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wink killer  作者: 優月 朔風
第7章 死神の過去
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第59話 私、ラーメンは塩味しか認めないの

 数日後、大教室にて。


 俺は後ろの席で真面目に授業を聞いていた――訳ではなく。

 いつものゲーム機の代わりに、俺は自分の携帯電話を握り締めながら、心中は期待と不安でいっぱいになっていた。


 「あの天使は来てくれるのだろうか……」


 授業開始から30分程経過し、思わず不安が口から漏れ出す。

 前回俺が貸したノート等を返却しに来る彼女が分かりやすいようにと、前と同じ席に座ったのだ。そして出口側の隣の席は、彼女のための席。

 場所に迷って別の場所に座ってしまったとは考えづらいが……。


 「まさか、もう来てくれなかったりして……はは」


 前回の授業後、俺が苦し紛れに渡したレジュメやノートは、そうならないようにするための担保だったというのに。

 まさか、もう会えないなんてこと……

 会えなかったら……。


 意気込みや良し、しかし早々に破局したとなれば、三谷からの風当たりが強そうだ。

 それに、“あいつら”からも馬鹿にされかねない。いや、今まで馬鹿にされなかったことなんてなかったか……。


 俺は心当たりのある人物を二人ほど思い浮かべてから、げんなりと溜め息をついた。

 一人は季節外れの黒コート女、もう一人は人のことを小馬鹿にするのが天才的に上手い俺の後輩。


 俺ががっくりとうなだれていたその瞬間――件の天使は俺の目の前に現れた。


 授業に大幅に遅刻しているのにも関わらず、彼女はあくまで冷静な表情を浮かべていた。

 そして、この前と同じ――俺の隣の席に座った。


 「ど……どうもっ」


 目的の人物の到来に歓喜に満ち溢れる心を抑え、必死に平静を装うも、顔面の笑みは止まらず、情けないことに思わず声が上ずってしまう。

 一方の彼女は、相変わらずクールな表情のまま、黙ってコクりと頷いた。


 (と、隣に、天使が……!)

 落ち着け、俺。

 (この子が来た途端、良い匂いがするぞ……)

 平静を忘れるな?

 (きっと良いシャンプーとか使ってるんだろうな……)

 それから、妙な動きもダメだ。

 (声、掛けたら変だろうか……? 久しぶりですね、とか)

 怪しまれたら終わりだぞ。

 (でも、またわざわざ隣に座って来たってことは、少なくとも警戒心は無いってことだよな……?)

 そうだ。あくまで堂々とするんだ。堂々と。

 (そうだよな。堂々と……やるぞ。)

 そうだ。行け。行ってしまえ。


 数分間の問答の末堂々と攻め入ることを決意した俺は、こっそりと小さな紙に文字を書いて隣の彼女に手渡した。


 “シャンプー、何使ってるんですか?”


 どうやら、何か間違いを起こしてしまったらしい。

 返事は返って来なかった。


  ☆★☆


 「あの……これ、前回貸してくれた資料」


 授業の後、彼女はぶっきらぼうにそう告げると、俺にレジュメとノートを差し出した。


 「あっ、ありがとう! わざわざ持って来てくれて」


 本来ありがとうと言われるべきは自分であるはずなのだが、当の本人が言ってしまったのだから仕方が無い。


 「わ、分かりにくかったかな……」

 「……そんなこと、ない」


 彼女は表情を変えずに小さく呟いた。


 相変わらずの塩対応に若干傷つきもするが……しかし!

 ここでめげては、応援してくれる三谷にも申し訳が立たない。


 それに、こうしてわざわざ隣に座って来たということは、脈が無いという訳ではないはずだ。

 きっと恐らく、元来彼女はこういう性格なのだろう。

 であるならば。俺は本日の目的を果たすまでは、引き下がることなど許されないのである。


 「あっあの……」

 「……何ですか」

 「良かったら、その……名前、教えてくれないかな……? それと、良かったら連絡先も……。せっかくだし、その、ちょっと仲良くなりたいかな、なんて……はは」

 若干の声の震えと照れ笑いを除けば、男らしい立派なアプローチだといえよう。

 「……良いですよ。ケータイ、出してください」

 ほら。……え?


