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wink killer  作者: 優月 朔風
第8章 少女と「少女」
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第89話 何度過ちを繰り返したとしても

 金色の光の粒に包まれる世界の中で、私と彼女は向き合っていた。

 彼女は泣き腫らした目で、照れくさそうにはにかんだ。


 「私と彼女は、親友だった。――少なくとも私は、そう思っていた」


 彼女は目の前に並ぶ絵画を懐かしむように見つめながら、切なげに微笑んだ。

 絵画の中の銀髪の彼女が、前世の私に微笑みかけている。

 二人は同じように黒いコートを羽織り、その瞳には夢や希望が映っているように見えた。


 「私達は他の誰よりも強いエネルギーを有していた。そのせいかは分からないけど、私達はいつしか生前の記憶を取り戻した」


 彼女が何を言っているのかはよく分からなかったが、私は黙って続きを促した。

 彼女はどこか遠くを見つめながら、静かに呟いた。


 「私達はそれぞれ、生前、人に裏切られ世界に絶望し――そして、自ら死を選んだ」

 「…………」

 「人として死んだ私は、『天界』と呼ばれる場所で『あの方』と契約を結んだ。……そして、この黒い装束を身に(まと)うようになった」


 そう呟いた彼女の瞳は、切なげに揺らいでいた。


 「私はこの世界にまつわる多くの書籍を読み、そして気がついた。絶望するだけでは何も生まれないのだと」


 すると、彼女はふと穏やかな表情になった。


 「だから、私は信じるようになった。私達は、少しずつ前に進めるのだと」


 彼女は隣の絵画を見やると、懐かしむように微笑んだ。

 絵画の中の彼女は、友人達の尊敬の眼差しを受けながら、真っ直ぐ前を見つめていた。

 知性に富んだ瞳は理想に輝き、その表情は穏やかで優しいかつての彼女のものだった。


 《何度選択を間違えたって、何度それを繰り返したって、私達は少しずつ前に進めるはずよ》

 《だからきっと――その先に「正しい未来」があるのだと、私は信じているわ》


 ふと、どこからかそんな彼女の声が聞こえた気がした。


 「私は理想ばかり追い求めていた。私はただ――現実から目をそらしていただけだったのかもしれない」


 彼女は隣の絵画に視線を映した。

 そこには白い服を纏った人物に心臓を貫かれ絶命する、彼女の姿があった。


 その絵画の中には、かつての凛々しかった彼女の面影はなくなっていた。


 「長い長い、長過ぎる時の中で私にできたことは、自らの過去の記憶をなぞることだけだった」

 「…………」

 「暗闇の中に閉じ込められて、私は絶望した。私はずっとこのまま、出ることは叶わないのだろうと」


 《ここはどこなの……真っ暗で、何も見えない》

 《お願い……誰か、私を助けて……私を独りにしないで……》


 一番端に並んでいた黒い絵画から、彼女の声が聞こえた。


 《そうよね……。誰も……助けにくるはずないじゃない……》

 《だって私は……もう死んでいるのだから……》


 「長過ぎる時間は、私から理想を奪い去るには十分だった」


 《『正義』なんて、『愛』なんて存在しなかったのよ》

 《『神』なんて存在しなかった》


 「私の有り余る記憶力は、絶望を永遠に忘れさせてくれなかった」


 《私はもう、騙されない。そんなものにすがったりしない》

 《私はもう、幻を――その裏にある『悪意』を、見抜くことができるのだから》



 「私は、間違ってしまった」


 真っ白な床の上に、彼女は崩れ落ちた。

 泣き腫らした赤い目でこちらを見つめる彼女の表情は、苦しみに歪んでいた。


 「暗闇に押し潰されて、ずっと信じてきた自分の理想を捨ててしまった」


 《絶望するだけでは何も生まれないのだと》


 「嘆いたところで、何も変わらないというのに」

 「…………」

 「いつのまにか、何が正しい答えなのかも、自分が何を目指していたのかも分からなくなってしまった」

 「…………」

