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wink killer  作者: 優月 朔風
第7章 死神の過去
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第76話 今度こそ本当に、ずっと君を

 倉庫の真ん中で、俺は地面に横たわっている。

 その隣で、色白の肌をさらに青白くさせて眠っている紗英ちゃんがいる。


 彼女は自分が殺されたにも関わらず、穏やかな微笑みを浮かべて眠っていた。

 彼女の目尻から、一筋の涙が零れたあとがあった。


 君は……初めて会ったときにも、同じような顔をしていたね。


 授業中、スヤスヤと眠る君の横顔を見ていて思ったんだ。

 その零れ落ちる涙を見た瞬間、何故だか分からないけど、俺の中で、強い思いが込み上げてきた。


 それは恋人が愛する人に対して抱くような、父親が娘に対して抱くような、優しくて暖かい、包み込むような――


 《君を……傍で守りたい》


 ある種の使命感に似た、心の奥底から感じる決意だった。


 そのとき、その感覚を、何故だかどこかで覚えていたような気がした。

 初めて会ったはずの君を、どうしても守り抜かなきゃって――そう、強く思ったんだ。


 どうして、そんなこと思ったんだろう。

 どうして俺は、君を守りたいって思ったんだろう……


 《ぱぱ、私、ぱぱとけっこんするー》

 《ぱぱ、だいすき!》


 頭の奥の方から、無邪気な少女の声が聞こえた気がした。


 《アイツはな……娘は、何があっても俺が守るって決めたんだよ……!》

 《俺はどうなったっていい。だけど、アイツにだけは……娘にだけは、絶対に危害を加えさせない!》


 そうだ。これは、教授の記憶。

 走馬灯の中で見えた、土井教授の記憶の一部。


 《父親ってのはな、娘をずっと守っていたいもんなんだよ。だからもう、無茶はするなよ? お前は俺の、大切な娘だからな》


 そっか。

 そうだったのか。


 初めて会ったとき、君の笑顔を懐かしいと感じたのも、

 初めて会ったとき、君を守りたいと思ったのも。


 君の笑顔を覚えていたのは……


 《ぱぱ、見てみて、お花ー!》


 君を守りたい、と思ったのは……


 《ぱぱ、私、ぱぱとけっこんするー!》


 土井教授、あなたの――。



 「はは。何やってんだ、俺」


 俺は、教授のことを殺した。

 彼の走馬灯が見えて、教授の大切にしていた家族の存在を知った。


 俺は、倉元のことを殺した。

 彼女の走馬灯が見えて、彼女が必死に俺を守ろうとしてくれていたことを知った。


 俺は、紗英ちゃんのことを殺した。

 彼女の走馬灯が見えて、彼女がずっと苦しんできたことを知った。


 俺が教授の命を奪ったせいで、紗英ちゃんは大好きだった父親を失った。

 たった一人の家族を失った。

 そのせいで、紗英ちゃんはひとりぼっちになった。


 《もうひとりじゃないよ、紗英ちゃん。俺が……守ってあげるから》


 何言ってんだ、俺。

 紗英ちゃんをひとりにしたのは……俺じゃないか。

 紗英ちゃんの幸せを奪ったのは……俺じゃないか。


 それなのに、そんな紗英ちゃんを、俺は殺したんだ。

 一度ならず二度までも……俺は、彼女の幸せを奪った。


 全て仕方のなかったこと――そう思って割り切ることなどできなかった。

 どんなに大層な理屈を並べたところで、事実、俺は人を殺したのだ。


 誰も悪くなんかなくても、罪の意識から逃れることなんてできない。

 俺はこの先、奪ってしまった三人分の幸せを、償い続けなければならないのだ。


 この先、一生――


 腹の奥がギリギリと締め付けられ、今にも千切れてしまいそうだった。

 全身が、重いコンクリートの壁で押し潰されているようだった。


 「はぁ……はぁ……」


 まともに呼吸ができなかった。


 「はあ、はあ、はあ」


 物音一つしない静かな倉庫の中で、俺だけがたった一人生きていた。

 三人分の命が、自分たった一人の背中の上に、ズシリと重くのしかかった。


 この罪から逃れることはできない。

 自分のしたことは、決して許されることではない。


 「はあっ、はあっ」


 奪ってしまった幸せを、罪を背負いながら、俺はたった一人で生きていかなければならない。

 この先、一生――


 《お前達に構っているうちに、娘や息子みたいに思えてきたからかもしれないなぁ》

 《先輩……私のこと、迷惑だったらいつだって無視してくれて構わないですから。本当に辛い時は、頼ってくださいね》

 《あなたのことが、大好き》


 この先、一生――。


 (無理だよ……そんなの)


 背中にのしかかる冷たいコンクリートの壁が、さらに重たく感じた。

 このまま押し潰されて死んでしまうような気がした。


 (どうして……こんなことに……)


