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wink killer  作者: 優月 朔風
第7章 死神の過去
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第62話 なんで、走馬灯なんか見えるんだよ

 その日の夜。

 俺は一人、買ってきた味噌ラーメンをすすりながら、今日のお昼のことを思い返しては顔を綻ばせていた。


 《だから、少しずつ克服すればいいんじゃないかな。俺は紗英ちゃんの味方だし》

 《優しい人……なのね》


 「アレは絶対、男らしかったよなー。俺だって、やればできるんだよなぁ……ハハッ」


 最後の麺を口の中に入れてから、お湯を足して残りのスープを味わう。

 スープを全て胃の中に流し込むと、俺の頭の中には今日のお昼の成果が思い浮かび、その確かな手応えに、思わず笑いを堪えずにはいられなかった。


 そんなとき――窓がガタガタと音を立てる。

 もしや、と思いカーテンを開けると、案の定、そこにはアイツの姿があった。


 「チサお前、やっと帰って来たのかよ~」


 俺が嬉しそうに、おかえりと窓を開けると、ヤツは疲れたような顔で苦笑しながら、ただいまと言って部屋の中に入った。

 が、俺の顔を覗き込むや否や、彼女の顔色が曇っていく。


 「高弘……早速だがそのニヤついた笑みは何だ。気色悪い」

 「おま、お前、久しぶりに帰って来たかと思えば、いきなり酷いな?」

 「私は他人がいやらしく笑っているのを見ると殺意が沸いてくるんだ」

 そんなにいやらしかったのか……。

 「お、お前には人の心ってもんがないのかよ」

 「ない。私は死神だからな」


 彼女はぶっきらぼうにそう言うと、窓の縁によっこいせと腰を掛けこちらをジトリと睨んだ。

 机の上のラーメンを片付けるため台所へと向かった俺に、彼女は気怠そうに声を掛ける。


 「で、何だってそんな浮かれた顔をしているんだ、高弘」


 怪訝そうにこちらを睨んでくるチサに対し、俺は得意げな顔でここ数日の出来事を話した。

 紗英ちゃんという天使に出会えたこと、それを応援してもらっていること、それから……


 「お前がいない間……また不安になったりしたけど」

 「…………」


 《他人が、怖いの》

 《優しい人……なのね》


 大好きな天使の、力になれた。

 紗英ちゃんにまた一歩、近づくことができた。


 そのはずなのに。


 「やっぱり、俺……人を好きになったりしてもいいのかな」


 自分にその資格があるのか。

 人を殺した自分にその資格があるのか。


 殺した相手の家族の幸せを奪った自分に、幸せになる資格なんてあるのか――


 どれだけ考えないようにしても、忘れられない。

 それだけが、黒くモヤモヤとした塊になって、自分の心の奥底から離れてくれないのだ。


 「お前は、優しい奴だからな」


 チサの口調は、とても柔らかかった。

 先程「人の心がない」と言っていた死神のその言葉の中には、どこか温かいぬくもりが混じっていた。


 「あまり自分を追い詰めるなよ。お前の――お前自身のその『能力』は、優しいお前には残酷過ぎるからな」


 そう言って下を向くチサの表情は、いつも横柄な彼女らしからぬ、悲しそうな表情だった。


 俺が死神の力を得たあのときから、俺にはあるものが見えるようになった。

 それは俺自身の持っている「能力」なのだと、チサは言っていた。


 《教授は何で俺達の面倒こんなに見てくれるんですか》

 《何でだろうなぁ、ハハ……もしかしたら、ゼミで一番頭の悪いお前達に構っているうちに、娘や息子みたいに思えてきたからかもしれないなぁ》

 《ゼミで一番頭の悪いとは失敬な! 先輩はさておき、私は成績優秀な生徒じゃありませんか!》

 《倉元、お前はダントツでドベに決まってるだろ》

 《乙女に向かってなんてひどいことを! 先輩のバカ!》

 《ハハ、お前達は本当に仲が良いんだなぁ》


 土井教授は、優しい人間だった。


 《ぱぱ! みてみて、お花ー!》

 《お、パパのために取って来てくれたのかー?》

 《うん!》

 《ありがとなぁ。でも、そのままじゃお花がかわいそうだから、ちゃんと元の場所に埋めてあげような》


 俺が見たのは、土井教授が大切にしていた記憶の一部だった。

 俺が見たのは、土井教授が死ぬべき人間ではなかったという証拠だった。


 俺の「能力」は――死にゆく人間の走馬灯を見る能力だ。


 それがどのようなタイミングで、誰に対して発動するのかは定かではないが……

 少なくとも、その能力は俺の意思とは関係なく発動し、俺と関わってきた人間が目の前で死んでいくとき――俺には走馬灯が見える。


 教授を殺した自分に見えたのは、土井教授の大切にしてきた想い出の数々だった。


 教授は、ゼミの授業に置いていかれがちな俺や倉元の面倒をよく見てくれていた。

 俺はともかく、生意気を言って教授のことをよく困らせていた倉元のことまで、笑って構ってくれていた。

 授業で俺や、特に倉元が理解に苦しんでいるときがあれば、コーヒーの匂いの立ち込める教授の部屋がその日の補習部屋になった。


 俺達ばかり贔屓して問題になるのではないかと尋ねれば、

 《バレなきゃいいんだよ、バレなきゃな。そんな心配より、お前らは自分の単位の心配しろよ?》

 と言って笑ってごまかす。


 帰りが遅くなったときは、都会の高級そうなレストランに連れていってもらったこともあった。


 《お前ら、さっさと食べろ? どうした、珍しい食べ物でも見るようにして》

 《だっ……だって、こんな……》

 《わっ、私っ、こんな高級なお肉のお金なんて払えませんよ! かっ、身体だけは売らないって、決めてるんですから!》

 《ハハ、全部俺の奢りに決まってんだろ。それより早く食べろ、せっかくのお肉が冷えちまうぞ》


 普段ひもじい食べ物しか食べない学生にとって、それはとてもありがたくて。

 何より土井教授の飾らない優しさが、たまらなく嬉しかった。


 今までに出会ったことのない高級食材を前にして目を輝かせる俺達を眺める教授の心はとても穏やかで。


 (まったくこいつらは……いいから他の生徒に追いつけるくらい、一生懸命勉強しろってんだよ……)


