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wink killer  作者: 優月 朔風
第8章 少女と「少女」
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第85話 救世主

 降りしきる雨の勢いが増していく。

 ボツ、ボツ、と傘にあたる雨の音が、花の耳元でうるさく鳴り響いていた。

 彼女はトンネルの外を向いたまま、死角の位置で隠れるようにして立っていた。


 心臓が、口から飛び出しそうだった。

 呼吸が、まともにできなかった。


 おそるおそる、トンネルの中に足を踏み入れる。

 するとそこには、口角を吊り上げ冷たく微笑む、蒲田未玖の姿があった。


 それは、今までに見たこともないほど――残酷な表情だった。


 「未玖……」


 ――これが連続殺人犯としての顔か、と花は思った。


 喉から震えた息が漏れ出す。

 そして、そんな花の様子を嘲笑うかのように、未玖はクスリと笑ってから言った。


 「あなた達が私達の跡をつけてくることは分かっていた」


 彼女は地面に倒れた須川をチラリと一瞥してからそう言うと、鞄から携帯端末を取り出し、()()()()を画面いっぱいに映し出してみせた。

 花は画面に映った写真を見て、思わずハッと息を呑んだ。


 そして、理解した。


 「だから、わざわざ位置を教えてあげたのよ。あなたと――そこにいる、須川さんに」


 ――自分は、この殺人犯に連れて来られたのだ、と。


 彼女はそう言ってクスクスと笑っていた。

 口の端を上げて顔を歪ませるその表情を見た瞬間、花は自分の心の奥にどす黒いものが広がっていくのを感じた。


 じわじわと肺の奥を侵食していく、黒い(もや)

