第12話 告白
――時は数時間前に遡る。
すっかり晴れ渡った秋空の中を、俺は駆け抜けていた。
未玖の学校がちょうど昼休みを迎えた頃、俺はやはり例の「妙な気配」が気になってもう一度確かめてみることにしたのだ。
未玖には「少しの間だから」と説得して出てきたが、それでも去り際に自分を心配そうに見つめる彼女の視線に気がつかなかったわけではなかった。
《もう、無茶はしないで》
人間である彼女がどうして、死神である自分のことを心配してくれるのだろうか。
《ごめんね、私がミタの力奪ったりして、こんなに迷惑掛けて》
《私は、受け入れるよ。この力を。この運命を》
君が苦しんでいるのも、全部、俺のせいだというのに。
《もう、無茶はしないで》
君の気持ちを無下にしてはいけないことは分かっている。
だが、君のことが大事であるのと同時に――いや、大事だからこそ、俺は自分自身に課せられた使命を果たさなければならないのだ。
君を、俺の「本当の仕事」に巻き込むことはできないから。
「……近いな」
でも、本当は俺にだって分かんないんだよ……どうすればいいのか。
未玖についた「嘘」を告白する。君が力を手にした本当の理由を告げる。
そうすれば、俺がずっと抱いていたこの罪悪感も、少しは消えてくれるかもしれない。
でも……。
そうすれば、俺の「本当の仕事」に君を巻き込んでしまうことになるかもしれない。
人間なんて、どうでもいいと思っていた。
――はずだった。
でも、君は――君だけは、守りたいと思ってしまったから。
依然として感じているを妙な感覚を探りつつも、なかなか位置を特定することができない。
しばらく捜索を続けた後、彼は適当な場所でとりあえず休憩を入れることにした。
☆★☆
「ハァ……」
近くにあったベンチに腰を下ろし、今までたまりに溜まった疲れを全て吐ききるようにして深いため息をつく。
この妙な気配は、確かに天界のものだ。
だが……俺が今まで追ってきたあいつの気配とは少し違う気がするんだよな。
俺はベンチの背もたれに寄り掛かり、公園の景色を見渡した。
遊具のない、さびれた公園。
真ん中にある水の止まった噴水が、その寂寥感を煽る。
(修理すれば良いのに)
物悲しさしか感じられないその噴水を見ながら、俺は心の中で呟いた。
(あーあ、何か行き詰ったって感じだなー、俺)
腕を伸ばし、大きな伸びを一つ。
それから、快晴の秋空を見上げ――突如、視界が金色のカーテンに包まれた。
「ミタ……? こんなところで何をしているんですか」
――?!
上の方から、聞き覚えのある声が降り注いだ。
思わずその場から退きベンチから立ち上がった俺が見たのは、はっきりと見覚えのある人物の姿だった。
「そっ……総督……!」
「ふふ、驚きましたか?」
「総督」と呼ばれた彼女はにっこりと微笑み、整った金髪が日の光に照らされてキラキラと輝く。
「あ……あなたこそ、こんなところで何をしているんですか!?」
「さあ、何でしょう」
そう言うと、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
俺は呆れたようにため息をつくと、「まあどうでも構いませんが」と受け流す。
すると、彼女は笑いながら言った。
「冗談ですよ。たまには下界に足を伸ばそうと思って来てみたんです」
