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wink killer  作者: 優月 朔風
第2章 死神の力
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第4話 恐怖

 (え……何、これ……どういうこと……?)


 永美と花が、喚きながら必死で橋の向こうへ逃げていく。

 一瞬、何が起こっているのか分からなったが、男が近くまで来た瞬間、私は本能的に状況を理解した。


 あのときと同じだ。

 逃げなければ。

 逃げなければ……殺される。


 震える身体を奮い起こし、何とかその場から逃げ出す。

 私は無我夢中で走った。


 「ハア、ハア……」


 とにかく、男の声が聞こえなくなるところまで、

 走る。走る。走る。


 「ハア、っハア……」


 そして、しばらく走ったところで、


 ――振り返った私の視界の隅に、足を動かせずその場で震えながら立ち竦む満咲の姿が映った。

 その瞬間、私の頭からサーッと血の気が引いていくのを感じた。


 (な……何してるの、満咲! 早く……早く逃げて!!)

 「――……っ! …………っ!」


 声が出なかった。

 喉の奥から、締め付けられるような掠れた呼吸音のみが、通り過ぎていく。


 私は必死の思いで満咲に叫び続けた。が、私の喉から声は出ず、満咲はその場で震えたままで動かない。

 男は目を血走らせ発狂しながら、その場に取り残された満咲に向かって一直線に走ってきた。


 (嫌だ……このままじゃ、満咲が……満咲が……)


 私の頭に、満咲があのまま動けずに、なすすべもなく凶器を持つ男に傷つけられる姿がよぎった。


 (満咲……お願い、逃げて……)


 私の口から音のない、むなしい声が漏れ出す。

 彼女は青冷めた顔を浮かべたまま立ち竦んでいた。


 (満咲……!)


 今からでは、満咲のもとへ向かって走って、その手を引いてあの男から逃げる時間はない。

 状況はひっ迫し――私は祈るようにして彼女を見つめた。


 「未玖……ハヤク……キミハ、ココカラニゲルンダ……」


 ミタが私に話しかけてくる声が、どこか遠くで響いている。


 満咲を置いてこのまま逃げる……?

 そうしたら満咲はどうなるのだろう。おそらく、もう無事では会えない……

 私は満咲を――親友を見捨てて、逃げるのか?


 「――駄目……満咲を見捨てて逃げるなんて、できないよ……」


 涙で視界が歪む。

 満咲を助ける。一体、どうすれば――



 『あの男、殺しちゃえば?』



 私の耳元で、冷たい「声」がそう言った。


 「でも……私は……」

 『死神の力は使わないって決めたから? ふふ。でも可哀そうね、あの子は死んでしまうかもしれないわ。……あの子を助ける力がありながら、あなたが見殺しにしたせいで』

 「私は……」


 涙で世界がぼやけ、視界が霞んだ。


 《難しいことなんて考えなくていいんだよ。君があの場所で生き延びた、それだけで十分、それ以上もそれ以下もなしだ》


 私の、存在意義は……。


 《誰かを傷つけないで生きてる奴なんて、いないだろ?》


 男はもう満咲の目前に迫ってきていた。

 私に、できることは……

 私が、満咲を助けるには……!


 私は涙を拭い、まっすぐに満咲に向かってくる男の目を見つめた。


 (私が……満咲を助けなきゃ……!)


 私は無我夢中で、その右目を瞑った――。



 その瞬間、男の発狂する声がピタリと止み、


 男は力をなくし、満咲の前で崩れるようにして倒れこんだ。


 その瞬間――私の中で、以前感じた恐怖が湧き上がってくるのを感じた。


 「……私……また力使って……」


 冷や汗が、頭からたらりと垂れてくる。

 全身の血が抜けていくような感覚が、私を襲った。


 「人を……人を……殺した……」


 頭の中が真っ白になり、

 「はあ……はあ……」

 (私……)


 とてつもない圧迫感に押し潰され、

 「ハア……ハア……ハア……」

 (本当に……)


 どうしようもない恐怖心にかられ――


 (あの人のこと、殺しちゃったの……?)