 自分が殺されるかもしれないという恐怖。今まで騙されていたことに対する絶望。

 そして、永美を殺しても平然としている連続殺人犯に対する――憎悪。


 「あんた……本当に……ずっと、あたしらのこと騙してたっていうのかよ……?」


 ギリギリと噛み締める奥歯の隙間から、唸るような低い声が漏れていく。

 トンネルの真っ暗な闇が、彼女を覆っていった。


 《ぐふっ、だって、未玖、演技とかめっちゃ下手そうだもんね、ぐふっ、あっははは!》

 《そんなに笑わなくたって……私は大変なのに~》

 《ごめんごめん。ぐふっ、でもさ、未玖なら何とかなるって。ぐふふ、だ、大丈夫っしょ》


 未玖と過ごした他愛無い日常が、花の脳裏を過ぎっていく。

 全て巧妙な演技だったのだ。


 《あたし達は、あんたを信じてるよ。あんたがちゃんと本番までに演技上達するってことをね》

 《あ、はい……頑張ります……》

 《おう、頑張りたまえ》


 目前の連続殺人犯は、想い出の中の未玖とは到底かけ離れた、残酷な微笑を浮かべている。


 《ずるいよ、声は花だったじゃん》

 《でも、本当の犯人は満咲だもん。ね、満咲?》


 花の瞳から、熱を帯びた涙がこぼれ落ちていく。


 《ありがとね、二人とも》


 冷たく笑う連続殺人犯を睨みつけながら、

 彼女は充血した瞳に涙を溜め、現実を思い知った。


 今までの未玖の笑顔は、すべて嘘だったのだと。

 連続殺人犯としての残酷な自分を隠すための、偽りの優しさに過ぎなかったのだ、と。


 《あんたの真っ直ぐなところ、あたしは好きだよ》

 《永美に何言われても、気にしないでさ。あんたが泣きそうになったら、あたしらのこと頼っていいんだからね》


 花は、自分の愚かさに腹を立てた。

 それ以上に、目の前の悪魔が許せないと思った。


 「許せない……」


 花の視界の隅に、地面に倒れる須川の姿が映った。

 白目を剥いたまま地面に転がるその姿を見て、花の背筋にゾクリと寒気が走り、全身の毛が逆立った。


 どうやって殺しているのかは分からないが、

 永美もきっと、ここにいる須川優のように殺されたのだろう――そう考えると、胃の奥底から吐き気が込み上げてきた。


 蒲田未玖は冷静な表情を変えぬまま、地面に転がる死体をチラリと一瞥した。

 それは――まるで生ゴミでも見ているかのような、そんな目だった。


 「あんた、人間じゃないよ」


 普通は人を殺せば罪悪感に苦しむものを、

 目前の連続殺人犯は、実に平然とした表情を浮かべている。


 しかし次の瞬間、クスリと微笑んだ未玖の表情を見て、

 彼女は怒りや絶望を通り越して――恐怖を覚えた。


 「半分当たってるかしら」


 その笑顔は今まで花が見ていた未玖の笑顔そのものだった。

 その笑顔を見た瞬間、花の全身を悪寒が駆け巡った。


 《ありがとね、二人とも》


 彼女は思い知った。

 今まで、いかに自分がこの笑顔に騙されていたのかを――。



 花は咄嗟に、地面に落ちていたカッターナイフを拾った。

 カッターナイフは刃こぼれもなく、まるで新品同様であるかのように銀色の光を放っていた。


 先程刃にこびりついた血が、跡形も無くなったかのように。

 先程折れた刃が、()()()()()姿()()()()()かのように。


 「あんたは……生きてちゃいけない……」


 花は刃を前に突き立てながら、ユラユラと未玖の前に立ちふさがった。

 雷がゴロゴロ、と不穏な音を奏でていた。


 「生きてちゃいけないんだよ、この殺人鬼……!」


 花はカッターナイフを握りしめ、脇腹の近くで力強く構えた。

 そして、未玖の元へ足を踏み出そうとしたとき――


 花の前に、満咲が立ち塞がった。


 「満咲……どうして……」


 満咲は歯を強く食いしばり、両手を広げて真っ直ぐに花の方を見つめている。

 涙を湛えて精一杯未玖を庇おうとする彼女の姿を見て、花は声を震わせた。


 「あんた、あたしらのことずっと騙してきたコイツのこと、許せるのかよ……?」


 満咲は動こうとしなかった。


 「永美を殺したコイツのこと、許せるのかよ!?」


 一瞬、満咲の瞳が揺らいだ。

 それでも、彼女は依然としてその場を動こうとしなかった。

 彼女の広げる両手が、小刻みに震えている。


 「……満咲がどう思おうと、あたしは絶対に、コイツのこと許せない。コイツはずっとあたしらを騙して……平気で人を殺して、笑ってる」


 花はキッと満咲を睨みつけて叫んだ。


 「こんな奴、生きてていいわけない!」


 花は立ち塞がる満咲を突き飛ばし、カッターナイフを強く握りしめ一直線に未玖に向かっていく。

 しかし、目前の連続殺人犯は自らに迫りくる殺意を冷静に見据えながら、その身を翻し、刃を握りしめていた花の腕を捻り上げた。


 「く……っ!」


 未玖が花の腕をギリギリと強く締め上げていく。

 充血した目で自分を睨みつける花を、彼女は冷酷な表情で見下ろした。

 その冷え切った視線は、とても人間を見るものではなかった。


 それから、花は後頚部(こうけいぶ)に強い衝撃を受け、地面に倒れた。

