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wink killer  作者: 優月 朔風
第7章 死神の過去
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第70話 もうひとりじゃないよ

 クリスマスイブも夜を迎え、辺りは煌びやかに耀(かがや)く電飾で埋め尽くされた。

 街中の音楽も、昼間の賑やかなものからは一転してゆったりとしたものに変わり、イルミネーションを眺める人々も家族連れよりカップルの方が多くなった。


 「綺麗な光……」


 街中を歩きながら、俺達は街路樹や店の看板に括りつけられたイルミネーションを眺めていた。

 この先に、見せたいものがある――そう言って紗英ちゃんを連れて歩く俺は、目的地に着いたときの彼女の喜ぶ姿を想像して一人ほくそ笑んでいた。


 「紗英ちゃんは、こういうところ結構好きなの?」

 「…………」


 すぐ隣を歩いていたカップルが、電飾がハート形に飾られたベンチに二人して座り、デジタルカメラで自分達の写真を撮っていた。

 紗英ちゃんはしばらくの間押し黙ってから、(うつむ)いて言った。


 「好き……だった。昔愛していた人が、好きだったから」

 「…………」


 繋いだ手を握る彼女の力が、少し強くなった。

 その声は、それまで元気だった彼女のものとは思えないほど――震えていた。


 「ごっ、ごめん! その……嫌なこと、思い出させちゃったよね……」

 「……裏切られたの」


 傘を持つ手に、冷たい雪がかかった。

 雪はとけて冷たい水になり、服の中に入り込んでいった。


 「優しい人だった。大好きで大好きでたまらなかった。でも……彼はそうじゃなかったみたい」


 紗英ちゃんは小さな声で呟いた。

 周りのカップル達の喧騒が、どこか遠くのことのように感じた。


 「私は騙されていただけだった。だから――私は、誰も信じられなくなった」


 そう言った彼女の小さな肩は、小刻みに震えていた。

 傘に降り積もっていく雪が、途端に重たく感じた。


 そんなことがあったなんて。


 《私は、他人を信じられない……他人(ひと)が、怖いの》


 そんなの、誰も信じられなくなって当然じゃないか。

 他人が怖くなって、当然だ。


 それでも、君は――


 《あのね、高弘君………私、何か大切なことを思い出せた気がするの。あなたと出会えて》

 《笑うことって、こんなに素敵な気持ちになれるのね》


 俺に心を開いてくれた。

 俺を信じようとしてくれたんだ。


 「無理しなくてもいいと思うよ」


 一度人間不信に陥れば、そこから抜け出すことなんて、簡単にできることじゃない。

 それは、俺自身が一番よく知っている。

 周りの声が自分を否定しているように感じて、怖かった。

 そんな暗闇の世界から抜け出せるようになるまで、周りの人達に支えてもらって――相当な時間がかかった。


 君の場合、俺なんかに比べたらずっと傷ついたに違いない。

 きっと、すぐには立ち直れないほど――酷く傷つけられた。


 俺は見も知らぬ相手に憤慨するのを抑えつつ、穏やかな表情を浮かべ、言葉を続けた。


 「無理に他人を信じようとする必要はないんだと思うよ」

 「…………」

 「少しずつ、ゆっくりと……君のペースで、心を開いていけばいいんじゃないかな」

 「高弘……」

 「俺はいつだって、紗英ちゃんの味方だからさ」


 そう言って、俺は照れくさそうにはにかんでみせた。


 紗英ちゃんが困っていたら、俺が助けてあげたい。

 紗英ちゃんが泣いていたら、俺が笑わせてあげたい。


 俺はいつだって、君の隣で――君を守ってあげたいんだ。


 「何で……そんなに優しいの」


 紗英ちゃんの声は震えていた。

 彼女は大粒の涙を流しながら、俺のこと見て言った。


 「私は他人を信じられない……でも、あなたのことは信じたい……! だけど……」


 紗英ちゃんは俯いて、涙声で言った。


 「あなたが優しければ優しいほど、私はあなたを信じられない」

 「……どうして――」

 「だって、優しい人は必ず……! 必ず、私を裏切って……目の前からいなくなってしまうから」


 キラキラと輝くイルミネーションが、黄色から青色に変わった。

 街中の賑やかな声が、ロマンチックな音楽が、どこか遠くの方で聞こえていた。


 《……裏切られたの》

 《優しい人だった。大好きで大好きでたまらなかった。でも……彼はそうじゃなかったみたい》

 《私は騙されていただけだった。だから――私は、誰も信じられなくなった》


 悲しそうに震える紗英ちゃんの言葉が、頭に浮かんだ。

 寂しそうな彼女の言葉が、頭から離れなかった。


 《君を……傍で守りたい》


 俺は、何と声を掛ければいいのだろう。

 傷つけられて、他人が信じられなくなって、ずっと一人きりの世界で生きてきた彼女に。

 俺は……何をしてあげられるだろう。


 「紗英ちゃん……」


 俺は――


 《生きてて……いいんだ……》


 俺は、君を傍で守ることができるだけで、生きていけるんだ。


 君がいるだけで、俺は――自分が存在する価値があるんだって、認められるんだ。

 決して許されることのない罪を背負った、こんな自分でも――


 《私はあなたを信じられない》


 だから俺は、君がいるだけで幸せなんだ。

 たとえ君に信じてもらえなくても――君を傍で守ることができるだけで、俺は……。


