第53話 満咲の決断
――朝のHRが始まる前の教室が、いつも以上に騒がしく感じた。
満咲は椅子に座り、机をじっと見つめていた。
彼女の頭に浮かぶのは、一週間前の未玖の様子だった。
一週間前、私達に告げられた衝撃の事実。
永美が、事故で死んだらしい。
これが事故である筈がない。
満咲には確信があった。
人が何人も不可解な死を遂げていく――この事件には必ず犯人がいる。
――絶対に許さない。
私達をめちゃくちゃにして――未玖に罪をなすり付けた犯人を、絶対に見つけ出すんだ。
未玖が弟を亡くして忌引きで休んでいたとき、永美が言っていたことが満咲の頭の中に浮かんだ。
《花、満咲……ちょっと、話があるんだけど》
《未玖が――人殺しかもしれない》
永美は未玖を疑っていた。
正直、信じられなかった。
信じたくなかった。
未玖が人を殺したなんて考えたくなかった。
永美が未玖をそんな風に疑っているということも、考えたくなかった。
満咲は困惑した。
二人とも自分の大切な友人で、自分を支えてくれた存在だったから。
そんな二人が、自分の中で壊れていくのが嫌だった。
彼女は親友を信じることに決めた。
それは、花も同じだった。
二人は、未玖を信じることに決めたのだ。
満咲は未玖の言葉を聞く度、彼女を信じる気持ちが強くなっていった。
《私は、四人でまた一緒にお弁当が食べたい》
未玖の言葉が、本心に違いないと思ったから。
彼女の言葉が、その真剣な思いが嘘だなんて、考えたくなかったから。
満咲は、未玖を信じることに決めた。
たとえ誰が何と言おうと、彼女の本当のことを理解しているのは自分なのだと信じて――。
そして、満咲には、この事件の犯人に心当たりがあった。
それは、自分があの橋でストーカーの男に殺されそうになったときに、あの男を殺した存在のこと。
不可解な死という共通点が大きな特徴で――その犯人が、今世の中を騒がせている殺し屋に違いない。
――確かに私はそいつに助けられた。
それでも、そいつが未玖にあらぬ罪をかぶせたせいで、私達の関係は壊れた。
そして、きっと永美ちゃんはそいつの正体に気がついて、それで殺されたんだ。
永美ちゃんを殺した人殺し。
絶対に許せない――。
永美の「事故」があってから、花は学校に来なくなった。
未玖は学校からいきなり姿を消して以降、一週間以上学校を休んでいる。
満咲は一週間前の未玖の様子を思い出した。
何かに怯えるようにして、逃げるように学校から居なくなった未玖。
彼女が何に怯えていたのかは大体想像がついていた。
弟が亡くなってから、未玖は頻繁に警察から事情聴取に呼び出されていた。
周りには何も気にしていないように振る舞ってはいたが、その笑顔の影に、自分が疑われていることに対する辛さや悲しみがあることに満咲は気がついていた。
そしてそれはもしかしたら、永美からも……
永美が殺されて、それがまるで未玖の仕業であるかのように、未玖は罪を被せられた。
未玖が心配になると同時に、犯人を許せなく思う気持ちが募っていった。
あれからずっと、未玖との連絡はとれていない。
満咲が未玖に電話をかけても、彼女は電話に出なかった。
家に帰ってきていないのか、家を訪ねても彼女の姿はなかった。
嫌な予感が募っていく。
もしかしたら、もしかしたら。
未玖も永美のように秘密を知って、殺されてしまったのではないか。
予鈴の鳴る時刻が近づいてくる。
一人きりの教室の中で、満咲は教室のドアを懇願するように見つめた。
ここのところ毎日、この時間になると彼女は教室の入り口に目をやる。
いつも、未玖はギリギリのこの時間に教室に入ってくるからだ。
(未玖、お願い、早く学校に来て……!)
