第78話 遠くの親友
最近は、私が学校に着くと先に未玖が教室にいる。
今まで遅刻寸前のギリギリのところで来ていた彼女は、最近、私よりも早く来るようになった。
教室の一番前の席に座っていた未玖は、登校してきたばかりの私に気がつくと、にこりと微笑んだ。
「おはよう、未玖!」
私は未玖の席まで駆け足で向かい、彼女に声を掛けた。
永美がいなくなってから、未玖はしばらく学校に来なかったが、
一週間後、彼女は今までと変わらない笑顔を浮かべて学校にやって来た。
一週間、どこで何をしていたのか――
それを聞いてしまえば、彼女はどこか遠くへ行ってしまうような気がして、私は今まで通りに振る舞った。
それでも、久しぶりに戻ってきた彼女に違和感を覚えなかった訳ではなかった。
「おはよう、満咲ちゃん」
彼女はそう言うと、私ににこりと微笑みかけた。
彼女の笑顔はいつも通りで、今までと何も変わらないように見えた。
でも。
(やっぱり……私のこと、呼び捨てにしてくれないんだ)
あのときから、未玖は私のことを「満咲」と呼ばなくなった。
そのことが、心の奥底で大きなしこりとして残ったまま。
でも、それを彼女に問う勇気も持てぬまま。
授業が終われば、一緒に他愛の無い話をした。
一緒に昼食を食べている間も、くだらない話をしては笑い合った。
それでも、違和感が消えて離れてくれなかった。
未玖は同じ、今までと変わらない未玖のはずなのに、
彼女がどこか遠くに感じられる気がしてならなかった。
「満咲ちゃん、どうかした?」
未玖が私の顔を覗き込み、小さく首を傾げる。
彼女の栗色の髪がサラリと揺れ、茶色の瞳が大きく開いた。
私はハッとして、笑いながら両手を顔の前でブンブンと振ってみせた。
「なっ、なんでもないよ! あはは……」
「……変なの、フフ」
「そっその、未玖、最近朝早く来るようになったなぁって」
「いつも遅刻ギリギリだったのにね」と付け加えてから笑ってみせたところで、未玖が頬を膨らませて言った。
「どうせ、私は遅刻ギリギリの人間でしたよ?」
「あっ、そ……そういうことじゃなくて、その、心を入れ替えたみたいだねっていうか……。最近未玖、急に成績良くなったし」
「…………」
未玖は一瞬驚いたように目を見開いていたが、不意にクスリと笑って言った。
「今までの私は……自分ができないと決めつけていたから」
彼女の瞳はどこか遠くを見つめているようだった。
その表情は穏やかだったけれど、どこか切なげで。
「未玖……」
窓の外を見つめ頬杖をついた彼女の髪が、サラリと揺れる。
外はすっかり晴れているのに、彼女の瞳に映る景色は曇っていた。
彼女が今何を考えているのか、分からなかった。
沈黙が続く。
このままでは未玖がさらに遠くに行ってしまうような気がして、私は何とか話を繋げなければ、と焦った。
そんなとき、私の隣から爽やかな男の子の声が聞こえてきた。
それはよく知った、彼の声。
「おはよう蒲田さん、満咲ちゃん」
「おはよう、神峰君」
「かっ神峰君! おっおはよう……ございます」
慌てる私に、彼は笑いながら「そんなに驚かせるつもりはなかったんだけどなぁ」と言って頭を掻いた。
正直、内心焦っていた私にとって、彼の登場は仏の登場のようにすら感じられた。
ここ数日、前よりも彼と話すことが多くなった。
普段あまり男子と会話しない私でも、彼とは自然と打ち解けることができたように思う。
それも、彼が花ちゃんの幼馴染だったからだろうか。
花ちゃんを交えて会話することも多かったし。
それに今は、未玖の――
「そういえば満咲ちゃんは、どうしていつも僕に対して敬語なの?」
「へっ」
「満咲ちゃんはね、最初は誰に対しても敬語なの、神峰君。私のときもそうだったもんね」
「は……ハハ……そ、そうだったかな……」
照れくさそうにして笑いながら、私は内心、未玖の言葉に安堵を覚えていた。
「私のときもそうだった」――彼女が私と出会った頃のことを大事に覚えてくれているようで、嬉しかった。
彼女が、昔と変わらぬ未玖であるような気がして、嬉しかった。
「そっか、良かった。僕、もしかしたら満咲ちゃんに嫌われてるのかもって思ってたから」
「ふふ、神峰君。敬語を使われているうちは、まだ警戒されてるってことだよ?」
「えっそうなの!」
「あっ……その……私、嫌いじゃない……です」
私の中ではすっかり仲良くなれた気持ちでいたのだけど、それは私だけだったようだ。
あまり他人と話すのが得意な方ではない私にとって、他人との距離感を掴むことは難しくて。
「そっか、良かった」
彼はそう言って爽やかに微笑んだ。
未玖も、隣で穏やかな表情を浮かべている。
「かっ、神峰君! その……少しずつ、普通に話せるように……頑張ります」
気がつけば結局、また敬語を使ってしまっている自分がいた。
すると、「ほら、やっぱりまだ警戒領域の中なんだよ」と言って意地悪そうにクスクスと笑う未玖に対し、神峰君が「そんなことないよ!」と反論する。
