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wink killer  作者: 優月 朔風
第7章 死神の過去
75/96

第73話 白馬の……王子様……

  ♪♪♪


 両親は、毎日喧嘩が絶えなかった。

 原因は――私の存在だった。


 《アンタのせいで、私の人生最悪じゃない》


 喧嘩の度に、母親は私を見てそう言った。

 

 まだ幼かった私は、泣いている母親の傍に駆け寄っては、叩かれる日々が続いた。


 私はただ、毎日泣いてばかりいる母親を励ましてあげたかっただけだった。

 母親の愛情が、欲しかっただけだった。


 《お、おかあさん……もう、だいじょうぶだよ》

 《うるさい! 全部……全部全部、アンタのせいじゃない……!》


 でも、小さな私には何もできなくて、

 父親とかいう知らない人間に殴られるのが怖くて、

 私は母親の元に泣きつくことしかできなかった。


 《アンタなんか、生まれて来なければ良かったのよ》


 母親に掛けられた言葉は、それが最後だった。

 私と唯一血のつながった母親は、私のことを育てるのをやめた。


 しばらくの間、食事のない生活が続いた。

 飢えが身体を蝕んでいく中、何が起こったのか理解できなかった幼い私は、その間ずっと母親のことを呼び続けていた。


 そして、そのまま死を迎えようとしていたところ――私は施設の人間に保護された。

 それ以来、私が母親だと思っていた存在は、私の母親ではなくなった。


 施設で暮らし、年齢を重ねていくうちに、

 私は、自分が母親に棄てられたのだということを理解した。


 いつの日だったか、また新しい奴が施設にやって来た。

 刈り上げ頭のところどころに、殴られたような青あざがあった。


 《……アンタも棄てられたの?》


 今思えば、何でこのときコイツに声を掛けたんだろう。

 私はただ、ずっと泣いているコイツを見て、あの時の自分と同じだと思ったから。


 母親に要らないと言われたあのときの私と、重なって見えたから――。


 《そっか、アンタもそう言われたんだ》


 コイツはずっと泣き止まなかった。

 とっくに枯れ果てた私の涙の分まで、泣いているようだった。


 《私達、何で生きてるんだろうね》


 要らないものまで買ってしまって、不要になったゴミをゴミ箱に捨てるように、

 要らないものまで産んでしまって、不要になった私は施設に棄てられた。


 生まれて来なければ良かった――私は私を産んだ母親に、必要とされなかった。

 コイツも――。


 《私達もう、生きる価値なんてないのに》



 小学校を卒業し中学に入る頃、養父母に引き取られた私は、周りの人間に違和感を覚えるようになった。


 奴らの、幸せそうな表情に。


 《――ちゃんのお弁当、美味しそう!》

 《料理上手な親っていいなー、羨ましい~。ウチの親なんてさー》

 《ひかるちゃんは、いつもお弁当なの?》


 奴らの、哀れみの視線に。


 《辛かったわよね……前のお母さんに、酷いことをされたのよね》

 《あなたは、私達を本当の親だと思って――》


 何で、私をそんな目で見るんだ。


 私の本当の親は、私のことを殺そうとした。

 私にもう、親なんていないのに。


 どうして他人に母親面をされなければならないんだ。

 どうして他人に哀れまれなければならないんだ。


 気持ちが悪い。

 お前らなんか、親じゃない。


 私に親なんて要らない。


 《ひかるちゃんのお家って、門限とかいろいろすっごくキビシイよねー。親とケンカとかしないの?》

 《そっか……ひかるちゃん、本当の親いないんだ。可哀そうだね》

 《大丈夫! 私達が友達になってあげるからね》


 生まれたときからお前達は幸せだった。

 私も、お前達のように生まれたときから幸せだったら、そうなれたかもしれないのに。


 何が違った? 私が何をした?

 私達は同じようにしてこの世に生まれたはずなのに――


 何故、私はお前達に「哀れまれ続ける」存在でなければならない?


