第29話 罪悪感
その日の放課後。
いつものように花による練習を受けていた私は彼女より休憩を賜り、束の間の休憩を取っていた。
私が教室の隅でミタに肩を揉んでもらい(先日のトランプで勝利して獲得した権利を行使している)くつろいでいると、突然横から神峰君が現れたので私は思わず飛び退くが、いつものように苦笑しながら誤魔化す。
「そんなに驚かすような現れ方をしたつもりじゃなかったんだけどなぁ」
「はは……こちらこそ、驚いちゃってごめんね」
初めから感づいてはいたけれど、彼はなかなか鋭い人で――まるで私が一番困るタイミングを知っているかのようだ。
「どうしたの。何か考え事してたみたいだけど」
「えっ……いや、別に何も……考え事なんて……」
「嘘だ。だって、君ずっと浮かない顔してたもん」
「そ、そうかなぁ……」
「そうだよ。蒲田さんは顔に出やすいから」
そう言って彼が爽やかに笑うので、思わず私もつられて笑ってしまった。
私の頭に終始あったのは、永美のことだ。
……確かに、少し思いつめていたかもしれない。
今、自分の周囲の空気が少し軽くなったような気がした。
「前にも言ったけど、やっぱり蒲田さんは、優しい人だ」
彼の笑顔が、温かかった。
「だって、君は自分のことより、そうやって他人のことで悩める人だから」
まるで彼が、私の悩みを全て解ってくれているような気がした。
「何で……私なんかのことを、そんな風に見てくれるの」
「…………」
彼は少し黙ってから、笑って答えた。
「ずっと、そう思ってたよ。僕は、君のことが好きだから」
「……えっ」
それは、唐突だった。
周りの音が一瞬にして止み、何も聞こえない空間に包まれたような気がした。
しばらく、何も言うことができなかった。
彼は表情を固める私を見て、苦笑しながら言葉を続けた。
「ごめん、急にこんなこと言っても困るだけだよね。本当ごめん」
「ううん……別に、神峰君は……悪く……ないよ」
少しずつ、周りの音が戻っていく。
私の後ろで、ミタが冷かしてくる声も聞こえるようになった。
「でも、私なんか……」
固まった表情のまま呟く私を見て、彼は慌てて言った。
「いや、いいんだ、今言ったこと、忘れてくれてもいいからさ」
彼は苦笑しながら、「作業に戻ってるね」と言って慌てて戻っていった。
好き。
――どうして、こんな私のことを?
ああ、前にもこんなことがあった。
こんな私に、同じことを言ってくれる人がいた。
一人残された私の脳裏で、目まぐるしく記憶が飛び交っていた。
思い出したのは、ある男の記憶。
別れた元彼氏。
自分が殺した、堀口裕太という男の記憶。
一瞬、強烈な寒気が私を襲う。
誰かが私を睨んでいるような気がしたが、それを確認する勇気など私にはなかった。
と同時に、途方もない罪悪感に苛まれた。
自分が今まで手にかけてきた人達の顔が、頭から離れなかった。
「私に、そんな資格ないのに……」
聞こえるか聞こえないか程度の弱々しい声が、私の口から洩れ出す。
《……わ、私……二人も殺したんだよ……。怖い……自分が何をしたのか考えると、怖くて仕方ないよ……》
《あなたにできることは所詮、人を殺すことなのよ》
抑えてきたはずの恐怖や罪悪感が蘇り、強烈な吐き気に襲われた。
「未玖、どうしたの? 顔色悪いよ」
ミタが横で私を支えている。
ああ、そうだ。理解していたはずだ。
罪悪感を感じていないなんて、嘘だってこと。
本当はいつだって、恐怖で押しつぶされてしまいそうになっていたこと。
人を殺した私が、自分の罪を償うこともせず、こうしてのうのうと生きている。
許されるはずがないんだ。
そんなこと、最初から分かっている。
それでも。
《誰かを傷つけないで生きてる奴なんて、いないだろ?》
ある日突然、人を殺す力を得た私。
最初はそんな私に生きる価値なんてないと思った。
だけど、ミタがそんな私を救ってくれた。
こんな私にも、存在する価値があるんじゃないかって思わせてくれた。
だから私は、あの時から必死に――私がこの世に存在する価値を、探してきたんだ。
《私は、同じように苦しむ沢山の人の心を救うことができる》
……これが、私の選んだ道なんだ。
私は私の信じた道が正しいと信じて、前に進むしかない。