「そうですか。……というか、どうしてあなたは可視化しているんですか? それじゃあ人間に見えるでしょう」
「ふふ、質問続きですね」
「はぐらかさないで答えて下さい」
「べ……別にはぐらかしているわけじゃないですよ!」
俺からの鋭い視線に戸惑いつつ、彼女は慌てて言葉を紡いだ。
「だって、休みで来ているんですから……下界の人間の誰とも話せないなんてつまらないじゃないですか」
「はぁ……またそうやって……」
俺は完全に呆れながら、「力の無駄遣いですね」と呟いた。
「それにしても、下界の空はこんなに綺麗なんですね……久しぶりに見た気がします」
そう言うと、彼女はにっこりと微笑む。
俺は「いつの話だ」と思いつつ、彼女に問いかける。
「そういえば、向こうの皆は元気ですか? こっちにはほとんど連絡がないものですから」
「あら、確か連絡係の子は『通信した』と言っていたんですが」
「そうですか……それなら、俺が気づかなかっただけかもしれません」
(確かに、ずっと気を張りっぱなしだったからな……。気づかなかったとしてもおかしくはないか)
俺は自分のコートのポケットに入っている電信機を一瞥しながら、心の中で呟いた。
すると、彼女は再び輝くような笑顔を浮かべながら、俺に問いかける。
「それより、下界はどうですか、ミタ? 楽しんでます?」
おそらく、彼女に悪意はないのだろう。ただ純粋に、俺の様子を聞いたつもりだったのだろうが……。
それは今の俺には不適な質問だった。
「あなたの思考回路は本当に毎日が休暇でいらっしゃるようですね……俺はこっちに飛ばされて大変だというのに」
俺は精一杯の皮肉を込めて呟くと、彼女の方を睨む。
すると、彼女は慌てたように言葉を付け加えた。
「いえ、別に悪気があって言ったわけではないんですよ! 本当に! それに、私だって休暇以外にもちゃんとした目的があるんですから!」
「へえ、目的が。どんな目的ですか? 言ってみて下さいよ」
「そっ……それは……」
彼女は口どもり、目を伏せて小さく呟く。
「言えない……ですけど……」
ほら、やっぱりないじゃないですか。
俺は不満げな表情を浮かべながら、「そうですか」と呟いた。
静かな公園に爽やかな風が流れ込み、彼女の金色の髪がサラサラと風になびく。
彼女はベンチに座りながら、俺に問いかけた。
「……例の死神は、捕まえられそうですか」
「……!」
彼女は俺を見上げる。
俺は彼女から目を逸らし――自分の不甲斐無さを悔やんだ。
「いえ……気配は感じていますが、まだ……」
「そうですか」
彼女の微笑みの中に、少しだけ悲しげな色が混ざる。
俺は拳を強く握りしめ、地面を見つめながら、自分の不安を彼女にこぼした。
「俺なんかが、あいつを追い続けても良いのでしょうか……」
「……ミタ?」
俺の言葉に彼女は小さく首を傾げる。
「こんな俺が……あいつを捕まえられるなんて……」
「……珍しいですね。あなたがそんなに弱気になるなんて」
「それは……」
「他の死神と代わりたいのですか? もちろん、あなたには天界に戻っていただきますが」
「……!」
それはできない。
未玖をあのまま置いて俺だけ帰るなんて、できるわけがない。
未玖にしてしまったことは全部、俺の責任だから……!
