第四話「不安」
半狂乱の体でそのワラ人形を持ちながら家へと走り帰った私は、人形を押し入れの奥深くにしまった。財布はみつからなかった。つまり、あの女に拾われたのだ。私は狙われている。あの女に狙われているのだ。
その日以来、私の頭の中で、あの五寸釘を打ち付ける「カーン」という音が離れなくなった――
四六時中頭の中でカーンという音が聞こえ続けている――
いくら安定剤を飲んでも効果がない――
睡眠薬をいくら飲んでも眠れない――
もちろん食べ物を買っている余裕なんてなかった――
鍵をかけチェーンをして雨戸を閉め家中を締め切って女の襲撃に備えた。
一日経ち、余計に怖くなった。
二日経ち、眠れなくなった。
三日経ち、あの女の姿と、カーンという音が頭の中で初日よりも強く響き続けている――
四日目の朝、私は一つのことに気付いた。
「わかったぞ……ヤツは精神攻撃をしているんだ……」
あの女はこの家を襲撃する前に、物理攻撃の前に、私を呪いによって精神攻撃しているんだ……。
この頭の中に響き続けているカーンという音が何よりの証拠じゃないか……そうして弱らせたところで直接攻撃にでるつもりなのだろう……弱らせてから止めを刺す……なんて頭脳派なんだ……あの日からずっと心臓がドキドキしている……これも五寸釘を打ち付けられた呪いのせいだ――
「ダメだ……その手には乗らないぞ……病は気からだ……っ! 精神を弱らせようとするのなら、抗ってやる……っ!」
私は精一杯の気概をもって立ち上がると、鉢巻の要領でタオルを頭に巻き、丁度目の前にあった前掛けをかけて、あの森がある方角を向き、腕を組み睨みつけ仁王立ちをした。全身に呪いには負けぬぞという気を張り巡らせ、確かなる強気をもって口を開いた。
「はいどーもー! わたくし先日森を歩いておりましたら、丑の刻参りをしておりました女を見つけてしまいまして、目が合ってしまったんですなあ。いやー、怖いなぁ怖いなぁって思っていましたら、なんとその女が私目掛けて木槌を振り上げ五寸釘を振り上げ走ってくるじゃあありませんか! いやぁ困っちゃったなぁ~私し必死に走りましたよ。ええ。そりゃあもう命からがらなんとか逃げ延びましたよ。けれどもね、それだけじゃすまなかったんですよ。まぁ色々と事情がありましてな、私次の日にまたあの女がいた場所に行ってみたんです、そうしたらねぇ、そこに打ち付けていたワラ人形があったんですけどね? なんとそこに貼り付けられていた写真が、何故か私の写真だったんですよぉってばかやろー!! ふざんけんなこのやろー!! 女おいっ! お前一体俺に何の恨みがあるってんだいてやんでぃっ! 私とお前は丑の刻参り見ちゃった瞬間目と目が合うときが初対面だろうがコノヤロー! 大体なんで俺の写真もってんだタコヤローが! いいかお前らよく聞けコノヤロー! おらぁなぁ! 呪いなんてそんなもんに絶対に屈したりはしないぞ! 聞いてんのかバカヤロー! いいか、呪いなんてものはだねえ、キミねえ、あの……ほら、あれだっ! 思ったら負けなんだよおらぁっ!! 考えたら負けなんだよ。つまりはね、ああ、小生はねぇは呪いをかけられてしまったなあ……と思った瞬間もうそれは呪いにかかってしまっているんだよ! ちなみに小生ってのは書き言葉らしいから話し言葉に使うなとか何かの本で読んだけど知ったことじゃないんだよコノヤロー! いいかい呪いなんてものは実体のない、詐欺師の言葉のようなもんなんだよ! 聞いたら負け真に受けたら負けなんだよしょうもないなぁっ!! だから拙者はねえ、そんな汚い呪いなんかに負けないんだよっ! そんなもんでこの某をなんとかしようと思うだなんて見くびられたんものだよねぇっ! 余をなんとかしたいのなら力るぅぁでこい!! いや来るなっ!! 来るんじゃない!! よく考えたら白装束の丑の刻参りやっているような頭のおかしい女がやってくるんなんて呪いよりも怖いじゃないカッ!! そもそも呪いが存在しないならこの頭の中に響くカーンという音はなんなんだよおおおおお!!」
ドンッ――!