 《ひかるちゃんの気持ち、分かるよ。だから友達になってあげる》

 《私にはあなたの気持ちが分かるわ、ひかるちゃん》


 嘘をつくな。


 初めから幸せな人間共に、私の気持ちなんて分からない。

 棄てられた人間の気持ちなんて、分かるはずがない。


 《ひかるちゃんってどうしてそんなに冷たいの! 私達がこんなに優しくしてあげてるのに!》

 《もう、ひかるちゃんなんて嫌い!》

 《私達はあなたにこんなに愛情を注いであげている……それなのに、どうしてあなたは言うことを聞いてくれないの?》

 《もう、アンタを育てるのには疲れたわ》


 ギゼンシャ。

 己の自己満足のために私を利用して、口先だけは綺麗ごとを並べるくせに、…………。


 世の中は、ギゼンシャばっかりだ。


 私は他人と関わるのをやめた。

 次第に、生きていくために必要最低限の外面を繕うのが上手くなった。

 視力なんて悪くないのに、真面目に見えるように眼鏡なんかつけてみたりした。


 それでも、心の中にある空しさと憂いは消えなかった。


 私と同じような空しさを抱えながら生きる連中は何人かいた。

 その中に、あのときの刈り上げ頭もいた。

 私達はただ、自分達に同情するギゼンシャ野郎が嫌いだった。


 行くべき道も見つからないまま、あてもなく彷徨っていた。

 私達に、生きている意味なんてなかった。

 初めから幸せなギゼンシャ野郎共が、生きている意味なんて言っているのが大嫌いで仕方がなかった。


 憂さを晴らすためなら何でもやった。

 恐喝、暴行、強姦……

 気に入らないギゼンシャ共はことごとく潰してきた。


 数え切れないほどの罪を犯してきたけれど、罪悪感なんてものは抱けなかった。

 砂漠のように無味乾燥なこの世界で、私達に真っ当に生きる道なんて見つけられなかった。


 《アンタなんか、引き取るんじゃなかった》


 大学に入って、養父母からは家を追い出された。

 学費と生活費だけは出すから、という言葉が、世間体を意識したいかにもギゼンシャらしい言葉だった。


 ゼミに入って、あつかましい野郎共がいた。


 《お前……いつも人の事馬鹿にしてくるけど、本当は寂しいんだろ?》

 《俺のこと、いつだって馬鹿にしてくれて構わないからさ。……本当に辛い時は、頼れよ》


 《ゼミで一番頭の悪いお前達に構っているうちに、娘や息子みたいに思えてきたからかもしれないなぁ》


 こいつらもきっと、己の自己満足のために私を利用しているのだろう、と思った。

 こいつらのことは、嫌いだった。


 何かにつけて、私に構ってくる。

 きっとこいつらも、アイツらと同じ、ギゼンシャに違いないのだ。


 笑っている。

 お前達は生まれたときからそうやって、幸せそうに笑っている。

 私達を見下して、笑っている。


 そのとき、連中の中で、金が要り様だという話になった。

 連中の中で一番金に近い存在は、私だった。

 だから私は――


 《土井教授! 少し……お話があるんですけど》


 教授を利用した。


 《この写真、どなたかお分かりですか?》

 《そっ、それは……!》

 《そうです。……フフ、立派な娘さんですね》

 《……どうしてお前がそんなものを持っているんだ》


 教授の顔が陰り、眉間にシワが刻まれる。


 《私、教授のこと調べたんですよ。もちろん、娘さんのことも。……娘さんの、過去もね》

 《何を……言っている》

 《あれ、まだ分かりませんか?》


 教授の眉間のシワは、さらに濃くなった。


 《それではもう一枚のこの写真……これが世に出回ったら、娘さん大ピンチですよね》

 《お前……どうして……!》

 《だから、言ったじゃないですか。調べた、って。私の言いたいこと、教授なら分かりますよね?》


 教授の顔が曇っていった。


 《私達、ものすごくお金に困ってて……教授のお金が必要なんですよ》


 幸せそうに笑っていたギゼンシャの顔が崩れていく様を眺めるのは、実に爽快だった。


 《『私達』……と言ったな。……石見も協力したのか?》


 は?

