第5話 未玖と未転送魂
秋風が、学校へ向かう私達を追い抜いていく。
徐々に涼しくなった気候に夏の暑さも忘れ、手帳の新しい月のページを開くたび、頭の中にふと「夏休みに戻りたい」という思いがよぎる。
私が死神の力を手に入れてから、早くも一か月が経過した。
とはいえ、私はどこにでもいるいたって平凡な高校2年生として過ごしていた――死神が憑いていることを除いて。
自分の力については、最初は怖くて仕方がなかったものの、友達を守るために使うのならばそれは私の使命なのだと思うようになった。
が、死神の力などそうそう使うことはなくて、日々平穏に暮らしたいと願う私のささやかな日常は、最近では守られているといえるだろう。
そして、そんなどこにでもいる女子高生として登校中の私に、隣でつまらなそうにしているミタが声をかけた。
「……ねえ、未玖」
「何? ミタ」
私が周りを気にしつつ小声で返事を返すと、ミタは横目で私のカバンを見ながら呟く。
「君、今日は随分と軽い荷物だけど、教科書とかなんか持ってこなくて良かったのか? カバンの中ほとんど空だし」
「うん、今日はうちの学校の創立記念日だからね。授業はないから、すぐに帰れるの」
「へえ~。ずいぶんとまあ、楽なんだね」
ミタは明らかに不快といった顔を浮かべながら、「学生は楽で羨ましいよ」と愚痴をこぼした。
(その台詞、どっかで聞き覚えがあるような)
都会のサラリーマンとしか思えないような発言に思わず吹き出しそうになりつつ、出かかっていた「ミタだってサボってたから追い出されたんでしょ」という台詞は慌ててしまい込む。
しばらく不機嫌なオーラを醸し出していたミタだったが、ふと何か思いついたかのように私に言った。
「……てことは、君今日の夜は暇なのか……」
「ん……そうだけど……何で?」
何を言い出すのか、と構えていた私に、ミタは突如目を輝かせて言った。
「何言ってんだよ! つまりやっと君の部屋でテレビが見られるってことだろ?」
はい?
「最近はどうせ意味もないのに『今日の宿題がヤバい』とか言ってずっと勉強してただろ、君? 俺がいくら『君が今更何を勉強したって無駄だよ』って諭しても、君は『勉強の邪魔するな』の一点張りだったじゃないか。つまり、だ。今日授業がないってことは、今日こそは君の勉強という呪縛から解放されて、やっとテレビが見られるって訳だ。ああ、暇という地獄から今、俺は解放される……!」
ミタの早口の中にいくつか私への侮辱が混ざっていた気もしたが、あまりにも彼が喜ばしい表情をしていたので、思わず苦笑せざるを得なかった。
確かに、今年の夏休みも夏休み明けもずっと宿題に追われていたし……たまには良いだろうか。
「うん。じゃあ、帰ったら一緒に見よっか」
「何を言っているんだ。俺が一人で好きなやつを見るに決まってるだろ? 君は一人でトランプなりオセロなりしていればいいじゃないか」
トランプもオセロも、一人じゃできないよ!
「いいじゃん、私の部屋なんだから! 一緒に見ようよ」
「えー。君がいると集中して見られないじゃないか」
……一体君は女の子の部屋で何を見る気なんだい?
