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wink killer  作者: 優月 朔風
第8章 少女と「少女」
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第86話 抗う

 そのとき、俺が見たのは予想していた通りの光景だった。

 そして――そうであって欲しくないと願っていた光景だった。


 「未玖……!」


 先刻、未玖を追っていた自分の脳裏に流れたセピア色の映像。


 見覚えのあるアイスの店。

 人気のない道沿い。

 薄暗いトンネル。

 そして、満咲と相対する――未玖の姿。


 そこまで映したところで、映像は途切れた。


 そのとき、俺には分かっていた。

 これが、近い未来に起きる出来事なのだと。

 そしてこれはおそらく、チサや俺達のように下界に来た死神にしか見えない、何か特殊な能力なのだろうと。



 「未玖……君、な……何やってんだよ……?」


 俺は苦し紛れに笑いながら、彼女に尋ねた。

 その答えを聞く前から、俺には分かっていた。


 《私達は繰り返しているんだ、高弘》


 《さようなら、石見高弘》

 《お前なんて、守る価値も無かったのに》


 脳裏に過去の記憶が去来していく。

 自らの悲惨な過去を思い返しながら、俺は真っ直ぐに目前の彼女の姿を見つめた。


 「未玖、君は悪くない。だから、もうやめにしよう」


 俺達は抗う方法も分からぬまま、ただ繰り返している。


 《あなたのことが、大好き。》


 ――大切な人を自らの手で殺めてしまう、悲劇の連鎖を。


 「…………」


 未玖は依然として口を閉じたまま、こちらを見ていた。

 が、再び、彼女は自分にしがみつく満咲の方へと視線を戻した。


 彼女の視線がぐらついていた。


 「済まなかった、未玖。あのとき、君を置いて俺は自分を優先してしまった」

 「…………」


 俺は早口で言葉を並べていく。


 「でも、俺も……俺もそうだったんだ! 俺達は繰り返している、だから――」

 「五月蠅(うるさ)い……黙れ、死神」


 目前の未玖は目線をこちらに向けることなく、静かにそう呟いた。

 今までに聞いたこともないような彼女の低い声に、俺は背中にゾクリ、と悪寒が駆け抜けていくのを感じた。


 ――いや、何かがおかしい。

 未玖に何があったにせよ、今目の前にいる彼女は、明らかに以前の彼女と雰囲気が違い過ぎる。


 「み……未玖……?」


 それに、この気配はなんだ。

 俺を押し潰そうとするほどの、泥のように濁ったこの重たい気配は。


 こんな強いエネルギーは、今まで感じたことがなかった。

 明らかに人間のものじゃない。

 これじゃあ、まるで……死神じゃないか。


 それに、エネルギーの質も、量も、違い過ぎる。

 俺とは比べ物にならないほど――。


 背中に、嫌な汗が流れた。


 《多くの魂はエネルギーを失った状態で生まれ変わる》

 《精神エネルギーは恐らく人の思念が詰まった情報データのようなものだと考えられているから、生まれ変わった人間が前世の記憶を有していないのはそのせいだと考えられる》


 ふと、以前チサに言われた言葉が頭に過ぎる。


 《しかし、高い精神エネルギーを持つ魂は、エネルギーを身体の中に僅かに残したまま生まれ変わることがある……そのような魂が稀に存在し、能力や潜在的な感覚を前世から受け継ぐ場合がある》