「ふふ、だと思いましたよ。だって、あなたが志願したんですから……『あの死神を捕まえる』と」
俺が「志願した」……確かにそうだ。だって、あいつは……俺が捕まえなければならないから。
「あなたが何を心配しているのかは分かっています。……あの子ならきっと大丈夫ですよ」
――! まさか……。
「優しくて良い子じゃないですか。まるで私のよ……」
「……知っていたんですね」
そうか……この人はもう、全部分かってるのか……。
俺が、人間に力を渡したことも。
俺が、何に悩んでいるのかということも。
なら、全て話してしまった方が良いのかもしれない。
「……今のはあなたの突っ込みを期待していたのですが」
そう呟いて悲しげにうつむく彼女を見ながら、ミタはゆっくりと口を開いた。
「そうです……ご存知の通りです。……俺は未玖に――」
――蒲田未玖に、死神の力を「与え」た。
☆★☆
「君に力を奪われた」。
それが最初に彼女に会ったとき、彼女に伝えたこと。
嘘だった。
力は奪われたんじゃなくて――俺が与えたんだ。
俺が下界に降りてきた理由は、仕事をサボっていて追い出されたからじゃない。
俺は、あいつを捕まえるために……志願して、総督――「あの人」に命令されたんだ。
「牢獄から抜け出した大罪人を追え」と。
「あの人」に下界に送られたその日、俺はあいつを追っていた。
かすかに感じる気配を辿りながら、あいつを探し回っていたとき――俺に突然、あるものが見えたんだ。
それはあまりに唐突で。
それは俺の目の前に広がった。
それは、少女が追われ、フードの男に切りつけられ死んでいく……未来だった。
確証はなかった。初めて自分の身に起こった出来事だったのだから。
それでも、俺には確信があった。それは単なる未来の1つの予想であると。
すなわち――「少女が死ぬ」という未来の予想は、俺の手で変えることができるかもしれない、という確信が。
現実にそれが起こるまでの時間。
数分間――それが、俺に残された時間だった。
俺は必死に彼女を探した。
雨の中、
路地を走り、
少女の気配を追って――
気がつけば、俺は少女がフードをかぶった男と対峙している場面に遭遇していた。
男が手に握っているナイフを振り上げる。
――今しかない、と思った。
俺は少女に――蒲田未玖に、死神の力を分け与えた。
下界がどうなろうと、俺には関係なかった。
人間なんてどうでもいい、と思っていた。
《……私、こんな力使わない……使えないよ!》
俺はあいつを捕まえるために下界に来たのに。
そんな目で、俺を見るなよ。
《ねぇ、返せないの? この力……》
何で助けてやったのに、辛そうな目で俺を見るんだよ。
責めるような目で、俺を見るんだよ。
《あーあ、面倒くせぇな》
全部、君のせいだろ。
《俺がたまたまあそこの路地を歩いていたら、急に君に力を奪い取られたんだよ》
《君のせいで仕事が台無しだ》
君が死神の力を手にして何を感じようが、どう苦しもうが、関係ない。
君のせいなんだよ。
《ごめんね、私がミタの力奪ったりして、こんなに迷惑掛けて》
俺が与えた力で、君がどう苦しもうが……
《私は、受け入れるよ。この力を。この運命を》
俺のせいで、君がどう苦しもうが……
俺のせいで…………。
そうだった。
突然映像が見えて、咄嗟に君を助けようと思ったのは、この俺だ。
君はあの時、あの場所で死ぬはずだった。
それ捻じ曲げ、君に死神の力を分け与えたのは、この俺だ。
君の運命を捻じ曲げ、心の優しい君を苦しめたのは、
君に嘘をつき、君にすべての罪をなすりつけたのは、
全部、この俺だ。
《もう、無茶はしないで》
未玖、済まない。
全部、俺のせいなんだよ……。
未玖についた嘘を告白する。君が力を手にした本当の理由、俺の「本当の仕事」を告げる。
そうすれば、俺がずっと感じていたこの罪の意識も、少しは消えてくれるかもしれない。
でも……。
《私は……ミタがひとりで傷つくのが怖い》
そうすれば、君を、俺の「本当の仕事」に巻き込んでしまうことになるかもしれない。
君も、天界の大罪人を捕えるのを手伝おうとするかもしれない。
そのせいでもし、君が命を落とすようなことがあれば……。
人間なんて、どうでもいいと思っていた。
でも、君だけは、守りたいと思ったから。
――守らなければいけないと、思ったから。