「じゃあ一緒に見ないなら、ミタにテレビ見る権利与えない!」
「そっ、それは……!」
彼の整った人形のような顔がぐにゃりと曲がる。
「うーん……むむ……」
死神は悩みに悩んだ挙句、数分間の苦悶の末、ようやく一つの答えを導き出した。
「一緒に……見てもいいけど、その代わり…………俺の好きなやつを見る権利を……与えろ!」
「悩み過ぎじゃない?」
学校に着くと、階段を上がり、いつもの教室のドアを開ける。
すると、教室からは賑やかな声が溢れてきた。
私は教卓のすぐ近くの、一番前の自分の席へと向かう。
――今日は珍しく早く着いたな。
そんなことを考えながら、いつもはない空白の時間を、暇になった私は机に座ってぼんやりと過ごしていた。
教室の朝は思いの外賑わっていた。
まあ、私は普段あまり早く来る方ではないから、よく知らないのだが。
そんなことを考えていたとき、突然後ろから誰かに肩をたたかれる。
誰かと思い振り返ると――そこには他の誰でもない、満咲の姿があった――。
「……満咲! おはよう、来られるようになったんだね!」
戻ってきた。満咲が、親友が。
嬉しくて涙が出そうになるのを堪え、私は満咲に抱き付いた。
(また学校で満咲と会えて、本当に良かった……)
あの事件以来、学校に来ることのなかった満咲。
あの日から彼女が抱え込んできた不安を、私は少しでも取り払うことができただろうか。
「うん、その……心配かけてごめんね。それから、……ありがとう」
そう言うと、満咲は私の背中に腕をまわす。
その細い腕に力がこもるのを感じ、私は心につかえていたものが完全に消えていくのを感じた。
「未玖のおかげ……だから、もう大丈夫」
満咲は私から腕を離すと、にっこりと笑った。
(よかった……満咲が元気になって、本当によかった)
しばらくして担任が教室に入ってきた後、短い話とプリントの配布があり、簡単な式を経て今日の学校は終わった。
私の平凡な高校生活は、満咲を取り戻して――再び幕を開けた。
帰り道、私は満咲と花と永美と一緒に、学校の近くのアイスクリーム屋に寄ることにした。
もちろんミタも私について来ていたが、「アイスクリーム」というものが些か気になっているのか、先程からこちらをチラチラと窺ってくる。
(うわぁ。こんなにアイス食べたいの我慢してるひと初めて見た)
私はミタの視線を感じつつ、友人たちの会話に耳を傾ける。
私は時々ミタの人間らしい一面についつい頬が緩むことがあるが、最近ではこんな疑問すら抱くようになってきた。
「果たして、彼は本当に死神なのだろうか?」
もちろん今までに死神を見たことなどないのだからそれはただの先入観でしかないのだが、私がイメージしていたよりその、何だか違う印象を受ける。
特に最近はミタの人間らしい一面を見ることも多く、私は彼が死神で、私に憑いているのだということを忘れてしまうことがよくある。……もしかしたら、それほど彼には親近感を覚えるようになっているのかもしれない。
そんな彼だが、本当に周りの人間には見えていなくて、歩くたびに周りの人間が彼をすり抜けていくのを見ると、やはり彼が死神なのだということを再認識する。
以前、何故他の人間には見えず触れられない彼を、私は認識することができるのか疑問に思い、ミタに尋ねてみたことがあった。
すると彼は、何か手帳のようなものを横目でカンニングしながら、長々と説明してくれた。
《――何で未玖にだけ見えるかってこと? ……死神はさ、普通は人間には見えないんだけど、’wink killer’の力を持った人間には見えるんだよ。だから死神が下界で実体化しているとき、’wink killer’の力を持っていれば、そいつは死神を見たり触れたりすることができるんだ。で、死神の身に着けている服とかは……えっとこれは次のページか……えっと、所有物については……それが天界に属する物であれば、’wink killer’を持っている人間にしか見ることはできない。ただ、下界に属する物を所有している場合は、その物体は下界の物だから下界の人間にも見える。だから、俺がこっちの世界の物を持ってたりすれば、普通の人間には物が浮いて見えたりするってことだな》
