表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
wink killer  作者: 優月 朔風
第7章 死神の過去
68/96

第66話 神様に死ね、って言われてるんですかね……私

 「倉元……今、どこにいる!」

 「私ちょうど今、大学出たところで……」

 「分かった、今そっちに――」


 そこまで言いかけたところで、はっと我に返った。

 今、目の前に紗英ちゃんがいる。

 今日こそ、紗英ちゃんに想いを伝える――そのつもりで、今日ここに来た。


 紗英ちゃんをこのままここに置き去りにしてアイツのところに行くなんて、俺にはできない。

 でも、このまま俺が倉元を助けなければ、アイツは……。


 《私、今……誰かに後つけられてるみたいなんです》


 彼女の恐怖を――アイツの”トラウマ”を分かってやれるのは、俺しかいないのに。


 「大丈夫、高弘君? どうしたの?」


 紗英ちゃんは小首を傾げ、じっとこちらを見つめる。

 アトラクションの列が、乗降口付近にまで差し掛かっていた。


 「紗英ちゃん……俺……っ」

 「後輩の子に、何て言われたの?」

 「…………」

 「……行ってきなよ」


 紗英ちゃんはそう言って、にっこりと笑った。

 その笑顔は完璧な笑顔だった。

 普段笑うことの少ない彼女の、完璧な笑顔――


 「ふふ。高弘君、泣きそうな顔」

 「おっ……俺……」


 倉元は今にもその「知らない誰か」に捕まっているかもしれない。

 必死に助けを求めてきたアイツを、俺は――


 でも。


 「やっぱり、紗英ちゃんを置いて倉元のところに行くなんてできない。せっかく紗英ちゃんとここまで――」

 「あーあ。やっぱり最後のアトラクションは、一人で乗りたいなー。高弘君すぐ怖がって叫ぶし」


 彼女は意地の悪そうな顔を浮かべて、そう言った。

 彼女の言葉で、俺は理解した。


 「二人で全制覇する」――そう意気込んで、途中休憩したい俺を殆ど休ませずにここまで連れてきた紗英ちゃんが、最後は一人で乗りたいなんて本心から言うはずがない。


 これは、紗英ちゃんの優しさだ。

 なかなか素直に言葉に出してくれない彼女らしい、おそらく精一杯の優しさ。


 そんな紗英ちゃんの想いを、俺は無駄にすることなんてできない。

 だから、紗英ちゃん――今回だけは、君の言葉に甘えさせてくれ……!