 私はその場にいるのが怖くなって、そこから逃げるようにして走った。


 (こんな力、使わないって決めたのに……!)


 満咲を助けた。親友を救った。……しかし、「自分のしたことの責任」が、私の身体に重苦しく圧し掛かる。

 目から涙が溢れて止まらなかった。


 (私は……これからどうすれば良いの……)


 ひたすら走る私の脳裏に、震えて立ち竦んでいた満咲と、目を見開いたまま倒れていったあの男の姿がよぎる。


 私は歩道の真ん中で立ち止まった。


 「ハア……ハア……」


 震えが止まらなかった。

 今までに感じたことのないほどの強い不安が、私を容赦なく押し潰す。


 だが、そんな私に隣からミタがハンカチを差し出した。

 彼は私の顔を覗き込むと、呆れたような顔つきで言った。


 「ほら、いい加減泣くの止めなよ。君は友達を守ったんだろ? 何で泣く必要があるんだよ」


 ハンカチを受け取り、止まらない涙を拭い続けながら、私はこたえる。


 「……わ、私……二人も殺したんだよ……。怖い……自分が何をしたのか考えると、怖くて仕方ないよ……」

 「……でも君は、友達を助けるために力を使っただけじゃないか」


 私の言葉に、力が入る。

 「そうだよ!! ――そうだけど……心のどこかで、私のせいで死んだ人達が言ってくる気がするの……『何で殺したんだ』って」


 《あの男、殺しちゃえば?》


 私は心の声に従った。

 一週間前のあのときとは違う。

 私は、あの人が死んでしまうことを分かっていて、右目を瞑った。

 人を殺すことを、自分で選択したんだ。


 不安が募り、また涙が溢れてくる。

 ぽろぽろと零れた涙が、朝日に照らされたアスファルトに染みていった。


 「あっそ、面倒くせぇんだな、君達人間は。で、何だよ、次は自分が死にます、ってか?」

 「…………」

 「冗談だよ馬鹿。俺だってこう見えて、君に死なれたら寝覚めが悪いんだよ」

 「え……?」


 ミタは顔を背けたまま照れくさそうに頭をかいて言った。

 「だからもう、自分のせいだなんて言うなよ?」


 ぶっきらぼうな死神の言葉が、私の心に優しく染みわたった。


 「ほら、帰るぞ。君の家に」


 ミタが私の頭に手を乗せる。


 一週間前と同じ――彼の言葉も、彼の手も、冷たく見えて本当は温かいその優しさが、心細くて不安だった私にとっては何よりもかけがえのないものに感じられて、

 気がつけば私は、ミタにしがみついて泣きじゃくっていた。


  ☆★☆


 しばらくの間辺りをさまよい続け、ようやく近くにあった違う路線の駅を見つけた私は、何とか家までたどり着くことができた。

 そして、家に帰った私は、家族がひどく自分のことを心配していたことを聞かされた。


 玄関に入るなり飛び出してきた母親は、私にテレビの速報の画面を見せて「とにかくあなたが無事で本当に良かった」と何度も繰り返していた。


 (満咲……私あのまま逃げちゃったけど、大丈夫だったかな……)


 目の前で突然、何の前触れもなく倒れた男。

 満咲は目の前に広がった異様な光景に、ただ茫然としてその場に立ち尽くしていた。

 ――私が今朝あの橋の上で見た光景は、それが最後である。


 (満咲は、今頃……)


