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忍と刀と戻らぬ簪  作者: 秋田友
壱の章-愛護の簪-
2/20

其の二

 諏訪の忍を育成する学園は、高等部、中等部、初等部という風に年齢ごとに学年が区別されている。

 初等部では七歳から十二歳の者が忍としての基礎を学ぶ場所だ。体術も忍術も、ここで基本を固める。

 中等部では十二歳から十八歳の者が学ぶ。杏も風吹も弥勒も封和も、今在籍しているのはここだ。

 高等部は十九歳以上の者が学ぶ場であるが、その人数は少ない。その理由のひとつとして挙げられるのは、高等部に入れるほどの実力を持つ忍に対して、指導できるほど実力のある指導者が少ないからだ。大抵、そこまでの実力があれば、中等部を出た後はすぐに実戦配備されてしまう。こうして学園で後輩の指導に当たる物好きは少ない。

 飛沫はその物好きのひとりと思われている。一度は戦場に出向いたことがあったが、色々あって学園に戻ってきた。

「――よろしくお願いします」

「前回に引き続き無理を言うね。まあ他ならぬ君の頼みだ、聞き届けようじゃないか」

「ありがとうございます」

 飛沫は学園長に直訴する権利を持つほどに長く勤めている。今もまた、飛沫の無理が押し通されたのだった。

 飛沫が学園長に無理を言ったのは、これで二度目だった。そういうことを言う回数としてはとても少ないが、口にする無茶が本当に無茶としか言いようがないことばかりだ。

(気休めでしか、ないと思うがな……)


 ◆


 最上級生のふたりにボロボロに負けた杏と風吹は、帰宅してもなお浮かない顔をしていた。

(あたしなんかが、敵うはずないじゃない――)

 自分の無力さを、杏は改めて痛感していた。

「お姉ちゃん、起きてる?」

 自室に籠りひとり悶々としていた杏は、障子越しの控えめな声を聞いて我に返る。

「起きてるよ。こんな時間にどうしたの――杏理」

 月明かりによって、部屋の畳にその影が映し出される。

 杏を呼ぶのは、杏の妹の紫苑(しおん)杏理(あんり)。杏よりも四歳下で、優秀な忍の子と評判の良い――いわば、杏とは正反対の子だ。

「お父さんが、お姉ちゃんを呼んできなさいって。何か話があるみたいだよ」

「――何だろう?」

 呼ばれる理由が杏には分からなかった。内容を想像しながら杏は杏理の後を歩く。

 飛沫の部屋の前にやってきたふたりは、部屋と廊下を隔てる襖を開けた。

「話って、一体何? 風吹まで呼んで――今日の組手の説教でも始めるつもり?」

 そこには飛沫だけでなく、風吹までもが座って2人を待っていた。

「お前が望むのなら、するが?」

(いちいち癇に障る言い方――)

 場は一瞬で険悪な雰囲気に変わる。

「まあまあお姉ちゃん。立ち話もなんだし、中に入ろうよ」

 杏理に促されると杏は渋々腰を下ろした。

「話というのは、お前の今の実力についてだ。今までは何とか誤魔化しながら進級できていたが、それもそろそろ難しいだろう」

「だから、学園を――忍を辞めろとでも言うわけ? 元々、術の使えないあたしを無理やり学園に入れたのはお父さんなのに、今度は大人の勝手な都合で辞めろって? あんまりじゃない?」