 《そしてごくまれに、記憶をも留めている場合がある、ということだ》


 まさか……

 もし、君の魂の秘めていた膨大なエネルギーが、強い思念として、君の中に記憶として残っていたのだとしたら。


 《だが、ここで私は思うんだ……前世の自分は、本当に自分なのか、と》

 《仮に前世の記憶を留めていたとしても、それは現世の自分の人格と両立し得るものなのか、とな》


 目の前にいる彼女は、まさか……。


 「未玖……」


 少しずつ彼女の元へと歩を進めていく。

 その度に、彼女から漏れ出した重厚なエネルギーが、俺を押し潰そうとする。


 「……いや、」


 彼女は依然としてこちらを見ようとはしなかった。

 本能が危険だ、と叫んでいるような気がした。

 それでも、俺は少しずつ前へと歩いていった。


 背筋に冷たい汗が流れる。

 俺は静かにスゥ、と一つ呼吸を置いてから、目前の彼女を睨みつけて言った。


 「お前……未玖じゃないだろ」


 その瞬間、彼女の瞳孔が大きく開いた。

 彼女はしばらくの間沈黙し、そして――


 「私の……邪魔をするな!」


 俺を強く睨みつけたかと思えば、勢いよく左手で俺の首を掴み上げた。


 細い腕のどこにそこまでの力があるのか、彼女はギリギリと強い力で俺の細い首を締め上げていく。

 必死の抵抗も空しく、俺の華奢な手足では、彼女の力に対抗することすらできなかった。


 「み……未玖を……返せ」


 俺は心中の焦りを誤魔化すように、彼女を睨みつけ、ありったけの力を籠めて威嚇した。


 自分とは比べ物にならないほどのエネルギーが、俺の身体を、心を、押し潰していく。

 冷静な思考は回らず、苦しい呼吸の中で俺はただひたすら、自分の首を絞める彼女の腕を掻きむしることしかできなかった。


 何なんだ、こいつは。

 何なんだ、このエネルギーは。


 俺が、どうにかできる相手なのか……?


 「か……返せ……」


 細くなった気道から漏れ出した弱々しい声が、血走った彼女の目をさらに充血させていく。


 彼女の様子は、どこかおかしかった。

 掠れていく視界に、肩を上下させる彼女の姿が映る。

 周囲の音が次第に遠のいていく中、彼女の荒い呼吸が聞こえてきた。


 「私は……消えない……消えてたまるか……!」


 目の前の彼女が何かを言っている。

 彼女の解き放つ重圧に、俺は今にも押し潰されてしまいそうだった。


 思考がままならない。

 呼吸は苦しくなっていく一方で、心中に焦りばかりが募っていく。


 僅かばかり傷をつけた彼女の腕に、緑色の光が集まっていった。

 乾いた視界の隅に、傷口が修復されていく様子が映る。


 (まさか……こいつ)


 時を司る、呪われた緑のエネルギー。

 圧倒的なポテンシャル差を前にして、俺は遂に――戦意を喪失した。


 (こんな奴に、どう抗えっていうんだ)


 俺は掻きむしる手を止める。

 朦朧としていく意識の中で、俺の脳裏にある映像が浮かんだ。


 《土井……教授……何で……っ》

 《『何で』? ……決まっているだろう。お前は……お前らは……俺を裏切ったからだ》


 これは、走馬灯か?

 それなら――

 ついに俺にも、()()()()()()が見えるようになったってことか。


 《お前を助けてやる》


 そうか。あのときも俺は、こうやって死にかけて……チサに救われた。


 《もしかして、私を助けてくれたの?》


 そして同じように、俺も、殺されかけていた人間の少女を助けた。


 《私達は繰り返しているんだ、高弘》

 《お前がこの連鎖を断ち切ってくれると、信じている》


 (ハハ……そうだよな。アイツに託されたんだった)


 そうだ。

 誰かが断ち切らなければいけないんだ。


 諦めるにはまだ早い。

 俺が――この連鎖を断ち切らなければならないのだから。


 (俺には……まだ手があるはずだ)


 俺達が、再び悲劇を繰り返すことのないように――。


 首を絞める力は一層強まっていく。

 途切れそうになる意識を辛うじて繋ぎ止め、止まりそうになる思考を何とかして回す。


 (俺は、コイツに力で勝つことはできない)


 でも、それなら考えるしかない。

 力で敵わないなら、考えろ。

 今のコイツは、おそらく冷静さを失っている。


 俺もそうだった。


 コイツのエネルギーに圧倒された瞬間、頭が真っ白になって。

 どうにかして未玖を取り戻さなきゃって、力ずくで逃れようなんて、出来もしないことを想像して。


 でも、そうじゃない。

 今冷静さを欠いているのは、コイツの方なのだ。


 考えろ。俺が彼女に勝つ、唯一の方法を。


 《お前がこの連鎖を断ち切ってくれると、信じている》


 (コイツに……未玖の大切な人間を、殺させるわけにはいかないんだ)



 俺は掴んだ手を離し、だらりと地へ向けて下ろした。

 そして、俺は力尽きたように天を仰いだ――


 ――フリをした。


 幸い、彼女は俺の顔を睨みつけたまま、全ての意識をそちらに集中させているようだった。

 トンネルの低い天井を見上げる俺の視界の隅に、呼吸を荒げ真っ直ぐに俺の顔を見つめる彼女の姿が映る。


 (やっぱり……思った通りだ)


 やはり、今の彼女は冷静さを欠いている。


 俺はだらりと下ろした左手に精神を集中させ、気づかれないように、彼女にその手を伸ばした。

 そして、彼女に触れた手は青白い光を放ち――


 (お前に、未玖の大切な人は殺させない……!)


 俺と、俺の手が触れた彼女は、黒い闇に包まれ――その場から姿を消した。

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