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wink killer  作者: 優月 朔風
第7章 死神の過去
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第68話 君が二度と、笑顔を忘れることがないように

 夏休みも中盤を迎え、俺は実家に帰省することになった。


 結局、倉元を彼女の家付近まで見送った段階で、時刻は既に閉園の時を迎えていた。

 それでも――


 《絶対に俺、紗英ちゃんを迎えに戻ってくるから!》


 必ず迎えに行く、と紗英ちゃんと約束していた俺は、遊園地に足を運んだ。

 しかし、既にそこには紗英ちゃんの姿はなく、携帯電話にも彼女からは何の連絡も来ていなかった。


 あの日以降、紗英ちゃんとの連絡は途絶えている。


 せっかくのデートを途中で、しかも告白する寸前で抜け出してしまった。

 それに、紗英ちゃんの親切に甘えて、紗英ちゃんより倉元の方を優先してしまったのだ。


 もしかしたら紗英ちゃんは怒っているかもしれない。

 いや、怒っていないはずがないのだ。


 結局俺は告白もできないまま、その上、あれから紗英ちゃんにメールを送る勇気もないままに――気がつけばずるずると時だけが経過し、ついに実家に帰る今日にまで至ってしまったのだった。



 「紗英ちゃん……どう謝れば許してくれるかな」


 電車を降り、懐かしい実家の最寄り駅にまで到達した俺は、改札を出てからハア、と深いため息をついた。

 それから見覚えのある住宅街へと足を踏み入れた俺は、携帯電話を握りしめながらとぼとぼと歩を進める。


 「そんなに気になるなら、お前から連絡してみればいいだろう?」

 「それができたら俺も苦労してないんだよ……」


 ガックリと肩を落とす俺の横で、季節外れの黒コートをまとった死神は「お前はつくづく面倒くさいことで悩むな」と言って呆れていた。



 俺達はしばらくの間歩いていたが、家の付近まで辿り着いたところで、俺の目にふと、ある公園が留まった。


 真ん中のあたりにこぢんまりとした噴水が鎮座する、噴水公園。

 思わず懐かしくなった俺は、気がつけばその中へと足を踏み入れていた。


 「うわー、懐かしいな~この公園。小さい頃、よく遊んでたんだよな~」

 「ほほう。お前にもそんな時期があったのか」


 「全然変わってないなぁ」と言いながら公園内のベンチに腰を下ろす俺を見下ろしながら、チサは何やら面白いものでも見るような顔つきでニヤニヤと笑っていた。


 「あの噴水の中でよくはしゃぎまわって、母さんに怒られたんだよなぁ」

 「それはそれは。お前らしいな」

 「ハハ、何だよ、それ」


 ベンチに座ると、ちょうど目の前に小規模な噴水が見える。

 住宅街の公園にしては贅沢なようにも思えるその噴水からは、昔と変わらず、綺麗な水が噴き出していた。


 「何だかなー。久々に帰ってきたけど、全然変わらなくて安心した」


 ベンチにゆったりともたれながら、俺は青空を仰いだ。

 晴れ渡った空には、いくつか小さな雲が浮かんでいた。


 「お前の実家は初めて行くが――どこら辺にあるんだ?」


 ゆっくりと深呼吸をする俺の横で、チサはあたりをキョロキョロと見渡していた。

 俺はさて、と立ち上がり、斜め先の方角を指差した。


 「じゃ、帰るとしますか」


  ☆★☆


 「石見」と書かれた古めかしい表札の家の扉を開けると、玄関に甲高い声の“おばちゃん”がやってきた。


 「高弘~久しぶりね~! あら、相変わらず背は伸びてないのね!」

 「か……母さん……元気そうでなにより」


 “おばちゃん”――もとい、俺の母親は、玄関にやって来るなり俺の頭をバシバシと叩いては、相変わらず俺の気にする部分に容赦なくメスを入れてくる。

 昔はそんな無神経な母親に反発していた時期もあったが――もはや反発する気力も体力も惜しくなり、いつからかそんなデリカシーに欠けた母親の言葉も大人しく聞き流すようになっていた。