「話を急ぐな。そんな極端なことではない。学園を辞めるのは恐らく不可能だ。だから杏、お前の実力を底上げするための特別な手段を講じることにした」

 その話にいちばん興味を示したのは、杏理だった。一言も発しはしないものの、今まで俯いていた杏理は顔を上げて飛沫を見ていた。

「で? 一体どうするって言うの? そんな特別な手段があるなら、最初からその手を使えば良かったんじゃないの?」

「それは出来ない。これはあくまで最終手段だ。もし下手に使えば、忍として大切なものを失うかもしれない」

「忍として大切なもの? そもそも術が使えないあたしに、忍として大切なものなんて元々無いと思うんだけど」

「話が逸れてるよ、お姉ちゃん」

「――とにかく、その方法って何なの」

「諏訪ではなく、日本という国で修行をする」

「日本? 聞いたことない国だけど、そんなところ、本当にあるの?」

「聞いたことがないのも無理はないだろう。これは最重要機密なのだから」

「そんな大事なこと、僕たちみたいな忍の見習いが聞いても良いのですか?」

「当事者なのだから、構わない」

「その言い方だと、お姉ちゃんだけでなく、わたしたちも一緒に行くんだよね?」

「その通りだ。杏と風吹の実力に差が出来てしまっては班として不釣り合いだ。それに杏理はまだ幼い。杏理は確かに優秀だが、初等部の忍にはまだ自衛は難しいからな。何かあった時に困るだろう。だから共に連れていく」

「じゃあその間、学園はどうなるの。お父さんも行くんでしょ? だとしたら、あたしたちの教室で教える人が居なくなるじゃない」

「お前は何ひとつこちらのことを心配しなくていい」

(高圧的、抑圧的、支配的――あたしには選択の権利も発言の権利も無いみたいじゃない)

「出発は七日後。それまで各自で準備をしなさい」

 本心はどうあれ、飛沫の決定にその場にいた子供たちは全員頷いた。

「それから風吹。お前は鍛冶屋で刀を見ておきなさい」

「分かりました……?」

「そして杏理。出発までに、これを読んでおきなさい」

 飛沫は(ふところ)から書状を取り出すと、杏理に手渡した。簡単に折りたたんだだけで宛名も書いていないそれを見た杏理は、それを書いたのが飛沫であるということがすぐにわかった。

「うん、分かった。部屋でゆっくり読ませてもらうね」

 一枚や二枚では納まらない量の文量であるのは、その厚さから歴然としていた。

(あたしに掛ける言葉がないのは、分かってるわよ――)

 杏は黙って自室に戻った。


 ◆


 翌日、風吹は町外れの鍛冶屋に足を運んだ。無論、杏も共に。

 その鍛冶屋はひどくボロボロで、今にも崩れてしまいそうだった。屋内の壁一面に刀が飾られ、その重さに建物が耐えられているのが杏には不思議だった。

 風吹は早速刀を見始める。

 自分の背丈を超える刀を使う技量が風吹にはない。だから必然的に短くて軽いものを選ぶことになる。

 手に取っては置いてという動作を風吹は何度か繰り返した。その内ある刀に目が留まり、風吹はそれを手にした。

(僕――この家紋を知ってる……?)

 切羽(せっぱ)(こしら)えられた家紋に、風吹は既視感を覚えた。

「風吹、それが気に入ったの?」

「うん、まあ……これが妙に手に馴染むんだ……」

 嘘は言っていない。

「お前さん、刀に選ばれたようじゃの」

 店の奥で黙っていた店主が、ふたりに声を掛けた。

「刀に?」

「そうじゃよ。お前さんが刀を選ぶように、刀もまた、使い手を選ぶのじゃ。相性を無視して使い続ければ、その刀はすぐに折れてしまう。折角選ばれたのじゃ、この刀を使うのなら大切にしなさい」

「はい」

「ただ、気を付けにゃいかんよ。そいつはちとじゃじゃ馬でな。何度もこの店に戻って来とるんじゃよ」

「はい、あの……」

「誰が(こしら)えたのかは知らん。そいつは妖刀じゃ。お前さん、魂を喰われんように気を付けるのじゃよ」


 ◆


 飛沫の告げた七日間の猶予は、あっという間に過ぎ去った。学園で学ばない時間というのは杏にとっては新鮮で、それ故に短く感じられた。

「いよいよ、だね……どんなところなんだろう、日本って……」

 日本という、新しい国の名前を聞いただけで動揺した杏は、実際に行くとなると不安が募った。

(しばらく諏訪に戻ってくることはできない――)