 イメージと違って思いのほか積極的な彼女に一瞬驚きを隠せなかったが、彼女が急かすので俺も慌てて握り締めていた携帯電話を開く。


 「あっ俺……高弘っていいます! 石見(いわみ)高弘」

 「紗英(さえ)です。……西田、紗英」

 「紗英ちゃん、か……」


 当該彼女の名前を聞き出すだけでなく、連絡先を手に入れることができた。

 それだけで、俺としてはかなりの前進。目標に向かって、今、俺は大きな大きな一歩を踏み出したのである。

 手に入れた彼女の連絡先の画面を見ながら、俺は達成感に満ち溢れていた。


 「それで……他に何かすることは?」

 「えっ? ……どういうこと?」

 「見返りを求めているんでしょう? あなたが私に資料を見せてくれたことに対して」


 彼女の鋭い眼差しが、俺の目に突き刺さった。


 「まっ、まさか! 見返りなんて……。それより、これからも宜しくお願いします、さっ、紗英ちゃん」

 そして清々しい爽やかなスマイル。さすが石見高弘選手。


 「……そう」


 彼女は相変わらずクールなまま、小さく呟いた。


 「さ、紗英ちゃんって、思わず名前で呼んじゃったけど……嫌じゃないかな?」

 「別に良いですよ。減るもんじゃないですし」

 「はは、そうだよね……。あっ、俺のことは、高弘でも石見でも何でもいいから! もっと気軽に、タメで話してくれて良いし! 俺、全然怖くないからさ」


 はは、と笑いながら、「見た目通りね」と付け加えてしまった自分に心中で悲しくなる。

 彼女は俯きながら、小さな声で言った。


 「……じゃあ、高弘……君で良いです……良い?」

 「もっ、もちろん! 宜しく、紗英ちゃん」


 もしかしたら……頑張ればいけるかもしれない。

 次の段階へ。授業後の昼食に誘う――


 「じゃあ宜しくついでに一つ、私からお願いしたいんだけど……」

 「はっはい!」

 何なりと。

 「……今日、お昼ご飯一緒に食べていい?」


 なんと、次の段階への道は、天使の方から開かれたのだった。


  ☆★☆


 試験前の食堂はいつにも増して学生でいっぱいになっていた。

 試験の近付いた大学はいつもこうだ。


 いつもなら人の多さにうんざりする昼食だが、今日は違う。


 「なっ、何が食べたい? 紗英ちゃん」

 因みに、俺的にはめっちゃカレーの気分なんだけどね。

 「……ラーメン」

 「ラーメンね! いやぁ実は俺もラーメンの気分だったんだよね!」

 そう、本当にラーメンの気分でね。

 「紗英ちゃんはラーメン何派なの? 俺は味噌派なんだけど……」

 「……私、ラーメンは塩味しか認めないの」

 「はは……そうだよね……はは……」


 その後も懸命に話を振るが、彼女がその表情を変えることは一向になく――

 残念ながら、俺が女子の心を掴めるような話ができるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。


 しかし今回の昼食はなんと彼女の方から持ち出してくれた話。

 こんな俺でも、まだまだ脈が無いわけではないということである。

 折角の機会、無駄にするわけにはいかないのだ。


 俺達は二人分の席を確保してから、カウンターで各々好みの味のラーメンを注文し、自分の席へと戻る。

 もちろん件の彼女の注文したラーメンは塩味で、一方俺はというと、一瞬好感度を得るため彼女と同じ味にすることも頭を過ぎったものの、それでは流石に気持ち悪がられるのではないかというリスクを考慮し、安定の味噌という選択を行った。