長い説明を終えあからさまに誇らしげな顔を浮かべたミタは、次に「試してみようか?」と言って私のペンケースをもってリビングに降りようとしたので、あわてて止めた。
「……未玖? ねえ、未玖~。おーい」
花が呼びかける声で、私はハッと現実に戻る。
「な……何?」
「あ、やっと戻ってきた。未玖は何味にするのー?」
「え……?」
気がつけば、目の前には目的地のアイスクリーム店の看板があった。
「あ、もう着いてたんだ……」
見慣れたいつもの看板。
何か良いことがあったとき、私達はよくこのアイス屋に寄る。
(前に行ったのは、定期テストで皆地理が90点代取れたからだったっけ……)
いつもあまり成績の芳しくない私が90点代入りを果たせたのは、確かにあの時奇跡が起きた証拠である。
「『着いてたんだ』って……大丈夫、未玖? ――で、何味にするの?」
花が呆れたように私に促す。私は苦笑を浮かべながら、「いつものにするよ」と答えた。
「はいはい、じゃあ、皆の分買っとくから、皆は席取っといてー」
そう言うと、花はレジの列に並ぶ。
花が買っている間に、私達は席を取る。これが、私達のいつもの習慣だった。
私達が取っていた席に、アイスを器用に4つ持ってやってきた花を迎え入れ、私達はそれぞれ花に自分のアイス代を渡した。
見た目は普通のアイスと変わらない。オシャレなデザインが施された紙製のカップに、少し大きめのアイスが贅沢にのせられている。
しかし、ここのお店のアイスは、味に他にはない深みとコクがあるのだ。まるで、素材の質が違うかのように。
その味わいは口コミで客を次々と呼び寄せ、ここが人気となっているのも、この味を知れば大半の人間が納得のいく理由なのである。
私の「いつものアイス」は、いつも通り私の口の中に濃厚な味わいと上品な抹茶の風味をふんわりと広げ、何とも言えない幸せな時間を作り出してくれた。
私達はそれぞれが自分のアイスを味わいながら、感嘆の声を漏らす。
「あー、やっぱここのアイス、めっちゃ最高!」
「そんなの当たり前じゃない、花。学校周辺の数あるアイスクリーム屋の中でこの私が情報収集・クロスチェック・分析評価して選び出した店なんだから」
「何だよ何だよ! (以下略)」
いつも通りの永美と花の会話を眺めながら、いつも通り私と満咲が笑う。
しかしその後ろで、死神が横目でこちらを(いや、私のアイスを)ものすごい何度も見つめている。
(やっぱ食べたいってことだよね、これ。いや、でも、この状況じゃ……それは無理じゃないかな)
他人には見えないミタだが、このまま放っておくのも何だか可哀想な気がする。
って、ちょっと待って、後ろから突き刺さる視線がものすごく痛いんですけど……。
(もう、しょうがないなぁ……)
いたたまれなくなった私は、他人の目を盗み、瞬速でミタの口にアイスを詰め込むことを決意した。
しかし、四人(と死神一人)しかいないこの空間で、残り三人の目を盗んでミタにアイスを分ける行動は、難易度にすればS――。
なにせ蒲田未玖、生まれてこの方物事を器用にこなした数の方が少ない私が、いきなりハードモードのゲームに挑戦するようなものなのだ。
狙うのは、私が会話から外れ空気と化した瞬間。
自分で言うのも悲しいが、普段からそのような瞬間が多いことに、今回ばかりは感謝する。――でなければ、今回の挑戦の難易度はSでは済まなかっただろう。
しばらくして、私が空気となる瞬間がやってきた――花と永美が二人だけで討論に熱中し出したのだ。
今しかない――私は一瞬の隙を見計らい、アイスを自分の口へ運ぶ……と見せかけて、そのスプーンを後ろにいたミタの口めがけて突っ込んだ!