満咲の懇願が届いたのか――その瞬間、教室のドアが開き、そこには蒲田未玖の姿があった。
「未玖!」
周辺の生徒が一瞬驚いて目を見開き、再び何事もなかったかのようにして元に戻っていった。
それから数人の生徒が彼女の元を訪れ、彼女の無事に安堵したとの旨を伝えに行き、戻っていった。
席に着いた彼女に、満咲は駆け寄った。
「未玖、無事で良かった……一週間、どこに行ってたの? 私、ほ、本当に本当に、心配で……」
「……『満咲』ちゃん、か」
「……へ?」
「えっ、あっ、いや、なんでもないなんでもない、はは……」
そう言って誤魔化したように笑う彼女の笑顔はすっかり元通りの未玖のものだったが、そんな彼女に違和感を感じなかったと言えば、嘘になる。
それでも、満咲は未玖を傷つけたくはなかった。
彼女を疑うようなニュアンスを含む言葉を避け、慎重に言葉を選んでいく。
先程感じた違和感にも気がつかないふりをしながら――。
「未玖……ほ、本当に……その、大丈夫……?」
どうして連絡出てくれなかったの。
一週間、どこで何をしていたの。
――そこに触れれば、未玖を傷つけてしまいそうで、怖くて聞けなかった。
「ありがとう、満咲ちゃん。私は大丈夫だよ」
彼女の笑顔が、どこか遠い気がした。
彼女の言葉が、どこか冷たい気がした。
――未玖、どうして……。
どうして私のこと――いつもみたいに、呼び捨てにしてくれないの。
不安を振り払うように、満咲は精一杯明るい話題を考えた。
そのおかげで――まるで一週間の溝が存在しなかったかのように、彼女達の会話は以前と変わらぬように見えた。
☆★☆
――その日の放課後。
二人は電車の中で、夕日を眺めていた。
「何だかちょっと懐かしいね、この夕日」
満咲が小さく笑うのにつれて、未玖も笑い返した。
「あの時、私……未玖の言葉を聞いて、決めたんだよ。私は何があっても、未玖を信じて着いていこうって」
満咲は申し訳なさそうに「本当はそれまで……ちょっと、悩んでたこともあったんだけどね」と付け加えてから、真っ直ぐに未玖の目を見て言った。
「だから、私はずっと未玖の味方だよ」
未玖は夕日に照らされた彼女の真剣な顔を見て、「ありがとう」と微笑んだ。
「私……何だか強くなった気がするんだ。未玖に会って、皆に会って。いろんなことがあって……楽しいことも、辛いことも、たくさんあったけどね」
満咲は少し俯きながら、ふいに笑って続けた。
「でもね、どんなに辛いことがあっても、未玖がいたから、私は……私達は、前を向いて来れたんだよ」
――必死に永美を思う未玖の姿を、私達は見てきた。
そんな未玖を、私は支えたい。
未玖が辛い思いをしていたら、助けたい。
「私は、永美ちゃんを殺した犯人を必ず見つけるよ」
未玖の顔が少し蔭った。
夕日が沈んでいく。
「私、許せないよ。永美ちゃんを殺して、他にもたくさんの人を殺して、傷つけて……未玖に、罪を被せて笑ってる、犯人が」
未玖は俯いて黙っていた。
夕日はすっかり沈み、電車は暗いトンネルの中に入っていった。
世間で騒がれている殺し屋のことは、満咲はあらかた調べていた。
中には事件の犯人のことを「救世主」だとか呼ぶ人もいるようだったが、満咲は理解ができなかった。
どうして世の中にはそんな考えの人間がいるのか、分からなかった。
「人殺しは人殺し――『救世主』なはずがないのに。……私達で、必ず捕まえよう、未玖」
満咲は膝の上で拳を強く握った。
未玖は「そうだね」と微笑んでから、窓の外に視線を移した。
電車はトンネルの中の暗闇で止まっていた。
「……『救世主』なんて――『神』なんて、いるはずないのにね」