 「いただきます!」

 「……いただきます」


 テーブルを挟んで目の前にいる彼女は、小さな掌をそっと重ね合わせこくり、と頭を下げながら呟く。

 食前の感謝を告げた彼女は、右側の髪をそっと耳にかけると、箸を持ち下を向く。

 小さな音を立ててラーメンをすする口が可愛らしく尖っているのを見て、俺は思わず顔を綻ばせてしまう。


 「……食べないの?」


 彼女が警戒したような眼差しで自分を見つめる。

 そのとき初めて、俺は自分が食べるのを忘れ彼女に見入ってしまっていたことに気がついた。


 「たっ、食べるよ! 食べるって! いやぁ、味噌も美味しそうだなー」

 「…………」


 彼女の冷ややかな視線が「塩味しか認めない」と言ってくるのを感じて、俺は誤魔化すように小さく笑った。

 そして俺の視線は再び、下を向いてラーメンをすする彼女に向かってしまう。


 ふんわりとした長いまつ毛がくるんと自然なカーブを描き、ラーメンをすするために尖らせた唇には、うっすらとツヤが掛かっている。

 もぐもぐと頬張る膨らんだ頬が、心なしか紅潮しているように見える。


 ……可愛い。


 ここまで来たらひとつ、重大なステップがある。

 それを越えなければ、俺は次の段階へは進めない。

 今回昼食に誘ってきたのは彼女の方――恐らく、大丈夫だとは思うけど。

 でも、こんなに可愛い紗英ちゃんを、他の男が放っておくとも思えないし……。

 勇気を出して聞かなければ。


 「あっ、あのさ、紗英ちゃん」

 「…………」


 ラーメンをすする彼女は視線だけこちらへ向けながら、その瞳は「何?」とその先を促していた。

 俺は一度深呼吸をしてから、ゆっくりと、少しずつ息を吐くように言葉を紡いでいく。


 「紗英ちゃんって……そっその……彼女……いるの?」

 「…………」

 しまった。

 「あっ、えっとごめん違う、違くて! その……かっ、彼氏は……」


 大事な局面で飛んだ言い間違いをしてしまった。

 恥ずかしさに思わず顔を赤らめる俺に対し、一方の彼女は表情を変えないまま呟いた。


 「……いないけど」


 いない?

 そっか。

 やったぞ! よし!


 顔が綻びそうになるのを必死で堪えながら、あくまで平静を装い振舞う。


 「いっいないんだ〜。へぇ〜」


 しかし良かった。これなら大丈夫だ。

 安心して紗英ちゃんにアプローチできる!


 連絡先の交換、一瞬に昼食、彼氏の有無……と、順調に山場を乗り越えることに成功し、思わず気分が高揚する。

 鼻歌を歌いそうになるのを必死で抑えながら、俺は気がつけばすっかり伸びきっていた目前のラーメンに手をつけることにした。


 すると、今度は珍しく彼女の方が話を切り出す。


 「高弘君はさ……大事な人とか、いるの?」


 ギクリ。


 「い、いたことないんだよねそれが……はは……」

 自分の悲しい経歴を暴露しながら、俺はハア、と深いため息をついた。


 「……そう」


 彼女の声のトーンが少し下がる。

 俺は一瞬焦りを感じたが、しばらくして彼女が「そういう人もいるものね」と言葉を続けたので、その焦りは安堵へと変わった。


 沈黙が二人を包み込む。

 しばらくしてから、重たそうに口を開いたのは紗英ちゃんの方だった。


 「私の、大事な人は……」

 「あれ、石見先輩?」


 前方の声の主は俺の姿を捉えると、軽やかな声で俺の名を呼びながら、まるで小動物のような走りで颯爽とこちらへ向かってくる。


 ああ、厄介な奴が来てしまった。

 折角の機会だと言うのに……。


 「先輩〜! 何してるんですか? こんなところで」

 「見れば分かるだろう。食事だ」

 「おや、お相手は三谷さんではないのですか。こんにちは」

 「……こんにちは」

 「いっ、いいだろ別に、誰だって……」


 セミロングの茶髪の一部を後ろで束ね、リボンで結かれた髪をサラサラと揺らしながら、彼女は「ほほぅ、そういう事ですかぃ……」と呟く。

 赤く縁どられた眼鏡の奥で、彼女の瞳が得心の色を示していた。


 彼女の名は、倉元(くらもと)ひかる。

 見た目はどこかの御令嬢と言われても不思議ではない。

 知性と品性を兼ね備えた、礼儀正しいお嬢様――しかしその外見に、残念ながら中身は伴っていなかった。


 「ところでですね先輩、もうすぐ試験なのですよ試験! ポンコツな先輩は気づいてないかもしれませんけど、今や期末試験はすぐ目の前に迫って来ているんですよ! これが私にとってどれほど重大なことか、いくら先輩がトンチンカンといえどもお分かりですよね?」