蒲田未玖、タイミングを見計らうことに最大限の神経を注いだ結果、幸い、三人には怪しまれずに済んだ。
しかし、今回の私の過ちは――ミタに前もって何の説明もしていなかったことだろうか。
突然目の前にアイスの乗ったスプーンがこちら目掛けてやってくる恐怖を、誰が想像できただろう。
彼の透き通った白い頬には、緑色の濃厚な抹茶アイスがべっとりとくっついていた。
「ふぅん……下界ではこうやって人に食べ物をシェアするのか……ふぅん……」
本当にごめんなさい。もうしません。
ミタは私を睨みつけながら頬に付いたアイスを手で取って舐めていたが、やがて何かが気になったのか、周りを見回した。
「……どうしたの、そんなキョロキョロして」
二人の議論が白熱し、満咲が二人をなだめている隙を見て私が小声で尋ねると、ミタは「……おかしいな」と呟いた。
「いや、さっきここに入ったときに、何かがいるような気がしたんだけど……」
「え……気のせいじゃない? ここ冷房かかってるし、何か寒気でもしたんじゃ……」
「そうかな……」
ミタは納得していないのかしばらく顔をしかめていたが、私達が店を出る頃にはすっかり忘れていたように見えた。
そのとき、私達の後ろを何かがついてくることに、私もミタも気がつかなかった――。
☆★☆
「はい、じゃあミタが好きなやつ見ていいよ」
「うむ、実は見たい番組は既にリサーチ済みなのだ」
「うん、だと思ったよ」
いつも私がお風呂から出て部屋に戻るとリモコンを握りしめて「何でもないよ」と誤魔化すバレバレの真犯人は、今回の私の発言に、まるで真実を突き付けられた事件の犯人のような形相で「何故分かった?!」といった表情を浮かべている。
「で、何が見たかったの?」
私が促すと、ミタは照れくさそうな表情を浮かべてもごもごと呟いた。
「……お笑い番組だよ。あっちの世界でいつも見てたから、下界のはどんなものかと思って」
「へぇ、なるほど。お笑いね。いいんじゃない?」
一つ思ったんだけどさ、お笑いって一人でこっそり楽しむタイプのものだったっけ?
私はミタが何故このジャンルのテレビを一人で見たがっていたのか皆目見当もつかなかったが、それよりも、
「あっちの世界のお笑い番組って、どういうやつなの?」
天界の「お笑い番組」とやらの内容や形式が気になってしまうところであった。
すると、ミタが驚くべき内容の答えを返す。
「ああ、天界では『あの人』がプロデュースしてるお笑い番組があるんだけどさ、すっごい面白いんだよ」
「ふーん、そうなんだ……って、え?!」
あの、「神様」がお笑い番組をプロデュースしてるっていう認識で宜しいのですかね。
驚く私をよそに、ミタはこちらの世界とさほど変わらない内容のそのお笑い番組について熱弁を始めた。
その、「あの方」主催のお笑い番組について。その番組の天界での人気ぶりについて。
「えっと、話をまとめるとつまり、あちらの世界では皆さん全員『あの方』がプロデュースしたお笑い番組を欠かさず見ている、と」
「というか、番組のほとんどが『あの人』プロデュースの番組なんだよ。ほぼお笑いだけど」
「で、皆さんお笑い番組を見ている、と」
「当たり前だろ。俺達死神にとっても、お笑い番組は無くてはならない存在なんだよ」
どんだけお笑い好きなんだよ。
私は天界の住民が揃ってお笑い番組を見るシュールな光景を想像し、思わず苦笑せざるを得なかった。
何とかして堪えることに成功したタイミングで、ミタが「そろそろつけるよ」と言ってリモコンのスイッチを入れた。
――が、テレビがつかない。
「あれ、何でつかないんだ? 未玖、君のテレビ壊れてるんじゃないか?」
「そ……そんなことないよ! まだ買ったばっか――」
「ん、どうしたんだよ?」
ミタが私の顔を覗き込む。私は「それ」を見て、瞬時に自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。
「ちょっ……ミタ、誰かいるよ……!」
青ざめた私の表情に首を傾げつつ、ミタはテレビの方を見た。
彼の視線の先には――テレビの前に立つ、小学校高学年くらいの小さな男の子の姿が――!
「なななな、何だこいつ?!」
「し……知らないよ! 私も全然気がつかなかったんだから」
私達が驚きのあまり腰を抜かしていると、その男の子はニコリと笑って一言。
「優しそうなおねえちゃんがいたから、付いてきちゃった。てへぺろ」
そう言うと、男の子は「おねえちゃん」と言って私にギュッと抱きついてきた。
――か、可愛い……っ!