 ひとりで感傷に浸っていると、襖の向こうから杏理の声が聞こえた。

「お姉ちゃん、準備できた?」

「できてるよ、杏理。行こうか」

 杏は襖を開け、杏理と共に屋敷を出る。門の前では既に支度を済ませた飛沫と風吹が2人を待っていた。

「杏、日本へ行く前に渡しておくものがある」

 飛沫は懐から一本の(かんざし)を取り出した。銀色で赤い玉飾りがついているだけの単純な構造をしたもので、一見どこでも買えそうな物に見えた。

「何で今、こんな……?」

 日本で簪をつける文化が根付いていない事を杏は飛沫から知らされている。誕生日でもなく、ましてや日本に向かおうとしている今、飛沫が杏にそれを渡す意味は無い。

「これはお前の母の形見だ。お前の十四の誕生日に渡そうと思っていたが、この分だと日本で誕生日を迎えることになるだろうから、前もって渡しておく」

「お母さんの……」

 杏は一度も見たことのない母の顔を想像した。きっとこの簪が似合う美人だったのだろう、と。

「時間だ。行くぞ」

 杏に簪を渡すと、飛沫は何事もなかったかのように歩き出す。どこへ向かうのかも告げないままなのに、風吹も杏理もついていく。杏は遅れを取りながらも三人について行く。

 子供達が連れてこられたのは、学園の地下室だった。

「ここって、最重要機密の資料や書類が保管されている書庫だよね」

「どうして杏理が知ってるの? あたしなんて地下室があることすら知らなかったのに」

「わたしは何度か先生の手伝いで入ったことがあるよ」

「どうして言わないのよ」

「だって秘密だもん、言えないよ。それに言う程のことでもないし」

 書庫にはカビ臭い匂いが充満していた。その狭い部屋に押し込められるようにして入った三人は、立ち止まった。

「この先にどうやって進むって言うのよ」

「少し待っていなさい」

 飛沫は壁の一部に手を置くと、強くその部分を押した。すると不自然に棚を置いていない部分の壁が開き、通路が姿を現した。

 飛沫は淡々とその通路に入っていく。子供たちも後に続くが、書庫よりも酷い匂いを放つその場所が、杏には耐えがたかった。

「ここだ」

 飛沫は持ってきた灯りを床に置く。すると炎の揺らぎに反射するものが杏の視界に入った。

「壁に何か塗ってあるの?」

「結界だよ、お姉ちゃん。それも諏訪全体を守っているような、規模の大きいもの。でもこれは諏訪の結界とは密度が全然違う……一体、どうやって……」

 結界とは不可視の障壁のことで、忍術とは別系統の術だ。一般人には見ることも出来ないが、忍や巫女のように術に通じる者たちは認識することができる。

 様々な記号と文字を組み合わせて式を組み立て、そこに力を流しいれて使うものが殆どだ。結界を構成している式を知られると簡単に破られてしまう上に、展開に広い空間を必要とするため、いきなり戦闘を繰り広げる忍が使うには不向きな術だ。この手の術を使うのは、呪術師や結界師などの術に長けた者と、守護結界を張るためだけに生きている巫女たちだけだ。

「杏理ちゃん、結界の構造式が読めるの?」

「うん。読めるっていうか、分かるっていうか……この結界は、この場所と違う場所を繋げる結界だよ。お父さんがここに連れてきたってことは、多分行先は日本。式がすごく複雑だからあまりちゃんと読めないけれど、多分そういうものだよ」

「その通りだ、杏理。結界に力を流し込みなさい。やり方は知っているだろう?」

「うん、ちょっと待ってて」

 杏理は壁に書いてある結界の構造式の上に手を置くと、術を使うように結界に力を流し入れた。すると部屋全体に張り巡らされた構成式が輝き、壁のひとつが歪んだ。

「ここを通った先が日本だ。一応、安全に行き来出来るようになってはいるが、稀に時空の狭間に迷い込んで帰って来られなくなる者も居る。気をつけて、はぐれないように歩きなさい」