 「ちゃんと栄養取ってる? ちゃんと食べないと三谷君みたいに格好良くなれないわよ?」

 「は……はぁ」

 栄養を取ればイケメンになれるなら誰だって苦労しないんですよ、と言ってやりたい。

 「まあこんなところで長話もなんだから、とりあえず自分の部屋に荷物置いてっちゃいなさい、ね!」

 「……はい」


 そろそろ五十を迎えようとしている母とは思えない程の元気さに安心しつつ、それなりに相槌を打って適当に流す。

 すると、チサが驚いたように目を丸くしながら、クスクスと笑って言った。


 「お前の母親は随分と元気だな。お前も見習ったらどうだ?」


 その後も、階段を上がる俺の後ろからからかうようにして彼女が話しかけてくるので、いつも通り返事をしそうになるが――

 すんでのところで、すぐ後ろに母親がいることを思い出し、口を閉ざすことに成功した。


 母親には見えていないチサに返事をしているところを彼女に突っ込まれでもしたら、やかましいことこの上ない。

 普段一人暮らしではたいして気にすることのなかった問題にギリギリの局面で気がつけた自分を、この瞬間だけは誇らしく思った。



 階段を上がり、自分の部屋のドアを開ける。

 すると、そこにはかつてのままの自分の部屋があった。

 それはもはや「惨状」と形容するに相応しいほど――汚れていた。


 「母さん……これ、もしかして俺が家から出たときのまま?」


 生活感溢れるその部屋には、脱ぎ散らかした服や読みかけの本、高校まで使っていた鞄等――あらゆるものが、昔俺がいた時のまま散らかっていた。

 極めつけには、それらの上には、ご丁寧にも灰色のベールがかかっている始末であった。


 「そうよ? だって、あなたの部屋だもの」

 「そりゃそうだけどさ……」


 鞄とか服とか散らかってるのは俺のせいだとしても、埃は払っておいてくれたら嬉しかった。

 うわぁ、窓際なんて蜘蛛の巣張ってるし。


 「あなたがいつでも帰ってこられるように、そのままにしてあるのよ?」


 そう言うと、母さんは満面の笑みを浮かべて「じゃあ、片づけてね」と俺の肩をポン、と叩き部屋を出ていった。

 そして、部屋には呆然と立ち尽くす俺とチサだけが残された。


 「コレはその……アレだな。お前の部屋掃除するのが面倒くさかったんだろうな……うん。まあ、そのなんだ……頑張れ」

 「チサもここにいるつもりだろ? 手伝ってくれてもいいんじゃ……」

 「あー、いけない。さっきちょっと気になる気配がしたんだよなー。確認しに行かなきゃなー。じゃ、そういうことで。またな、高弘」

 なっ、なんだと!

 「ちょっと待て、チサ!」


 そそくさ、と窓を開けて出ていくチサを引き留めようと手を伸ばす。

 しかし、彼女が窓を開けた途端に勢いよく入り込んできた風によって、顔に部屋中の灰色のベールが一斉に襲い掛かかり、俺は咄嗟に目を瞑った。


 そして、再び目を開けた頃には、そこには彼女の姿は跡形もなく。


 「畜生……逃げやがった」


 灰色達の突然の襲撃によりむせ返った俺は、とりあえずリビングからマスクを入手する。

 それから再び自分の部屋に戻ってから、改めて自分の部屋の惨状を見て、ひとりげんなりとため息をついた。


 「これ……片づけ終わる頃には、日が暮れてるんじゃないか……?」


  ☆★☆


 その日の深夜。

 そろそろ掃除も終わった頃だろう、と思ったチサが部屋に戻ってくると、そこには必勝のハチマキを掲げせっせと大掃除に励む高弘の姿があった。


 (まだ掃除してたのか……)


 彼女は「そっとしておいてあげるのが優しさ」と考え、暫しの間そっと見守ってから、その場を離れた。


 (見つかったら手伝わされるから、今のうちに逃げるか)