二人の姿を眺めながら、私は一人、心の中に湧き上がってくる温かい感情を噛み締めていた。
ありがとう、未玖、神峰君。
私は二人と友達になれて、本当に良かった。
しばらくして、神峰君は自分の席に戻っていった。
未玖と二人きりになった私は、声のボリュームを落としてから、周りの目を気にしつつ気になっていたことを尋ねた。
「ねぇ未玖、そういえばどっちから告白したの?」
「えっ」
未玖は、突然の質問にキョトンと目を大きく見開いていた。
「な……何のこと、満咲ちゃん?」
「フフフ、とぼけても無駄だよ、未玖。私見ちゃったんだから。この前、街で二人で歩いてるの!」
私は得意げな顔でニヤリ、と笑ってみせた。
一方の彼女は、誤魔化すようにして苦笑していた。
「で、どっちから告白したの、未玖。いつから?」
「えー、えっと……」
「教えてよ、未玖~。気になっちゃうじゃん~」
相変わらずだんまりを続ける彼女の両肩を揺すりながら、私はどこかホッとしていた。
こうやって他愛もない話をしていると、昔と変わらない彼女がここにいるような気がして、私は――。
私が未玖に詰め寄っている途中で担任が入ってきたため、結局私は彼女から真相を聞き出すことは叶わず。
後ろの席に戻り、自分の机の上に鞄を置く。
朝のHRの間、私はずっと未玖の後ろの席を見つめていた。
誰もいない、彼女の後ろの席。
以前HRの間中、その席から未玖をつついてはからかっていた人物の姿が思い浮かんだ。
花ちゃんはあれから、学校に来なくなった。
永美が事故に巻き込まれた――否、殺し屋に殺された、あのときから。
あの日、教室に来た私が見た光景が今でも忘れられない。
教室の一番角の奥の席に乗せられた花瓶。
まるで天国から差し込んでいるかのようなキラキラとした光の柱の下で――その机をただジッと見つめていた人影が一つ。
花ちゃんは、その机の前で呆然と立ち尽くしていた。
その光景を見た私は最初、何が起こっているのか分からなかった。
だってその机は、永美ちゃんの机で。
だってその花瓶は、――。
花ちゃんは走って教室から抜け出した。
声を掛けようとしたが、声が出せなかった。
全身が重たい鉛で出来ているような感覚がした。
こわばった身体は動かず、ゴクリ、と唾が喉を通った。
嘘だ。
まさか。そんな。
永美ちゃんが――
しばらくして、未玖が教室にやって来た。
担任の話があった。
事故死だそうだ。
《未玖……》
《どうして……永美ちゃんが……》
私はすがるようにして、未玖の制服の裾を掴んだ。
これが事故であるはずがない。
《花、満咲……ちょっと、話があるんだけど》
《未玖が――人殺しかもしれない》
永美ちゃんは未玖を疑っていた。
《あんた、最低だよ……あんたみたいに『天才』になっちゃうと、そういう風に考えるんだ》
《もういいよ、行こう、満咲。こいつ、もうあたし達の友達じゃないよ》
私達は、未玖を信じることにした。
そして、永美ちゃんは――死んだ。
もしかしたら、未玖が永美ちゃんを――
そんな恐ろしいこと、考えたくなかった。
未玖を信じたかった。
だから、私は……
《永美ちゃんは……本当に事故だったのかな》
すがるような思いで、未玖に尋ねた。
違うと言って欲しかった。
そして彼女を見上げたとき――私は気がついた。
彼女は怯えたような目をしていた。
それは私だけじゃなく、周囲の目から怯えているような、そんな目だった。
そして思い出した。
一連と続く不審死の中、彼女は何度か警察に呼び出されていたことを。
彼女のいつも通りの笑顔の裏に、自分が疑われているということに対する悲しみがあったことを。
そうか。もしかしたら未玖は――。
未玖は呼び止める私の声に意も介さず、教室を抜け出して走っていった。
私はただ、その場で立ち尽くしていることしかできなかった。
私は彼女の辛さを、何一つ分かってあげることができていなかったのだ。
未玖の怯えた目が思い浮かんだ。
未玖を信じる――そう言っておいて、私は未玖を信じてあげることができなかったじゃないか。
自分の不甲斐なさをここまで悔やんだことはなかった。
未玖を追い詰めたのは私の――私達のせいだ。
《永美は大事な友達だから……また皆で、一緒に過ごせるようになりたい。それが、私の願いだよ》
やっぱり、そう言っていた未玖が、永美を殺しただなんて考えられない。
もう、憶測だけで未玖を疑うのはやめにしよう。
(一連の不審死の犯人は別にいる――きっとそいつが、未玖に罪を被せている)
一番前の席に座る未玖の小さな背中を見つめながら、私は心の中で呟いた。
賑やかになった教室は、HRが終わり授業が始まろうとしていた。
(世間を騒がせている殺し屋――永美ちゃんを殺して、未玖に罪を被せた犯人を必ず捕まえる。そして……)
机の中で拳を強く握りしめる。
私は意を決するように、心の中で唱えた。
(絶対に……犯人に自首させる)




