな。

 人間に力を分け与えてしまったことに。


 「でも、誰かが止めなくてはいけないんだ」


 そしてお前も、ずっと考えていたんだ。

 どうすれば、この罪を償うことができるのか、と。


 「だから、今度は君が……」


 だから、お前も俺も、本当のことは言えなかった。

 自分を殺してくれと願う相手の頼みを、断ることができなかった。


 お前も俺も――これが、自分のしてしまったことに対する、唯一の償いだったから。



 「君がこの連鎖を断ち切ってくれると、信じている」


 また繰り返してしまうと、分かっていながら。

 背負いきれない罪を背負わせてしまった俺が、彼女のためにしてやれることは、もう――


 もう、このくらいしかないのだ。


  ☆★☆


 目の前の死神は、涙を湛えた赤い瞳でこちらを見ていた。

 彼は歯を喰いしばり、私に真剣な眼差しを向けている。


 《私のことを、転送して欲しいの》


 ミタは戸惑っていた。

 それでも、私は彼に頼むしかなかった。


 正直、怖くないと言えば嘘だった。

 死ぬのは怖い。

 一人で死ぬのはもっと怖い。


 でも――


 《大切な人を殺してしまう運命にあるというなら、私はこの先、きっと……》


 それ以上に、大切な人をこれ以上傷つけてしまうのが、怖かった。

 これが抗いようのない運命だというなら、私にできることは一つしか思い浮かばなかった。


 《絶望したって、嘆いたって、後悔したって、謝ったって……傷つけた人は返ってこない。失った人も……返ってくることなんてない》

 《傷つけた人達のためにも、進むしかないんだよ。その先に、理想の結末があることを信じて……それが私達にできる、唯一の贖罪(しょくざい)だと思うから》


 私が前に進む方法は、これしかなかったのだ。

 これが、自分のしてしまったことに対する、唯一の償いだったから。


 《そうなる前に、どうか……私に罪を与えた、その手で》


 だから、私はミタに頼むしかなかった。

 せめて、ずっと私に寄り添ってくれていた彼の手で……私を終わらせて欲しかった。



 震える手を抑え込む。

 私はゴクリ、と唾を飲み込んだ。


 死んだら、私はどうなるのだろう。

 ミタが言うように、私も死神になるのだろうか。


 でももし、そうじゃなかったら。


 もしかしたら、またあの暗闇に閉じ込められるのかもしれない。

 罪を重ねた私は地獄に送り込まれ、永遠に出て来られないのかもしれない。


 そう思った瞬間、急に怖くなった。

 後悔が一瞬、脳裏を過ぎった。


 そんなとき、どこからか懐かしい声が聞こえた気がした。


 《何度選択を間違えたって、何度それを繰り返したって、私達は少しずつ前に進めるはずよ》


 彼女の言葉が、私の背中を押す。

 その言葉に、手の震えは少しずつ収まっていった。


 そうだ。

 もしこの選択が間違っていたとしても――私は、私達は、前に進むんだ。


 正しい答えを求めて、私達は苦しみながら、少しずつ前に進み続ける。

 たとえ――同じ過ちを何度繰り返したとしても。



 「君がこの連鎖を断ち切ってくれると、信じている」


 彼は真っ直ぐに私の瞳を見つめてそう言った。

 私も彼を見つめ、こくりと頷いた。


 《次は私が、あなたの代わりに、あなたの信じることを証明してみせる》


 私は、進む。

 それが――彼女(前世の私)との約束だから。



 月にかかっていた雲は晴れ、窓の外からは再び月明かりが差し込んだ。

 仄かな白い光は私達の頬を照らし、静かな沈黙が私達を包み込んでいく。


 彼はゆっくりと右目を閉じ――

 その瞬間、古い白黒映画のような映像がパラパラパラと目前に浮かんでいった。


 きっと、これが走馬灯なのかもしれない――薄れていく意識の中で、私は淡々と思った。



 《ねぇ、君さ、まだ名前聞いてなかったよね? 何て名前?》

 《私は……蒲田未玖だけど、あなたは……?》

 《俺はミタ。これから俺を呼ぶときはミタで良いよ》


 《もし、また不審者に襲われたりして危ない目にあったとしても、その力は君を守るよ……よかったね、君》


 初めて会ったときの彼はぶっきらぼうで、強引で、

 人の命を何とも思っていない、残酷な死神だと思っていた。


 《冗談だよ馬鹿。俺だってこう見えて、君に死なれたら寝覚めが悪いんだよ》

 《ほら、帰るぞ。君の家に》


 けれど、彼は思っていたよりずっと優しくて、

 彼はずっと、思い悩んでいた私のことを支えてくれた。


 《うん。じゃあ、帰ったら一緒に見よっか》

 《何を言っているんだ。俺が一人で好きなやつを見るに決まってるだろ? 君は一人でトランプなりオセロなりしていればいいじゃないか》

 《いいじゃん、私の部屋なんだから! 一緒に見ようよ》

 《えー。君がいると集中して見られないじゃないか》


 《やったー! また私の勝ち!》

 《くっ……まったく、運だけは強いよね、未玖は》

 《運じゃなくて、ミタの思考を読んだんですぅー》

 《そんなこと君にはできないだろ》


 時にはどうでもいいことを言い合ったりして、


 《私が苦しいとき、彼は私を支えてくれた》

 《私はミタを頼った。なのに、ミタは私を頼ってくれないんだ》

 《彼にとって私は――死神にとって私は、ただの『人間A』に過ぎないんだ》


 時にはすれ違ったりもしたけれど、


 《ありがとう。やっと本当のこと、言ってくれた》

 《私はもう、『人間A』じゃないんだね》


 彼は最期に、やっと本当のことを言ってくれた。

 やっと、私のことを頼ってくれた。


 私を、「人間」としてではなく、「蒲田未玖」として認めてくれた気がした。

 だから、私は――。



 《いつか死んでしまうとしたら、私の側には誰がいるだろうか》


 あのね。私にはミタがいてくれたよ。


 《そのときに私は、大切な人を守って死ねるだろうか》


 守り切れない人もいたし、傷つけてしまった人もいたけれど……

 私はこれ以上大切な人を失わないように、「より正しい」選択ができたと思う。


 《そんな日がいつ来るかなんて分からないけれど、大切な人が皆……》


 私は、進む。


 《どうか、いつか皆が幸せになれる日が来ますように》


 いつか、私達が悲劇を終わらすことのできる日を願って。



 《私を、「人間」としてではなく、「蒲田未玖」として認めてくれた気がした》

 《だから、私は――》



 ああ、そうか。

 私は、ずっと、


 ミタのことが――。



 白黒映画は最後に白一面の画面を映して消えた。


 最期の瞬間、私の右目から涙がこぼれ落ち――

 瞑った彼の右目からもまた、涙がこぼれ落ちた。


 まるで同じ映画のシーン(走馬灯)を観たかのように――。



 死神だけが取り残された部屋の中を、天から差し込んだ仄白い月影が静かに照らしていた。

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