  ☆★☆


 「やっと終わった……」


 そろそろ人としての形を保てなくなるギリギリの段階まで来ていた俺が、ようやく掃除を終え窓の外を見やると、その頃には日が暮れるどころではなく夜が明けていた。


 日の光が窓から差し込み、軽やかな小鳥の鳴き声が朝を知らせる。

 眠さの限界に達していた俺は、そのまま勢いよく布団の中にダイブした。


 しかし、そのまま意識を失いかけていたところで――突然、携帯電話の着信音が鳴り響いた。


 「誰だよ……こんなときに……」


 意識のはっきりとしない中、携帯電話を開く。

 するとそこには、予想もしない人物の名前が示されていた。


 「さっ……紗英ちゃん……?!」


 予想外の出来事により一気に眠気の冷めた俺は、ドギマギしながら応答ボタンを押す。


 「もしもし、紗英ちゃん?」


 久しぶりの連絡。

 あれ以来、怖くて一度もメールできなかったというのに、まさか紗英ちゃんの方から連絡してくれるなんて。

 しかもメールではなく、電話で。


 ――いったい、何があったんだろうか?


 「……高弘君?」


 携帯電話の奥から、高くて澄んだ彼女の声がする。

 しかし、次に来る紗英ちゃんの言葉は思いもがけないものだった。


 「急でごめんなさい。その……今から会える?」


  ☆★☆


 噴水公園に二人。

 地元の公園のベンチに、紗英ちゃんが座っている――信じられないような出来事が、今、俺の目の前で起こっていた。


 「それにしても高弘君、実家と大学たいして離れてないのに一人暮らしなの?」

 「えっと……」


 紗英ちゃんはベンチの縁に手をかけ両足をぶらぶらとさせながら、「お金持ちはいいなぁ」と呟いた。

 一方の俺は、今目の前に彼女がいることが信じられないまま、口をパクパクさせることしかできず。


 「どうしたの、高弘君?」


 彼女は大きな目をぱちくりとさせながら、小首を傾げて俺の方を真っ直ぐに見る。

 くるんとカーブを描いた長いまつ毛が大きく揺れた。


 「その……どうして、紗英ちゃん……」


 わざわざこんなところまで来てくれたのか。

 あのとき倉元を優先した俺のこと、怒っているんじゃないのか。


 喉まで出かかっていた言葉が、どうしても口から出ていこうとしなかった。


 「高弘君が、なかなか迎えに来てくれないから」


 紗英ちゃんは足をぶらぶらさせながら、真っ直ぐに噴水の方を向いていた。

 噴水を眺める彼女の瞳は、子どものようにキラキラと輝いて見えた。


 「だから、私が迎えに来たの」


 紗英ちゃんは照れくさそうに笑ってそう言った。

 その瞬間、ピンと張っていた何かがほぐれていくような感じがした。


 紗英ちゃんは、怒ってなかった。


 そのことに安心すると同時に、どうしようもなくグズで弱い自分に腹が立った。


 だって紗英ちゃんは、ずっと待っていたんだ。

 迎えに行く――そう言ってずっと君を迎えに行かなかったのは、俺の方だった。


 「高弘君、ごめんなさい。あのとき私、先に帰ってしまって」

 「全然っ! 全然、いいんだ、そんなこと!」

 「あのね、高弘君………私、何か大切なことを思い出せた気がするの。あなたと出会えて」


 紗英ちゃんは瞳をキラキラと輝かせながら、ニッコリと笑った。


 「笑うことって、こんなに素敵な気持ちになれるのね」


 その時の彼女の笑顔は眩しくて、まるで太陽のようだった。

 風に揺れる彼女の黒い髪が、日光に照らされてキラキラと輝いていた。


 その笑顔は、彼女が俺に見せた最初の――心の底からの笑顔だった。


 「紗英ちゃん……」


 《良かったら、その……名前、教えてくれないかな……?》

 《紗英です。……西田、紗英》


 最初に君を見た時は、一目惚れだったんだ。


 《また次の授業も……一緒に受けて良いかな》

 《さっ、紗英ちゃんはさ、何でそんなにラーメンが好きなの?》

 《……別に》