「お前なァ、『付いてきた』んじゃなくて『憑いてきた』んだろ。何が目的だ、さもないと……」
「おねえちゃん、このおにいちゃん怖いよ、すごくにらんでくるよ」
「ミタ、この子まだ小さいんだし、もう少し優しく話しかけてあげないと……」
「はァ!?」
純粋無垢、とはこの子のことを言うのだろう。あどけない微笑みが眩しい少年は、私の服の裾をギュッと掴んで離そうとしなかった。
遊び盛りの少年らしい汗ばんだTシャツには少し泥汚れが付いており、どこで転んだのか、身体のあちらこちらにあざがある。
一見どこにでもいそうなわんぱく少年なのだが……。
うっすらと透けた両足が、この子が普通の人間でないことを物語っている。
(この子、やっぱり幽霊だよね……?)
私が困っていると、ふと、ミタが思い出したようにして言った。
「そういえばこいつ、どっかで覚えがあると思ったら……さっき店の中で感じた、未転送の魂だよ」
「未転送の……魂……」
「ちっ、バレちまったら仕方ねぇ。そうだ、この俺は幽霊だ。どうだ、恐れ入ったか!」
「…………」
「…………」
「未玖、こいつをさっさと天界送りにしろ」
「えっ……」
「おねえちゃん、このおにいちゃん怖いよ、すごくにらんでくるよ」
「ミタ、この子まだ小さいんだし、もう少し優しく話しかけてあげないと……」
「はあァ!?」
自分を幽霊、と名乗った少年は私にしがみつきながら、不意にミタの方を向いたと思えば、舌を出してあかんべーをする始末。
ミタが大人げなく舌打ちをするのを、私は苦笑しながら「まあまあ」となだめた。
「あ、あの……どうして私に着いてきたのかな?」
私が少年に優しく尋ねると、少年は「さっき言った通りだよ」と言って私に向かってニコリと笑う。
「でも、優しそうなおねえちゃんなら、私以外にもいっぱいいたんじゃない?」
「……だって……おねえちゃん、幽霊見えるでしょ」
そう言うと、少年は少し寂しげな表情になって「僕……誰にも気づいてもらえなくて……寂しかったから……」と涙ぐむが、ミタが反論する。
「気をつけろ未玖、こいつさっきと一人称が違うぞ。絶対何か企んでやがる」
「ちっ、バレちまったら仕方ねぇ。そうだ、俺が着いてきた真の理由、それは……おねえちゃんのパンツが一番かわいかったからだよ! どうだ、何か文句あっか?」
「ぱっ……パンツ?」
「ほら見ろ、不純な動機だ。こんな奴早く天界送りにしないと下界のためにならん。未玖、早くこいつを転送しろ」
「あっ、えっと……」
ミタが「まったくけしからんガキだな」と息巻く一方、少年が涙を湛えた表情でこちらを見つめてくるので、私は誤魔化すようにして苦笑せざるを得なかった。
「そういえば、どうして私が幽霊見えるって思ったの?」
とりあえず話を逸らさなければ、と少年に質問すると、少年はミタを指差して言った。
「こいつ、幽霊でしょ? だから、俺のことも見えるかなって思って」
「……幽霊?」
「うん……こいつ……他の人に見えてなかった」
「いいかクソガキ。まず一つ、俺は幽霊じゃねぇ。そして二つ目、俺は『こいつ』じゃねぇ。死神ミタ様だ、覚えておけ」
「ふーん、お前死神なんだー。つえー」
「台詞が棒読みだし『お前』じゃねぇよ?」
ミタは笑顔で拳を震わせながら、「ちょっと未玖いいか?」と言って私を一旦部屋から連れ出した。
廊下に出て、ミタは部屋のドアを閉める。
「……どうしたの?」
私が尋ねると、ミタはさっきまでとは打って変わって真剣な表情で言った。
「――さっきも言ったけど……あいつを転送してやってくれないか、未玖?」
「……どうしたの、急に」
「まあ一応仕事なんだよ。サボるつもりだったけど……」
《死んだ魂を天界に送ってるってこと》