 「もし君が俺のことを信じられなくても、俺は君のことを信じる。君の味方でいる」

 「高弘……」

 「君が俺のことを信じてくれるようになるまで……何年でも、何十年でも」


 顔を上げて俺の顔を見つめる紗英ちゃんは、泣き顔を浮かべていた。

 それは俺が初めて見た、彼女の泣き腫らした顔だった。


 紗英ちゃん。

 俺は……いつだって、君の味方だ。


 君は俺の生きる意味なんだ。

 だから、君を守り続ける。


 何年でも。何十年でも。

 俺が死ぬときまで。


  ☆★☆


 しばらくの間イルミネーションの耀(かがや)く街中を歩いていた俺達は、ようやく目的地に辿り着こうとしていた。

 あれから紗英ちゃんは珍しく声を上げて泣いていた。

 俺はそんな彼女の肩を抱きながら、ゆっくりと目的地へ向けて一緒に歩いていた。


 それから少しして、彼女が泣き止んで顔を上げたところで――俺達は目的地に到着した。


 「紗英ちゃん、お待たせ」


 俺は照れくさそうに笑って、そう言った。


 目的地――そこには、シャンデリアのようにキラキラと耀く、光の海が広がっていた。


 「…………!」


 一直線に続く真っ赤な絨毯の道の両脇を、たくさんのクリスマスツリーが埋め尽くしていた。

 絨毯の先には、周りよりもひときわ大きな――おそらく10メートルは超える程の高さのツリーが立ち、ツリーの頂点からは、まるでカーテンのように小さな電球が連なり、地面に降り注いでいるかのように見える。

 雪は止み、傘をたたんだ人々が黒いシルエットとなって、光耀くイルミネーションの中を歩いていた。


 溢れ出すたくさんの煌びやかな光が目に染みて、ゆったりと流れるオルゴールの音楽とともに、心の中に入り込んでいく。


 「た……高弘……私……」


 隣で真っ直ぐに前を見つめる紗英ちゃんの瞳は、とても耀いていた。

 その瞳はまるで、生まれて初めて見た景色にはしゃぐ子どものように、キラキラと――真っすぐで、偽りのない瞳だった。


 「こんなに綺麗な景色があるって……初めて知った」


 紗英ちゃんは目からキラキラと光を溢れさせながら、そう言った。

 透き通ったオルゴールの音色が、優しく二人を包み込んでいく。


 紗英ちゃんが喜んでくれた――それだけで、俺は飛び上がりそうなほど嬉しくなった。

 そんな気持ちを抑えつつ、俺はハハ、と笑いながら言った。


 「大げさだなぁ、紗英ちゃんは」

 「……ありがとう、高弘」


 紗英ちゃんは真っ直ぐに前を向いて言った。

 その瞳は、どこか遠いところを見つめているように見えた。


 「私、ずっと……灰色だった。信じていた人がいなくなって、誰も信じられなくなって――見る景色が全部、灰色に見えたの」


 彼女は「でも、」と笑って、言葉を続けた。


 「本当は……こんなに素敵な色をしていたのね」


 夜の街を照らす、溢れるほどの光の色。

 優しい音色で反響し合う、オルゴールの音の粒。


 幻想的なイルミネーションの空間の中で、紗英ちゃんは瞳を耀かせて言った。


 「ありがとう、高弘。こんな私をここまで連れて来てくれて。こんな私を……好きだと言ってくれて」


 紗英ちゃんは真っ直ぐに前を向いたまま、柔らかく微笑んだ。

 彼女の声が少し震えていた。


 「こんな私に……こんなに素敵な景色を見せてくれて、ありがとう」


 そう言って穏やかに微笑む彼女の瞳から、一筋の涙が流れた。

 彼女の涙を見て、俺は気がついた。

 ――思い出した。


 《私、ずっと……灰色だった》


 そうだ。

 紗英ちゃんは、ずっと……


 《信じていた人がいなくなって、誰も信じられなくなって――見える景色が全部、灰色に見えたの》


 ずっと……


 《私は騙されていただけだった。だから――私は、誰も信じられなくなった》

 《だって、優しい人は必ず……! 必ず、私を裏切って……目の前からいなくなってしまうから》


 《最近、ずっと……笑ったことなんて、なかったから……》


 ずっと、ひとりきりで生きてきたんだ。


 《あのね、高弘君………私、何か大切なことを思い出せた気がするの。あなたと出会えて》

 《笑うことって、こんなに素敵な気持ちになれるのね》


 彼女の儚い笑顔を見て、その華奢な細い身体を見て、心の底から熱いものが湧き上がってくるのを感じた。

 それは、以前心に決めた覚悟であり、誓った決意であった。


 俺は君を――ひとりで傷ついてきた君を、もう二度と傷つけないようにするために。

 そのために、生きるんだ。


 俺が傍にいて、君を守る。

 君はひとりじゃない。だから――


 だから、もう――


 《これで何度目だろう……紗英ちゃんがこんな顔をしたのは》


 もう、悲しい顔はしないでくれ。


 「もうひとりじゃないよ、紗英ちゃん。俺が……守ってあげるから」


 彼女の後ろからそっと、両腕をまわす。

 まわした俺の手の上に、ポタリ、ポタリ、と温かい湿ったものが落ちた。


 しばらくの間、俺は彼女のことを静かに抱きしめ続けていた。


 震える紗英ちゃんの温もりが、どこかに失われてしまわぬように。

 一度は奪われて、ようやく取り戻した紗英ちゃんの笑顔が、素敵な景色が――

 幸せが、どこかに失われてしまわぬように。



 しかし、このときの俺は、まだ知らなかった。

 ようやく取り戻した彼女の幸せは、再び、俺によって奪われることになることを――。

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