 「いいから早く要件を言え」

 まあ大体想像はつくけどな……。

 「すなわちですね、私にとって期末試験というものは一人で乗り切るには大変困難極まるものなのでして。つまるところ、かつて死線を共にくぐり抜けた先輩に、お力添えを頂きたくご相談に参った次第……」

 「お前……そういうことは直接じゃなくケータイで連絡してくれば良いだろうが」

 「電話は通話料金がかかりますので」

 「メールでしろ、馬鹿」

 頼むから空気を読んでくれ……。

 「ごめんね紗英ちゃん、こいつ、昔同じゼミだった後輩でさ。見た目と違ってバカだから許してやってくんないかな?」

 「…………」

 「馬鹿とは失敬な。円種率だって点より2つ下の位まで言えるんですからね?」

 「お前がもし円周率のことを言っているなら、それは残念ながら当たり前のことなんだ」

 「なっ、何ですと!」

 「もう諦めろ……話す度にバカが露呈していくぞ」

 「うぅ……先輩のいじわる」


 そう言うと、倉元はぐすん、とあからさまな泣く素振りを見せた。

 ああもう。


 「わかったわかった。お前の面倒は明日にでも見てやるから、とりあえず後でメールしてこい」

 「やった! 助かりました先輩! これできっと私の単位も喜びますね!」

 「はいはい良かったね」

 「じゃあ先輩、また明日お会いしましょう!」


 そう言うと、倉元はにっこりと満足げに微笑んでから、小動物のような足取りでタタっとかけて行った。


 「ごめんね紗英ちゃん……急に空気読めない奴が来て……」

 「あの子……高弘君のゼミの後輩なんだっけ?」

 紗英ちゃんは目をくるりとさせながら、首を小さく傾げて尋ねた。


 「そうそう、まあ昔同じゼミだった、ってだけなんだけどさ……」

 「仲、良いの?」

 「そっ、そんな風に見えるかな……」

 「……何だか、気の置けない仲っていうか……」


 少し俯きながら、彼女は「明日、あの子と会うの?」と小さな声で呟いた。

 思わず「え?」と聞き返す俺に、彼女は目を逸らして「何でもない」と答える。


 紗英ちゃんが何を意図してそんなことを聞いてきたのかは正直な所よく分からなかったのだが、とりあえず俺は当初の彼女の質問に答えることにした。


 「あいつさ……ああいう性格だから、周りにあんまり友達いないみたいでさ。昔からそうなんだけど、俺しか頼れる奴いないみたいで」


 不器用でおっちょこちょいなあいつを放って置けなくて、いつも振り回される俺も、結局不器用なんだろうけど。


 「そう……大事な後輩なのね」

 「ま……まあ、腐れ縁、って感じだけどさ」

 「……ふーん」


 相変わらずクールな彼女は、どこか遠くを見つめるようにして「そういう繋がりは大切よね」と呟いた。


 「あの……紗英ちゃん?」

 「……何?」

 「また次の授業も……一緒に受けて良いかな」


 彼女は表情を変えないまま静かに答えた。


 「……うん」


 ふわりと彼女の髪が揺れる。

 暖かな空気に乗って、彼女の甘いシャンプーの香りが鼻をくすぐった。


 冷たい彼女の、あたたかくて優しい香り。

 無表情の彼女の、柔らかく微笑んだ寝顔。


 態度の割にいつも好印象の返答。


 どこか掴み所のない彼女に、俺は底のない沼に足を踏み入れたかのように――引き返すことのできない地点まで沈み、そして溺れていくのだった。

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