 手に握っていたカッターナイフが地面にこぼれ落ち、カランと音を立てる。

 倒れた衝撃で口内を切ったのか、彼女の口の中に錆び付いた鉄のような味が広がっていった。


 「……その澱んだ黒い空気。その『悪意』を見るだけで、思い出す」


 地面に倒れた花の頭上から、冷たい声が降り注ぐ。

 こんなにも憎しみの籠もった未玖の低い声を、花は初めて聞いた。


 「私を騙し、裏切り、そして殺した――アイツのことを」


 その瞬間、花は背中に強い衝撃を感じた。

 背中にあたっているものが彼女の足の裏だということは、すぐに分かった。


 肩甲骨(けんこうこつ)の上に、容赦なくギリギリと体重がかかっていく。

 肺が潰れるような苦しみに、呼吸がまともにできなくなっていく。


 花の顔は湿った固いアスファルトの上に押し付けられ、

 口の中に広がっていく砂利と血の味に、彼女は怒りと屈辱で強く歯を喰いしばった。


 「暗闇の中で私にできたことは、過去の記憶をなぞることだけ」


 花の頭上で、悪魔が何やら訳の分からないことを呟いていた。

 トンネルの暗闇の中で、土砂降りの雨音が強く響き渡った。


 「そして知ったの。私の追い求めてきた理想は全て、幻だったのだと」


 そう言うと、悪魔はクスクスと笑い声を漏らしていた。

 何を言っているのかは分からなかったが、花の中で一つの結論に達したことは確かだった。


 人の命を何とも思っていない、この悪魔は絶対に――生かしておいてはいけないのだ、と。


 雨は止む気配がなく、トンネルの中には依然として暗闇が広がっていた。

 雨音に混じって、遠くで満咲の叫ぶ声が花の耳に入った。


 彼女はひたすら「やめて」と叫んでいた。

 涙交じりの声だった。

 この悪魔に何を言ったところで無駄なのに――花は地面に這いつくばりながら、心の中で呟く。


 しかしその瞬間、花の背中がフッと軽くなった。

 呼吸を取り戻した花の頭上から、低い唸り声が聞こえてきた。


 「……あなたに何が分かるの」


 ふと頭上を見上げる。

 そこには、満咲を睨みつける未玖の姿があった。


 花の全身に危険信号が鳴り響いた。

 必死に満咲の名前を叫ぼうとするも、喉からは掠れた空気だけが空しく通り過ぎていく。


 「いいわ、邪魔をするならあなたにも教えてあげる――絶望を」


 彼女は憎悪のこもった低い声で呟くと、満咲の元へと歩を進めていった。

 花の必死の声なき叫び声も、満咲の元には届かなかった。


 悪魔が満咲の首を絞め上げる。

 苦しそうな満咲の声が花の耳に入る。


 今しかない、と花は思った。


 この悪魔を滅ぼし、満咲を助けるには……

 未玖がこちらを向いていないこのタイミングしかない、と――。


 地面に落ちていたカッターナイフを再び握りしめる。

 花はユラリと立ち上がり、未玖の背中を睨みつけた。


 地面を勢いよく蹴りつけ、悪魔に向かっていく。

 花は歯を喰いしばりながら、無防備になっていた彼女の脇腹に向かって、勢いよく刃を突き刺した。


 「そ……んな……」


 しかし、刃はたわみ、パキリと音を立てて欠片がこぼれ落ちていった。

 服越しに貫通した刃先から、皮膚の感覚が彼女の手に伝わる。

 未玖の制服の一部が、じわじわと赤く染まっていった。


 まるで致命傷にならなかった。


 花は自分の無力さを噛み締める間もなく――次の瞬間目にした光景に、言葉を失った。


 未玖の傷口付近に、緑色の光が集まっていく。

 すると、どこからともなくやってきた血が、細胞が、組織が――傷を覆っていった。


 そして、気がつけば制服に広がっていた血の染みは消え、手元のカッターナイフも、元通り()()()()()()()()()()()()()


 花は目の前で起こっている現象に理解が追いつかなかった。

 驚いて腰を抜かした彼女は、カッターナイフを握る力を失い、その場で崩れ落ちた。


 「なん……だよ……」


 花の喉から震える声がこぼれていく。

 未玖は満咲から手を離し、静かに後ろに振り向いた。


 満咲の咳き込む声が、トンネルの中に響く。

 花は自分を見下ろす未玖の目を見つめ、ゴクリと唾を呑んだ。


 その茶褐色の中に自分の姿はなく、

 そこには、ただ――真っ暗な闇だけが映っていた。


 花は、目の前の彼女から目を離すことができなかった。

 乾いた笑いだけが、花の口から溢れ出ていく。

 逃げなければ――脳味噌はそう叫んでいるのに、身体はピクリとも動いてくれなかった。


 「はは、ハハハ……」


 彼女の胸中はもはや、恐れや恐怖を通り越していた。

 そこにあったのは――


 「あんた本当に……人間じゃなかったのかよ」


 もう終わってしまったのだという、諦念だけだった。


 目前の悪魔の瞳が、一瞬、赤く輝いたように見えた気がした。

 まるで血の色だな――花は心の中で自嘲するように呟いた。


 《もし私が死んだら、私は未玖に殺されたってことだから》


 ふと、花の脳裏に友人の台詞がよぎる。

 友人の声は小さく響いたかと思えば、淡く儚く消えていった。

 これが走馬灯なのかもしれない、と彼女は思った。


 (ごめん……永美)