 あのとき――俺が教授のことを殺したとき、彼の走馬灯の中で聞こえてきた心の中の言葉。

 それはとても温かくて、優しい言葉だった。

 優しければ優しいほど……その言葉はまるで呪いのように、俺を縛り続ける。


 いつだって忘れることはない――教授の温かい想い出は、俺の中で「罪悪感」という冷たい現実となり、残り続けた。


 《ぱぱ! おかえり!》

 《おう、元気にしてたかー?》

 《今日はね、ままといっしょに、ぱぱのにがおえかいてたの!》

 《そうかそうか、見せてみろ……ん、誰だこれ》

 《ぱぱにすごく似てるって、ままもたくさんほめてくれたー!》

 《ハハ、そうだな、凄く似てるな……ハハ……》


 まだ幼い娘と、娘を溺愛する父親の記憶。

 教授が大切にしていた、大事な想い出の一つ――。


 白黒映画のような走馬灯の中で、父親に頭を撫でられて無邪気に笑う幼い少女の笑顔が、俺の頭に焼き付いて離れなかった。

 俺はこの子の笑顔を奪ってしまったのだ。


 俺のせいで。


 《ぱぱ、私、ぱぱとけっこんするー》


 無邪気に笑う教授の娘は。


 《ゼミで一番頭の悪いお前達に構っているうちに、娘や息子みたいに思えてきたからかもしれないなぁ》


 息子のように面倒をみてくれた教授のことを殺した、俺のせいで。


 《ぱぱ、だいすき!》


 何の罪もないこの子は、突然父親を失ってどうなってしまっただろう。


 「はぁ……はぁ……」


 俺のせいだ。

 こんなに親切にしてくれた教授を、俺は殺した。


 「はあ、はあ、はあ」


 《私っ、こんな高級なお肉のお金なんて払えませんよ!》

 《まったくこいつらは……》


 おれの、せいで。


 《そんな心配よりお前らは自分の単位の心配しろよ?》

 《今日はね、ままといっしょに、ぱぱのにがおえかいてたの!》


 「はあっ、はあっ」


 どんなに嘆いたところで覆ることのない「教授の死」という現実が、真っ暗な闇となって俺の目の前に覆いかぶさる。

 呼吸のできなくなるような残酷な事実は、容赦なく「罪悪感」という名の縄で俺の首を絞めていく。


 苦しい。

 どうして、こんなことに。


 《『何で』? ……決まっているだろう。お前は……》

 《お前らは……俺を裏切ったからだ》


 「大丈夫か、高弘!」

 「はあ、はあ、チサ……お、俺……」

 「ゆっくり、呼吸をしろ。お前は何も悪くない、だからとにかく落ち着くんだ」

 「はぁ……はぁ……」

 「お前は助かった、生きのびた。悪いのはお前を殺そうとしたあの男だろう」

 「…………」


 確かにあのとき、教授は俺を殺そうとしていた。

 でも、あのときの教授は、どこか様子がおかしかった。


 《お前らは……俺を裏切ったからだ》


 あのまま教授の走馬灯が見えることがなければ、俺は……

 教授の大切な想い出さえ。優しい教授の心の内さえ見えなければ。

 俺はこんなに罪悪感に苦しむことはなかったのに。


 《ぱぱ、だいすき!》


 あの無邪気な笑顔に怯えることもなかったのに。


 「チサ、俺……なんで、走馬灯なんか見えるんだよ……」


 俺は疲弊しきった表情で、チサに尋ねた。


 チサに尋ねたってどうしようもないことくらい分かっている。


 走馬灯が見えるようになったのは、彼女が死神の力を俺に分け与えたことがきっかけだ。

 でも、彼女が俺を助けてくれたことには変わりないし、彼女が悪いわけでもない。


 それでもやはり、あの無邪気な笑顔を思い出すたびに、自分が生き永らえたことと、この能力を恨まずにはいられなかった。


 チサが悪くないことは、分かっている。

 それでも、俺には精一杯彼女を睨むことしかできなかった。


 「……高い精神エネルギーを持つ人間は、能力や潜在的な感覚を前世から受け継ぐ場合があると言われている」


 チサはしばらくの間押し黙ってから、ボソリ、と重たい口を開いてそう言った。


 「精神エネルギー? 前世から受け継ぐ……?」


 予想していなかった返答に驚く俺に対し、彼女は再び窓の縁に腰を掛けてから、流暢に、そして長々と説明した。