「うわぁっ」
一人でヒートアップいていると隣室から壁を叩かれた音で素に戻った。どうやら相当にうるさかったらしい。今までこの部屋に何年と住んでいて隣からこんな壁叩きをされたのは初めてだ。
「ちっ……なんだよぉ……ちょっとくらい我慢しろよこのやろぉ……」
確か隣には大学生の男が住んでいるはずだが、なんと無礼な行いだろうか?
私は腹が立った。最近の若者は我慢ってもんができなくて仕方ない。隣の人がうるさかった場合は、まず一回は尋ねてきて「すみません、少し話声のほうが大きいので……」等と時候の挨拶も交えながら多少は気遣って注意して、それでも直らないなら大家さんや管理会社に連絡して、それでもダメなら最悪こうやって物理的に知らせるべきであって、何も最初から壁をドンドンと叩く必要は何処にもないのだ。
いくら私に非があるとはいえそれはあくまで、非常事態故の非なのであるからそこは斟酌されてしかるべきであるというのに、我が隣人の学生たるやなんたる非礼無礼非常識であることか。本当に、常識も礼節も知らぬ三綱五常を乱す無礼者が隣人にあっては私も安心して生活ができぬというものである。
「くそっ……お腹減ったし何か買って来るか……っ」
食料が尽きかけている――
家の外にでることは死ぬほど怖ろしいが、このまま餓死してしまうこともまた怖ろしい。私はなんとかこの勢いを維持したまま、震える両足を靴箱にかけてあった靴べらで叩きながら叱咤して買い物へと向かうことにした。
一応火事が心配であるから、ちゃんと電気を消して、ガスの元栓を締めて、換気扇を止めたか確認し、家を出ようとする。
「……ちゃんと消したかな?」
もう一度戻ってガスを見て換気扇を見て電気のスイッチを見る。ちゃんと消えている。
「大丈夫だ……よし、買い物に行こう……」
しかし靴を履いてドアのノブを掴もうと思ったところでまた不安になり靴を脱いで室内に戻る。
「大丈夫だ……ちゃんと消えてる……」
指差し確認しながらちゃんとできていることを確認するが、そうすると今度は電源コードがちゃんとはまっているかが気になってくる。電源コードがちゃんとはまっていないと、隙間が開いているとそこにホコリが積もって火事の原因になってしまうらしい。
「……一応見ておこうか……」
家中の電源コードというコードを確認しながら、大丈夫なことを確認するが、コードの中にいまひとつはまりが悪いものが何本かあった。それはしっかりと隙間無くはまらないで、どれだけはめようとしても僅かに隙間が開いてしまうのだ。
「抜いてこう……」
そういったコードは引っこ抜いてガスの元栓と電気スイッチと窓の鍵を数十回ほど確認してようやく家を出た。
「鍵閉めなきゃ……」
しっかりと鍵を回して鍵がかかったことを確認する。
ガチャガチャ――
「よし、大丈夫だ……しっかりしまってる……」
握り玉を持って右に左に回す。
ガチャガチャ――
ガチャガチャガチャガチャ――――
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ――――――
ガチャガチャしていたら鍵が勝手に開いてしまわないか何度も確認しながらやっと満足し、買い物へと向かった。気付けば支度をして家を出ようとしたときから二時間も経っていた。
「やっぱりだめだぁ…………うわぁぁぁぁ……」
なんとか頑張ってアパートの下へ続く階段を降りようとしたが、どうしても降りられなかった。
あの女がいたらどうしよう? もし留守の間に家が火事になったらどうしよう? 泥棒が入ったらどうしよう? そのような不安が頭の中をジェットノズル付いたピンボールのように跳ね回って私を家の中へと追い返したのだ。
だから私は何も替えず、アパートの敷地を出ることも出来ず、家の中に戻った。