 でも、俺は君に笑ってもらう方法すら分からなくて。


 《せっかくあなたが、話しかけてくれているのに……こんな私に》

 《私は、他人を信じられない……他人が、怖いの》


 それでも、君は俺に弱さを見せてくれた。


 《……もしかして、私のラーメンが欲しいの?》

 《別にあげないけどね》

 《せっかく買ったポテトが冷えてて可哀そう。……私のラーメン、あげても良いけど》


 それでも、君は少しずつ笑うようになってくれた。


 《……行ってきなよ》

 《最近、ずっと……笑ったことなんて、なかったから……》


 ずっと、ひとりで生きてきたのかもしれない。

 他人が信じられなくなって、笑うことさえできなくなって。

 そんな辛い世界の中で、たったひとりきりで生きてきたのかもしれない。


 ――そんなの、辛すぎるじゃないか。


 《あのね、高弘君………私、何か大切なことを思い出せた気がするの。あなたと出会えて》

 《笑うことって、こんなに素敵な気持ちになれるのね》


 いくらでも笑わせてあげたい。

 俺が傍にいて、「もうひとりじゃないんだよ」って言ってあげたい。


 《君を、傍で守りたい》


 「紗英ちゃん、俺…………」


 君がもう二度と、笑顔を忘れることがないように――。



 「俺、紗英ちゃんのことが好きだ」



 その瞬間――紗英ちゃんはぱっちりと目を開いたまま、俺の方を見て固まった。

 彼女が口を開くまでの間、周りの音が一切聞こえなくなった。


 数秒間――それは、永遠とも思えるような長い時間だった。


 重たそうにゴクリ、と唾が喉を通る。

 手足が緊張して冷たくなっていくのが分かった。


 そんな重たい沈黙を破ったのは――彼女の、吹き出したような笑い声だった。

 彼女は俺を指差して笑いながら、その口から出た言葉は、思いもよらぬものだった。


 「あはは、高弘君。すごく真剣そうな顔なのに、目の下すっごいクマ」

 「えっ」


 予想していなかった反応に混乱しつつ、思わず自分の目の下に指をあてる。

 彼女は珍しくお腹を抱えて笑いながら、言葉を続けた。


 「髪の毛もよく見るとすっごい埃だらけ。そんな格好で告白する人なんて、普通いないよ?」

 「ごっ……ごめん」

 「ありがとう、高弘君」


 彼女は笑い涙を拭いながら、穏やかな面持ちで続けた。

 それはとても嬉しそうな表情だった。


 「私も、そう思ってた」



 どこかで、祝福の鐘の音が聞こえたような気がした。

 全身のこわばっていたものがほぐれていくのが分かった。


 ああ、俺は今、幸せなんだ。


 「紗英ちゃん……」


 笑うことがなかったと言っていた紗英ちゃんが、今、笑ってくれている。

 心を閉ざして生きてきたであろう紗英ちゃんが、今、心を開いてくれている。


 この瞬間だけで、十分だと思った。

 この瞬間だけで、俺が生きている意味が分かったような気がした。


 《お前が紗英嬢を守りたいって思うことに、そんな資格、必要ないんじゃねーの》

 《俺……生きてて良いのかな》

 《お前に生きる価値がないなら、俺は……》


 ああ、そうか。

 俺は………そのために…………。


 「ふふ。高弘君、なんで泣いてるの」

 「お……俺……」


 ずっと分からなかったんだ。

 何故、自分はこんなにも苦しんできたのか。


 「生きてて……いいんだ……」


 何故、自分が人殺しの死神の力を得てしまったのだろうか。


 やっと分かった気がする。

 この力は、何のためにあったのか。


 《君を……傍で守りたい》


 この力は、君を守るためにあったんだ。


 「俺……紗英ちゃんのこと必ず守る」

 「高弘君……」

 「必ず、守るから。……君が二度と、笑顔を忘れることがないように」


 ああ、きっとそうだったんだ。

 それが、この力の――俺の、存在価値。

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