《下界で死んだ人間の魂は普通、成仏して自動的に死後の世界へ転送されるんだけど、まれに成仏できずにそのままこっちの世界に残ってしまう魂も存在する。俺達は、そういう魂を見つけ次第転送することになってるんだよ》
一か月ほど前、初めてミタに出会ったときに言われた言葉が蘇った。
そっか。今、ミタの力は私が奪ってしまっているから――。
「ああいう奴見ちゃうと、サボるにサボれなくなっちゃうよ、やっぱり」
「……どういうこと?」
「俺はああいう奴何度か見てきたから分かるんだけど」
ミタは悲しそうな目をしていた。
「あいつ、多分成仏できないまま、何年か下界を彷徨ってる。そしてこれからも、成仏はできないだろうね」
「え……」
「あの歳で過去や未練に縛られたままなのは……可哀そうだろ」
遠くを見る彼の目に映っているものが何かは分からなかったが、彼の言葉が私の中で響きわたり、何故か心がズキリと痛んだ。
天界に行けば、きっとあの子も救われる。
だから、私は――。
「わかった……あの子を転送する」
私にできることをやろう。
私の言葉に、ミタは安堵の表情を浮かべ、「ありがとう」と告げた。
ミタの瞳が、どこか遠い空を見つめていた。
しばらくして私達が部屋に戻ると、部屋の中では、少年がテレビの横で気持ち良さそうに眠っていた。
「あれ……疲れたのかな……?」
少年がすうすうと寝息を立てる中、私は「しっかりしなきゃ」と自分に言い聞かせる。
――私、今からこの子を転送するんだ。ミタの代わりに、この子を天界へ送る……。
私が少年を見つめていると――少年の瞳から涙が零れた。
「おかあさん……」
寂しそうな表情で眠る少年を見て、私は先程の少年の言葉を思い出した。
《僕……誰にも気づいてもらえなくて……》
《寂しかったから……》
「……ねえ、ミタ?」
「ん、何?」
「この子の転送、もう少し後にしちゃダメかな……」
「え? ……何で?」
ミタが驚いて私を見る。私は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私……この子を成仏させたい」
するとミタは少し驚いてから、私に告げた。
「本当は見つけたら即刻転送がルールなんだよ、だからそれはできない」
「でも、ミタは『仕事サボってる』んでしょ?」
驚いたような表情のミタに、続けて言う。
「だったら、少しくらいサボったっていいじゃない。ね?」
「未玖……」
「この子、きっと寂しかったんだと思う。幽霊が見えるの、私しかいなかったんでしょ? だから、唯一自分の存在に気が付いた私に着いてきた」
少年の天使のような寝顔は、どこか寂しそうな表情を浮かべている。
そうだよね。だって、ずっと――誰にも気がついてもらえない世界で、一人ぼっちだったんだよね。
「要するに、この子が成仏するのは、寂しい気持ちが紛れたときってこと」
私は少し照れくさくなりながら、笑って言った。
「もう少し一緒にいてあげたくなったんだ」
するとミタは、ハア、とため息をつきながら、「未玖の好きにしたらいいよ」と告げる。
「本当?!」
――良かった……それなら、この子、きっと……。
「何なに、おねえちゃん、もう少し俺と一緒にいてくれるの?」
「あ、起こしちゃったね……ごめんね」
目を覚ました少年はすかさず私にくっついてきた。
一方、少年はミタに対しては終始あかんべーをしているので、ミタの表情も少しずつ曇っていく。
「ふん、何の話か知らないけど、俺のいないところで二人だけでコソコソ、お前は本当にカンジ悪いな」
「何だと……未玖、やっぱりこいつは即刻転送だ。どうやらこいつに温情をかける必要はなさそうだ」
「ふん、エラそうにしやがって。おねえちゃんは俺と一緒がいいんだよ、お前の好きにさせるか、バーカ」
「ばっ……馬鹿だと……?!」
「えっ、えっと……」
相変わらず二人がケンカを始めるので、私は再び、苦笑せざるを得なかった。