 彼女は心の中で小さく呟いた。

 そして、そっと目を閉じ、自らの死を受け入れようとした――。


 「やめて、未玖……!」


 その声を聞くまでは。


  ☆★☆


 満咲は荒い呼吸を整えながら、必死の思いで未玖を抱きしめた。

 思ってもみなかった衝撃に、未玖は驚き後ろを振り向く。


 「…………!」


 するとそこには、先程自分に殺されかけた彼女が、必死に自分にしがみついている光景があった。


 自分がずっと騙してきた彼女が、

 自分が最も絶望を与えたであろう彼女が、

 自分にしがみついて、離れようとしなかった。


 「な……何……してるのよ」


 そこにどす黒いものは一切見えなかった。

 そこにあったのは――。


 「未玖……どうしてさっき、私のこと庇ってくれたの?」


 満咲はうつむきながら小さな声で言った。


 ずっと裏切ってきた自分に、

 命まで奪おうとした自分に、

 彼女はしがみついている。


 未玖は目の前の光景に目を疑った。


 「な……何で……」


 頭が混乱する中、未玖の口から震えた声が出ていく。

 彼女は動揺する心を隠すので精一杯だった。


 「未玖が一人で苦しんでいたこと、分かっていたのに」


 気がつけば、彼女の声を遮ることができなくなっていた。


 「……ちゃんと寄り添ってあげられなくて、ごめん」


 気がつけば、彼女から目を離すことができなくなっていた。


 「ごめん……っ」


 満咲が顔を上げる。

 涙でぐちゃぐちゃになった彼女の顔が、そこにはあった。


 そこに、黒い靄は一切見えなかった。

 つまり、その言葉もその表情も――そのすべてが、満咲の本心で。


 「な……何、言ってるのよ」


 彼女の口から弱々しく震えた声が漏れ出す。

 彼女は乾いた笑い声を口から漏らすと、目の前の出来事をひたすら否定しようとした。


 「私は、あなた達をずっと騙してきた! 永美ちゃんを殺した! そして、あなたも殺そうとした」


 否定する。


 「他にも沢山の人を傷つけた! この手で数え切れないほど、傷つけ、殺して、殺してきた……!」


 でないと、彼女の中で何かが壊れてしまうような気がしたから。


 「自分の命を守るために、友達を守るために、家族を守るために」


 彼女が積み上げてきたものが、全て崩れ去ってしまうような気がしたから。


 「けれど、どんな理屈をこねたところで変わらない……私は確かに、沢山の人を殺した」


 だから、何としてでも否定しなければならない――そう思った。


 「どんなに大層な『正義』を掲げたところで、結局私は、ただの大量殺人犯でしかないのだから」


 だから、目の前で泣き顔を浮かべ自分にしがみつく満咲を、否定しなければならない。


 「あなたが私を許せるはずないのよ」

 「そんな理想……あるはずがないのよ」


 満咲の想いが「幻」でしかないのだと、証明しなければならない――そう、思ったから。


 未玖の声は次第に弱くなっていった。

 震える彼女を見上げながら、満咲は真剣な表情で言った。


 「私は、未玖のやっていることが正しいとは思えない。……でも」

 「…………」

 「でも、私は……未玖を一人にさせたくなんかない」


 満咲はぐしゃぐしゃになって泣きながら、微笑んだ。


 「私は、やっぱり未玖の味方でいたいよ」


 未玖の顔から悪魔の仮面が剥がれ落ちていく。

 苦悶に歪む彼女の表情は、実に人間らしかった。


 《ここはどこなの……真っ暗で、何も見えない》

 《お願い……誰か、私を助けて……私を独りにしないで……》

 《助け……てよ……》


 《そうよね……。誰も……助けにくるはずないじゃない……》

 《だって私は……もう……》


 蝋燭の明かりだけが辺りを照らす、暗い部屋の中で一人きり。

 永遠とも感じられる長い長い時の中で、一人苦しんでいた彼女を。


 「もうあなたを、一人で苦しませたくない」


 《『神』なんて存在しなかった》


 満咲の言葉はまるで――そんな彼女を助けに来た、救世主のようだった。


 「な……何言って……」

 「未玖がどんなに罪を背負っていたとしても、どんなに闇を抱えていたとしても、私は……」

 「あり得ない……そんなこと、あるはずが……」

 「私だけは、未玖の味方でいたい」

 「…………!」


 その言葉を聞いた瞬間、身を刺すような衝撃が、全身を駆け巡った。


 《あなたがどんなに闇を抱えていたとしても、私はあなたの味方でいたい》

 《だって……暗闇の中で一人きりで苦しむのは、とても辛いことだと思うから》


 ――それは、かつての自分の言葉だった。


 「罪を償おう、未玖」


 目の前で泣きながら微笑む満咲の姿が、かつての自分と重なって見えた気がした。


 《何度選択を間違えたって、何度それを繰り返したって》

 《私達は少しずつ前に進めるはずよ》


 否定したはずのかつての自分がそこにいるような気がして、

 自分の苦しみが、今までの自分のしてきたことが、全て否定されるような気がして、


 彼女はただ――怖くなった。

 だから、


 ……全て消してしまわなければならないと思った。


 「え……?」


 満咲は、自分を見下ろす未玖の瞳を見て息を呑んだ。

 満咲の頬に、温かいものがこぼれ落ちる。

 彼女の赤々と輝く瞳を見た瞬間、満咲は自分の死期を悟った。


 ――次の瞬間。


 「未玖……!」


 自分を呼ぶ声に、未玖はトンネルの入り口に目をやった。

 すると、そこには、息を切らして真っ直ぐにこちらを見つめる、死神の姿があった。

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