第七話「解放」
「うわぁぁぁ……」
家にひきこもってから何日経ったかもうわからないが、空腹に耐えかねた私は、もはや五寸釘の女がどうこう言う前に何かを食べずにはいられなかった。
だから財布をポケットに入れ鍵もかけずに家を出た。
もはや何が怖ろしく何が辛いか全てが曖昧だった。
睡眠も取れず食事もとらず、ただ脳内に響くあの女のカーンという木槌の音が頭の中に響くばかりだ。
ただ死にたくない、と、ただそれだけを思っていた。
私はただ食料を求めて近くのコンビニかスーパーを目指していたはずだったのだが、気付けば街の大通りを歩いていた。そして、目の前には、この街で一番高いビルがあった。
このビルは名前を自殺ビルといい、自殺の名所として有名なビルだった。大体この街で自殺をする人間は、このビルの屋上から飛び降りるで有名なのだ。だから地元の人間は、このビルの下にある道を歩いてはいけない、用が無いのなら近くを通ってはいけないと、親なら子に言い聞かせ、大人なら自身の肝に銘じているくらいには有名な場所だった。
「は……はは……はははははは…………」
思わず笑った。私は、何かに吸い寄せられるようにここに来ていた。おかしな話じゃないか。腹が減って家をでたのに、ここに来る前に随分と食料や食べ物を売っている店屋があったというのに、私は何故か吸い寄せられるようにこの自殺ビルの目の前まで歩いてきたではないか。
「運命が私に死ねって言っているのか……? それとも私はここで死ぬ運命だということか……?」
独り言ちて、私は立ち止まり、全てを運命に委ねることにした。
「ああ……やっぱり行くのか……?」
不思議なことに私の足は、何かに動かされるように自動的に歩みだして、自殺ビルの中へ入り、屋上までのぼって行った。そうして屋上について、落下防止フェンスを乗り越え、その空とビルとの境界線であるヘリに立った。
「ああ……せめて……腹いっぱいにしてから死にたかった……」
そうして私は、自動的に、靴も脱がず遺書も残さず、そこから飛び降りた――
グシャッ――
ああ……私は死んだ――
自分の頭が砕け散る音を聞きながら死んだと思った瞬間、私はあの自殺ビルの目の前に立っていた。
「えっ――?」
辺りを見回してみるが、私はやはり、ビルの中にもいなければヘリにも立っていない。地上に立っている。生きている。
確かに私はビルから飛び降りたはずなのに、あそこから飛び降りてすぐ地上のアスファルトが目の前に迫り視界が暗転し自身の頭が砕け散る音を聞いたはずなのに、私はここに立っている。
「おかしいな……?」
不思議に思い、先程まで私が立っていたヘリを見るために、頭をあげて見上げた先には――
屋上のヘリから飛び降りて、地面に落ちる瞬間の「私」がいた――
「えっ?」
グシャッ――
「え……?」
そして「私」の目の前で「私」が死んだ。
屋上から飛び降りた私が、私の目の前で弾けて死んでいる。目の前で私が死んだ。私はこうして生きているのに、私が死んでいる。
「……ど……どういうこと……?」
あまりにもわけのわからない事態に、私は何もできずよろよろと、弾けて死んでいる私に近寄った。
飛び降りて頭から地面落ちた私は、血塗れで体はぐしゃぐしゃだが、不思議なことに頭はほとんど綺麗なまま形を残していた。
「…………」
言葉を失う。自分の前で自分が死んでいるという事態が理解できない。そうして呆然としていると、死んでいる私の輪郭を残している頭の部分が仄かに青い光を帯びているのが見えた。顔は潰れているのか血塗れで表情は判別できない。
「光ってる……?」
私の死体の頭から発する光は、ぽうっと額の辺りから皮膚を透かして内部で光っているようであった。まるで、頭の中から出してくれ<解放>してくれと言っているようであった。強く光り弱く光り断続的に大きく小さく光っている青白い光、その光に見惚れていると、私はいつしか、両手には五寸釘と木槌が握られていた――
「ああ……そうか……」
死体の額で輝く光、きっとこれは私の魂だ――
この飛び降り死体は、私の死の恐怖の象徴だ……そしてこの光……これは死の檻に囚われた私の魂に他ならない……<解放>せねばならない……<解放>してやらねば私は死ぬ……っ!
「うおおおおおおおお――!!」
私は死体の額に五寸釘をあてがうと、思い切りそこへ木槌を打ち込んだ――
カーーーーーーーーーーン
その瞬間、バリンという音を立てて私の死体の額が頭が、木槌が、五寸釘がガラスのように砕け散った。
そしてその額から青白く輝く光の球体がでてきて、宙に浮いたかと思うと、そこが私の居場所だといわんばかりに私の頭の中に吸い寄せられるように入った――
「あ……ああ……あああ……だ……」
目の前が光に満たされる。
死に囚われていた視界が、暗闇が晴れる。全てが白く光りわたる。輝く世界、輝く私――
「だ……」
そうだ――
私は目覚めたのだ――
<解放>
「解放だ……解放だあああああああああああああ――!!!!!!」
私は叫んだ。力の限り声を張り上げた。これは産声なのだ。新たなる私が、今ここに産まれた。そう、私はもう、ただの人ではない。死の恐怖を克服せし者、精神を完全に自律する者、そう、真の人間に私は目覚めたのだ――
そう<解放者>に――
魂の<解放者><解放>を告げる者に―
「解放だぁああああああああああああ!!!!!」