 「私は選択を間違えた。あなたの大切な人を傷つけた。どんなに後悔しても……私のやったことは許されることじゃない」


 彼女の瞳が潤んでいく。

 目の前の彼女は唇を強く噛み締めながら、うつむき小さな声で何度も謝っていた。

 ポタリ、ポタリと零れ落ちていく涙が、光の粒に照らされてキラリと輝く。


 「…………」


 責める気になんて、なれなかった。

 だって、彼女は私と同じだったのだから。


 彼女はずっと――暗闇の中で、たった一人で苦しんできたのだから。


 私は震える彼女の手を取った。

 細くて冷たい手だった。

 彼女は顔を上げ、私を見つめた。


 「何度選択を間違えても、何度過ちを繰り返しても、私達は少しずつ前に進めるはず」

 「…………!」


 これは、かつての彼女の台詞。

 彼女が理想を抱いていた頃の、真っ直ぐで力強い――彼女の「正義」。


 「あなたも私も、何度も過ちを繰り返した」


 私は「でも、」と付け加えて続けた。


 「絶望したって、嘆いたって、後悔したって、謝ったって……傷つけた人は返ってこない。失った人も……返ってくることなんてない」


 私は大切な友達をこの手で殺めた。

 弟を失った。弟を殺した犯人を殺した。

 他にも、人の命をたくさん奪ってきた。


 私の罪は決して許されることはない。

 もう誰も傷つけたくないと思った。

 消えたい、と思った。


 でも、私と同じ彼女を見ていて気がついた。


 絶望したところで何も変わらないのだと。

 後悔したところで、失ったものは返ってこないのだと。

 逃げたところで、私達は一歩も前に進むことなどできないのだと。


 私達は、完璧じゃない。

 不完全な私達は、誰かを傷つけずに生きていくことなどできない。


 きっと――

 誰もが誰かを傷つけながら、皆等しく、罪を背負って生きているのだから。


 「だから私達は進むしかない。私達は何度過ちを繰り返したとしても、より『正しい』と思える選択を目指して……進むしかない」

 「…………」

 「傷つけた人達のためにも、進むしかないんだよ。その先に、理想の結末があることを信じて……それが私達にできる、唯一の贖罪だと思うから」


 私は照れくさそうに「これはあなたの言葉だけどね」と言ってはにかんだ。

 震える彼女の小さな手を、そっと両手で包む。

 うつむく彼女の瞳から温かいものが零れ、私の両手にポタリと垂れた。


 「次は私が、あなたの代わりに、あなたの信じることを証明してみせる」


 彼女は静かに涙を流しながら、肩を震わせていた。

 淡く輝く光の粒達が、キラキラと音を立てて彼女の周りに集まっていく。


 すると、彼女の姿が次第に薄くなっていった。


 金色に輝く光の中で、彼女はふと顔を上げた。

 彼女の顔いっぱいに、穏やかな微笑みが広がっていた。

 それはまるで、何かに安心したかのようで、


 「ありがとう。こんな私に――手を差し伸べてくれて」


 それは貼り付けていた今までの笑顔とは違う、彼女の心からの笑顔なのだろうと思った。

 何故なら、優しく微笑む彼女の瞳が、今は――


 「ようやく……解放された気がするわ」


 ――心から笑っているように見えたから。



 温かな微笑みを残しながら、光の中で、次第に彼女の輪郭が薄らいでいく。

 やがて彼女の姿は完全に見えなくなり、そこには、キラキラと零れる光の粒だけが残っていた。



 彼女のいなくなった世界の中で、私は穏やかな気持ちに包まれながら、彼女が描かれた絵画を眺めていた。

 絵画の中の彼女の満ち足りた表情を見て、私は思った。


 ようやく、分かった気がする。

 初めから「完璧」なものなんてなくて、私達は正しい答えを求めて、苦しみながら、少しずつ前に進むしかないのだ。


 何度過ちを繰り返したとしても。

 少しずつ、少しずつ。


 少しでも――「完璧」に近づけるように。



 「さようなら――前世の私」


 真っ黒な絵画の隣に新しく付け加わった、一枚の絵画。

 そこには、金色の雫に包まれ満足そうに微笑む、彼女の最期の姿があった。

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