 何勘違いしてんの、ウケる。


 《コレ、言い出したのは先輩ですよ? 私が協力したんです》


 誰があんなギゼンシャ野郎と協力するんだよ。


 《何をそんなに悩む必要があるんです? 別に生きていくのに困るのはアンタじゃない、娘一人だけ》

 《娘なんか切り捨ててしまえばいいのに》


 親に迷惑をかける娘なんか、すててしまえばいいのに。

 ……私を棄てた、母親のように。


 《娘を……俺の大事な娘を、切り捨てられる訳ないだろう……!》


 ふーん。

 まだギゼンシャぶるつもりなんだ。

 別にいいけど。


 《お金は払う……だから、約束しろ! 娘には一切危害を加えないと! そして、その写真もだ!》

 《……何か、勘違いしてませんか、教授?》


 教授の顔が歪んでいく。


 《正直、お金よりも欲しいものがあるんですよ》

 《写真はいつでもバラまける――つまり、私達はアンタの約束を守る必要なんてない》

 《この写真がある以上、アンタも娘も、私達のいいなりになるしかない。この先、一生――》


 ギゼンシャの仮面が剥がれ、本性があらわになった土井教授の姿は、実に滑稽だった。


 《その顔ですよ……その苦しそうな表情》

 《私達は、アンタ達の人生を台無しにしたいだけなんだよ……!》


 でも、教授が次にとった行動は思いもよらなかったことだった。

 突然教授に力いっぱい首を絞められ、抵抗も空しく、段々と意識が遠のいていく。


 《アイツはな……娘は、何があっても俺が守るって決めたんだよ……!》

 《俺はどうなったっていい。だけど、アイツにだけは……娘にだけは、絶対に危害を加えさせない!》


 娘のために、ここまでするか普通?


 《俺はお前達のことを、本当の子どもみたいに思ってたんだ……なのに……!》

 《お前も、お前を(そそのか)した石見も、許せない……絶対に許せない……!》


 ああ、私ここで死ぬのかな。


 《お前達みたいに、簡単に他人(ひと)を騙して他人の人生を弄ぶような奴らはな……生きてても価値がないんだよ……!》


 生きる価値がない、か。


 《アンタなんか、生まれて来なければ良かったのよ》


 最初から分かってたけどさ。そんなこと――ずっとそう思ってたし。


 でも、そうだな。

 私にもこんな風に、私のためにここまでしてくれる人がいたら、

 私の人生もう少し違ったのかな……なんて。


 もう死ぬのに、何言ってんだろ、私。


 《教授、こいつを……離してくださいよ》


 そんなとき、先輩は現れた。


 《こいつ離さないと……このこと全部、バラしちゃいますよ?》

 《そうか……そういうことか、石見……》


 教授の視線は、先輩と机の上の写真とを行き来していた。

 嫌いだと思っていたギゼンシャは、私のことを庇おうとしているようだった。


 《許さない……俺は許さないぞ、石見……!》

 《な……何言ってるんですか……?》

 《ふざけるな!》


 私が嘘をついて罪をなすりつけた先輩は、私のことを庇って、


 《に……げろ……》


 生きる価値なんてない私のことを庇って――殺されかけていた。


 何が起こっているのか、分からなかった。

 だってこんな人間、いるはずがない。


 自分の命を犠牲にしてまで他人を助けようとする人間が、この世にいるはずがないのに。

 この世にいるのは、ギゼンシャばかりのはずなのに。


 この人間は、何だろう。

 この人は、何なんだろう。


 家族でもない自分を、自分の利益も無しに助ける人間の存在を初めて知った。

 自分のことを、こんなにも思ってくれる人間に初めて出会った。


 自分を認めてくれる人に出会えた気がした。

 そのとき初めて、少しだけ自分の存在価値が分かった気がした。


 私は、この人のために何ができるだろう――



 《私を救ってくれたのはあの人が初めてだった》


 だから、お前なんかに先輩は渡さない。

 お前は許せない……お前は、先輩のことを愛してなんかいない……!