 「精神エネルギーとは、人の魂が本来持つエネルギーのことだ。人の魂は本来精神エネルギーを保有していて、魂が下界から天界へ召される際、多少のエネルギーを消費する。だが、その魂が再び天界から下界へ向かう際には、比べ物にならない程のエネルギーを消費する。そのエネルギー消費に耐え切れず、多くの魂はエネルギーを失った状態で生まれ変わることになる。精神エネルギーは恐らく人の思念が詰まった情報データのようなものだと考えられているから、生まれ変わった人間が前世の記憶を有していないのはそのせいだと考えられる――これが現在の学者達の見解だ。しかし、高い精神エネルギーを持つ魂は、エネルギーを身体の中に僅かに残したまま生まれ変わることがある……そのような魂が稀に存在し、能力や潜在的な感覚を前世から受け継ぐ場合がある。そしてごくまれに、記憶をも留めている場合がある、ということだ。だが、ここで私は思うんだ……前世の自分は、本当に自分なのか、と。仮に前世の記憶を留めていたとしても、それは現世の自分の人格と両立し得るものなのか、とな。まあ私はそのような者に会ったことがないから分からないが……。まあそれはさておき。どうだ、分かったか高弘」

 「お前の説明は分かりづらいんだよ……なんかこう、もっと分かりやすく説明してくれ」

 「はぁ……。まあ、お前はアレだしな……仕方ないか」


 チサの言う「アレ」がとんでもなく失礼な言葉を指すのであろうことは分かっていたが、今の俺にそれを指摘する気力はなかったので、黙って続きを促した。


 「要するに、お前は元々強い精神エネルギーを有しているから、前世と関わりのある能力を受け継いだ可能性がある。それが、天界の力を手にしたことによって呼び覚まされた――だから、走馬灯が見えるんじゃないかってことだ」

 「俺の前世……どうして……」

 「まだハッキリと分かったことじゃないが、そういう可能性があるってだけだ」

 「はは……何だよそれ……。どうして俺、こんな能力受け継いじまったんだよ……。最悪じゃねーか……」


 俺は全身の力が抜けるようにして、その場でうなだれた。

 前世だか精神エネルギーだか知らないが、そんなもののせいで俺は、この先一生――


 自分が手にかけてしまった人間の大切にしてきた想い出と、

 腹の奥底に溜まっていく泥のように濁った罪悪感と、付き合って生きていかなきゃなんないのかよ。


 ハハ、最悪だ。

 最悪の人生じゃねーか、俺。


 「なあ、お前……何で俺に、死神の力なんか……」

 「ずっと考えていたんだ。私は何故、お前に力を与えたのか」


 彼女は深夜の暗くなった窓の外を眺めながら、一つ小さなため息をついた。


 「もともと下界には、牢獄から抜け出した大罪人を捕らえるために来た。お前のような人間に力を――罪の意識を与えるためにわざわざ来たわけではない」

 「ならどうして……」

 「人間に興味なんてなかった。でも、お前が殺されそうになる『映像』が頭の中を過ぎったとき……身体が勝手に動いたんだよ」


 彼女は俺の方を向いてから、きまりが悪そうに俺から目を逸らして言った。


 「私も分からないんだ。でも、お前の話をしてこう考えるようになった……もしかしたらお前に渡した’wink killer’の力は、天界に由来する何らかの能力を有する人間に呼び寄せられているんじゃないか、とな」

 「な……」

 「’wink killer’の力は、死神や未転送魂の気配を察知し天界へ転送するために総督から渡されたものだが……もしかすると、お前のような……前世と何らかの関わりのある者の元へ導く作用もあるということなのかもしれない」

 「…………」


 チサの言おうとしていることは、正直よく分からなかった。

 それでも、チサがどこか落ち込んだような表情で真剣に悩んでいるのを見て、チサの言っていることが口から出任せでないことは分かっていた。


 いつも俺を馬鹿にしかしてこない彼女が、申し訳なさそうに肩を落としている。

 そんな彼女が悪くないことは俺も頭では分かっていて、それ以上彼女に何か問いただすことは俺にはできなかった。

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