 あの時の私には彼女の心情を考える余裕などなかった。

 自分ただ一人の元に向けられた殺意を、あの時の彼女はどう感じたのだろう。

 まっすぐ自分一人目がけて迫り来る、「殺意」を。

 ましてや、彼女の心は丈夫であるとは言い難い――私は親友である満咲が、デリケートな心の持ち主であることを十分理解している。

 そんな満咲を、あの状況のもとそのまま置いて去ってしまったのだ。


 私は自分の不甲斐無さに歯噛みするとともに、現在の彼女の身を案じた。

 すると、傍で私の様子をうかがっていた母親が私の肩にその手を置き、私に尋ねた。


 「満咲ちゃん……あなたと今日一緒に出かけた子よね? あの子が襲われそうになったとき、急に犯人が倒れた……って聞いたけど」

 「……『聞いた』?」


 現時点で、ニュース速報がそこまでの詳しい情報を流しているとは思えない。

 それに、「見た」のではなく「聞いた」という言葉に私は違和感を覚えた。


 「そう……さっき警察の人が来たのだけど……。満咲ちゃん、橋の上ですっかり放心した状態で地面に座り込んでいて、その場を目撃した人が警察に通報したらしいの。その場に居た満咲ちゃんはそのまま事情聴取を受けたそうだけど……相当ショックを受けていたみたいでね、ずっと震えながら泣いていたらしいのよ。満咲ちゃんは、男の人が突然倒れたことしか分からなかった、と言っていたそうよ」


 (満咲……)


 私は満咲を置いて逃げてきてしまったことを再び後悔したが、同時に、満咲がとりあえず無事であるということが分かり、そのことに安堵した。


 「それから……警察は、事件のとき一緒にいた子にも話が聞きたいからってこの家にも来たけれど、未玖がしばらく帰って来なかったから……お母さん、心配でたくさん電話したのよ」

 「電話……?」


 私は本日終始カバンの中に眠っていた自分のスマホを見た。着信履歴が4件――全部母親だった。


 「でも……とにかく、あなたが無事で良かったわ」


 そう言うと、母親は優しく微笑み、そのまま部屋に戻っていった。


 (私、満咲のこと……守れたのかな)


 そんなことをぼんやりと考えながら、誰も居ない居間で私は一人立ち尽くす。

 部屋の壁に掛けられた時計の針が、静かに十時を指し示した。


  ☆★☆


 後日、警察から事情聴取を受けた私は、満咲との関係や、満咲の言っていたことが本当に正しかったかなどが聞かれたが、   

 「私があの男を殺したという事実」が疑われることはなかった。


 本当は――途中で何度も、何もかも言ってしまいたかった。

 でも、その度に直前で怖くなって言い出せない自分がいた。

 結局自分は臆病なのだ、という結論に達しては、そんな弱い自分の心に「どうせこのまま黙っていても気づかれることはないんだ」と言い聞かせ、自分を擁護するための理由を次々と付け足していく。


 そしてしばらくして、ニュースでは死亡した男の素性が明かされた。

 男は、最初に肩を切りつけ怪我を負わせたあの女性をずっとストーキングしていたらしい。

 日が経つにつれて行為は次第にエスカレートし、自分の思いがなかなか叶わない腹いせに彼女を傷つけようとしたが、たまたま居合わせた私達に見られたことに気がつき、気が動転してこちらに向かってきたのではないか――というのが、警察の考えである。


 人間が相次いで原因不明の突然死にみまわれる、奇妙な事件。

 「不可解な死」を遂げた人間はこれで二人目となり――警察の間では、「呪い」だとか「霊の仕業」だとか言う声さえ上がる始末であった。


 メディアでは男の詳しい死亡理由については伏せられ、同じく「不可解な死」を遂げた人間である堀口裕太との繋がりも伏せられた。



 それからしばらく、私は親友のことを案ずるも、直接会いに行く勇気のないまま夏休みを過ごした。

 もしかしたら、満咲の心は壊れてしまっているかもしれない――

 それを見てしまうのが、怖かったのだ。

 自分が満咲を守るためにとった行動が間違っていた可能性を受け入れるのが、怖かった。


 私は、臆病な人間だ。

 親友を想いながら、心配しながら――実際に会いに行くこともできない、弱い人間。 


 夏休みの残された日々は刻々と過ぎていき、何もできないままただ時間だけが経過していく。


 そして、夏休み明けの次の登校日から、満咲は学校に来なくなった。

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