 答えは簡単だった。


 初めから自分さえいなければ、こんなことにはならなかったのだ。


 俺さえいなければ、

 教授も、倉元も、紗英ちゃんも、死なずに済んだ。


 俺さえいなければ、

 倉元は俺なんかのためにこんなことを起こさずに済んだ。


 俺さえいなければ、

 教授と紗英ちゃんはずっと家族同士支え合って生きていけた。

 紗英ちゃんは復讐なんてしなくて良かった。


 紗英ちゃんは、俺なんかを好きになることもなかった――。


 三人とも、この先色々なことがあって、それでも、きっと乗り越えて、笑って生きていけたんだ。

 生きていれば、何だってできた。


 それなのに――

 俺がすべてを壊したんだ。


 俺が三人の未来を奪ったんだ。


 俺さえいなければ、皆……

 俺さえいなければ……。



 そのとき、背後で懐かしい声がした。


 「遅かったか……」


 懐かしい声の主は、倒れて動かなくなった二人を見ながら、小さな声で呟いた。

 そいつは俺の手足の縄をほどきながら、俺から目を反らして尋ねた。


 「……お前が、やったのか」


 フードを外しながら、そいつは俺に尋ねた。

 黒いコートの上に、長い紫色の髪がだらりと垂れた。


 押し黙ったまま目の前の一点を見つめる俺を見て、彼女は小さく一言だけ「そうか」と呟いた。

 死神はうつむきながら、震える俺の肩に優しく手を置いた。

 彼女はそれ以上、何も言わなかった。


 地面にポタリ、ポタリと涙が零れていく。

 しばらくの間静かに時が過ぎ――無言の間を破ったのは、彼女の一言だった。



 「お前は……大切な人を殺した」



 その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。

 全身が震え、手足の感覚が薄れていった。


 《……お前……》

 《……した》


 その言葉は頭の中で何度も何度もこだましていた。

 まるで、俺を――自らの犯した罪から、決して逃がさぬようにするかのように。


 「俺は……おれは……!」


 顔を真っ青にして震える俺の肩に手を置きながら、彼女はうつむいて言った。


 「……私もだ」


 彼女の声は震えていた。

 いつにない彼女の様子に、俺は驚いて彼女の方を見た。


 「私もお前と同じだったんだよ……高弘」


 彼女はそう言って俺の方を見た。

 彼女は自嘲するようにして笑いながら、涙を流していた。


 それが、俺が見た初めての――コイツの涙だった。


 「私も、生前人間だった頃、ある死神に力をもらった。そして私はその力で、大切な人間を殺してしまったんだ」


 彼女の震える声が隣でそう言っていた。

 その言葉を聞いた瞬間、俺の中でどこか張り詰めていた気持ちが緩んでいくような気がした。


 そうか。

 お前も罪を犯してしまったんだな。


 大切な人をこの手で殺めてしまうという、罪を――。


 「私達は繰り返しているんだ、高弘」


 死神は悔しそうにそう呟いていた。

 彼女の声は次第に遠くなり、俺の頭の中では先程の言葉だけがこだましていた。


 《……お前……》

 《……した》


 そうだよな。


 俺も。お前も。

 仕方ないよなぁ。


 ――生きていたって、もう仕方ないよな。


 「間に合わなくて済まなかった……私がもっと早く――」

 「もう……いいんだ」


 俺は力なくチサを見上げた。


 「どうか消えさせてくれ」

 「……!」


 彼女は驚いたようにして俺を見た。

 俺はうつむいて、小さな声で続けた。


 「俺のことを、殺してくれ。俺に罪を与えた、お前の力で……」

 「お前……」

 「お前ならできるんだろ。……なぁ、死神?」

 「……それは…………」


 彼女はしばらくの間黙っていた。

 その表情は苦悶に歪み、俺に伝えるべき言葉を迷っているかのようだった。


 しかし、彼女は意を決したように口を開いて言った。


 「……分かった。良いだろう」


 その声は、今にも消え入りそうなほど小さかった。


 「済まない、高弘。お前に辛い思いをさせてしまった」

 「ハハ……何でお前が謝るんだよ、チサ」

 「私は……どうやら、間に合わなかったようだな」


 彼女はうつむいたままだった。


 「……お前のせいじゃないだろ」


 そう呟いた俺の視界に、紗英ちゃんの姿が映った。


 死んだようにして眠る彼女は、あのときから変わらない穏やかな表情を浮かべていた。

 その顔は、初めて出会ったときの彼女の寝顔と変わらないように見えた。


 「ごめんな、紗英ちゃん」


 それは、今にも目を覚まして笑いかけてくれそうな、そんな顔だった。

 しかし、彼女が目を覚ますことは、もうない。


 死んでしまった人間が戻ってくることは、もうない。

 二度と――。


 彼女の頬に触れた。

 雪のように冷たくなった肌に触れるだけで、彼女がもうここには存在しないのだということがわかった。

 彼女の唇に触れた。

 温もりを失った青色の唇を見るだけで、彼女はもう二度と戻ってこないのだということがわかった。


 《君を……傍で守りたい》

 俺は、君を守ることができなかった。


 でも。


 もし、次があるというなら。

 もし、君が許してくれるというのなら。


 「紗英ちゃん……もし許してくれるなら、どうか君の元へ行かせてくれ……」


 次こそは、君のことを――


 「今度こそ本当に、ずっと君を守り続けたいんだ」



 冷たくなった紗英ちゃんの身体にしがみついて、俺は声を殺して泣いた。

 そんな俺を、チサは何も言わずに見ていた。


 穴のあいた屋根の隙間から、ふわり、ふわりと雪が舞い、積もっていった。

 音のない静かな倉庫の中で、俺のすすり泣く声だけが響いていた。


  ♪♪

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