第三話「狂乱」
「大丈夫大丈夫……」
大体、あの時はかなり酔っ払っていたから、普通に何かを見間違えただけかもしれないじゃないか!
そう思って買い物を決意し、財布を捜すがいつも財布を置いてある机の上に財布の姿はない。ああ、そうか、昨日はそのまま脱いで寝たからと、昨夜履いていたズボンのポケットに手を入れるが財布はどこにもなかった。財布は探せども探せども何処にもない、そのとき、私の脳内にはある最悪の予想が浮かんだ――
「ああ……まさか――?」
まさか……逃げるときに……あの森に……財布を落としてきてしまったかの……?
私はある最悪の事態を想像して、身の毛がよだつ思いがした。氷柱が脊髄に差し込まれたような、そんな寒気、恐怖、それらが一斉に襲って、体中から冷や汗が流れ出してくる。
「いやいやいやいや、まずいまずいまずい! まずいって!!」
財布の中にはクレジットカードは言うに及ばず、免許証や保険証も入っている、もし、あの財布をあの女に拾われたら、ここがばれてしまう――
コノイエヲツキトメラレテシマウ――
あまりにも恐怖が過ぎると言葉にすらならなくなるもので、暫く立ち尽くしていたが、それでも私は財布を捜さなければと、まずは警察へ行って落し物として届けられていないか聞いて、無いのなら、昨夜の足跡をたどって、見つからなければ最悪昨日の森の中へ入っていく決意を固めた。
あの女に見つかっていないで、警察に届けられているかも、何処かに落ちているかも、最悪、森の何処かに落ちていてあの女には見つかっていない、という一縷の可能性にかけたのだ。
まずは近くにある交番を尋ねてみたが、やはり私の財布は届けられてはおらず、昨夜辿った森以外の場所をあの女が張っていないか気をつけながら、何べんも探してみたがやはり財布は何処にも落ちていなかった。
「はぁ……やってやるよぉ――っ!」
こうなってしまえばもう仕方がなく、私は覚悟を決めて森に入る決意をした――
水田に挟まれたあぜ道を通り、昨夜の森の入り口となった木々の間にたどり着く。そこは夏の晴れた日の昼であるというのに、どこか薄暗く、涼しい風がその森の奥からこの頬を撫でるように吹き込める場所だった。
「なんでこんなとこ入っていったんだよ俺……っ!」
愚痴りながら、周囲を確認してあの女がいないことを確かめながら森に入った。
森の中は入り口よりも一層薄暗かった。高い木々の繁った葉が日光を遮断しているのだ。月明かりは暗い中の光であるから強調されて明るく見えたが、昼に来ると真逆で、明るい中の暗さであるから、いうなれば恐怖感を刺激させる仄暗さが満ちているのだ。
朧げな記憶を頼るに森を進む。昨夜とは違って、日中である分いくらか不気味さは減じられているが、私にとってはまた違う意味合いが追加されてしまったため、一歩一歩とあの女が居た場所に足を進めていくたびに、心臓が大慌てに動悸を始めだす。息苦しくなるし、手足が震える。なんとかダメになっていく全身と精神を動因して、昨夜の五寸釘が打ち付けられていた木がある広場まで来た。
あんな真夜中の泥酔した中で、よく辿り着けたと思うが、きっと体が恐怖で覚えていたのだろう。
木の陰に隠れながら、息を殺しながら、ゆっくり十数分ほどかけて、あの女が何処かに隠れていないか探してみたが、どうやらいないようだ。それでも私は、安心することなく、気を抜くことなく、この辺りをくまなく探索したが、何処にも財布はない。あの女に拾われたのでは? という嫌な思いばかりが頭を過ぎる。
「はぁ……はぁ……」
女が来るかもしれない、という恐怖感を全身に感じながら、周囲を気にしながらモノを探すという行為は、うまい例えが見つからないほどに酷烈なものだった。どこかからかあの女が来るかもしれないという恐怖、何かがでるんじゃないかという恐怖、精神的消耗、そして昨夜から何も食べていないことによる肉体的体力消耗、とにかく、今の私は、色々な消耗が重なり合って、心身共に疲弊していた。薬の影響もあるだろうが、酸欠のように息が荒くなり、だんだんと頭ぼうっとしてくる。
なんだか呪われそうなので女がわら人形を打ち付けていた大木は見ないようにしていたのだが、朦朧とする意識の中で怖いもの見たさか、ついに大木に目を向けた。
大木には、わら人形が打ち付けられたままで、顔の部分には何やら写真のようなものが貼られている。写真の人物がどのような人物なのかは、近眼なので近寄らないとよくわからなかった。そこで、普段なら絶対にこんな呪われそうな木には近づかないのだが、今回は昨夜のような怪奇な好奇心が混ざって、私は何をとち狂ったのかその木に近づいて、五寸釘が打ち込まれたワラ人形を、そのワラ人形に貼り付けられた写真を間近くで見た。
すると、信じられないものがそこにあった――
「……え――?」
シンジラレナイ―― アリエナイ――
その大木に打ち付けられたワラ人形には、そこには、私の顔写真が貼り付けられていたのだ――
その釘先が二寸ほどしか打ち付けられていないワラ人形には顔の部分に何故か私の顔写真が貼り付けら
れているではないか!?
「う……うわああああああああ――!!」
私は半狂乱になって、そのワラ人形を無理やり手で引き抜いて、何故かそれを持ったまま走って家に帰った。