 飛沫はそれだけ告げると結界で作られた道に踏み込んだ。その後に風吹、杏と続き、そして最後に杏理が結界内に足を踏み入れた。


 ◆


 気付けば四人は見慣れない造りの部屋に立っていた。時空の狭間を進んでいる間の記憶は曖昧で、誰も何も覚えていなかった。杏は本当にその場所を通って来たかすら疑った。

 そこは薄暗い学園の書庫とは違い、窓から光の差し込む明るい部屋だった。

「随分と遅かったね、センセー。待ちくたびれちゃったよ」

「予想の範囲内だろう」

 開きっぱなしの扉から聞こえた声は弥勒のものだった。弥勒の装いは諏訪で杏たちが見たものとは大きく異なっていた。黒を基調とした服に身を包んだ姿は、諏訪では目にすることのないものだ。

「遅くなってすみません。急に生徒会の用事を言い渡されまして」

 遅れて登場した封和も、濃い灰色を基調とした白い大きな襟のついた服に身を包み、短い履物からは素足を覗かせている。これもまた、諏訪ではお目にかかれない格好だ。

「弥勒先輩と、封和先輩――?」

「その格好は何ですか?」

「これはこの学園の制服だ。諏訪で忍は忍装束を纏うだろう? 日本で私たちくらいの年頃の子供は学園に通うのが一般的で、通う学園毎に決められた制服を着なくてはならないんだ。だからお前たちも早くこれに着替えろ。その格好はこちらの国で目立ちすぎる」

 封和はそう言って大きな紙袋に入った制服をそれぞれ配布する。

「この服は――」

「この千秋学園(せんしゅうがくえん)の制服だよ。キミ達は諏訪に居た時と同じように学園に通うんだ。オレ達と同じようにね」

「え――先輩達は、日本の学園に通っていたんですか!?」

 風吹は着替えることも忘れて目を見開く。

「じゃあ、噂は本当だったんだ……」

 杏理も手元の制服を見ながら驚きに満ちた言葉を漏らす。

 諏訪の学園でふたりの姿を見た者が居ないという話の真相は、そういうことだった。噂に尾鰭が付いて勝手に独り歩きしていた幽霊説が嘘であったことに三人は納得した。

「ちょっと込み入った事情があってね。しばらくの間諏訪じゃなくて日本で生活してたんだ。といっても、必要があればこの間みたいに諏訪に戻ることだってあるよ」

「ほら、早く着替えろ。その格好はこちらの世界では馴染みが薄いんだ」

 封和に言われて子供達は制服を握りしめたままであることを思い出し、急いで着替える。忍装束とは造りが大分違っていたが、その着方は遥かに簡単で、三人はすぐに構造を理解して着替えることができた。

「綺麗な服……」

 杏の制服は、白を基調として紅いラインの入ったセーラーブレザーだ。スカートも上着同様で、杏が諏訪で身に着けていた忍装束と同じくらいの丈だった。

「結構、動きにくいんですね」

 風吹の着る制服は封和のものよりも少しだけ薄い灰色を基調とし、常盤(ときわ)(みどり)色に近い色合いのラインが入った詰襟だった。

「それ、結構苦しいんだよねー。慣れるまで大変だろうけど、ガマンしてね」

 風吹の表情を見た弥勒は面白そうに笑う。

「わたしのは、案外地味なんですね」

 杏理に手渡されたのは、黒を基調として大きな緑色のリボンがついた、セーラー服だった。スカートは封和の着ている上着と同じくらい濃い灰色をしている。

「ハイ、センセーはこっちね」

 弥勒は手にしていた紙袋を飛沫に渡す。それを受け取った飛沫は、中に入っていた黒のスーツを手早く着た。忍装束の色と大差ない所為で、その印象にあまり変化はない。

「じゃ、色々と説明させて貰うね」

 弥勒は楽しそうに微笑みながらそう告げた。

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