 「ごめん、紗英ちゃん! 俺、アイツのとこ行ってくる!」

 「…………」

 「でも、絶対! 絶対に俺、紗英ちゃんを迎えに戻ってくるから!」

 「……うん」


 乗降口直前にまで差し掛かっていた列を抜け、紗英ちゃんに背を向けて走り出す。

 周りの人達がこちらを見て何事か、と話していた。


 向かい風が全身にあたり、風の音が耳元でヒュウ、と大きく鳴る。

 携帯電話を握りしめながら、俺は園の外へ向かって全力で走った。


  ☆★☆


 紗英ちゃんと離れ大学の最寄り駅へと辿り着いた俺は、再び倉元に電話を掛けた。

 携帯電話を耳元にあてながら、改札を出て地上への階段を急ぐ。

 数十段ほどある階段を走って上りきったところで、電話がつながった。


 「はあ、はあ……倉元……お前、無事か? 大丈夫なのか?」

 「せ、先輩……っ! わわ、私……私っ……」


 電話の向こうから、震える倉元の声が聞こえてくる。

 その声がいつものだらしない声ではないことが、これが緊急事態であることを物語っていた。


 「今向かうから、とりあえず落ち着け。大丈夫だから」

 「こ……怖いんですっ……私……まだつけられてる気がして……」

 「今駅に着いたんだ。すぐにそっちに向かう。お前今、どこにいる?」

 「えっと……大学の東門を出たすぐの……トンネルの近くに……」

 「分かった。すぐ行くから待ってろ」

 「せせ、先輩……」

 「何だ?」


 携帯電話の中から、弱々しい倉元の声が漏れてくる。


 「あ……ありがとうございます」

 「…………」


 その声は、いつも気丈で明るい彼女のものとは思えないくらいか細くて、

 俺は電話機の向こうの震える彼女に、笑いながら言った。


 「大丈夫だ、すぐ迎えに行ってやるから。だから、お前はとにかく、明るいところにいて俺を待ってろ」

 「うぅ……了解です」


 いつもの生意気な倉元ならあり得ないほど素直な返事から察するに、おそらく相当な精神的ダメージを受けているのだろう。

 俺は彼女のいるであろう大学の東門に急いだ。


 《ゼミで一番頭の悪いお前達に構っているうちに、娘や息子みたいに思えてきたからかもしれないなぁ》

 《お前らは……俺を裏切ったからだ》


 「頼むから……何も起こらないでいてくれよ……!」


 以前俺と倉元の目の前で起こった悲惨な出来事を思い起こしながら、二度とあのようなことが起こらぬよう切に願った。

 あんな風に苦しむアイツの顔は、もう見たくない。


 嫌に湿った生暖かい風が一つ、夜の街中を吹き抜けた。


  ☆★☆


 目的地に辿り着く。

 しかし、そこには人の気配が一切なかった。


 「どこにいる、倉元……?」


 一番明るい場所――夜間ライトに照らされるベンチは閑散としており、そこには見覚えのある荷物が置いてあった。

 ――否、置き去りにされていた。


 「倉元……!」


 それは、やたらと大きい空っぽの学生用リュックサックだった。

 見た目ばかり真面目で、中身は何も詰まっていない、実にアイツらしいリュックが一つ、持ち主不在のまま不自然なほど乱雑に置き去りにされていた。

 まるで、このまま彼女だけが連れ去られてしまったかのように――。


 「アイツ、どこに……?」


 人通りの少ない東門の警備員室の中に警備員はおらず、いつも通り時計の秒針の音だけがチク、タク、と鳴り響いていた。

 もう一度彼女に電話を掛けようとしたその時――トンネルの奥の方から、よく知った人物の叫び声が聞こえた。


 「まさか……!」


 嫌な汗がタラリ、と背中の皮膚上を流れた。

 間違いない。トンネルの中で、何かがあった。


 《私、今……誰かに後つけられてるみたいなんです》


 アイツは今、その「誰か」に――。


 俺は東門を出たところにあるトンネルへ向かって全力で走った。


 急がなければ。

 アイツは――


 アイツは”また”、あの恐怖を――。



 トンネルの暗闇の中にそいつはいた。

 倉元は男に首を絞められていた。


 「倉元……!」

 「せ……んぱ……」


 見知らぬ男。刈り上げた坊主頭に、凶悪な目つき。

 薄汚れた黒いTシャツには、倉元の抵抗した跡なのか――くつの裏側の模様がくっきりと残っていた。


 「く……倉元を離せ……」


 震える手足。

 全身の筋肉は硬直し、まるで鉛のように重たくなった身体は、思うように動かすことができない。

 辛うじて喉から零れ出した声は、上ずって威嚇の意味をまるで成していなかった。


 「……なんだ、お前」


 男は低い声でそう言うと、こちらを向いた。

 地べたを這いずる虫けらでも見るような目。

 男に睨まれた瞬間、全身が震え上がるような思いがした。


 それでも。


 「俺は……そいつの先輩だ」


 精一杯の力を込めて、言葉を放つ。

 逃げ出したくなる身体を抑えて、俺は、


 「そいつは……俺の大事な後輩なんだ。だから……離せよ」


 精一杯に――そいつを睨みつけた。


 倉元は苦しそうにこちらを見ていた。

 男はチラリと彼女を一瞥してから、つまらなそうに大きく舌打ちする。


 「……そういうことかよ」


 男は倉元を睨みつけてから、その手を離した。

 それからあっさりと――逃げるようにして、トンネルの暗闇の奥に走り去っていった。


 トンネルの中には、暗闇の奥を睨みつけたまま固まる俺と、咳き込みながらその場で座り込む倉元だけが残った。


 「倉元……」

 「せ……先輩……」


 倉元は両目を大きく開いたまま、ただ目の前の一点を見つめていた。

 思いがけずあっさりと去っていったストーキング男に驚きながらも、とりあえずの無事に安心して腰が抜けたのか、俺はへなへなとその場にしゃがみ込んだ。

 しかし、依然として震えの止まらない倉元を見て、自分の不甲斐なさを痛感する。


 あのとき、倉元にもっと安全なところに行くよう指示できていれば。

 もっと早く紗英ちゃんの言葉に従っていれば。


 コイツは()()、こんな思いをせずに済んだかもしれないのに。


 「済まなかった。……お前にまた、こんな思いをさせて。俺がもっと早く着いていれば」

 「わっ、わた……わたし……」


 真っ青になった彼女の唇から、弱々しい声が零れ出る。

 両肩を震わせながら、赤ぶち眼鏡の奥で見開かれた両目は、ただひたすらに暗闇を映していた。


 彼女の呼吸が、少しずつ早まっていく。


 「私、また……首……殺される……私、わたし……」

 「もう大丈夫だ。大丈夫だから……帰ろう、な」

 「殺される……殺される……嫌……イヤっ!」

 「倉元、大丈夫だ。もうアイツはいないんだ」

 「イヤ! 苦しい! やめて、助けて! 死にたくない……!」

 「倉元、もう大丈夫だ、大丈夫なんだ! だから落ち着くんだ!」


 震える彼女の肩を両手で抑え、彼女と向き合って真っ直ぐに目を見る。

 それまで暗闇の一点を見つめていた彼女は、俺の顔を見た途端――その瞳から一粒の涙を零した。

 次第に少しずつ、呼吸が元のペースに戻っていく。


 「先輩……」


 彼女は涙を流しながら、小さな声で呟いた。


 「神様に死ね、って言われてるんですかね……私。お前なんか生きる価値ないから、って」


 震えが収まった彼女はそう言うと、小さく笑ってみせた。

 どこか遠くを見つめる彼女の瞳が。その笑顔が。

 ――とても寂しそうだった。


 「そんなこと……言うなよ」


 彼女の言葉が、自分の胸に深く突き刺さるようだった。


 「お前に生きる価値がないなら、俺は……」


 人殺しの自分には、生きる価値なんてない――頭の裏側で、そんな言葉が浮かび上がってきた。


 その言葉を口にすることは、とてもじゃないけどできなかった。

 倉元に自分の存在価値を否定されるのが、怖かったから。


 俺は、彼女を励ますための言葉が見つからなかった。

 二人の間に、暫しの沈黙が流れ――


 トンネルの中を、冷たい夜の空気が包み込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