 《私に先輩を想う資格がなくったって……私は……!》

 《お前だって、先輩のこと騙してるくせに!》


 だから私は、ずっと……

 ずっと、この女から先輩を守ろうとして……。



 《先輩〜! 何してるんですか? こんなところで》

 《見れば分かるだろう。食事だ》

 《おや、お相手は三谷さんではないのですか。こんにちは》

 《……こんにちは》


 コイツ、私の先輩に何する気だ。

 妙なマネしたら、ぶっ殺す。


 《それにしても、先輩が恋ですか〜。良いなぁ、羨ましいなぁ。私も素敵な恋がしたい!》

 《お前、それ本気で思ってないだろ……》

 《私は嘘なんて言いませんよ? いつかきっと、白馬の王子様が私を素敵な世界へ連れて行ってくれるんですよ……! ああ、きっと白馬の王子様はすぐそこにいるのに……!》

 《すぐそこってお前、はは、それはもしや俺の事――》

 《自惚れも大概にしてください、先輩。先輩はただの馬の尻尾です》

 《安心してください。先輩のことは私、部屋にあるぬいぐるみや玩具程度にしか思ってないですから》


 私のことを救ってくれたのは、先輩が初めてだった。

 でも……私が先輩のことを想う資格は、ないのかもしれない。


 だって私は……先輩に、嘘をついているから。

 私は……今までに数え切れないほど、罪を犯しているから。


 《……ありがとな、倉元》

 《グッドラックですよ、先輩!》

 《ああ、お前も応援しててくれ》

 《了解承知まるです! 陰ながらしっかり奇襲のタイミングを見計らっておきますので》


 それでも、先輩があんな女の手に渡るなんて、許せない。

 あの女が、先輩のことを好きなはずがないのだから。


 だから、私はわざと襲われたフリをして、先輩をあの女から引き離そうとした。

 でも、私は……ただ、先輩に迷惑を掛けただけだった。


 《俺達は……消えることのない罪悪感を抱えて、生きている。でも、お前は何も悪くない。お前には――生きる価値があるんだ》

 《そんなこと言ってくれるの……先輩だけですよ》


 あのとき、先輩を巻き込んだのは私のせいだ。

 だから悪いのは私なのに。

 それなのに、先輩は……


 《前に、先輩なんて嫌いって言って、ごめんなさい。先輩の優しさは、もうとっくに伝わってますから……だから私は、恩返しがしたいのに。私はいつも、先輩に迷惑を掛けてばかりで》

 《倉元……》

 《先輩の幸せが何か――他人(ひと)の幸せって何なのか、私には難しくてよく分からないんです。昔から、そうでした》


 あのときから、ずっと考えていた。

 私は先輩のために、何ができるだろう。


 私は先輩のために、先輩からあの女を遠ざけようとして……

 だけど先輩は本気であの女が好きなんだ。

 だとしたら、私は……


 先輩があの女に騙されているとしても、先輩が本気であの女を好きだというのなら。


 先輩の幸せって、何なんだろう。

 私が先輩のためにできることは、何なんだろう。


 でも、やっぱり。

 私は先輩が傷つく姿なんて見たくない。


 私は、先輩を守りたい。


 そのためなら、何だってする。

 たとえ――


 《先輩……先輩は私のこと、どう思ってますか》

 《私、先輩のこと……好きですよ》

 《だから、私……先輩のこと守りたいんです》


 ――たとえ、先輩に嫌われてしまったとしても。


 でも……あれ、何だろうな。


 《俺は……紗英ちゃんを守るって言ってんだ》


 この締め付けるような胸の痛みは、何なんだろう。


 《先輩は愛されてなんかいない! でも私は、先輩のこと……》


 苦しい。辛い。


 《俺は……紗英ちゃんのことを守りたいんだよ。たとえ……紗英ちゃんに嫌われていたとしても》

 《ど……どうしてっ……!》


 助けて。先輩……



 《それが、俺の生きている価値だからだ》



 そっか。


 先輩は……


 《自分のことを、こんなにも想ってくれる人間に初めて出会った》

 《そのとき初めて、少しだけ自分の存在価値が分かった気がした》


 私のことは、もう……想ってくれないんだ。

 私は、もう本当に……存在価値がないんだ。


 ……分かっていたはずなのに。


 でも、先輩に命を救われたあのとき――期待してしまったんだ。


 こんな私にも、生きる価値があるんじゃないかって。

 こんな私にも、できることがあるんじゃないかって。


 そんなわけ、あるはずなかったのに。


 やっぱり、そうだった。

 私は最初から――


 《アンタなんか、生まれて来なければ良かったのよ》


 ……生まれて来なければ良かったんだ。



 《やっぱり、先輩なんて大嫌い》


 だから、もう幻想を抱くのはやめにしよう。

 何もかも全部、終わりにしよう。


 さようなら、先輩。私の……


 《「白馬の……王子様……」》


  ♪♪♪

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