だから、俺は、嘘をつき続けるしか……。
「良いんじゃないんですか? それがたとえ嘘だとしても」
「あの人」が俺に優しく声を掛けた。
「だってあなたは、あの子のためにやったのでしょう」
彼女が隣で優しく微笑む。
「でも……俺が嘘をついているせいで、彼女に心配をかけてしまっていることは事実です」
未玖についた嘘を告白し、「本当の仕事」を伝えれば、彼女を巻き込んでしまいかねない。
これ以上、彼女の命を危険にさらしたくない。
かといって彼女に嘘をつき続ければ、彼女は罪悪感を抱え、突然いなくなる俺の心配をかけたまま……彼女はもっと苦しむかもしれない。
「ふふ、悩んでいるんですね。ミタ」
彼女はにっこりと微笑むと、頭上に広がる青空を見上げて言った。
「完璧なものなんて、ありませんよ。この世界のどこにもね。……あるのは、いつまでも不完全な私達だけです」
「…………」
「ですから、あなたがそんなに悩む必要なんてないんですよ。あなたにはあなたの思いがある。それだけで充分なんです」
そう言うと、彼女は「あなたの彼女への思いは、もう充分なんじゃないですか」と言って微笑んだ。
(充分、か。……考えてもみなかったな、そんなこと)
俺が嘘をつき、彼女に「本当の仕事」を伝えないことで、守れるものは何だろう。
彼女の命を守るか、心を救うか。
そのどちらか一方を選択しなければならない状況に陥ったとき、一体どちらを選択することが「より正しい」と言えるのだろう。
《誰かを傷つけずに生きることはできない》
どちらを選択したとしてもどちらも傷つける結果となってしまうのなら、俺は――。
彼女の命を守りたいと思った俺の思いは、充分といえるだろうか。
俺の選択は、「より正しい」と言えるのだろうか。
「あの子なら、きっと大丈夫です」
彼女は微笑み、輝くような光が彼女を包みこむ。
「そう……ですかね」
不思議なことに、俺に重くのしかかっていた気持ちは、彼女の言葉で幾分か和らいだようだった。
「あの子の心は、あなたが思っているよりもずっと丈夫なはずですよ」
「そう……ですよね」
「あの子は何だか似ている気がするんです……私と」
「そうですよね……って、え?」
に、似ている? 突然何を言っているんだ、この人は?
彼女の言葉に驚く俺をよそに、彼女は嬉しそうに続けた。
「だから、きっと大丈夫です!」
「え……と、まず質問です。そのよく分からない根拠は何なんですか」
「根拠のない自信が、そこにはあるんです!」
――はあ?
「あら、聞こえませんでしたか? あの子は……」
「もう良いですよ……」
この人の言うことに突っ込んだ俺がバカだったんだな。
まあ、少し天然っぽいところが似てなくもないか?
……いや、やっぱ違うだろ。この人は筋金入りだからな……そもそも言ってることがよく分からないし。
俺がやれやれ、といった表情を浮かべていると、彼女のポケットから突如、公園の静けさを打ち破るようなポップな音楽が流れだした。
「その音楽……どうにかできないんですか」
「……いいじゃないですか。昔友人が好きだった曲なんです」
彼女は「好みは人それぞれなんですから」と言いながら、先程から場違いな音楽を鳴り響かせているその電信機を耳に当てた。
「……はい……はい……分かりました、今向かいますから」
会話を終えると、女性はため息をついて小さく呟く。
「残念です……天界から呼び出されました」
「何も残念ではないと思いますけどね」
あなたもちゃんと仕事しろってことですよ。
「私は今すぐ帰ります。あなたも、くれぐれも無茶はしないで下さいね」
そう言うと、彼女は俺に微笑んだ。
「分かってますよ。あなたも、あまり天界の死神に心配を掛けさせないであげて下さい」
彼女は俺の言葉を聞くと、「分かっています」とにっこり笑ってから、キラキラと輝く光に包まれ消えていった。
「……分かっていないから言ってるんですけどね」
一人残された公園の中で、俺はベンチから立ち上がりながら小さく呟く。
相変わらず人気のない公園は静寂に包まれ、俺のすぐ横を涼しい風が通り抜けた。
「本当に……いつも、何を考えているのか分からない人だ」
俺は公園を出ると、既に今まで感じていた違和感が消えていることに対して「今までの妙な気配は、あの人だったのか」と呟くと、そのまま未玖の居る学校へ向かった。